光と影3
ティアラは目を大きくさせてすかさず訂正を入れたが、ラディスに軽く首を横に振られたことでもどかしさを覚え、再び口を開く。
「女性たちは目をうるうるさせていたじゃありませんか。私を誘ってくださった男性たちはみんな一様に顔を引きつらせていました」
確かに、兄に挨拶をしにきた数人の男性から「良かったら」と声をかけてもらったが、気乗りはせずともラディスの妹だからとりあえず声をかけておくかといった様にティアラの目には見えていたのだ。
「それは俺が睨みつけたからだろうな。お前と踊ったら俺の逆鱗に触れそうだと恐怖でも感じたんだろ」
「どっ、どうしてそんなことを! みんなが楽しそうに踊っているのをひとりぽつんと寂しく見るはめになるじゃないですか。子供の頃なら耐えられましたけど、私ももうすぐ十六になるんです。お嫁に行ってもおかしくない年頃なのに、誰からも相手にされないのは悲しいし、寂しいし、恥ずかしいです」
言いながら、それはラディスのせいではないとティアラは切なくなる。
社交場で男性と語らうよりも自宅に引きこもって好きなことをしていた方が何倍も楽しく、これまであまり表に出て行かなかった自分こそが問題なのだ。
気乗りせず、時折舞い込んでくる縁談もすべて断ってきたため、話自体があまり来なくなってしまった。
最初はそれでも良かったけれど、結婚適齢期に入った今、このままだと自分はお嫁にいけないかもしれないとティアラは危機感を覚え始めている。
しかしラディスは妹の焦燥感など気付く様子もなく、さらりと続ける。
「俺は今日、ティアラの護衛としてついてきている。だからお前のそばでずっと睨みを利かせるつもりだ。それが原因で誰も寄って来ないなら、責任持って俺が一緒に踊ってやる」
「お断りします。踊ってもらえる相手が身内しかいないんだなって余計憐みの目を向けられますから」
ティアラが頬を膨らませ反論し、ラディスは仰け反りつつその必死さに苦笑いを浮かべる。
「おふたりはいつも仲睦まじい」
突然かけられた声にラディスは一瞬で表情を引き締め、すぐさま姿勢も正す。
「ロナルド王子。いらしていたんですね。もうお加減はよろしいので?」
兄妹の目の前に現れたのは、第二王子のロナルドだった。アルフレッドとは異母兄弟である。
それも一因なのか、背丈は兄と同じくらいでも、美丈夫で細身のアルフレッドとは真逆の印象を相手に与える。
鍛え上げられた肉体、浅黒い肌。アルフレッドが優雅さならば、ロナルドは荒々しさを纏った男である。
ラディスは先ほどアルフレッドにも見せた敬礼をし、目の前に現れたロナルド王子へとうかがうような目線を向けた。その態度をロナルドは小馬鹿にしたように鼻で笑い返す。
「体調不良なんて理由、参加したくないための嘘だと分かっているくせに」
指摘はあながち間違いではないらしい。ラディスは「そんなことは」と否定するものの、その口元は完全に強張っていた。
「でも、兄さんが花嫁を選ぶって聞いたら興味がわかないはずないだろ? さぁて、花嫁は誰かな」
ロナルドは面白がるように目を輝かせて周囲を見回しつつ、ぴたりとティアラで視線を停止させた。
二人のやりとりを傍観していたティアラは、ロナルドの興味が急に自分へと向けられたことにびくりと肩を跳ねさせてから、慌ててスカートの摘み、膝を曲げてお辞儀する。
「ロナルド様、お久しぶりです」
「あぁ本当に、ティアラの顔を見るのは久しぶりだ。もう少し積極的に社交場に出てきてくれたら、会う機会も増えてもっと仲良くなれるのに」
「す、すみません。賑やかな場所はあまり得意ではなくて」
言い寄るようにロナルドが一歩距離を詰めてきたため、自然とティアラの足も後退する。
賑やかな場が苦手な理由は、華やかな人々や空気に圧倒されてだけではない。それほど親しくないのに、適度な距離を保たず近づいてくる男性に対して苦手意識があるためでもある。
ティアラにとってその代表がロナルドであり、苦い思いが顔に出ないよう懸命に笑みを浮かべた。
その甲斐あって、ロナルドはティアラの作り笑いに蕩けた顔をする。
「まったく王子ってやつは、どうして花嫁を娶る年が決められているのだろう。兄さんより先に選べないのは辛い」
嘆きに対してうまく反応できずにいるティアラへとロナルドは顔を近づけ、耳もとで囁きかけた。
「兄さんが選ぶのがティアラじゃないと良い。君は俺のお気に入りだから」
とっておきの秘密を打ち明けるかのように響いた言葉に、とうとうティアラの顔が強張った。
デコルトハイム国の王子は、二十歳で第一夫人を迎える決まりになっていて、それまでは意中の相手がいても結婚はできない。
過去には、弟と恋仲だった女性を兄が自分の花嫁に選び、それが原因で争いが起こったなどという話もあるくらいに、弟王子にとっても兄の花嫁選びは重要な問題なのだろう。
とは言え、何度顔を合わせてもティアラはロナルドに親しみを感じない。
横柄な態度で市民を困らせたり、女性を手荒に扱っている様を目にしたこともあるため、いくら甘く囁きかけられても、心が受け付けようとしないのだ。
嫌悪感のままにティアラが大きく一歩後退し、ロナルドが眉をしかめた。機嫌を損ねてしまったかもと内心ひどく焦りながら、ティアラは再び顔に笑みを貼り付ける。
「わ、私のような面白みのない人間を気に入っていただけて光栄です。……そ、それにしても、今日は暑いですね。喉が乾いてしまったわ。なにか飲み物をいただこうかしら」
ちらちらとティアラに視線を送られ、ラディスが苦笑いで間に割って入ってくる。
「挨拶待ちの方もいらっしゃいますので、私どもはこれで失礼いたします」
言いながらラディスに背中を押され、ティアラはその場を離脱する。
咄嗟に「おい」とロナルドが呼び止めるも、離れた兄妹に入れ替わって父娘の客人が目の前に進み出てきたため、その場に足止めをくらう。
兄妹はその様子をちらりと振り返りつつも、進む速度は緩めない。
「ロナルド様は体調不良ゆえパーティーには参加しないと聞いていたが、この地で行うと決まった途端、回復したようだ。わざわざ俺の所に来てお前の出席を確認したほど、気に入っているらしい」
ティアラは喉元を押さえながらゴホンゴホンと咳払いし、ラディスの喋りを邪魔する。
「本当に喉が乾きました」
ティアラのうんざりとした呟きにラディスは再び苦笑いしてから、大広間に入る直前で妹の細腕を掴んで立ち止まる。
「ここから先、憂鬱な顔は禁止。今日はアルフレッド様の誕生日だからな」
この場が花嫁選びを兼ねているかどうかの不安はあるとしても、愛しい彼へ祝福を贈るのに躊躇いはない。ティアラは真っ直ぐにラディスを見つめ返し、こくりと頷く。
「もちろんです。アルフレッド様に心からの祝福を」
顔を見合わせたままそれぞれに微笑んで、響き始めた弦楽器の音色に誘われるように兄妹は歩き出す。
大広間に入り、ティアラは思わず「わあ」と声を発する。入り口近くのテーブルにはたくさんの料理や飲み物が並べられていたからだ。
立食だったりテーブル席に着いたりと、招待客たちは各々にパーティーを楽しんでいる。
壁際の楽士たちが奏でる明るい音楽に気分が上昇し、様々な綺麗な色の飲み物が並んだテーブルへと、ティアラは弾むような足取りでラディスと一緒に進んでいく。
お酒の入っていないものを選んで手に取った時、部屋の奥の方で人々のざわめきが起こった。