11.中身のない手紙とトムの不審
トムが出て行き、代わりにローズマリーが部屋へと入って扉を閉める。
私はもう一度深く息を吐いた。
「…態度が悪かったってのは自覚してるから」
「いや…、態度が悪いと言うか、貴族らしいと言うか。 でも珍しいな、リリアベルがあんな態度を取るなんて。 トムと何かあったっけ?」
エリックの言葉に私は緩く首を振る。
「トムが、と言うわけではないよ」
「じゃあ何が?」
ダンシェル兄妹の疑問の眼差しを受けて私はさっき浮かんだ考えを口にする。
「何故密室を作ったか、って考えた時に、やはり自殺を装いたかったんじゃないかと考えたの。 だって死後硬直だなんて普通わからないじゃない? なら物音がした時、苦しんで倒したのだと思うんじゃないかな。まあ体温だとかもあるけど、多少何かおかしなことがあっても普通の人間なら人の死を見て冷静な判断なんて出来ないだろうし 」
一気に話した内容にエリックが「うーん」と唸ってから言う。
「まあ確かにないとは言えないね。特に調べに入れるのが直ぐではなく時間があいてしまえば。 でもそこからウィリアムさんの部屋に来たことにどう繋がるんだ?」
「うん、そう…、だからお兄様も自殺であるとするつもりなのかと」
「ん? ――いや…、え…?」
「姉様、流石にちょっと意味が? ウィリアムさんが自殺って?」
二人の困惑には答えず、私はレイチェルの部屋にもあったサイドチェストに向かう。
下にあったものより少し長さのあるサイドチェストは文机の役割を果たしているようで小さな椅子が据えてある。その机の上にはお兄様の私物が置かれていて、不意な痛みにちょっとだけ眉を寄せた。
「…自殺、じゃないとしても自殺と出来る簡単な手がある、よね」
「簡単な?」
「そう…、遺書だよ」
「「――遺書?」」
兄妹の声が綺麗に揃う。
「例えば、」
私物――、であろうノートをぱらりと開く。図案や計算式、私の理解出来ない言葉が並ぶが、走り書きからみるに仕事関連のもの。バカンスだと言うのに書類の束もある。
「ここにお兄様が『レイチェルを殺した』と書いていれば、」
「――えっ、まさかそんなのが!?」
驚き駆け寄って来たエリックを横目で睨む。
「………あるわけないよ、例えばって言ったじゃない」
「…兄様…」
「………うん」
ローズマリーにも呆れられすごすごと引き下がるエリック。人の言葉を直ぐに信じるとは捜査官としてはアウトだ。
( …まったく… )
と、息を吐き続ける。
「そうすれば、お兄様の死は、それ悔いた自殺とも取れるかもしれない。 だから別に率直的な言葉でなくても、『ごめん』でも『すまない』でもいい、こじつけようと思えば出来ないことはないから」
「じゃあ、姉様はこの部屋にそう言ったものが用意されてるんじゃないかと考えたの?」
「用意されてるか、これから用意されるか」
だからこの部屋にいたトムを見て『まさか…』と過剰に反応してしまったが。だけどよく考えれば、今さらこの状況でその目的のためにこの部屋に侵入するのはリスクでしかない。
ではトムは純粋に荷物の片付けにきたのか?
…でも、先ほどスティーブとジョンと並び私たちを見上げた時に見せた顔。
「………後で少しトムと話さないといけないかな…」
私が零した声にエリックが返す。
「トムと? え、トムが部屋に遺書を仕込んだとか疑ってる?」
「ううん、それとは別の案件。 それに、今それが見つかったとしてもトムとは無関係だと思うよ」
「え、どうして?」
とは、ローズマリーからだ。
「だって私たちに見つかった時点で終わりでしょ」
「そうだけど、もう仕込み終ってたとしたら?」
「それなら何としても破棄しようとするんじゃないかな。でもトムは割とあっさり引いたよね」
「それは…、――そう、諦めたとか? 後ろから覗いてたけどあの人何か言いたげだったよ。罪の告白をしたかったとか」
「ふーん…」
ローズマリーはよく見ている。兄より捜査官に向いているかもしれない。流石ダンシェル家の血筋。実際エリックは捜査官という立場より鑑識が主であるし。
チラリとエリックを見る。目が合った。眉が寄る。
「……何?」
「うんん、何でもない。 けど、ダンシェル家は安泰だね」
「え、何、その意味深な言葉…?」
眉を寄せたエリックにもう一度「何でもない」と答えて将来有望なローズマリーに視線を戻す。
確かにトムは何か言いたげではあった。自分の頑なになってしまった行動を若干悔やむ。
「罪を告白するような感じには見えなかった――、というのは私の感想でしかないけど、でも言うように何か伝えたかったんだろうなとは思う。 だから話しをしないと」
「んー…、じゃあ罪の告白じゃないとしたらアレかな? 何か見たとか…?」
「………」
本当に、ローズマリーは捜査官に向いてる。
「私もどちらかと言えばそっちだと思う」
「えっ、じゃあ、」
「――でも、言った手前取りあえずお兄様の荷物を整理するよ」
「えー」
「もしかしたら最初に言ったように遺書的なものも出て来るかもしれないし、それに他人にお兄様のものを触られたくないから」
最後がたぶん本心。かと言って一人で向き合うには、それはきっと辛すぎる。
「…まぁ僕らも他人だけど」
エリックの優しい前置きに小さく笑う。
「だとしても、私にとってエリックとローズマリーは家族みたいなもんだよ」
「うんそうそう、リリアベル姉様とは何れ本当の家族になるんだし」
「ああ、だから僕らも手伝――…ん? 本当の家族? …ローズマリー、お前何言って、」
「――ンンッ! さ、じゃあ始めましょう」
とは言っても、ウィリアムの荷物はそんなに多くはなく。ローズマリーから驚愕の声が上がる。
「…ものが少ない…、…え…、旅行だよ? それってトランク一つだけにおさまるの?」
「男の荷物なんてそんなもんだろ。むしろお前の荷物が3つもあったことの方が驚きだ」
「兄様はわかってないなぁ。 レディーには色々と必要なもが多いの、ね、姉様。 ………、……姉様?」
几帳面なお兄様の唯一散らばっていた文机の上で、書類の束から出て来た封筒に見入る私にローズマリーが声を掛ける。
「何見てるの?」
「え、…あ、うん…、中身のない封筒なんだけど」
「ウィリアムさんへの? 差出人は知ってる人?」
「……シャーロット・ブラウン…、お兄様の元婚約者だね」
「えっ、中身は!? ……ああ、ないんだっけ?」
「あっても見ちゃだめだよ」
「そうだけどー…」
手にした封筒には、とても丁寧に綺麗な文字でお兄様の名前が書かれている。ただの短い文字でしかないがそこからは憎しみなどそういったものは窺えない。
「最近来たものなの?」
「どうだろ、具合からみたらちょっと前な気がするけど」
「それをウィリアムさんは大事に保管してたんだね」
「そう、だね…」
中身はきっとお兄様が持っていったのだろう。
やはりお兄様は別れた後もシャーロットさんのことを…。
二人が別れに至った経緯は知らない。けれど別れていなければお兄様はこの夏季休暇をシャーロットさんと過ごすことにあてていたはずだ。
――それならばここには来なかった。
――そうであればお兄様が亡くなることはなかった。
――全てはシャーロットさんがお兄様と別れたからだ。
と、理不尽な思いが浮かぶ。実際にはどちらが別れを切り出したかなんてわからないのに。
だけど――、と。
…たぶんウィルお兄様からではないだろうなと、何となくそう思う。
先送りにしている感情に再び襲われそうになり緩く首を振ると、トランクの方の荷物を纏めていたエリックがリリアベルを呼んだ。
「粗方終ったけど、別に不審なものはなかったよ」
「うん…」
エリックの手で一つのトランクに纏められたお兄様の荷物に、やはりこみ上げるものを感じて視線をそっと逸らす。
「取りあえず荷物はこの部屋に置いて鍵を掛けておけばいいよね」
「いいんじゃないかな。鍵は一旦スティーブさんに返そう」
「ええ」
廊下に出て鍵を閉める。カチャリという施錠の音が、私の胸にやけに大きく響いて聞こえた。
□
見透かすような空色の目に、思わず口を開きそうになったけれど、彼らが絶対に関係ないとは言い切れないと思い直し、その場は取りあえず黙って引いた。
( ……だけど… )
最初にそれを見た時は何をしてるかわからなかった。
けれど先ほどの光景を見て朧げながら繋がった、その意味を。
だとしても大きな疑問が残る。
だからそれを調べたかったのだが。
「ああトム、もうウィリアム様の部屋の整理は終ったのか?」
「いえ、あの、リリアベル様が来られまして、変わると仰られたのでお願いしました」
「お嬢様が? ……そうか…、…仲がよろしそうに見えただけに、さぞお辛いだろうな…」
「………」
沈痛な面持ちで俯いた雇い主を見下ろす。
それを話すスティーブにもやはり憔悴感が垣間見える。だけど使用人である自分にはその呟きに何も言えず黙る。
暫くしてスティーブが顔を上げた。
「…そうだな、取りあえず私たちも出来る準備はしておこうか」
「準備ですか?」
「ああ。 橋が壊れた今馬車を通すことは当分出来ないだろう? 男性方には川を渡ってもらってもいいが、お嬢様方にそれを進めるのは酷だ。だからボートを出せばいいかと思ってな」
「ボートに穴がないか確認しておくんですね」
「そうだ。すまんがトム、ちょっとボート小屋まで付き合ってくれるか?」
「ええ、もちろん」
スティーブの提案に迷うことなく頷く。
あの男前な滞在客の懸念と、珍しいピンク色の髪の美しい少女の提案など聞いていなかったように迷いなく。
何故なら今この最果館で起こってるこの状況は自分たちとは関係ないものだから。
そう、運ばれて来た悪意は外からのもの。
自分が見たものがそれを裏付ける証拠だが、まだスティーブに話せるほどの確信はなく。
トムは心優しい雇用主の心労を増やさないためにも今は口を噤むしかなかった。