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光と影5

 

「そう決意したが、それも昨日までだ。今日からは一転して彼女の心を掴むために動き出すだろう。口づけひとつとっても、我慢する必要などないのだから」

「く、口づけ」


 思わず繰り返した言葉に、ティアラの鼓動が高鳴っていく。

 思い出したのは、屋敷に到着し、アルフレッドが挨拶をしに馬車まで来てくれたあのひと時。手の甲に彼から口付けを受けるのは初めてだったのだ。

 その行為に理由があるとしたら、それもラディスが言ったような理由が……。

 そこまで考えて、ティアラはぶんぶんと首を横に振る。そして「ダメよ、ティアラ。期待しちゃ」ともごもご自分に言い聞かせ、熱くなった両頬を手で抑えた。


「今、なんて?」

「なっ、なんでもありません!」


 慌てて飲み終えていたグラスをテーブルに戻し、先ほどと同じ果実ジュースを掴み取った。

 ゴクゴクと乾いた喉に流し込みながら、ティアラの視線は自然とまだ部屋の中心にいるアルフレッドへと移動する。

 そこで再び音楽が奏でられた。先ほどのような楽しげなものではなく、しっとりとした大人の雰囲気のある曲調に、ティアラは思わず眉根を寄せる。

 奏でられたのは恋をモチーフとした有名な曲。舞踏会でよく用いられ、大抵二分ほどで相手を変えながら踊り続けるのだ。

 来客の中の何組かは踊り出しているが、大抵は自分が踊るよりもアルフレッドが誰と踊るかの方に興味があるようで、人々は輪の中心へと熱い視線を注いでいる。

 数秒前まで期待に胸を膨らませていたティアラを嘲笑うかのように、嫌な予感が的中する。アルフレッドを取り囲んでいる人の輪の中からエーリルが進み出たからだ。

 お辞儀をし、じっと動かず熱い眼差しを送り続けるエーリルへと、アルフレッドが手を差し伸べた。

 その手にエーリルが手を乗せ、ふたりが踊り始めた途端、演奏の響きがやや強くなったようにティアラには感じられた。

「お似合いね」と周りから声が上がる。人々の中心で踊るふたりが眩しくて、ただ見ているしかできないティアラの背中をラディスがやや強い力で押した。

 前につんのめったあと、文句がちにティアラが振り返ると、ラディスが部屋の中心に向かって指をさす。


「羨ましいと思うだけで終わりにするな。行動しろ。アルフレッド様のそばまで行って、次は自分と踊って欲しいと訴えかければ良い」


 言葉でも力強く背中を押され、ティアラは覚悟を決める。視線をアルフレッドに定め、ゆっくりと歩き出した。

 頭の中が真っ白で訴えかける方法も思い浮かばないというのに、歩き始めた足は止まらなかった。

 彼とエーリルを囲む人々の輪へ辿り着くと、次にダンスを申し込みたい令嬢たちが他に遅れを取るまいと、輪の内側へじりじりと進み出ていく様子が見て取れた。

 自分も同じようしたいのに、人々が分厚い壁となっていてそれを突破すること自体が難しい。

 緩やかにターンしたのち、アルフレッドとエーリルの動きが止まる。

 体を離して向かい合い、優雅にお辞儀をする。名残惜しそうなエーリルからアルフレッドが視線を外し、体の向きを変えた瞬間、娘たちが彼の行く手に立ち塞がった。

 次は自分という視線を一身に浴び、アルフレッドはわずかに身を引く。

 ティアラはなんとか人垣を越えたくて右へ左へと行ったり来たりするが、すり抜けられるほどの隙間が見当たらない。

 ぴょんぴょんと飛び跳ねたその時、アルフレッドと目があった。


「失礼」


 アルフレッドはそう呟き、ゆっくりと歩き出す。自分に群がる女性たちの間を進み、どんどん近づいてくる彼の姿に、ティアラの鼓動も高鳴り出す。

 来客たちが脇へと逸れて出来た道を、迷いない足取りで歩いてきたアルフレッドが、ティアラの前でぴたりと立ち止まった。


「俺と踊っていただけませんか?」


 差し出された手と、美しく優雅な微笑み。それが自分に向けられたものだと咄嗟には理解できずそわそわと周りを見るティアラに、アルフレッドは笑みを深めた。


「ティアラ」


 優しく呼びかけられ、やっと現実だと受け止める。ティアラは頬を真っ赤に染めながら、震える声で「はい」と返事をし、手を乗せた。

 アルフレッドに軽く手を捕まれ、そのまま一気にティアラは引き寄せられる。あっという間に腰にはアルフレッドの大きな手が回り、ティアラも緊張とともに彼の肩に手を添える。

 ステップを踏み始めると同時に、ざわめきに溶け込んでいた音楽が一際盛大に奏でられ、ふたりを中心にした人々の輪が新たにできた。

 来客も、アルフレッドも、自分を見つめている。そのことへの恥ずかしさが、ティアラの緊張を加速させる。

 動きまでぎこちなくなったためか、ティアラはアルフレッドの足を軽く踏んでしまい、焦りまで生じた。


「もっ、申し訳ありません」


 思わず動きを止めそうになったティアラだったが、アルフレッドに滑らかな動きで引き寄せられ、何事もなかったかのようにダンスは続く。


「そんなに硬くならないで」


 耳もとで囁きかけられた声はとろけそうなほど甘く、くすぐったい。


「こんな大勢の前で踊るなんて初めてですから、緊張します」


 ティアラはそわそわしながら自分たちを取り囲む人々へと目を向ける。

 ほんの一瞬、エーリルの姿を視界に捉えた。

 表情をひどく歪めていることまできっちり見えてしまい、ぞわりと背筋を震わせたティアラの心に氷のような冷たさが広がった。


「だったらここには俺しかいないと思えば良い」

「無茶なこと言わないでください。そんなの無理です」

「いや。できるよ」


 アルフレッドが断言すると同時に、何か柔らかで温かなものが頬を掠めた。ティアラはハッとし視線を昇らせると、すぐに視線が繋がる。


「俺を見つめて。俺だけに集中して」


 強い輝きを宿したアルフレッドの瞳に、ティアラの心はいとも簡単に捕らえられた。

 目を逸らせぬまま踊り続けるうちに、不思議と周りが気にならなくなり、アルフレッドとのダンスに徐々にのめり込んでいく。

 そうなるとティアラの中に楽しさが芽生え、いつもの笑顔が戻ってくる。

 夢のような二分は、本当にあっという間だった。

 綺麗にターンし終えたあと、まだもう少し踊っていたいという切なさとともに、ティアラはアルフレッドと向き合った。離れなくてはと思うのに、繋がったままの手をティアラは離すことができない。

 不意にアルフレッドが視線を移動させ、微笑みを浮かべた。


「あぁ。無理しなくていいと言ったのに、イヴォンヌ伯爵も来てくれたのか」


 兄と共に人の壁の一部となっていた父が、アルフレッドに向かって頭を下げたのを見て、ティアラも「まぁ、本当だわ」と呟く。


「俺は明後日までここにいる。明日、こっそり会いに行ってもいいか?」


 再び狭まった距離にやっぱりドキリとしつつも、囁かれた言葉をしっかりと受け止めて、ティアラは微笑む。


「はい。お待ちしております」


 どちらからともなく繋いだ手に力が込められ、そっと離れていく。

 どこからから聞こえた「次は私よ」という声にティアラはハッとし、アルフレッドから視線を外す。急いで身を翻し、父と兄の元へ小走りで向かったのだった。



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