13.トレファスの証言と不意な遺書
「それで、ロイデンさんはずっとここに?」
そう尋ねるとトレファスは首を振る。
「いや、最初は食堂の方にいたよ、でもマクファーソンが居なくなってからはここにいる。 それが何か?」
「じゃあトムがこちらの方に来ませんでした?」
「トムが? ……どうだろう、気付かなかったが」
「…そうですか」
トムは温室の方に走っていったとマクファーソンは言った。けど、サロンに向かったわけではなかったようだ。
ではどこに? 建物に入ったのではなく表にでも回ったのか?
考え込む私の目の前、トレファスは近くのソファーの背部分に浅く腰掛け腕を組む。足が長いからこそ出来る格好だ。しかもそれがまた様になっている。
「――で、トムに何の用事が?」
「いえ…、用事というわけでは。ただ少し話しが聞きたくて」
「話しか…、一緒に探しに行こうか?」
「や、あの、申し出は有り難いんですが、取りあえずはここでエリックと約束していて」
「ああそういえば。確かに一緒じゃないね」
「ええ、兄様は今スティーブさんとボート小屋に行ってるんで」
「ん? ボート小屋…?」
止める間もなくあっさりと放たれてしまったローズマリーの言葉にトレファスは怪訝な顔をする。
…うん、それは言うつもりがなかったのだが、仕方がない。
「小屋に誰かがいた痕跡があるらしいので、それを確認しに行ったんです」
「え? 小屋に…、誰か…?」
「もしかして、犯人じゃないかと」
「ああ…」
なるほど。とトレファスは頷く。だけどその顔は納得しているようには見えない。だから尋ねる。
「…まだ殺人ではないとでも言うつもりですか?」
若干非難がこもってしまった言葉に、トレファスは少しだけ目を見開き、直ぐに苦い顔で首を振った。
「いや…、流石にもう自分の願望は控えるよ」
「そうですね、フリスさんの密室も一応は解明しましたし」
「密室が?」
「ええ、でも――、」
「そうですよ、リリアベル姉様がきっちりすっぱりさっくりと!」
「………」
( …ああ…、ローズマリー… )
「――ね!」と満面の笑みを向けられて、そんな笑顔を見れば黙ってとはとても言えない。
トレファスが驚きの表情で私を見る。
「えーっと、君が?」
「……ええ、まあ…」
それに曖昧に頷き話しを続ける。
「…でも、残念ながらフリスさんの現場からはお兄様に繋がるものは何も出ては来ませんでした」
「ウィリアムとレイチェルか…。…まあ同僚だと言っても、リアナと違ってレイチェルがウィリアムと関わることはほぼないからね。二人を繋げるのはなかなか難しい気もするな」
「そういえばボーデンハイトさんはウィルお兄様の設計助手だと聞きましたけど、じゃあフリスさんは?」
「彼女は事務方だよ。マクファーソンと同じだ」
「マクファーソンさんも?」
「――ああ」とトレファスは頷く。
私は指先を口元に添えた。
( …マクファーソンさんが、…現場の人間でなく事務方…? )
いや、でもそうすると。
急に黙り込み俯いた私を心配して「姉様?」とローズマリーが覗き込む。いつもなら大丈夫だと伝えるところだけど、今はそんなことにさえ気が回らない。
私は顔を上げてトレファスを見つめる。
「……ロイデンさんは…、」
「ん?」
「ロイデンさんは…、…ウィルお兄様と昔からの知り合いですか?」
「――え? …いや、付き合い的にはここ半年くらいかな」
急な話しの振りに少し戸惑った顔をトレファスは見せる。
「ウィリアムが、僕らの会社に転職して来たんだよ」
「お兄様が?」
「ああ。元の設計事務所を辞めて独立したけど色々と厳しかったらしくてね。どちらかといえば出向という形に近いかな。 それが半年前で、同じチームになって親しく話すようになって三ヶ月くらいだろうか」
「お兄様が…」
――仕事先を辞めて独立?
私は目を瞬かす。
そんな話し聞いていない。お父様とお母様は聞いてたのだろうか?
でも、仕事の話しをした時に辞めたとも独立したとも言ってはもらえなかった。ただの従妹でしかない私には話す必要がないと思ったのか。
…そうだ、だって私はお兄様にとってはただの従妹。
だからこそシャーロット様と別れたことについても話しはなかったんだろう。
「………」
今となっては問いただすことも出来ないし、そんなことは現状どうでもいいことだとわかっている。
鬱屈とした気持ちになりキュッと唇を噛む。
「それで――、」
と、どこか含んだような声と眼差しでトレファスが言う。
「リリアベル嬢、君が本当に知りたいのは僕とウィリアムの仲だろう?」
「………」
「僕が、ウィリアムを殺したいほど憎んでたかどうか」
私は何も言わず、ローズマリーはギョッとした顔をする。
無言を通す私を見つめたままトレファスは少しだけ口の端を上げた。
「君が考えるようにダイナマイトの扱いに関しては僕が一番得意だろう。疑われる動機としては最もだ。 だけど高々半年ほどの付き合いでは、殺したいと思うほどの増悪を育むのはちょっと難しくはないかい?」
( …私の考えか… )
豪胆に見せかけて本当は思慮深く頭が切れる人物なのだろう、トレファスは。
言うように、マクファーソンが事務方ならばそうなると考えた。だけどひとつ間違っている。
「疑ってるのはロイデンさんだけじゃなくて全員です。 もちろん他からしたら私がそう思われるのも承知の上です」
「疑われることは仕方ないと?」
「ええそうです。違うと言ったとしてもそれを絶対だと立証出来るのは自分自身でしかないから。だから仕方ないですよね? それと――」
「それと?」
一度切った言葉を催促するようにトレファスが継ぐ。
「人を憎むようになるなんて一瞬ですよ。徐々に積み重なってゆくのもあればそのまた逆も。でもその一線を越えるのは結局何らかのきっかけですけど」
「きっかけ…、……動機とは違う?」
「似たようなものです。ただ時間の概念が違うんですよ。 動機は、過去もこの先も含むけれど、きっかけは過去だけのものです」
「なら君はこの全てが過去の何かがきっかけだと思っていると?」
「……さあ…。でも、事件である以上呼び方は動機が妥当ですね」
どうでもいい話しで締めて曖昧に言葉を濁す。それにトレファスはふっと頬を緩めた。
「君は思ったより慎重だね」
「そうですか? エリックとローズマリーからは真逆なことをよく言われますが」
「うん、リリアベル姉様って急にとんでもない行動を起こすからヒヤヒヤする」
「そう?」
「兄様がよく頭抱えてるよ」
「んー…、そう…?」
私の方こそエリックの変なこだわりに振り回されてると思ってたけど。
ハハッとトレファスが声を上げる。
「じゃあお互い疑わしい者同士ということで」
「その一括りはどうかと」
「まあいいじゃないか。 そんな君に渡したい、…いや、託したいものがあるんだ」
「託したいもの?」
そう言ってトレファスが胸のポケットから取り出したものは折りたたまれた紙だ。
一瞬あの中身のなかった封筒を思い浮かべたが、流石に違うだろうと尋ねる。
「なんです? 手紙ですか?」
「いや、遺書だ」
「は?」
「おそらく、ウィリアムが残した遺書だろう」
「――っ」
ローズマリーと私、二人して息を飲む。
「それをなんで貴方が…」
「僕の部屋のドアの下に差し込まれていた」
「…それは――…、」
続ける言葉が浮かばないまま求めるように手が伸びる。そして差し出された紙にカサリと指先が触れた。
…ウィルお兄様の遺書。
それがどういう意味を持つかを先ほど自分で説いてたはずなのに、そんなことは頭の片隅へと追いやられ、『お兄様が残した――』ということに囚われる。
トレファスから私へと渡ったもののあまりの軽さ。それにちょっとだけ眉をひそめる。
けど当たり前だ、これはただの紙でしかない。
感傷を振り払い、たたんだ紙を開こうとしたら――、
「ああ…っ、良かった! ここにいたのね!」
切羽詰まった声が邪魔をした。
えらく青褪めた顔のリアナだ。
サロンへと入って来たリアナは小走りに私たちの元にやって来ると焦った様子で言う。
「この建物の外に誰か倒れてるのっ!」
「え?」
「誰かって…?」
「わからないわよ! 部屋の窓から外を見下ろしたら見えたのっ。 動かないし、頭から血が…」
「血が!?」
重ねるように声を上げトレファスが表情を険しくする。
「リアナ、外ってどこだっ」
「――え、私の部屋からだから…、多分こっちだと…」
リアナがおそらくと指をさしたのは私とローズマリーが入って来た外扉とは反対側。
「わかった、君たちはここを動くなよっ!」
トレファスはそう言い残すと直ぐに外へと飛び出して行った。
私もそれに続こうとして、「あ…」と手に持ったままの紙に気づく。そして少しだけ躊躇ったあと一旦それをスカートのポケットへとしまった。
「…ちょっと私も行ってくる」
「――えっ! リリアベル姉様!?」
「ローズマリーはボーデンハイトさんとここにいて」
「でも姉様!」
「もしエリックが戻って来たらこのことを伝えて欲しいから」
お願い。と頼むとググッと眉を寄せながらもローズマリーは渋々という体で頷く。
「絶対に、無茶はしないでくださいね」
その言葉に「わかった」と大きく頷いて、出来る限り急いでトレファスの後を追う。
外扉を出て温室をぐるりと回り込む。その方が表玄関から行くよりも近い。トレファスもそう読んでこちらへと向かったのだろう。
杖をつきながらの私のスピードでは到底トレファスの姿を捉えることは出来ない。
けど、ふと上げた視線の先で、海の方から歩いて来るエリックの姿が見えた。