4.一人目の死
バスルームに着替えを届け部屋に戻ろうとしたところで、丁度ウィルお兄様の部屋の扉が開いた。
「あ、お兄様」
「リリアベル? どうした?」
「バスルームにローズマリーの着替え持っていったんです」
「ああ」
「お兄様はどこかへ?」
「夕食前だけど談話室でお茶でもしようかなって」
「あ、じゃあ私もご一緒してもいいですか?」
「ああもちろん」
一階の海が見えるサロンへと移動する。今は宵を迎えてそれは見えないけれど微かな波の音は聞こえる。
「――さあ、どうぞ」
夕食の準備の邪魔になるだろうからとお兄様が手ずからお茶を入れてくれた。
「ありがとうございますお兄様」
「どういたしまして。あ、でも味の保証はないよ」
「大丈夫です。とてもいい香りがしてますし、絶対美味しいですよ」
「うーん…。リリアベルは昔から僕に対する評価が甘いからなぁ」
と、お兄様は苦笑いを浮かべる。
確かに、そんなことはないとはまあ言えない。だって私の初恋だもの、甘くはなる。
澄ました顔で紅茶を一口含むが、やっぱりちゃんと美味しい。
「美味しいですよ」
「そうかい?」
苦笑を浮べたままお兄様は自分のカップを手に向かいに座る。よく見ればお兄様の目の下にはうっすらと隈が見える。
気にしてないなんて嘘だ。だけどそれを私が蒸し返すことなんて出来ない。だから。
「お兄様、次の休暇はうちにいらっしゃいませんか?」
「え?」
「一緒に美味しいもの食べに行ったり…、あ、そうだ、マーケットとか覗いたりしましょう! 最近近くに面白いマーケットが開かれるようになったんですよ」
「えーっと?」
お兄様は困惑の表情を浮かべる。
気晴らしになればの提案だったのだが、急な上に突拍子もなさすぎたか。
「ダメですか…?」
「あ、いや…、ダメじゃないよ。 …じゃあエリックくんも誘って行こうか」
「…エリックもですか?」
( あれ、もしかして逆に気を使われた? )
上目遣いで見上げれば、お兄様は緩く目を細めて笑う。完全に立場が逆転している。
「そうだな、それじゃあ可愛い従妹のお願いだから今度の休みの予定は空けておくよ」
「約束ですよ」
「ああ」
逆転してようが何してようが取りあえず言質は取ったので良しとしよう。
カップの中の紅茶が残り少しとなった頃、トレイを手にしたトレファスがサロンへとやって来た。
「ロイデン、どうした?」
「レイチェルは…、いないよな?」
「フリス嬢? ここには来てないぞ」
トレファスが持つトレイの上にはグラスが一つ乗っている。エリックが言ったレモン水を用意したのだろう。
「お部屋にいないんですか?」
「何度か呼んだんだけど返事は無くてね。鍵も掛かってるし」
「もしかして、体調が悪くなって部屋で倒れてるとか」
「え、いや、うーん…」
「ロイデン、リリアベルの言う通りだ。一応確認した方が良いんじゃないか? 多分管理人のギブソン夫妻なら各部屋の鍵を持ってるだろう」
「…そう、だな。 そうするか」
言った手前、私とお兄様もトレファスに同行する。鍵はやはりギブソン夫妻が管理しており、食事前の慌ただしい時間の無理なお願いに夫であるスティーブが付き合ってくれた。
皆んなで二階へと階段を行く中程で、上から声がする。
「レイチェル! ちょっと、貴方いるんでしょ!?」
リアナがレイチェルの部屋の扉を叩いている。
「リアナ? どうかしたのか?」
「ああトレファス! 今さっきレイチェルの部屋から凄い音がしたのよ、それで声を掛けてるんだけど返事がなくて…」
「凄い音?」
「ええ。何か大きなものが倒れたような…」
「え…、もしかして本当に倒れてるのか」
「ロイデン、話しは後にしてまずは扉を開けてもらおう。 スティーブさんお願いします」
どことなく慌てた雰囲気を感じ取ったのかスティーブは急いで鍵の束を手にした。
扉が開かれる。
覗き込んだ部屋の中、トレファスとウィリアムの背の隙間から倒れた人の足が見えた。
「レイチェル!」
駆け込んだトレファスが床に倒れたレイチェルの体を抱き起こす。
ガクリと、仰いだ土気色の顔に、僅かに開かれた目と力なく垂れる腕。揺すられる体は何の反応も示すことなく、その口元は苦悶に歪む。
……確認するまでもない。
「いやっ!」とリアナが声を上げてうずくまり、トレファスとウィリアムは顔を白くし言葉を失う。
私は――、隣でオロオロしているスティーブに手短に言う。
「スティーブさん、エリックを呼んで来て下さい」
「えっ?」
「早くっ」
「あっ、はい!」
程なくしてエリックが部屋へと来た。
「リリアベル? 呼んでるって……――えっ! フリスさんっ!? …え! 一体何が…?」
「いいから、早く」
状況が読めず戸惑うエリックを無理やり部屋の中へと押しやる。
お兄様はダンシェル家が携わってる仕事内容を知ってはいるがエリックがどこまで関わっているかまでは知らないので若干困惑気味で、未だレイチェルを腕に抱いたトレファスは進み出たエリックを怪訝と戸惑いの顔で見上げる。
「…君は?」
「あー…あの、僕、学生をやってるんですけど、一応、事件捜査官的な立場?でもあるんですよ」
「…事件? …捜査、官?」
「事件、ですよね? フリスさんは持病とか持ってました?」
「…いや、聞いたことはないが…」
「それじゃあ不審死ですね。 これが自殺でも、他殺でも」
「――他殺!?」
皆んなに動揺が走る。が、
―――他殺。
私は、直ぐに部屋の中を見渡す。
入口の扉は鍵が掛かっていた。窓も全て閉まっている。部屋の中、直ぐに目に付くのは倒れたドレッサー、割れた鏡の破片が飛ぶ。リアナが聞いた凄い音とはこれだろう。
「…レイチェルを、どうしたらいい…?」
「取りあえず、ベッドにでも」
トレファスの問いかけにエリックが答える。本来ならそのままがベストだけど問題ないと判断したようだ。
まあエリックのことだから忍びないとでも思ったのかも知れないけど。
エリックが改めてベッドに寝かされたレイチェルの生死の確認をする。だけどやはりというか緩く首を振ると、小さく手を合わせる動作をした後ぐるりと皆んなを見渡し尋ねる。
「ええっと…、それで、どういうことですかね?」
状況が状況なだけに誰も年下のエリックが場を仕切ってることには何も言わない。皆んな動揺してるんだろう。
「……僕と、リリアベルがサロンにいるところにロイデンが訪ねて来て――…、」
お兄様から始まったひと通りの説明の後、「…ごめんなさい、私、もうちょっと無理だわ」と、リアナは口元を押さえ部屋を出て行った。
場所を移してないのだから、視線をずらせばベッドの上にはレイチェルの遺体がある。リアナの行動は当然と言えば当然だ。
残った人たちの視線が労るように私に向けられるけど大丈夫だと首を振る。
唯一エリックだけがちょっと違う意味の眼差しだったけど、もちろんスルーだ。
全てを聴き終えたエリックは「うーん」と唸る。
「…何にせよ、捜査官を呼ばないと」
「他殺なの?」
「今はまだ何とも、でもどちらにせよ不審死だからね、捜査はいる。 ――えっとスティーブさん」
「あ、はいっ」
「近くに保安維持局の…、や、保安隊の詰所とかありますか?」
「街まで出れば」
「電話は?」
「それも街まで出れば可能かと」
「うーん…」
再び唸るエリックにウィリアムが言う。
「僕が馬車で街まで行ってこよう」
「お兄様? でももう暗くて危ないです。それに雨も降って来ましたし、明日明るくなってからでいいのでは?」
先ほど階段を上がってくる時に見た窓には強く雨粒が打ち付けていた。言ったように雨になった。
同意を求めるようにエリックを見るが渋い顔だ。何か急がねばならない要素があるというのか。
お兄様の手が私の頭に軽く触れる。
「大丈夫だよ、ジョンにも付いてきてもらうし」
「でも――、」
「これ以上雨足が強くなる前に行って来るよ」
渋っても、願いが受け入れられなければただ徒に時間を遅らせるだけだ。
「……わかりました。でも無茶はしないでくださいね」
「ああ」
お兄様は笑って私の髪をくしゃりと乱し手を離すと、切り替えるように口早に告げる。
「スティーブさん、ジョンに言って馬車を用意してもらえるかい、直ぐに出るから」
「わかりました」
「ロイデン、僕はちょっと行って来るから、従妹たちのことを頼むよ」
「あ、ああ…」
そして一旦全員が部屋の外へと出て部屋を施錠する。
「鍵は僕が預かっておきます」
エリックの言葉に誰からも異論はなく。ウィリアムとスティーブは直ぐに立ち去り、トレファスはサロンでウィリアムの帰りを待つと言う。
「僕らは部屋に戻ります。妹にも一応伝えとかないといけないので」
「ああわかった。 僕はサロンにいるから」
「はい」
□
「――ね、エリック、あれってやっぱり他殺なの?」
トレファスと別れて二人になりもう一度そう問いかければ、エリックは階段の途中で足を止めて振り返る。
「…さっきも言ったように、まだ何とも言えないよ。 でもパッと見た限り外傷はなかった。 …毒を、飲んだのではないかと思うけど、絶対とは言えないし。それに、それだって自分で飲んだのかもしれない」
そこまで言ってから暫し黙る。エリックの眉間に小さくシワが寄っている。
「でも何か気になるんだ?」
私が続きを促すと、エリックは眉間のシワを深くし「うーん」と低く唸ったあと口を開く。
「最初に、ものが倒れた音を聞いたって言われたよね?」
「ああ、ボーデンハイトさんね」
「でも、あのフリスさんの遺体にはもう硬直の兆しが出てた。だから最低でも亡くなってから一時間は経過してると思うんだ」
「ふーん…、でも部屋のドレッサーは確かに倒れてたわ、音はあれだと思う。ただ、それを聞いてるのは一人だけで、それがいつの時点かはわからないけど」
「うん…。 けれど今はボーデンハイトさんの言った通りだとして。部屋には鍵が掛かっていて、チラッと確認したけど窓にも鍵は掛かってた。 そんな誰も入れない、一時間前に亡くなった人しかいない部屋の中で、ドレッサーは何で倒れたんだろう?」
エリックの言葉に私は指先を口の端に添える。
「地震なんてなかったよね」
「なかったね」
「簡単に倒れるもんじゃないよね」
「ないだろうね」
「しかも密室ときた」
「リリアベル…、…顔、不謹慎だよ」
「あ」
指摘されて思わず上がってしまっていた口元をモニっと押さえる。
大して関わりのない人の死より、密室というシチュエーションに私の中の好奇心が勝ってしまった――、なんてことは流石に言えない。
若干咎めるようエリックの視線を受けてコホンと咳をつく。
「誰かが細工をしたってことだね」
ドレッサーが倒れるように、何らかの方法でわざと。
でも、確かにエリックが渋る通り、それだけでは他殺だという根拠にはなり得ない。
レイチェル自身がそういう仕掛けを施して亡くなった、とだって言える。それこそ意味がわからないが。
ただそれよりも、一つ問題がある。
もしこれが他殺であった場合、犯人がいるということ。
陸の孤島であるこの屋敷に、たまたま殺人犯が通り掛かることなんてないだろう。
ならば自ずと、犯人はこの最果館に滞在する人間――、ということだ。