未来を切り開く覚悟1
帰り道の途中で降り出した雨に打たれながら、ティアラはイヴォンヌ邸へと戻った。馬小屋で白馬を撫でている所へ、イヴォンヌが慌てふためき飛び込んでくる。
「こら、ティアラ! いったいどこに行っていたんだ!」
「気晴らしに馬を走らせていたら、こんな時間になってしまいました」
アレフレッドと別れた後、ティアラはすぐにペピを離れた。
ティアラの気持ちを感じ取ったのか白馬の足取りも重く、帰りは行きよりも長い時間がかかってしまった。そのため、外はもうすっかり日が暮れている。
ふふっと力なく笑ったティアラをイヴォンヌは抱き寄せた。
体はすっかり雨で濡れているため慌てて身を引いたが逆にきつく抱きしめられ、続けてホッと息をついたのが聞こえてきて、ティアラはイヴォンヌの腕の中で大人しくなる。
「なにかあったんじゃないかと心配したじゃないか」
「お父様、ごめんなさい」
ふたつのしんみりとした声が小屋の中に響いた。
温室にいるはずのティアラがいなく、ロナルドのこともあったため、気が気じゃなかった。そんな思いが、抱きしめる父の腕の震えから伝わってきて、ティアラはそっと目を閉じる。
「ティアラが食堂を飛び出していった後、ロナルド様から求婚したと聞いた。正直に答えて欲しい。ティアラはロナルド様のことをどう思っている?」
しばらく父の温もりを感じていたが、ぽつりと紡がれた言葉にハッと目を開ける。静かな面持ちでティアラはイヴォンヌと向かい合った。
「申し出をお受けしたいと思っています。私はロナルド様の元に嫁ぎます」
「本気で言っているのか?」
「もちろんです」
ティアラが声を強張らせながらもはっきり肯定すると、イヴォンヌが渋い顔になる。
「不満なのですか? 娘が次期国王になるお方とご縁を結べるというのに」
「あぁ、不満だ」
まさかの返答にティアラは目を大きくし「お父様!」と厳しく嗜め、人がいないのを確認するような視線を戸口に向ける。
誰かに今の発言を聞かれ、王子を快く思っていないなどと噂が立てられたら、イヴォンヌの立場が危うくなるかもしれない。
ひやりとし青ざめたティアラとは違って、イヴォンヌは陰鬱な表情を崩さない。
「ティアラがロナルド様に気に入られているのは昔から薄々感じていた。いずれ話がくるだろうと覚悟もしていたが、もう少し先の話になると思っていたんだ。最近はオークス伯爵の娘と懇意にしているようだったから。まさかこんな展開になるなんて」
「エーリルさんと?」
思わず名前を呟くと、三年前のアレフレッドの誕生日での出来事がティアラの脳裏に蘇ってくる。
あの時はアレフレッドを巡る恋のライバルだった彼女が、今またロナルドとのことでも絡んでくるとはと、なんだか可笑しくなってティアラは小さく笑みを浮かべた。
「直に知るだろうから、今話しておく。ロナルド様は今回、妃をふたり娶るつもりでいるようだ」
「ふたりですか? もしかして、それが私とエーリルさん」
「その通りだ。ロナルド王子はティアラだけを欲しいている様子だったが、……しかしアレフレッド様が亡くなってから鬱状態に陥っているお前では、第一の妃、正妃には相応しくないのではとオークス伯爵が反発し、代わりに自分の娘を正妃に推した」
王や王子が何人もの妃を持つのは珍しくない。ただの侍女だった身分の低い女性が見初められ妃となった例もあるくらいに、気持ち一つで妃の数は増えていく。
しかし、正妃となると話は別だ。王が国民の前に出る時、必ず正妃はその傍らに寄り添い立つ。そのため、国民が王の妃と認識するのは正妃のみと言っても過言ではない。第二妃以降は影の存在として、表に出ることがないからだ。
子をなせば、正妃は賢母の象徴としても慕われるようになる。
だからこそ、より相応しい女性が求められ、必然的に幼い頃から教養を叩き込まれてきた家柄の良い娘が多く選ばれてきた。
しかし、家柄が申し分なくとも、ティアラに反対意見が出るのは当然だった。
正妃に多くの重圧はつきもので、アレフレッドのことで心を病み引きこもっていたティアラ自身に、それに耐えられる強さはないと見なされるからだ。
「エッルム王もお認めになり、周りも正妃にはエーリル嬢がふさわしいだろうという意見で一致した。ロナルド王子は、正妃を迎えて無事男児が誕生したあとにティアラを娶ればいいだろうと諭されていたのだが、どうしても待てなかったようだな」
イヴォンヌは呆れたように肩を竦める。ティアラも自分への執着を露わにしたロナルドの態度や表情を思い出し、憂鬱さを募らせた。
「前例のない、一度にふたりという点にオークスは不満を覚えただろう。しかし、その条件をのみさえすれば正妃がエーリル嬢でもロナルド王子が首を縦に振るというのなら、これ以上下手に反対せず、ここで手を打った方が良いと考えたのだろうな」
そっと肩に手を乗せられ、ティアラはイヴォンヌと見つめ合う。冷たくなった体に、手の温かさが染み込んでくる。
「まだアレフレッド様を思い続けているお前をロナルド様の元に嫁がせるのは心苦しい。立ち直るための時間として、せめて世継ぎが産まれるまではティアラをそうっとしておいてもらえないかと、王様に申し出ようかと思っている」
王様の言葉は絶対だ。分かってもらえたならこれほど強い味方はいない。しかし思い通りに行かなくなった時、ロナルドがどんな行動に出るかと想像すると怖くなる。
ティアラはイヴォンヌの大きな手に自分の手を重ね置き、力強く首を横に振る。
「お父様が心を痛める必要はありません。こう見えて、たとえ二番目でも同時に妃になれるなら、お父様に肩身の狭い思いをさせずに済むのではと、私は喜んでいるのですから」
イヴォンヌの大きく見開かれた目に、徐々に切なさが入り混じっていく。胸の痛みを無視して、ティアラは続ける。
「確かにアレフレッド様を忘れられません。けれどいくら思い続けても、アレフレッド様はもういないのです。いないのなら、誰の元に嫁いでも同じ。だからどうか心配しないでください。私は与えられた場所で生きていけます」
重ねた手でイヴォンヌの手を掴み、そのまま押し返した。肩から温もりが離れ、ティアラの心が再び冷えていく。
「今日は疲れました。もう部屋に戻っても?」
「あぁ」と返され、呆然と立ち尽くしているイヴォンヌからティアラは視線を外した。
そのまま背を向け小屋から出て、雨の中を進む。屋敷に入ると同時に、今にでも泣き出しそうな顔でボルメが走り寄ってきた。
「このままでは風邪を引いてしまいます。はやくお着替えを」
急かされるまま自室に戻る途中で、ボルメの足が止まった。腕を掴まれていたティアラも俯いたまま立ち止まる。
「お嬢様、泣いていらっしゃるのですか?」
そう問われ、息をのむ。顔を覗き込むボルメから視線を逸らせぬままに、ティアラは口元に笑みを浮かべた。
「違うわ、外は大雨なの。涙じゃないわ」
言い切る前に、目から涙が溢れ落ちていった。それに気づき、ティアラは慌ててボルメから顔を逸らし、自室に向かって歩きだした。




