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21.シャーロットの死

一気にいきます、三話目!


 二時間も経過していたし、流石に待っていないだろうと橋に行ってみたのだと、お兄様は言う。



「 …雪がかなり降っていて人影も少なく、そして思った通りに橋にシャーロットの姿はなかった。 だから、もう諦めて帰ったのだと思った。…けど…」



 その当時を思い出す苦痛なのか、お兄様はぎゅっと眉を寄せた。



「――けど、そのまま通り過ぎようとした橋の中央辺りの欄干で、雪に埋もれかかっている紙のようなものが視界に入ったんだよ。 飛ばないようにか、欄干の欠片が重石になっていた」



 何となく気になりそれを手にしてみたと言う。そうしたら、そこにはウィリアム(自分)の名が書かれていた。それも見覚えのある字で。



「…それは、シャーロットからの僕への手紙だった」

「――っ!!」



 黙って聞いていたトレファスの体が大きく揺れ切羽詰まった声が上がる。



「ウィリアム! そこにっ、その手紙に、何か僕のことは――」

「なかった。 お前のことなどひとつも触れてはいなかったよ」

「……は…」


 

 みなまで言うことなく返された返事にトレファスの顔が絶望に染まる。

 そんなトレファスを見るに、シャーロットさんは恋人には何も言わずに逝ってしまったということか?

 だけどお兄様の突き放すような言いざまには少し違和感を感じる。


 とは言え、はっきりとした理由がわからないうちは不用意な発言は控えた方がいい。

 先ほどよりも更に憔悴した様子のトレファスと、口を噤む私。ウィリアムはひとつ息を吐いてから話しを続けた。


 

「ここで僕宛の手紙の内容を詳しく話す必要はないだろう。 まあ簡単にかい摘めば、最後にもう一度謝りたかったと書いていた」



 『最後に――』の、その意味は。

 色をなくしたトレファスへと、お兄様は視線をやる。

 


「…ロイデン、シャーロットの亡くなった状況は聞いたか?」

「………溺死…、だと…」

「じゃあわかるだろう」



 ここまで振られれば誰だってわかる。もちろん私も。

 


「シャーロットは、この橋から身を投げたんだ」



 お兄様の視線に籠もるものは非難と怒り。それはたぶん、己自身に向けても含まれている。



「僕が…、時間通りに来ていたら止められたかもしれない。でもそれ以前に、お前がシャーロットの不安をきちんと拭えていればっ」

「……っ」



 ウィリアムが海で救った愛する生命(いのち)は、誹謗に晒され川へとさらわれた。もう救えない場所へと。

 お兄様の悔しさはいくばくであったか。


 初めて口にされた己への非難。トレファスは膝を折らないまでもガクリと項垂れ、ウィリアムの言葉に完全に打ちのめされたようだ。


 トレファスの心をズタズタにする。それがお兄様の目的。

 でも実際は、トレファスを殺めることこそが目的だったと思う。

 だけど私が止めに入ってしまった。


 お兄様の視線は冷えたままだが、項垂れるトレファスを見て口端は歪に上がる。

 表に出さない胸の奥底で、ふつふつとふつふつと、何にも昇華出来ない感情が溜まりに溜まっていったのだろう。

 噂を流した元凶であるレイチェルを憎み、恋人を信じ切らなかったトレファスに怒った。

 そんなどこにも行き場のない強い思いが徐々にお兄様を壊したのだ。



 だけどまだもうひとつ、お兄様は私の疑問には答えていない。


 お兄様が自分の身代わり役とした男へ向ける、二人に対するものと同等の感情。

 たぶん下級の、労働階級の男がシャーロットさんとどんな接点があるというのか?

 しかも直接は関わりがないと言った。それだけで殺すほどの憎しみを持つとは?


 眉を寄せお兄様を眺めていれば、その視線に気づいたのかこちらに顔が向く。お兄様の眉尻が下がった。

 

 

「…ここから先をリリアベルには聞かせたくないんだけど…、きっと、頷きはしないよね?」



 私は頷く。それは頷かないことに対しての同意。お兄様は深いため息を吐いた。



「うん、だと思ったよ。…じゃあ仕方ない。 その手紙、…いや、遺書を読んで直ぐ僕は橋から川を覗いたんだ」



 お兄様はシャーロットさんの手紙を遺書だと言い変えた。

 お兄様の部屋で見つけた空の封筒。その封筒こそが、遺書が入っていたものだったんだろう。


 お兄様は言う。川を覗き込んだがそこにシャーロットの姿はなく。ただ橋脚に、鮮やかな青いストールが引っかかっていたと。

 

 鮮やかな青。それを聞いて私はトレファスへと視線を向けるが、顔を伏せたままでその青い瞳は見えなかった。



 ウィリアムはそのストールをシャーロットのものだと確信して、彼女の姿を求めて下流へ走ったのだと言う。


 川は深くとも緩やかで、もし途中で気が変わっても泳いで岸に上がる事は出来る。だから望みを掛けて走った。

 本筋である川沿いを、分岐する川の支流を散々探して、そしてやっと見つけた。


 水門脇にあるボート寄せの建物の影に、投げ出された白い足が見えた。水の中ではない煉瓦の地面に。


 シャーロットが自力で岸に上がってきたんだと、そして力尽きて寝転んでいるんだと、この寒空にあんな素足を出して早く温めてやらないと、と。 

 そう思って急いで駆け付けた先にあったのは―――、

 


「…裸の彼女の上に跨る男がいた」

「……!」

「――は…っ」



 お兄様の言葉に私は息を飲み。トレファスは掠れた息を吐き出す。



「揺すられている体は全く力が抜けていて、血の通ってないほどに白くて…、ああ、シャーロットは死んでしまったのだなと思って…」

「……ウィリアム…、もう…っ」

「でも当たり前だ。二月に水の中に飛び込むなんて既にその時点で助かる見込みなんてなかったんだ」

「ウィリアム…っ!」

「そんな呆然と立ち尽くしている僕の目の前で、男は気づかずにまだ腰を振っていた。 もう息をしてないシャーロットのさぞ冷たいだろう体の上で――」

「もういいっ!! 止めてくれ、ウィリアム!!」



 「それ以上は…っ」と零し、とうとう膝をついたトレファスを、お兄様は一切の感情を浮かべずに見下ろす。

 けれどトレファスの懇願はお兄様の口を止めはしなかった。



「…僕が、何かを呟いたのか、それとも石でも蹴ってしまったのか。 男はビクリと体を揺らしてこちらを見た。 たぶん僕とそう年の変わらない、どこにでもいるような労働者階級の男、…そいつは酷く間抜けな面で僕を見上げた」



 それがきっとお兄様が身代わりとした男なのだろうと、そして怒りからその場で男を殺めたのかと思ったが、この話しは半年前のものだ。流石にタイミングが合わない。

 ――が、その疑問は直ぐに解けた。


 自嘲気味に口の端を上げたお兄様は視線を伏せた。



「人は余りにも強い衝撃を受けると、咄嗟には動けないものなんだな…」



 そう零すお兄様。言葉通りに、茫然としたまま動けずにいたウィリアムは、ズボンが半分ズレた無様な格好で、転がるように逃げ出した男を追うことが出来なかった。

 


「シャーロットの体に降り積もる雪を見て、早く何か掛けてやらないとと、一歩踏み出したとこでやっと呪縛が解けた。でも…、男を追い掛けるよりもシャーロットの側にいてやりたい気持ちが勝ったんだよ。…遅すぎる話しだけどね」



 遅すぎる、遅すぎた。人はいつも後悔ばかりを抱える。お兄様も、トレファスも、もちろん私も。

 ただそれをどう次に繋げるかは人それぞれで。



 「でも、ヤツの顔は完全に覚えたから」



 と、顔を上げたお兄様は今この場の雰囲気にはそぐわないとても晴れやかな顔をしていて、逆に私の心を暗く曇らせた。


 そうだ、それがお兄様が後悔の先に、選択したもの。そして今に繋がるもの。



 別れたあとのシャーロットの足跡をたどる為に仕事場を改め、時間を縫っては男を探したウィリアムは遂に男を見つけ出した。


 ――そして殺した。



「最後まで耳障りな言葉を喚いていたが静かにさせたら、シャーロットが笑って『ありがとう』と言ったんだよ、とても嬉しそうに」



 お兄様はどこか遠くを見るように言う。

 けどそれはあり得ない話しだ。

 なんてやるせない悲劇。けれどそれが全てに続く始まり。

 ウィルお兄様は、戻れない境界の向こうへと踏み入ってしまった。そして行き着く先はたぶん。



 私はずっと閉ざしていた口を開く。



「それで、お兄様の気持ちは晴れましたか…?」



 黙って聞いていた私が発した第一声に戸惑ったのか、お兄様は軽く目を瞬く。


 お兄様が犯したこの全てに対して、シャーロットさんはこんなこと望んでなかったなんてそんな陳腐なセリフは言わない。

 だって亡くなってしまった人の心なんて本人が何かを残してない限り、それは残された人がそうであれと望んだ願望だ。

 それで救われることもあるけれど、救われることを望まない結末もある。


 私はお兄様に伝わるようにともう一声追加する。



「お兄様が望んだこの結果です」

「ああ…。……うん、そうだね、概ねは、ね」



 口調がわずかに濁るのは、お兄様の視線の先にいるトレファスのせいか。心を残すとこがそこなのかと私は唇を噛む。


 繋ぎ止めるものは愛情でなく憎しみと言う名の執着。

 眉を寄せる私に気づきお兄様はやはり困ったように眉を下げる。


 何処かが壊れていても、何かが狂っていても、お兄様にとって私はやはり大事な従妹であるのだろう。



「…ごめんな」

「……それは何に対しての謝罪ですか」

「うん、何だろう? リリアベルの顔を曇らせてるから…?」

「私の顔が曇ってるのはお兄様が私との約束を破棄しようとしているからです」

「約束…」

「次の休暇の約束です」

「ああ――…」



 お兄様は目を細め更に眉を下げた。

 きっと今の今まで忘れてたのだ。



「酷いです」

「うん、ごめん」

「そこで、やっぱり謝るんですね」



 私の返しにお兄様は困り顔のまま小さく笑みを浮かべた。それはお互いに、()()()()()叶うことはないとわかってるから。



 遠くで、複数の馬が駆ける音が聞こえ。

 おそらくエリックだ。


 馬車が無理だからと馬に乗って戻って来たのだろう。馬なら川も軽く越えられるし圧倒的に楽だ。

 お兄様もその音を耳に捉えたのか「…そろそろタイムリミットか…」と零し、小さく息を吐いたあと私に柔らかな視線を寄こす。



「最後に、僕が言うのもなんだがひとつアドバイスをしておくよ」



 最後という言葉をお兄様自身も使う。



「アドバイス、ですか?」

「ああ、大切な人の手は絶対に離しちゃいけないって」

「大切な…」

「そう。たとえそれで嫌われたとしても失うよりはきっとマシだから」

「………」



 お兄様がいう相手はシャーロットさんであり、私にとってはエリックだ。

 


「お兄様、大丈夫です。私、割としつこい性格ですから。 じゃなきゃこんなに長い間片思いなんてやってません」



( だけどお兄様、もし私の()()()()が手を離すことこそ望んだ場合は? )



 ウィリアムは――私の大切な従兄は、「それもそうだな」と緩く笑った。




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