16.ウィリアムの遺書
シガールームには書き置きを残し私は先にひとり部屋に戻った。
自分の部屋へと入り、鍵を閉めてふぅと息をつく。
考え事はやはり一人に限る。しかも更に考えなければならないことが増えてしまった。
ベッドの縁に腰掛けパタンと寝転ぶと、徐ろにウィリアムの遺書だというたたまれた紙をポケットから取り出す。
だけどまだ開かない。
( シャーロットさんが、トレファスの恋人だった…? )
順序からしたらお兄様と別れてからトレファスと付き合ったことになる、…はずだ。けど。
もしかしてトレファスのせいで別れることとなった? そしてお兄様もトレファスも互いにそのことを知っていた?
でも初日の、昼食の席での会話中にもお兄様とシャーロットさんの話しは出ていたが、二人は別段変わった様子や感情は見せなかった。
( 二人ともに気づいていないなんてことあるだろうか? )
お兄様でなくシャーロットさんの方から別れを切り出したのではないかと思ったけれど、それもちょっと今はわからなくなってしまった。
私はもう一度小さく息を吐いて、少しだけ気合を入れて手に持った紙を開く。
〈 こうなってしまったことは全部僕のせいだ。 だからとて、謝罪の言葉は口にはしない。理由は言うまでもないだろう。 〉
整然とした、僅かに右上がりの文字。
先ほども見たお兄様の文字で間違いはない。
「遺書…」
なのだろうか?
いいや、違う。でもそうか――、
ああ――…、そうか…。
遺書だというこの紙を額に当てる。誰もいるわけではないけれど表情を隠すように。
これを私に渡したトレファスも「らしきもの」と言う言葉を使った。
そう、これを持ってきたのはトレファスだ。しかも『渡す』を言い換えて『託す』と言った。それをどう捉えればいいのか。
ぐるぐると頭の中で思考を巡らせる。――が。
コンコンコンッ!とキツツキのドラミングが如くの音が鳴り響く。
「リリアベル!」
「リリアベル姉様!」
扉の向こうから聞こえた声はダンシェル家の兄妹のもの。意外と早く書き置きを見たようだ。
まあ私が階段を上がるのがゆっくりだったのもあるけど。
むくりと起き上がり鍵を開けると、お揃いの表情が現れる。先に発言の主導権を取ったのは妹、ローズマリーの方だ。
「姉様! 戻るって言ったのに置いて行くなんて!」
「ごめんなさい、ローズマリー。 ちょっと色々と考えたくて」
眉尻を下げ素直に謝れば険しかったローズマリーの表情が「ううっ」と強張る。そのあと何となくバツ悪気に。
「や…、…じゃあ、仕方ないかな…」
「ホントごめんね」
更に、トドメで心底申しわけなさそうな顔を作れば陥落だ。
妹に先を取られたエリックが「…早っ」と、そのやり取りを呆れた表情で眺めているが、エリックだってこの手には弱いと知ってる。
ヒロインという立場は要らないが容姿に関してはまあ役立つことがあるのは否めない。
妹の姿にやはり思うことがあったのかエリックは取り繕うようにコホンと一つ咳をつく。
「取りあえず心配するから一人での行動は慎んでくれ」
「ええわかったわ」
「それで、急に部屋に戻ろうとしたきっかけは? シガールームでマクファーソンさんとボーデンハイトさんが難しい顔で煙草を吸ってたけど、何かあった?」
問われて、私も同じ表情になる。
「何かあったというか、ちょっと愕然としたというか」
「事件と関係あること?」
「んー…、どう、だろう?」
私は先ほどのシガールームでの話しを二人にも話した。
「――え、それって…、まさかの愛憎劇…!」
僅かに弾んだ声を零したローズマリーがハッと自らの口を押さえるが遅く、エリックが半眼を向ける。私としてはローズマリーの部屋に並ぶメロドラマ的な蔵書の数々を知ってるだけに苦笑いだ。
「どうなんだろうね、ウィルお兄様とロイデンさんにそんな確執らしきものは見えなかったけど」
「大人だから上手く隠してたんじゃ?」
「互いに気づいてないだけだろ」
「えー、兄様安直過ぎない? 大体そんな偶然あるー?」
ローズマリーが私と同じ考えを口にする。
どう考えても偶然ではないと思う。ただそうなると、後から転職して来たお兄様の方にこそ思うとこがあったことになる。
お兄様は何を考えトレファスに接触したのか? そしてその結果が今であること。
「…ちゃんとした時系列が知りたいな」
「時系列?」
零した声をエリックが拾う。
「動機に繋げるための過程だよ」
「動機…」
「そう。まず、シャーロットさんがお兄様と別れたあとにロイデンさんと付き合ったのは確かだと思うの。心は仕方ないとしても皆んなそこまで不誠実になれる人ではないと思うから。そしてもう一つはっきりしてるのは、お兄様が半年前に会社を移動したってこと。これはロイデンさんが話してたことだけど他の人に聞けば直ぐにわかることだから嘘ではないだろうね」
「あーうん」
「だから知りたいのはお兄様が別れたのが何時で、ロイデンさんと付き合ったのが何時か。そしてシャーロットさんが亡くなったのは…、ああこれはあの男の話しからすると半年より前だね。 でもそうか…、そうなるとほぼ確定――、」
「えーっと、待って待って」
これから、というところでエリックが手のひらを向けストップを掛けた。出鼻を挫かれた感に私は眉を寄せる。
「……何?」
「流れが急過ぎる」
「そう?」
「えーっと、動機、って言ったよね」
「ええ」
「それで、ロイデンさんの話しが出てくるってことは、リリアベルはロイデンさんが犯人だと?」
「一番、疑わしくはあるよね」
「そういえば姉様、ウィリアムさんの遺書は? あれもロイデンさんから渡されたよね?」
「ええっ!?」
ローズマリーによる更なる追加発言に、エリックが大きく目を見開く。
「ああそうそう。そうだね、二人にも見てもらった方がいいかも」
未だに扉付近に立ったままだった状態から遺書を置き去りにしているベッドの方へと移動して。
二人がそれを眺めている間にも、自分自身の考えを整理するために、止められた続きを口にする。
「細かい時系列がわからなくても『半年前』というキーワードが全てで。ようするにお兄様は、シャーロットさんの死を得て、そのために転職したんだね」
短い文だ、読み終えた二人は眉を寄せたまま顔を上げる。
「これは遺書っていうより…、袂を分かつ、決別の言葉?」
ローズマリーが疑問の形で放った言葉がとてもしっくりする。
「完全に憶測だけど、」と前置きをして。
「…心変わりをしたのはシャーロットさんで、その文はシャーロットさんに向けたものなんじゃないかなって」
ローズマリーの言ではないが、そこにはやはり愛憎が見える。別れが、愛する人の負担にならないようにと思いながらも、やはりやり切れない思いが滲むジレンマ。
この文が出されずに手元にあったのか、それとも届いた上でこうして私たちが目にしているのか。
後者だとするとそれもまたやり切れない。
ただどちらにしても。
「…これを持っていたのはロイデンさんなんだよ」
「うん…」
「それにレイチェルさんを殺す動機も、ウィルお兄様を殺す動機も出て来た」
「ウィリアムさんも?」
「さっき言ったように、お兄様が転職した、その目的がロイデンさんだとしたら」
「シャーロットの死を糾弾するため?」
「そうならない?」
自分でさえも到底許せないと憎々しく思っている事柄を、他からもやいやいと言われ続けるのは苦痛でしかない。
そんな説明に、エリックはうーんと唸る。
「でも姉様、ロイデンさんはレイチェルさんが亡くなった日は最後まで私たちと居たよね?」
「邸に戻ってからは一時別行動だったでしょ。それに死後硬直からの時間の件なら、それも絶対ではないもの。――ね、エリック」
「ん? …あ…、まあ、気温とかで変わることはあるけど…」
「でしょう。それより、ボート小屋の方はどうだったの?」
何かに気を取られてる様子のエリックに思い出し尋ねれば、エリックはパチリと目を瞬かせる。
「あれ、話してなかったっけ?」
「聞いてないね」
「焚き火の跡が、あったよ」
「焚き火? こんな真夏に? …兄様、それって以前のものじゃない?」
「いや、新しいものだったぞ。触って確かめたし、おかげで指先が真っ黒になった」
これ何回か洗わないと取れないんだよな。と、指先を眺めるエリック。見ると確かに爪回りが黒く染まってる。
「焚き火の他には?」
私は先を促す。エリックは視線を指先から外すと考えるように上を向いた。
「あー…うーん、スティーブさんと確認したけれど他は特にこれといって変わったものはなかったかと」
「そう…。……濡れたままだと流石に寒かったんだね…」
「え、濡れた?」
「うんん、何でもないよ。 ところでエリック、ちょっと手を見せてくれない?」
「――え?」
唐突なお願いにエリックが目を丸くする。そして「な、何で…」と両手を胸の前で握り締めた。警戒ポーズ?
「ちょっと汚れてるのが見たいだけだから」
「いやそれこそ何でっ!」
何故か顔を赤くし今度は恥じらうように両手を背に隠すので、「兄様は乙女か」と妹からの呆れた声を受ける。
うん、確かにめんどくさい。なので。
「じゃあ選択して、私に飛びつかれて無理やり見られるのと、自ら進んで見せるの」
どっち?と笑顔で尋ねればエリックは躊躇うことなく手を差し出し、「兄様ってばヘタレ…」と呆れの眼差しがプラスされた。
差し出された手は、鍛えているわけでないのでゴツゴツとはしていないが、当然私よりも大きく少し体温が高い。
私の手のひらの上に乗ったエリックの手。お手状態で、その染まった指先を眺める。
「これなら柔らかいブラシでもって、温い湯と石鹸で爪の部分をこすれば割と直ぐ取れるよ」
この前の事件後からガーデニングにハマっていて、我が家の庭師ジョンに師事して聞いた話しだ。
まあ普段は手袋をしてるし、実際は大したこともしてないのでそんなに汚れることはないが。それでも長年庭師として働いているジョンの指先や爪は落ちない汚れが残っていた。
所謂、私たち貴族階級や中流階級が持つお綺麗な手とは違う。
じぃっと眺めていれば「あのー…」と声が掛かる。
見上げれば少し赤いエリックの顔。
「…ね、もう…、放していい?」
手を重ねてただけである。
エリックの照れるポイントがよくわからない。言うように純情乙女か?
でも、決して堕ちてはくれないけど。