1.避暑地にて
リリアベル&エリックシリーズ④
のんびり更新です
準備は全て終わった。後戻りはもう出来ない。
手持ちのランプの明かりを消し欄干下から這い出ると空には満天の星々。
見守る彼らは共犯者か物言わぬ目撃者か。
これで一気に――といきたいところだが、そんな呆気ない終わり方など認められないし、関係のない他人を巻き込むことは出来れば避けたい。
瞬く星が流れ、一直線に空を裂く。まるで天啓のように。
これを自分がなすべきことの後押しと捉え、まだ僅かに残っていた迷いや躊躇いは完全に捨てる。その上で怒りも憎しみも隠す。目的の遂行にそれは邪魔だ。
「失敗は、出来ない」
決意を口にする。
―――決行は明日。
□□□
馬車はカタカタと音を立て三十ヤード程の川に掛かる橋を渡る。欄干から見える川は広く、深くはないが流れは少しだけ急だ。
「ロンドン橋が落ちる 落ちる 落ちる〜 ロンドン橋が落ちる〜 マイフェアレディー」(※)
「おい妹よ、橋を渡ってる時に普通そんな歌を歌うか?」
「エリック兄様は小心者だね。こんなのただの歌じゃない。 ――ね、リリアベル姉様」
「まぁそうだけど、流石にこのタイミングでは歌わないかな」
「ええーっ」
「ほらみろ、ローズマリー」
私とエリックと、エリックの妹ローズマリー。 のんびりと走る馬車の中でそんな会話を交わしつつ三人が乗った馬車は橋を渡り切る。その向こうは川に完全に分断された島のような土地。先には海しかない、まさに陸の孤島だ。
緩く登ってゆく並木道の背景にはヒースの丘が広がり、頂点にこれから向かう建物がやっと姿を見せた。
丘の上に建つぽつんと一軒家。といっても三階まである、別荘というにはかなり大きい建物だ。隣でローズマリーが「うわー…、凄い何もない」と感想を漏らすように周りには何もない。一部雑木林的な木々が囲うくらいで。
お母様が言っていた通り最果てに建つ屋敷、
――最果館。
余程隠遁生活を送りたい人が建てたのか? といってもそれは自分のご先祖様の誰かなんだろうけど。
学園が夏季休暇に入り、三人で今目にしているグリーンフォス家の別荘へと向っている。正確にはお母様所有の。
というのも。
最初は夏季休暇なんて取れるはずもないダンシェル家のおじ様と、既に結婚して家庭を持つエリックのお兄様は省いて、おば様、エリック、ローズマリーと我が家族が共に避暑地に来たのだけど。
皆んな考えることは同じで避暑地は大賑わいの体を見せ。
「お母様、これじゃあ街にいても変わらなくない?」
「そうねぇ…」
海沿いのカフェテラスで混雑する浜辺を眺めながらのんびりと頷いたお母様は「 あ、そういえばアナタ」と、妻子に向けせっせと扇を仰ぐお父様に視線をやった。
「アナタのお姉様の子から手紙が来てたじゃない?」
「あ、えっと、ウィリアムのことかい?」
「そうそう」
「え、ウィルお兄様から手紙が来たの?」
「そうよ、婚約者とは破局になったっていう手紙だったんだけど、」
「ええっ!」
思わず大きな声が出た。
ウィリアム・マクミラン――ウィルお兄様は言ったようにお父様方の従兄で、十歳も下の私にも丁寧に接してくれた優しいお兄様。そして私の初恋相手。
でもそれは幼き頃のこと。ウィルお兄様には三年も付き合っている婚約者がいて、もう時期結婚だと聞いていたのだが。
「何で破局だなんて…」
「さあ? ――それよりも、そのウィリアムがこの近くの別荘に来てるのよ」
「ああ、そう、そうだった。 友達と避暑として過ごさせてくれと書いてあったね」
「別荘…って?」
「お祖父様が所有していた別荘よ。ランズエンドハウスと呼ばれてるわ。今は私が貰ったのだけど、名の通り凄ーく辺鄙なとこにあって私は一度しか行っていないの。でも後ろは海で泳げたりするし、当然人なんて皆無よ」
「へえ…。でもお母様、ところでそれが?」
「ええ、だからそこに行って来ればいいんじゃないかしら? エリックくんとローズマリーちゃんを連れて」
「えっ、いや、お母様…」
ウィルお兄様だけがいるだけならまだいいが、友達とかがいるところに混ざるって言うのは…。
「それは流石にどうかと?」
「そう? でももう連絡してしまったし、了承ももらったわよ」
「えっ」
「ええっ」
お父様も驚いている。どうやらお母様の独断らしい。でも。
「……お母様、私たちを追いやっておば様と二人で羽目を外そうとは思ってませんよね?」
「あら? そんなことはないわよ、うふふ」
「……賭け事はダメですよ?」
「大丈夫よ、今回はスポンサーがいるもの。 ね、アナタ」
「――え…、いや、ちょっと…メグ?」
タジタジするお父様に諦観と憐憫の目で『頑張って…』と念じておく。娘としてはこれが精一杯です。
というわけで、私たちは馬車に揺られている。
ちなみにメグはお母様様の愛称で、マーガレットが名前である。
□
馬車から降りると迎えに出て来ていた従兄に向って笑顔で駆け寄る。
「ウィルお兄様!」
「やあリリアベル、久しぶりだね」
ウィルお兄様はヘーゼル色の目を線のように細め、笑って私を迎えてくれるが、やはりどこか元気がないように見える。
「…ウィルお兄様、あの、お母様から聞きました」
「え、…ああ。 彼女のことだよね? うん、そうなんだ、彼女とは別れたよ」
「お兄様…」
「大丈夫だよリリアベル、そんな顔しないで。大体そういうことは多々あるだろうし。…まあ僕のことはいいとして――」
眉を落とす私に割とあっさりと答えるウィルお兄様。それ以上私が何か言えることはなく、ウィリアムがずらした視線を追って振り返る。
「ダンシェル家のエリックくんとローズマリーちゃん…、じゃなくローズマリー嬢だよね。 見ないうちに二人とも随分と大きくなって」
「お久しぶりです、ウィリアムさん」
「…こんにちは」
私は親族であるのでたまに顔を合わすが、エリックとローズマリーは五、六年振りか。エリックは覚えてるようだけどローズマリーにいたっては若干人見知り中だ。
「じゃあここは暑いし、中に入ろうか」
「あ、ちょっと待ってください、今 荷物を――」
「ああ、トム、ジョアンナ、荷物を運ぶのを手伝ってくれるかい」
ウィリアムの呼び掛けに、共に玄関で出迎えてくれていた男女がササと動く。
男は三十代くらいの、ヒョロリと背が高く寡黙そうな感じが見受けられ、女は従兄と同じくらいだろうか? キッチリと髪を結わえた生真面目そうな感じだ。
「彼らはここの使用人だよ。それと君たちを乗せて来た馭者のジョン。後は建物の管理人を任されてるギブソン夫妻がいるけど今は用事中で席を外せないみたいだ」
説明を聞きながら建物中へと入る。玄関ホールは吹き抜けで正面に階段があり、ウィリアムは足をそちらへと向けた。
「ごめんね、部屋は三階になるんだよ。二階は僕の友達が泊まっていて騒がしくするかも知れないから」
「そんなの全然」
「でもこうやって僕が案内するのもおかしなことだよね。 僕だって別荘を借りてるだけなんだから」
「あら、私だって初めてですからお兄様の案内がないと困りますよ」
「それもそうだね」
「ええ」
二人してフフフと笑う。
初恋はスッパリ終わらせたけれど、今でもウィルお兄様が大好きなことに変わりはない。
男前ではないが不細工でもない。至って普通の容姿。だけどそれがいい。色彩は違えどもエリックと通じるとこがある。なんてわかりやすい私の好み。
まあ順番的にはお兄様があっての、エリックになるのだけど。
そんな笑い合う私とお兄様の後ろを歩くダンシェル兄妹の会話。
「え、ちょ、あれ何!? あの二人、凄く仲良くない!?」
「あー、まあ、ウィリアムさんはリリアベルの初恋だから」
「ええっ! どうすんのっ、エリック兄様!?」
「どうすんのって、何が?」
「何がじゃないわよ! さっきの話し聞いてたでしょ、彼女と別れたって言ったの! リリアベル姉様の初恋だっていうなら焼けぼっくいに火が付いちゃうかもしれないじゃない!」
「焼けぼっくいって…、おまえ変な言葉知ってるな。 でも大丈夫だぞ」
「……何よ、その自信は?」
小さな声で喋ってるつもりだろうが、さっきから全部聞こえている。――で、私も知りたいその自信を。
「だってリリアベルにはちゃんとした相手がいるからね」
「は、何それ? …まさかそこで自惚れて自分とか言わないよね」
「はあっ!? なわけないだろ! リリアベルの相手は全員イケメンで将来有望な、所謂三高な令息って決まってんだよ」
「イケメン? さんこう? 決まってるって…、何言ってんの兄様?」
「……………」
ホント、何言ってんの?
いや、大体予測はしてたけどね…。
もちろんその声はウィルお兄様にも聞こえていて、「相変わらずなんだな…」と苦笑を浮かべて同情された。
私の想いが全くこれっぽっちも届いてないことはお兄様も知っている。昔は割と「好きだ」ってこと口にしていたからね。
でもいつもトンチンカンなエリックの返答を聞いてるうちにそれも言わなくなってしまった。
結局のとこエリックが諦めるまでは、この攻防は続くだろう。
そう、『ランディル・ベールの鐘』という乙女ゲームが終了するまで。
この世界は乙女ゲームが基なのだと、前世そのゲームのガチオタだったエリックは言う。そして私がヒロインであると。
故に私には結ばれるべき相手――、攻略対象者たちがいるのだと言う。
そんなの、マジでおととい来やがれだ。
ただこのゲームは通ってる学園が舞台であって、こうやって避暑地に来た今回は攻略対象者と会うこともない、と思う、たぶん。
階段を三度折り返すように上がって三階へと着く。
「こっちの奥から三部屋が客間だから割り振りは後でしてもらうとして」
階段を上がり切った廊下の左右、お兄様は左側を私たちに提示し、次に右側を見た。
「こっちの直ぐが僕の泊まってる部屋だから何かあったら言ってくれればいいよ。 それから真ん中が空き部屋でその奥がバスルームになってるからね。 あと正面のバルコニーからは海が見えるよ」
「えっ、海!?」
食い付いたのはローズマリー。元々滞在していた場所の目の前にもビーチはあったけれど、あまりの人の多さに早々に諦めていた。
喜び勇んでバルコニーに出たローズマリーを追って外へと出ると、濃い潮の匂いが纏わりつく。
ローズマリーは海が初めてだと言っていたので、あっちこっちと移動しながら海を見下ろしている。後で海岸まで連れていってあげよう。
それを横目に手すりに寄るとエリックが並んだ。
「おお中々壮観。 水平線まで見えるね」
「だね。あっちが低くなってるからそこから浜辺に降りれるみたい」
「あ、じゃああの人たちかな? ウィリアムさんの友達って」
エリックが指差す方向を眺めると海水浴を楽しむ人たちが見えた。
「そうだよ、彼らだ。 仕事先の仲間なんだ」
そう言ってウィリアムも横に並ぶ。
「仕事先? 設計事務所の?」
「ああ違うよ、今はこちらの方に出向していて、道路を作って新しいホテルを建ててるんだ」
「へえ、ウィリアムさんは設計士なんだ」
「一応はね。現場にも出るけれど」
「そんなことよりお兄様、本当に良かったんですか? 私たちが来てしまって」
「え?」
「邪魔するつもりはないですけど、せっかく友達同士で楽しんでらしたのに…」
「ああ――」
そんなこと。と、ウィリアムは眉を下げ気味に笑う。
「気することはないよ、彼らもいいと言ってくれたから。昼食の時間には皆んな戻ってくるからそこで紹介するね」
「…あ、いや、紹介だなんて」
「でも数日一緒に過ごすわけだから、名前くらいは覚えていた方がいいだろう?」
「あー、うーん、じゃあ…?」
「よしっ、そうしたら僕は皆んなにその旨を伝えて来るから、その間に部屋割りでもしておいで。――じゃあ後で」
私とエリックに軽く手を上げ、ウィルお兄様は廊下へと戻って行った。
その姿を完全に見送ってから「はあ…」とひとつ息を零す――と、それを聞き留めたエリックが首を傾げた。
「え? 何でため息?」
「だって…、あの人たちパリピぽいじゃない」
「は? …え、パリピ?」
パリピであれなら、別にリア充でもいい。
大体、仕事先の同僚と旅行だぁ? そんなのあり得るはずないと、私の中に残る前世、暗黒ネガティブ社畜思考が訴える。同僚なんてものは厄介ごとを押し付けるか足を引っ張るか蹴落とすか、大体そんなものだと。
異論はもちろん受け付けない。
ぐぐっと眉を寄せる私にエリックは何とも言えない顔をする。
「…まあ、リリアベルって昔から皆んなでワイワイするの苦手だもんね」
「苦手じゃなくて、嫌いなの」
「どっちでも同じだろ?」
「全然違うから」
「ふーん? でも別に積極的に関わる必要はないし、顔を合わせるだけじゃないか」
「そうなんだけどー」
頷きたくない心境にへニャリと眉が下がる。
とは言っても、これは本当に私の感情だけの問題なので、前世プラス今と、十分に大人な私は飲み込むしかない。
「取りあえずリリアベルの気持ちはさて置き、まずはウィリアムさんに言われたように部屋を決めてしまおう」
「………、そうだね」
元々乗り気でなかったから気が重いのか?
ここからでは粒にしか見えない、海ではしゃぐ彼らを見て気が滅入るのか?
もう一度軽く息を吐くと、「一旦戻るぞー」とローズマリーを呼びながら建物内へと向かうエリックを追う。
どちらにせよここで数日過ごすことはもう決定なのだ。悪あがきなど今更過ぎる。
(※) ロンドン橋落ちた(London Bridge Is Broken Down)/マザーグースより
□
【登場人物】
ウィリアム・マクミラン·····リリアベルの父方の従兄
トム·····最果館の使用人
ジョアンナ·····最果館の使用人
ジョン·····最果館の使用人、馭者
エリック・ダンシェル·····リリアベルの幼馴染、前世持ち(新米鑑識官、現場経験ゼロ)
ローズマリー・ダンシェル·····エリックの妹
リリアベル・グリーンフォス·····主人公、前世持ち(社畜)