君のかけらを買い取ります
「君なら私のかけらを買ってくれると思ってたよ。ありがとう」
彼女はそう言ってはにかんだ。
彼女の身体は今も少しずつ、少しずつ崩れ、そのかけらが空へと昇ってく。
「本当にもう会えないんだね」
「うんもう会えないかな。だからそのかけらを大切にしてほしいな」
言われなくても、といつもはしない笑顔で答えてみた。
理由は分からない。ただ彼女が少し苦しそうに笑ってたから…。
「そのお金は何に使うつもりなの?」
ふと彼女が握りしめている二千円が目に入った。
今さら彼女が欲しいものなんて聞いても意味がないことくらいは分かってる。
ただ少しでも長く彼女をここに引き留めていたかった。
「はは、なんでそんなこと聞きたいの?」
また一つ彼女の身体からかけらが崩れて空に昇っていき見えなくなった。
「少し歩こっか」
家に用事を思い出したんだ、と彼女は行かなければならない方向とは反対の道を歩き始めた。
それもそうかもしれない。
これから彼女の身に起こることを考えれば…。
「ねぇ少しあの頃のこと話そうよ」
もう少しで家に着くころに彼女はそんなことを言い出した。
「なんで君はあの日私を拾ってくれたの?」
「さぁな、助けて欲しい顔でもしてたんじゃないか?」
あまりあの日のことは思い出したくない。
彼女もそれに気づいたのか、適当だな~といって流してくれた。
「でもそれを聞いて安心したかも。君は私がいなくても大丈夫だね」
「当たり前だよ。君は僕の何なんだよ」
「隣人だね」
ちょっと待ってて、と言って彼女は家に入っていった。
しばらくしてお待たせっと戻ってきた彼女に少し違和感を感じた。
「なにどうした?そんなに私かわいい?」
僕の視線を感じた彼女がふわっと笑ってみせる。
「はは、笑えない冗談を言うな。」
「は?って言うか鏡渡してくるんじゃないわよ!あんたそれ他の女子にやったら殺されるからね」
彼女の身体はさっきと比べてかなり崩れているように感じた。
多分家から出てきたときの違和感はこれなのだろう。
彼女としばらく言いあいをしていると目的の場所が見えてきた。
「へ~結構広いんだね」
中に入ると彼女が声を上げた。
チャペルのような内装になっているこの建物はいわゆるホスピスと呼ばれる施設だ。
天井が五階くらいの高さまで吹き抜けになっていて椅子が二つ置いてある。
「じゃあ始めよっか」
彼女はためらいもなく少し大きめな椅子にすわる。
「もういいの?分かってるとは思うけど僕がそこに座ったら君はもう…」
「分かってるよ」
僕の言葉を遮るように彼女ははっきりとした声で答えた。
それ以上は何も言わない。
思わず視線をあげると信じられないくらいの真剣な顔をした君がそこにはいた。
あぁ覚悟を決めきれていないのは僕の方だったのかもしれない。
いつかこうなる日が来ると分かっていて、最後に彼女にかける言葉も考えていたはずなのに。
いざそのときになると迷ってしまう弱い自分がいた。
彼女はとっくに覚悟が出来ているのに。僕のいい加減な覚悟で、自分勝手な行動で彼女の判断を鈍らせてしまう。
無意識のうちに死にたい、と思ってしまっていた。
ふわっと視界がひらひら舞う何かに覆われた。
それが自分のかけらだということに気が付くのに時間はかからなかった。
いつの間にか彼女が目の前に立って僕の手をとっていた。
「大丈夫だよ。座ろう」
優しい声だった。
僕の身体の崩壊が止んだ頃、二人手をつないで椅子に座った。
「一つ聞いてもいいかな」
左肩の辺りから崩れ始めた彼女は下を見ながら聞いてきた。
僕が頷くのを待つこともなくこう続けた。
「私は君の何だったのかな」
そんなの答えは決まっている。
「大切な隣人だろ」
それを聞くと彼女は顔を上げた。
「…ありがと」
彼女はそうつぶやいてはにかんだ。
彼女のかけらは空中で踊り、壁にあいた窓から外へ舞っていった。
綺麗だと思った。
僕は彼女が空に吸われていくのをいつまでも見つめていた。
崩壊阻止能力欠乏症ー通称鬱病
私は生まれたときから身体が崩壊をはじめていたという。
生まれた子があと十数年しか生きられないと知っても母は大切に育ててくれた。
母が交通事故に遭ったと聞いたのは中学二年生のときだ。
私の余命は2年だと言われていた。
警察に連れられて事故現場に行くと、母のかけららしきものが散らばっていた。
私はその中から一番大きなものを拾い、警察の人に礼をいってその場を離れた。
私は母のかけらを見つめる。
これは誰のものでもない、紛れもなく私の母のものなんだと確信した。
思わずしゃがみこんでしまった。
「二年間も待てないよ…」
ふわっと身体が崩れる感覚がした。
母がいなければ私が生きる理由なんてない。
これで母に会えると思い、目を閉じた。
「大丈夫」
手を握られる感触があった。
顔を上げると私と同じように崩れかけている青年がいた。
「生きる希望が見えないんだね」
文字通りだ、と皮肉を言ってくる。
「貴方には関係ないです。離してもらえますか」
すると彼は私に何かを握らせてきた。
「君の身になにがあったのかは知らないけど、今ここで生きることを諦めるのはやめてほしい。辛いのを我慢してなんて言わないけどもう少しだけ一緒に苦しんでいこうよ」
彼が言っていることか分からなかった。
でもいつの間にか身体の崩壊は止まっていた。そして気が付いた。
「どうして人はいつか消えてしまうの?」
この場を立ち去ろうとする背中に声をかけた。その身体はもう崩れていなかった。
「寂しいからだよ」
彼は振り返りながらはにかんだ。
その下手くそな笑顔が面白くて少し泣けた。
家に帰るとちょうど郵便のバイクが来ていた。
配達員の人に礼を言って部屋に入った。
彼女からだった。
手で封筒を破ると中から何かのかけらと一枚の便箋が出てきた。
ーこのかけらが私の生きる理由だったように私も君の光でありますようにー
彼女らしい短い文だった。
封筒から出てきたかけらを拾い上げる。
どこかで見たような…あの日彼女に渡した僕のかけらによく似ていた。
どうしてあの日自分に声をかけたのか、さっき彼女はそう尋ねた。
そんなの決まっている。
多分覚えていないだろうが遠い昔僕は彼女に同じように…。
本当にそれだけだろうか。
本当に償いたいだけだっただろうか。
いやそれは違う。
彼女のことを知らなくても僕はあの日彼女に声をかけていただろう。
それだけ彼女は綺麗で消えてしまいそうだった。
「はは、やっぱりこうなるよな」
彼女のいなくなったこの世界でもはや生きる意味がなかった。
僕の身体は左の肩から徐々に崩れていく。
僕は今日彼女から買い取ったかけらを封筒にいれた。
彼女が大切にしたかけらと彼女のかけらがいつまでもそばにいて欲しかった。
僕は便箋を取り出した。
ー愛しています。
かけらじゃ足りないくらいー
もう届かない想いを封筒にに入れ封を閉じた。
彼女は消えてなくなるとき、何を思ったのだろう。
僕は部屋の窓を開けて目を閉じた。