面影は真実に1
アルフレッドの死から三年が経った。
時間の経過と共に人々がアルフレッドを悼む気持ちは以前より薄くなっていたが、ティアラは別だった。
アルフレッドへの想いは色褪せることなく、胸の中で息付き続けている。
「お嬢様、こちらのタルトなんていかがでしょう。とっても美味しそうですよ」
久しぶりにやって来た町の市場で嬉々としたボルメに話かけられ、ティアラはぼんやりと彷徨わせていた視線を移動する。
今日、アズミルにモナが帰ってきた。
そして明日、ティアラの所に遊びに来ると連絡があったため、こうしてなにか紅茶のお供になりそうなものを買いにきたのだ。
ボルメが指差しているのは木苺が使われたタルトだった。その隣にはモナの好物のマドレーヌがあり、どちらにするべきかティアラは返答に困った。
「マドレーヌも美味しいけど、タルトも絶品だよ。ほっぺたがとろけてしまうくらい美味しいって評判なんだから。ちょっと食べてみなって!」
女性店主からタルトの試食を勧められ、ティアラはほんの一瞬たじろいだ。しかし、すぐに口元に小さな笑みを浮かべて、それを受け取る。
「どうですか?」
「……た、確かに美味しいです。ボルメ、タルトを買っていきましょう」
問いかけてくる店主の眼差しから逃げるように、ティアラはくるりと背を向ける。ボルメが注文する声を聞きながら、僅かに息をついた。
三年前から何を食べてもいまいち美味しく感じないのだ。
今まで好きだった物も味気なく感じてしまっているほどで、先ほど口にしたタルトも店主が言うような感動はやっぱり覚えなかった。
買い物が終わればもう用事はない。タルトの入った紙袋を持つボルメと共に足早に離れようとする。
しかし、花屋の前で足が止まり、僅かに見える店内の棚に置かれたティールの鉢植えから視線が外せなくなる。
「お嬢様、ティールはしばらく買わない約束ですよ」
「……分かっています」
ティアラにとってティールの花は心の拠り所だった。花に囲まれていると胸の苦しさが和らぎ、アルフレッドとの良い思い出だけに浸っていられるからだ。
その反面、少しでも元気がなくなり始めてしまうとアルフレッドとの繋がりが断たれてしまう気持ちになり、ひどい恐怖に襲われる。
だから常に元気な花をそばに置いておきたくて、次々と買い足してしまう。
そんな理由から温室の中はティールで溢れかえっている状態なのだが、先月、それがイヴォンヌの知るところとなり、当分の間買ってはいけないと、禁止令を出されてしまったのだ。
買い過ぎたことは反省しているが、もうひと鉢欲しいと思うのをティアラは止められない。
じっとティールを見つめていると、どこからか女性たちの囁きあう声が聞こえてきた。
振り返るとすぐに、自分と同じくらいの若い女性たちがこちらを見てひそひそと話す姿を見つけて、自然と顔が俯いていく。
「お嬢様、気にしてはなりません。行きましょう」
ボルメも彼女たちの存在に気付いているのは、不機嫌な声音からはっきりとわかった。ティアラは小さく頷き、ボルメと共に足早に歩き出す。
町民たちから、自分がティールに取り憑かれた風変わりな令嬢と陰で言われているのをティアラは知っている。それはティールを買い集めていることがきっかけとなり広がったようだった。
ティールは花言葉こそロマンティックだが、花びらの青色からどことなく寒々しい印象を与える。
そして花自体が高価なこともあり、他のものとは別に分けられて並べ置かれるのが通常で、その特別感と近寄りがたさから、気高き花とも呼ばれている。
ティアラは三年前のあの日から、ずっと気持ちが塞ぎ込んでいる。
以前のように明るく笑えなくなり、加えてぼんやりとどこか遠くを見つめていて話を聞き逃すことも多く、それを高慢だと捉えられてしまうことも少なからずあるのだ。
そして、ティアラは自分に舞い込んでくる縁談をことごとく断り続けている。
中には断られたことを逆恨みし、「偉そうに」と社交場で陰口を叩いている男性もいるようで、それが大きな声となってティアラを責め立てている。
イヴォンヌ邸に戻り、自分とほぼ同時にボルメもホッと息をついたのを感じ、彼女にまで気疲れさせてしまった申し訳なさから、表情をさらに曇らせる。
「温室で休んでから行きますね」
「わかりました。あとで飲み物でもお持ちしますか?」
ぱっと表情を明るくしたボルメに、ティアラは首をゆるりと横に振る。
「私はひとりで大丈夫だから、ボルメもしばらく休んでいてちょうだい」
途端ボルメは心配そうに表情を強張らせ、それにティアラが力なく微笑み返したとき、「ティアラ」とラディスの声が響いた。
温室の方からやってきたラディスは軽くティアラを抱きしめたあと、ボルメが持っている紙袋を見て嬉しそうに笑う。
「いつもの場所にいないからどうしたのかと思ったが、買い物でもして来たようだな」
「お兄様、お帰りなさいませ。明日、モナが遊びに来るのでお菓子を買いに行ってましたの」
「そうか。明日はティアラの誕生日だからな。考えることはみんな同じらしい」
一昨年はもちろん去年も今年も、ティアラはアルフレッドの命日に近い自分の誕生日を憂鬱に感じていた。
しかし兄とモナは、むしろ誕生日を祝おうとその日に合わせてやってくる。
元気付けようという彼らの心遣いだと分かっているため邪険にはせずとも、祝いたくないティアラにとっては重苦しくてたまらない。
「お兄様も騎士団のお仕事で忙しいのですから、私のことは気にしなくて良いのに。暇な時に顔を見せてくだされば私は幸せなので、今後は無理なさらないで」
ラディスは騎士団の制服を脱いでいることからわざわざ休みを取って帰ってきているのが分かる。
ティアラが気まずくお願いするも、ラディスは肩を竦めただけだった。その求めに応じる気はさらさらないらしい。逆に、にやりと笑って楽しそうに報告する。
「俺も出かけてくるよ。実はプレゼントをまだ準備してないんだ。期待してくれて良いぞ」
にやりと笑っての報告に、思わず眉間にしわをよせたティアラだったが、やっぱりラディスは気にする様子もなくふたりを背にして歩き出した。
ため息と共に気怠げにうな垂れたティアラへとボルメも「荷物を置いてから、紅茶をお持ちしますね」と話しかけ、屋敷へと歩き出す。
みんなができるだけいつも通りのことをしようとするのは、ティアラにかつての明るい自分を取り戻して欲しいから。
早く立ち直るのを願っているのは気遣いを受けるたび感じていることだが、アルフレッドを過去にできないティアラにはどうすることもできない。
時間が解決してくれるとしても、まだまだ膨大な年月がかかるだろう。
小さくなった兄の背中をちらりと見てから、ティアラも温室へ向かい出す。
心の中にある残念な気持ちを息と共に深く吐き出した。今年の誕生日は、できれば兄にはアズミルに来ないで欲しかったのだ。
実は、祝う気分になれない以外に別の理由があった。ティアラは温室の扉の前で立ち止まり、入り口の段差に視線を走らせる。
そこは三年前の誕生日のあの日、一輪のティールの花が置かれていた部分でもある。
最後の贈り物だと思っていたティールは、なぜか去年の誕生日にも同じように置かれていて、ティアラをひどく動揺させた。
誰かの手によって意図的に置かれている。そう考えて思い浮かんだのは両親の顔だった。
父の前で、アルフレッドがティールの花束を贈る約束をしてくれたとティアラは泣き崩れている。そのため、娘を不憫に思った両親のどちかかがティールの花を贈ってくれたのかもしれないと。