19.終わりの朝
書き上げました、これを合わせて後五話!
――そして朝を迎えた。
「姉様…、眠そうだね」
「あー、うーん、割とこってり絞られたからね…」
「え? 絞られたって?」
「あ、うんん、何でもないよ」
心配そうに眉を寄せてこちらを見つめるローズマリーに、昨夜延々と私に説教を垂れた相手の面影が重なる。同じような表情でもその意味は真逆だ。
その相手――エリックは、待ち望んだ早朝の配達便の到着を待って川を渡り、一報を報せる為に荷馬車と共に街へと向かった。
「絶対に、暴走はしないように」と、そう私に念押しして。
戻って来る時には大勢の捜査官を連れて戻るはずだ。だから余り時間はない。
ある程度の根回しはエリックがしてくれてはいるが、だからといってのんびりと朝の支度をしてるわけにもいかない。
着替えを済ませたあとヨシと少しだけ気合を入れる。
「じゃあローズマリー、話した通りにお願いね」
「ええ任せて姉様。 でもそんなことに何の意味があるの?」
「それは全部終わったら話すから」
「約束ですよ」
「――約束…」
お兄様と交わした約束からは随分と時が経ってしまった気がする。そんなことはないのに。
私は視線を伏せて「ええわかった」と頷いた。
□
最果館に柔らかな朝日が注ぐ。窓から差し込む日差しは穏やかに各階を照らし、ここで起こったこれまでの悲劇などまるでなかったかのようだ。
静まり返った玄関ホールに二つの影。階段を降りて来たジョアンナにホールにいたスティーブが尋ねる。
「ああジョアンナ、皆さんは?」
「もうサロンの方に移動されたかと思います」
「全員かい?」
「あ、いえ、そういえばロイデン様が三階に用事があると上がられて行かれました」
「三階に?」
「でも直ぐにサロンに向かうと言っておられましたので」
「そうか、じゃあロイデン様はいいとしよう。さあジョアンナもサロンに。マイラとジョンももう移動してるだろうから」
「はいわかりました」
また別の場所。
洗濯場の一角から昇る紫煙を目に止めリアナは塀の中を覗き込む。
「ちょっとー、サロンに集合って言われてたでしょ? エスケープも大概にしなさいよ、マクファーソン」
「…チッ…、…お前だってここにまだいるじゃないかよ」
「私はあんた達を探しに来たんでしょ」
「あんた達?」
「トレファスよ」
「なんだ、トレファスもいないのかよ」
「トレファスとはもう会ったわ。何だか三階に用があるみたいで、それが済んだら来るそうよ」
「は、そうかよ」
「ということで、行くわよ」
「……仕方ねえな…」
渋々と頷いて、マクファーソンが最後にと吐き出した煙は、晴れ渡る青空に細くなびいた。
□
彼女に、シャーロットに、瑕疵などひとつもなかった。
人を好きになること。
選ばれたものと選ばれなかったもの。
それはどこにでもよくあるひとつの出来事。
なのに、悪意に満ちた噂が彼女を追い詰めた。
許せない。許すことなんてない。
直接手を下したわけではないとしても、放った言葉の責任はその本人が持つべきだ。
人は言葉によって傷つき血を流す。それが見えないものだとしても、負った傷は確かにあり致命傷にもなり得る。
言葉は誰もが簡単に使える凶器だ。鋭利で尖った刃。人をズタズタに傷つけ死へと至らしめる刃。
到底、許すことなんて出来ない。
彼女に死を選択させた全てが憎い。
貶めた者、囁いた者、追い詰めた者。
有象無象に広がってしまった悪意の芽を全て取り除くことは出来ないにしても、その中心にいた者には報いを受けてもらわなければならない。
ただ一人、関係ない者を巻き込んでしまったことは申しわけないと思ってはいるが、それも今日で全部終わる。
波の音を遠くに聞きながら階段を上がる。
建物内がこんなにも静かなのは、捜査官が来るまで全員でサロンに集まっていようということらしい。
三階にたどり着き、バルコニーへと続く扉を音を立てないようなるべく静かに開くと、途端大きくなる波の音。要らぬ心配だったと軽く安堵の息を吐く。
むろんそんな吐息でさえも波の音に掻き消され目的遂行の支障にもならない。
その目的の目標である男は手すりの側に立ち海を見下ろしていた。
無防備に向けられた背中。当然その表情は見えない。
足音を立てぬようゆっくりと近づく。
海を見て静かに佇む男は今何を思っているのか。
懺悔か後悔か。
だとしても失ったものはもう二度と戻ってはこない。それはどうしようもないほどに自然の摂理で。
だから残された人間たちはこの先ずっと、その思いを抱えて行くしかない。それも永遠に。
更に近づいた。
気配には敏感なはずだろうに、気づいていないのか振り返る素振りはない。
――後数歩。
「―――、―――」
男が零した声が波の音に紛れ耳を掠める。
思わず足が止まった。
そして立ち止まってしまった背後で、今度はバルコニーの扉が開く音を耳が捉えた。
なるべく音を立てないようにと静かに開いた自分とは違い、わざと聞かせるような雑な開き方だった。
とても淑女らしいとは言えない。
ゆっくりと振り返った視線の先。自分にとって愛しく大事な少女はくしゃりと顔を歪め、風に乱されたピンクブロンドの髪を押さえる。
そして、今はぎゅっと絞られた空色の瞳はこちらを捉えて、小さくかすれた声が零された。
「……ウィルお兄様」
―――と。