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光と影8

「失礼しました」と触れていたアルフレッドの手からぱっと両手を離したが、手を引っ込めるよりも先に逆にアルフレッドに掴み取られた。


「来月、ティアラの誕生日だな。なにか欲しいものはあるか?」

「……いえそんな、欲しいものだなんて」


 ふるふると首を横に振りティアラは遠慮するも、泳がせ続けていた目にあるものが留まり、沸き上がった欲がつい飛び出しそうになる。

 口を噤んだティアラの視線を辿り、アルフレッドは思わず笑みを浮かべた。


「そうか。ならばティールの花束も贈ろう」


 今まさに思い浮かべていたものをアルフレッドに囁き掛けられ、ティアラは目を大きくする。

 凛と気高く咲き誇るこの青い花を贈る意味をアルフレッドはちゃんと理解しているのだろうかと疑問が浮かぶものの、それを問いかける勇気はティアラにない。

 軽く扉が叩かれ、外から「アルフレッド様そろそろ」と護衛の男性が小声で話しかけてくる。それにアルフレッドは頷いて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「誕生日にまた来る。それまで心の中に留めておいてほしいことがある」

「何でしょう」


 ティアラは歩き出した彼の後を慌てて追いかけながら首を傾げる。アルフレッドは戸口で振り返ると、ティアラの髪の毛先を救い上げ、にやりと笑った。


「ティールの花言葉を俺の気持ちに重ねて、その胸に」


 そのひと言で、ティアラの鼓動は大きく跳ねた。ただただ顔を赤らめて言葉を返せずにいるティアラの反応に満足げな顔をしたアルフレッドの手から、髪の毛先がするりと落ちていく。

「それではまた」と温室を出て行くアルフレッドを見送りひとりになってから、ティアラは両手で熱い頬に触れる。

 ティールの花言葉は「変わらぬ愛」。それにアルフレッドの気持ちを重ね合わせる。

 自分に愛情を抱いてくれていると思ってしまって良いのだろうか。

 自惚れだと思う一方で、そうだとしか考えられない自分もいて、触れた頬がどんどん過熱していく。


「れ、冷静になるのよ。ティアラ」


 自分自身に言って聞かせても、すっかり舞い上がっているためそれは無理ともうもの。

 ティアラはティールの鉢植えをひとつ手に取り、ふっと湧き上がってきた思いを決意に変える。

 誕生日に、自分からもアルフレッドを慕うこの気持ちをしっかり伝えよう。

 その時はできればティールの花のように凛とした態度で向き合いたいと、そんな想い込めてティアラは微笑んだ。




 しかし、落ち着かないまま日常を送り、誕生日まであと二週間と迫った時、予想もつかない速さで状況が一変した。

 ティアラはいつもと同じように温室で椅子に腰掛け、ぼんやりティールの花を眺めていた。

 すっかり冷めてしまった紅茶を口に運ぶと同時に、バタバタと足音を響かせて侍女のボルメが室内に飛び込んでくる。


「ど、どうしたの?」


 息が上がっていてなかなか言葉を発することが出来ないが、ボルメの深刻な顔色からただ事ではないと察し、ティアラは歩み寄る。


「落ち着いて。いったい何があったの?」


 肩にそっと乗せられたティアラの手を、ボルメがすがるように両手で掴み取る。


「お嬢様。どうかお気持ちを強く持ってお聞きください。先ほど王都より知らせが来ました」

「お、王都から?」


 尋常ではない雰囲気を伴って発せられた言葉に、ティアラの鼓動が重々しく響き出す。


「隣国に向かっていたアルフレッド様が……」


 ボルメは言い辛そうに瞳を伏せてしまい、そこから言葉が続かない。ティアラも焦りは募るのに、先を促すのが怖くて気が進まなかった。

 場に嫌な静寂が落ちた時、ギギッと扉が開き、イヴォンヌが姿を現す。

 ティアラは父へと体を向け、震える声で問いかける。


「アルフレッド様に、いったいなにがあったの?」

「山賊の襲撃に遭ったようだ。それでアルフレッド様が……命を落とされた」


 ティアラは大きく目を見開き、息をのむ。ほんの一瞬、世界が遠のいた。


「そ、そのような冗談はいくらお父様でも許しませんわ! だって、そんなはずがありませんもの! アルフレッド様が、……アルフレッド様がそんな」


 笑いかけた顔からすぐに表情が消えていく。突きつけられた事実は、到底受け止められるものではなかった。

 涙を流すボルメに父の悲痛な面持ち、そして自分の胸の痛み。

 目にしているもの、聞いた言葉、感じたすべてに打ちのめされるように、ティアラはその場に崩れ落ちる。


「ティアラ、しっかりしろ」

「嘘だと言ってください! お願いですから、お父様、嘘だと……おっしゃって」


 支えるように伸ばされた父の両腕を、ティアラは強く掴んだ。しかしどんなに必死に訴えかけても望む言葉が発せられることはなく、視界が涙で歪み出す。


「だってアルフレッド様は、約束してくださったの。誕生日にティールの花を贈ってくださると」


 大粒の涙を流しながらのティアラの言葉にイヴォンヌは苦しげに天を仰ぎ、ボルメは手で顔を覆い泣き声を漏らす。

 ティールを贈る意味は皆が知っている。そしてティアラのアルフレッドへの想いも。

 二週間後、何事もなければ、アルフレッドと愛を誓い、ティアラは最高の幸せを手に入れていただろうと想像がつき、余計切なくなる。

 大きく息を吐き、イヴォンヌはティアラの肩をしっかりと掴み、視線を合わせた。


「俺はすぐに王都へ向かう。葬儀が終わるまで帰らないだろう。ティアラも共に行きたいと思うなら準備をしなさい」


 ティアラは溢れ落ちていく涙を拭わず、ただ父を見つめ返す。

 認めたくないといくら叫んでも、行けばアルフレッドの死と向き合わねばならないだろう。

 叫びたくなる衝動と胸の苦しさに耐えきれなくなり、ティアラは手荒に頭を抱え込んだ。


「もちろん無理強いはしない。けれど後悔のない選択を」


 そう言って、温室を出て行ったイヴォンヌの後ろ姿が、あの日のアルフレッドの姿と重なった。歯を食いしばるも、ボロボロと涙はこぼれていく。

 逃げてはいけない。アルフレッドの所に自分も行かなくてはと、その思いだけでティアラは立ち上がる。

 しかし、アルフレッドと最後に過ごした温室でのひと時、胸が弾んだ言葉、夢中になって踊った輝く思い出が一気にティアラの胸に迫り、足を進めることは出来なかった。

 共に笑い合うことも、秘めていた想いを伝えることも、もうできない。

 ティアラは急に吐き気を覚え、震える指先で口元を覆う。

「お嬢様!」と繰り返し呼びかけてくるボルメの声が徐々に遠退き、闇に呑み込まれ、そのままティアラは意識を手放した。




 結局、気が付いたのは夜になってからで、その時はもう既にイヴォンヌは王都へ発った後だった。

 母のクラリサは、元々イヴォンヌと共に王都に向かう予定だったが家に残り、しばらくティアラのそばを離れなかった。

 その後、ボルメからアルフレッドの護衛として同行していたラディスも怪我をしたと聞き、ティアラは自分を責めた。

 素振りを見せないようにはしていても、母がラディスを心配しているのは痛いほど伝わってきたからだ。

 あの時倒れなかったら、アルフレッドの傍にはもちろんのこと、兄の元にだって行けたはず。

 ティアラは悔やみ、塞ぎ込む。しばらくベッドからでることもままならなかった。

 それから八日が過ぎ、イヴォンヌの帰宅で暗かった屋敷に灯りがともる。実家で療養するためラディスも一緒に帰って来たからだ。

 ラディスは真先に向かったのは、ティアラの部屋だった。

 服の下、腹部にはちらりと包帯が見え、顔もひどくやつれているというのに、「大丈夫か?」と心配の言葉をかけてくる兄にティアラは涙を浮かべた。



 そして、気持ちを強く持たなくてはという思いと共に、ティアラは十六回目の誕生日を迎える。

 朝、目覚めてすぐにティアラは屋敷を出た。明るくなり始めたばかりの空の下、早朝の肌寒さに時折身を震わせながら、不安に駆られた様子で庭を進んでいく。

 昨日僅かな時間ではあったが、ティアラはラディスに連れ出され庭を散歩した。少しだけ温室にも立ち寄ったのだが、それからずっと落ち着かないのだ。

 自分が床に伏せていた間、ボルメや他の使用人たちが交代で植物や花の世話を続けてくれていたのだが、昨日目にしたそれらは一様に元気がなかったのだ。

 体調や精神的な面に影響されてそう感じただけかもと考える一方、アルフレッドと交わした言葉が頭を過り、ティアラの胸をざわめかせる。


『誕生日にまた来る』


 アルフレッドは確かにそう言った。そして今日がその日だ。天に昇るその前に、彼の魂が訪ねてきてくれるのではと考えたら、居てもたってもいられなくなった。

 そしてティアラは、自分の温室がアルフレッドにとっても憩いの場所となって欲しくて、『いつアルフレッド様が立ち寄られても楽しむことができるよう、しっかり手入れしておきます』と約束したのだ。

 あの状態では、アルフレッドをガッカリさせてしまう。

 そんな思いに囚われ必死に進めていた足が不意に止まる。黒い影が温室の前を横切ったように見えたからだ。

 咄嗟に「誰?」と呟くも、すぐに頭の中で否定する。早朝のこの場所に用事がある人間など自分くらいだ。

 本当に魂となったアルフレッドが来てくれたのかもという考えに寂しく笑みを浮かべ、ティアラはゆっくりと歩き出す。

 アルフレッドのことを思い浮かべながら温室の扉に手を伸ばした瞬間、どきりと鼓動が跳ねた。

 扉の前に一輪の花が置かれている。震える手で摘み上げたのは、ティールの花だった。

 昨日は無かった。その上、花自体も手折られたばかりと言って良いほど瑞々しい。

 ティアラは慌てて周囲を見回す。先ほど目にした黒い影は、人だったのではと思い至ったからだ。

 しかし、再びその影を視界に捉えることは出来ず、ティアラはティールの花へと視線を落とす。


『ならばティールの花束も贈ろう』


 アルフレッドの言葉が胸を締め付ける。そんな訳はないと分かっているのに、どうしても逃れられない。

 ティアラはその場に崩れ落ち、涙を流しながらティールの花を胸元で抱きしめた。


「アルフレッド様」


 これはきっと、彼からの最後の贈り物。


「お慕いしております。これからもずっと変わらず」


 アルフレッドは生き続ける。

 姿は見えなくても、ずっとティアラの心の中で。




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