お兄ちゃんの秘密1
「そうかい、あんたがあいつの弟さんかね。なんとまあ、むっちゃ可愛い少年や、せやけどそれにしたかて兄弟やのに、いやぁ、全然似とらんね」
職員室に入ると少し厳しめの表情の中年の男の先生が三人、応接スペースにおられた。担任の先生によると、この三人の先生方、二年前はお兄ちゃんの学校で教鞭をとられてて、去年と今年で三人それぞれに名東区の学校へ異動されたらしい。今回お兄ちゃんが母校の小学校で講演をすることになったという話を聞いて、わざわざ駆けつけて来られたそうだ。たかが小学生に対する講演会に、いかな元教え子とは言え地下鉄五区間の一社からお見えになるとは―――それに何となく三人ともちょっと緊張されてるように見える。時々互いに目くばせを交わされているような。一体何事なんだろう。
そのうちの一人の先生が先の、よく耳にする内容の第一声をあげられた。なんだか気分を変えようかという雰囲気が感じられる。そこで僕は、ちょっと軽口でもたたいてみなきゃならんのではなかろうかと考えた。だから、はいよく言われます、一応戸籍上は同じ両親の子どもなんですがと、以前お兄ちゃんが食堂のおばさんと喋っていたことを思い出し、そう言ってやった。途端に三人の先生方は大笑いされた。
「確かに奴と血のつながった兄弟だよ、中身は一緒、間違いない。こりゃあ偉大なる遺伝の法則だに」
「血は水よりも濃いってわけか。白い殻の玉子もありゃあ茶色の殻の玉子もあるさ」
もしかしたらひどいこと言われてるのかも知れない。けれど雰囲気が和んだのなら結構なことだ。ここで担任の先生は、どうぞごゆっくりと教室の方へ戻られた。三人の先生方は残された僕に席を勧め、くつろいだ様子で自己紹介をして下さった。それぞれ世界史、物理、英語の先生なんだけど、三人ともお兄ちゃんのクラス担任をされてたわけではないらしい。それから家でのお兄ちゃんの生活の様子とか言動なんかについていろいろと質問された。それらに答えていくとどうしても、お兄ちゃんがとても助平であること、かなり怪しげなバイトをしていること、大学で奇妙な勉強をしていることなんかも話さなければならない。ところが先生方はそういったことは了解済み、みたいな感じだった。まあ、そうだろうけどね。
「そうか。やっぱり普段はそんなような男なんやな。今日の講演会とやらでどんな話を持って来るのかと思とったけど、穏当なもんやった。哲学談義も、生徒からのあの質問があったでやらざるを得なんだし」
「だもんで言ってるら。あいつは至極常識的な人間なんだに。趣味で無茶なことはするけど滅茶苦茶なことはしん。確かに頭の中はばかラディカルではあるけども‥‥‥」
「急進的とか過激とかいう意味でのうて根本的ちゅう意味で言っとるんなら賛成や。あいつは物事を、文字通り根っこから考えやがるからね。二年前のあれもそうやった。ところでそのことなんやが、そもそも何でああいうことになったんや?」
「そもそももなんも、なにしろいきなりやったでなあ。世界史は一学期までに済ませなならん。それで夏休み前に、特に現代史は第二次大戦を含め駆け足で終わらした。最後の授業の後一息ついとると、あいつが珍しゅう神妙な顔をしたって来た。そこで言うには、自分は小さい頃から主に家にある父親と母親の蔵書を読んで勉強してきた、二人が若いころ買い集めた古い本ばかりだ、海外の文学作品などはほとんどが古典だった、そのため自分の知識は少々古い、ところで最近歴史の事柄について驚くべきことを知った、他でもない、少し前の授業でも触れられていたアウシュヴィッツに関することである、自分はずっと四百万人のユダヤ人が殺されて焼かれたと信じていた、どの本にもそう書いてあったし、記憶ではあそこの記念碑にもそのように書かれているはずだったのだ、ところがいつの間にかこの数字が変更されていた、本当は百五十万人だった、さらにそのうち五十万人がロシア人その他で、ユダヤ人は百万人だというのだ、あの記念碑の記載も書き直されたとのこと、実にその数の誤差三百万人だ、ちなみにホロコーストにおけるユダヤ人の犠牲者数は六百万人であったはず、となると全体の犠牲者数も訂正されなければならない、はずである、ところがこの六百万人はそのままである、らしい、何故か?考えられるのはただ一つ、他の強制収容所、マイダネク、トレブリンカ、ソビボール等における、もしくはアインザッツ・グルッペンによる殺害者数を増やすということだけだ、しかしもしそうであるとするならば、このようなやり方は非常に不真面目なことではあるまいか、これでは六百万人という数字が予め決まっていたのでやむを得ず、他の収容所における犠牲者数を適当に水増ししていったことになる、これすなわち帳尻合わせというものだ、もっと言えばこれらの数字、その計算方法は当初から六百万という数を決めておいてその後各強制収容所に適当に割り振っただけということになる、歴史学はこのようなふざけた真似を許容しているのだろうか、とこういうわけや。参ったで。今となっては恥ずかしいことやが、俺はそれまでそんな話聞いたことなかったでな。せやけど授業でも、アウシュヴィッツに関して自分が昔実際に訪問した時の話を交えながら教えた手前、何らかの説明をする必要がある。取りあえず、詳しゅう調べて後で回答するとその場は取り繕うた」
「そりゃ答えようがないな。小学生でもわかる理屈や。けどあんたもそのくらいの情報は把握しとかなあかんよ。自分の担当教科に関わることなんやで。ある意味、そのためにあんな大事になったんや。初期対応を間違えるととんでもないことになる」
「まあそれはそうだが、そこまで要求するのは酷だに。高校の授業は最終的には大学受験合格を目指いてる、本音を言やあね。だもんで世界史の教員にとって現代史の比重が低くなることはやむを得ん。しかしあいつもあんなえらい時期に酔狂なことを始めたもんだ。普通受験勉強一本だら。その気で勉強していりゃあ、あいつなら京大でも東大でもあっさり受かってたはずだに」
「いやいや、あいつならあのままそのどっちでも受けとったら合格しとったさ。それはともかく、確かにあの件については俺の勉強不足やった、申し訳あらへん。結局その後このこと調べなおしてあいつに報告してな、すまなんだと頭を下げた。するとあいつは、この問題については自分も非常に遺憾に思っている、だからすでに始めていることではあるが、夏休みを利用してしっかり調べてみたい、勿論世に一般的に出回っている書籍等では同じ話をひたすら繰り返しているばかりであるので話にならない、ところで最近木村愛二とか鈴木一郎という大変に面白い人の本や論文に出会うことができた、そこから更に深堀をしていきたい、その結果は報告書として提出したい、内容については先生ともう一人、理系の先生に見てもらいたいと思っている、資料の翻訳は自分でやるが前もって英文法の先生に確認していただくことにする、よろしくお願いしたい、とこういうわけや。それでお前らも巻き込むことになってしもた。再度申し訳なかった。せやけどなあ、あの時ちゃんと情報を仕入れとったかて答えることはできなんだ思うに。なにしろ“小学生でもわかる理屈”なんやでな。一目瞭然言うてええ。あいつの調査結果を見たここにおるお前らやったら分かるやろう」
「全く、我々はあの問題に関してはずっと不真面目であったし、延々とふざけた真似をしてきたちゅうことや。奴にはとことん教えられたよ。世の中には知らん方がええことちゅうもんがある。これもその一つかも知れん。けど一応学問をしてきた、そして今そこで得た知識を使って仕事をしとる、そういう人間としてはやっぱ知らんちゅうことは悪や。知った方がよいと考えんならんね」
「あんたはあいつの言ってることをはじめから全面的に是認してたみたいじゃん」
「そりゃそうや。八月の頭やったか、俺は奴からたっぷりと宿題を出された。アメリカのとあるサイトに載っとる英語の長い論文を印刷したもの、それからそれを奴が英訳したもの、それらが一セットで十五本分くらいあったろまいか、どっさりと積み上げられた紙資料を前に俺は呆然としたね。これを夏休み中に訳の確認をお願いしたい、とこうなんだ。これ全部お前が訳したのかと聞くと、一か月ほどかかったがと言う、たった一か月で?あの時期に呆れた話や。詳しいことは聞かなんだが、何といっても生徒からの英文翻訳に関する頼みだ。引き受けないわけにはいかんやろう。けど受験がらみで少し小言はしたった。そうして八月いっぱいこの書類の山と格闘することになった。更に呆れたことにその後もちょくちょく新しゅう訳したものを持って来とったよ。そして俺はこれらのとんでもない論文の中身を一字一句に至るまで精査した。それこそ何度も読み返しながらね。そんで夏休みが終わるころには一通り頭の中に入ってまっとった。翻訳云々だけじゃのうてその内容もね。となるとどうなるか、分かるやろう?とんでもない内容の論文だが、そこで言われとることはどう考えても正しいものや。全く否定しようがない。お手上げや」
「そうやんな、お疲れさん。その気持ち、確かによう分るに。立場上全面的に承認し辛いところではあるけど。せやけど文系の俺らだって承服せざるを得やんに、ましてやあんたならそうなんやんか?」
「まあね。ありゃあすごかった。あいつは論点を絞り込んでる。問題としてはホロコースト全般っていうことになるんだが、アウシュヴィッツに焦点を合わせてた。しかも多くの論文を訳したにもかかわらず、その中からカルロ・マットーニョっていうイタリア人のものを中心にいくつか選び出いてきた。確かにこの方がまとまりがあって一貫性に優れてる。論文そのものは実に衝撃的だった。その中の短めのある論文に書かれてたアウシュヴィッツⅠのガス室の構造・技術両面における不合理さ加減たるや凄まじかったな。俺も実は何も知らなんだ。あのガスは気体としてシューと部屋の内部に注入されたとイメージしてた。まさか天井の穴からシアン化水素をしみ込ましたチップをばらばらとまき散らした、なんて話だとは思いもしなんだよ。しかもそんな噴飯ものの四つの投下穴、現在復元されてるらしいが、マットーニョのこの論文によってこれらの位置が図面、文献など各種資料から全く不合理だということが明らかにされてる。つまり今ある四つの穴は少なくとも正確に復元されたものとは言えん。それどころかそもそも当時から存在していなかった、と考える方が合理的、いや必然的だ。この短めの論文を含めた諸論文を並べ、“神話の誕生”から始めて“伝説の終焉”で締めるというのも、まあ洒落た構成だに」
「そうやんな、俺自身大昔とは言え実際に現地に行っとったのに、詳細についてはほとんど覚えとらんのや。あっこに行って内部を見学しながら説明を聞いとると、頭がボーとしてくる。ほいて何がなんか分からんくなってしまう。ほいて残された記憶というのが、ここでいかに仰山の人間が工業的に殺され灰になったのか、ここでいかに残酷で非人間的な所業が行なわれたのか、こここそ悪そのものが端的に現実化したものであり全人類が心に刻むべき場である、こういったもの―――やで、記憶というより強烈な印象言うた方がええやろう」
「そういう所謂洗脳のようなことは、あいつが持ち出いてきた論文には無縁だでな。確かに面白くはない。そりゃあ読んでて面白いのは大量殺戮や大量焼却の話だ。特に証言を基にした残酷物語の方が断然面白いさ。しかしそんなようなものは、ほぼほぼ根も葉もない作り話だったということが図らずも明らかにされちまった、というわけだよ。文字通り“物語”であったということがね。しかし歴史学っていう学問もえらいな。こんな与太話を歴史的事実っていうことにしにゃならん―――おそらく、まともな史学者だったらこんなような分野は避けると思うけどね」
「言うてくれるやんか。まあ実際その通りなんやでしゃあないが。何しろヒストリーという言葉自体、ヒズ・ストーリー、つまり“彼の”物語、神の物語という意味なんやで。それはともかく、これに関しては大局的には政治的しがらみ、個人的には経済的問題等々難しい面が数多うあるでな。せやけど、“こんな与太話”を否定してくれるような科学者が、これまでどんな天才科学者にも一人もおらなんだような気もするけどな、それともこれは寡聞にして俺が知らんせいか?」
「まあまあ、ここで下らん代理戦争なんぞせんでもええやろう。それにそんな義理もあるまい。どちらにしても俺達は当初は奴に反抗しようとした、良識を僭称する常識に従ってな。けど如何ともし難かった。さっきも言ったように俺は始めから諦めとったがね。直前にあの論文を読むことになったあんたたちの驚きが想像できる。ただあんたらが読んだのは俺が読まされた論文群のごく一部や。あれらは厳選されたもんなんだ。そのほかにも他の強制収容所に関する通説のいかがわしさ、東部戦線での犯罪行為と称されるものの突拍子のなさ、自称目撃証人の証言内容の出鱈目さ、そういったことが否応のう論証されるんや。全部読んでみよよ、泣けてくるぜ。自分がこれまでせっせと頭に入れてきたこの話に関する知識が全否定されるようなもんなんや。マクベスの台詞の通りやお。綺麗は汚い、汚いは綺麗、“汚いは綺麗”はどうか知らんが、“綺麗は汚い”は全面的にその通りやね。言い訳は出来ん。俺たちは間違いのう犯罪行為に加担しとった、連合軍つまりユナイテッド・ネイションズ、今では調子よう国際連合と訳されとるくそったれどもの走狗として働いとったちゅうことが明らかにされてまった、ちゅうことや」
「ますますお疲れさんやったな。そんなべらぼうなことだってあいつならやりかねん。それで当日、大学で言うたら口頭試問が行なわれたわけや。せやけど久しぶりに会うたあいつの変わりようには驚いたな。白髪がえろう増えて髪の毛ぇグレーになってしもていたんだで。余程のめり込んどったんやろうやに。それはともかく、テキストは事前に受取っとった。しかも当日あいつは丁寧に作った報告書を兼ねたレジュメを用意しとった。レジュメとは言え質量とも小論文言うてええほどのものやった。こおうようできとったな。ほいてあんたからあいつの翻訳に関する保証と補足説明を受け、それとレジュメを参考にしつつ俺たちが質問をする、勿論批判的なもんやった、若干一名を除いてな。それに対してあいつはよどみのうすらすらと答えて行く。あいつだって自分が訳した論文の全部を頭の中に入れてしもているんや、敵いっこやんぜ。ただあの時はまだ、何とかせんだらという気持ちがあったでな、必死になってくらいついていった―――いや、正直な表現をしてしもたな。ほんまに、“くらいついて”いったんやに。こんなやり方のどこが口頭試問なんやろうな。今となってはお恥ずかしい限りや。あの時俺たちがせんならんかったのは、提示された諸論文の内容やそこから導き出される仮説に対する客観的な評価、でのうてはならなんだ。ところが俺達が実際にやっとったのはしゃかりきになって闇雲に否定しようとすることやった。話にならんよな。そんな情けない俺たちの反論に対して、あいつは丁寧に生真面目に答えていった。理不尽とも言えるような批判に対してな。あいつにとっては十分想定内のことやったんやろう。この問題に関する諸分野における学説、ノンフィクションとしての文学・芸術、マスメディアを中心とした報道、これらにざっと目ぇ通しといたら俺たちがどんな反論をするかなんて、あいつならお見通しやろうでね。軽うあしらわれたというかコテンパンにされたというか、兎にも角にも俺たちは屈服、同時に現在大手を振ってまかり通っとる権威の数々が似非学問、俗悪なフィクション、虚偽報道であるということ白日の下に晒されたわけや。勿論これは自業自得なんやけどなぁ」
「全くその通り、自業自得だに。かく言う俺もあんたと一緒で躍起になってあの論文やあいつから突きつけられた仮定を否定しようとしてたんだがね。大学生の頃は、この世の事象は全て数式で説明できると当たり前のように考えてた。今でも基本、そうなんだが、あの時の俺は全然真逆のことをやってたというわけさ。いやはや何とも情けない。まるっきり理性とは縁遠い野蛮人のようなことをやってたんだ。そんな蛮族に対して、あいつは様々な文書資料や図面なんかを引き合いに出し、噛んで含めるように時には相手の矛盾点を指摘したり時には逆に質問を投げかけたりして相手に厳密な推論を語らせるように持って行く。そうして導き出されるのは必然的な論理的結論だ。ありゃあ所謂ソクラテスの問答法、プラトンのと言った方がいいかも知れんが、どちらにしてもあのやり方は数学だったな。そして同時にあの方法はまさしく教育だった。教員と生徒の関係が逆転してたんだに。恥を知れ、とあの時の自分に言いたいね。特に今日の、生徒からの質問に正面からこたえるあいつの態度を見たんだで尚更だに」
「いやいや、ここにおる三人ともがそうや。ところでちなみに、あいつが歴史上の人物で最も尊敬しとる人物はライプニッツや。こわい程勉強してもおる。もっと早う言うとくべきやったかな。だからあいつは、とんでものう手強いの」
先生方は一斉に押し黙られた。僕は―――わくわくしていた。どうやら、かつてとんでもないことが起きたようなんだ。先生方は僕のことなど忘れてござるらしい。是非そのままで、僕は忘却の彼方にいます。これはお兄ちゃんの秘密を知る絶好の機会なんだから。
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