光と影1
エッルム王が治めるデコルトハイム国。国の中央に位置する王都よりも北東、馬を走らせ二日ほどの場所にある緑豊かな田舎町、アズミル。
この地を管理するイヴォンヌ伯爵の館、二階の西側の部屋にソワソワと落ち着かない少女がひとり。
「ねぇ。どう? 変じゃない?」
ティアラは姿見の前でくるりと一回転する。続けて鏡へと自分の顔をぐっと近づけて、ちょっぴりうねっている前髪を摘み、「あぁどうしよう」と嘆きの声を上げた。
年は十七。陶器のような白い肌、蜂蜜色の瞳はぱっちりと大きく、ピンク色の唇は色艶もよく、愛らしい顔立ち。
背中の中程まで伸びた瞳と同じ蜂蜜色の髪を今は緩く編み込み、花の形を模したお気に入りのサファイアの髪飾りが華やかに演出している。
いつもは動きやすさを優先して、飾り気のあまりないワンピースを着ているが、今日は違う。
少しだけ背伸びをし、ちょっぴり胸元の開いた淡い紫色のドレスを身にまとっている。
ウエストも絞られ、女性的な体のラインを強調したもので、……ティアラにとって勝負服と言っても過言では無い。
「大丈夫です。とっても可愛いらしいですよ」
ティアラの質問に答えたのは、そばに控えている侍女ボルメ。
もうすぐ十六歳の誕生日を迎えようとしているティアラの倍の年月を重ねているだろうボルメは、わずかに曲がっている青く輝く花の髪飾りにそっと手直しを入れながら微笑みかけた。
不安な心に染み入るように返された朗らかな声と柔らかな表情にティアラは頬を赤くする。
「本当? そ、それなら良いけど。……久しぶりに彼に会うんだもの。私だっていつまでも子供じゃないって、立派な淑女だってところを分かってもらわなくちゃね!」
お礼を言いつつ、ティアラは嬉しそうにはにかみ、ボルメの腕をバシバシ叩いた。
ボルメは「お嬢様、痛いですよ」と眉根を寄せるも、ティアラの不器用な照れ隠しが無邪気で可愛らしく思え、微笑みを浮かべる。
ボルメに褒められてもティアラのソワソワは解消しない。再び室内を行ったり来たりしていると、コンコンと扉が叩かれた。
「失礼する。ティアラ、準備はできたか?」
開かれた扉の向こうから顔を出したのは、騎士団の藍色の制服に身を包んだティアラの兄、ラディス。華奢な妹とは真逆で、背も高く、日に焼けた肌は筋肉質でたくましい。
屈強な男という見た目はまさに事実を物語っていて、実際ラディスは腕が立つ。王立の騎士団に所属し、二十歳という若さにもかかわらず副団長の役目を負っているほどだ。
「お兄様! もう時間ですか? わ、私、どこかおかしな所は?」
「おかしいのはいつものことだ。簡単には直らないから、諦めてさっさと降りて来い。出発の準備はとうにできている」
「そっ、それはどういう意味ですか!」
ラディスの物言いにティアラは肩を怒らせ、そして泣きそうな顔をする。表情をころんと変える妹にラディスはふふっと笑い、「早く来いよ」とだけ声をかけ踵を返した。
ひとりさっさと部屋を出て行ってしまった兄に、置き去りにされたかのような焦りを一気に募らせる。ティアラはボルメと向き合い、温かな手を両手でぎゅっと握り締めた。
「行ってくる!」
真剣な顔、まるで決意表明のごとく響いた声に、ボルメは口元を柔らかく綻ばせた。
「きっと、アルフレッド様と素敵なひと時が過ごせますよ。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ボルメ、ありがとう」
ティアラは機敏に身を翻して、パタパタと足音を響かせながら自室を飛び出していく。それに「あらあら」とボルメの朗らかな声が続いた。
ほんの数秒前まで、自分がどう見えているかを気にしていたというのに、すっかり淑女という言葉が頭から抜け落ちてしまっているようだった。
しかしそれもまたティアラらしくて愛らしいと、ボルメはひとり笑みを浮かべた。
階段を降り切った所でティアラはラディスに追いつき、並んで屋敷から外へ出る。
玄関先に停められている馬車の手前で足を止めると、繋げられた二頭の馬の傍でぼんやり立っていた御者がふたりに気付き慌てて走り寄ってくる。
ラディスは「待たせた」と声をかけつつ、大きな車輪をつけた四人ほどが向き合って座れる箱の中へと早々に乗り込む。
ティアラからも申し訳なさそうに「遅くなりました」と囁きかけられ、御者はとんでもないと首を横に振る。
逆に、ティアラを見つめてほうっと息を吐き、「お嬢様、いつもにも増して素敵です」と微笑みかけた。
「素敵だって褒められちゃった」
向かいに腰掛けたティアラから嬉しそうに報告され、ラディスが半笑いで肩を竦めると、御者台に移動した御者が手綱を振るい、馬車が動き出す。
屋敷からそれなりの賑わいをみせる中央広場までは幾分のんびりとした速度で進み、そこから町の北側へと続く木立に入ると蹄の音が強く早く響き出す。
ここまで来ると目的地までもう少し。待ちきれないという期待や楽しみな思いと、約半年ぶりにアルフレッドと顔を合わせることへの緊張で、ティアラは落ち着きなく何度も座り直す。
ラディスは腕を組んで深く腰掛けながら眠たそうに目を細めていたが、妹のソワソワした様子に対し、ため息混じりに呟く。
「落ち着け。今日のアルフレッド様はいつもここを訪れる時とは違って忙しい。話だってできるかどうか。去年のように相手をしてもらえなかったとしても、ヘソを曲げるなよ」
「分かっています。所詮私は、デコルトハイム国第一王子の誕生日を祝うために集まった大勢うちのひとりに過ぎないってことくらい、ちゃんとわきまえています。王子様相手にいつもの調子で気安く話しかけようものなら、確実に屋敷から追い出されるわ。それだけは避けなくちゃ」
頭では分かっているが、実際、言葉を交わすことが叶わなかったら去年同様盛大に落ち込むだろうことも予想できた。
ティアラがアルフレッド王子に想いを寄せているため、冷静になるのがなかなか難しいのだ。
小さな窓から流れ行く景色を見つめて、ティアラはこっそり肩を落とす。
自分と同じ貴族相手でも難しいというのに、よりにもよってどうして自分は次期国王と目されている高貴なお方に恋をしてしまったのかと、目の前に立ちはだかる壁の高さが恨めしく思えた。
しかしそんな気持ちも、立派な屋敷を視界に捉えた瞬間、弾け飛ぶ。
木立の向こうに現れた三階建ての洋館は、王族がこの地に狩りをしに来る時に使用している別宅で、実はティアラも何度かアルフレッドにこっそり招かれ屋敷の中に入ったことがある。
今日はアルフレッドの誕生日。いつも城内で催されていたパーティーが、今年はここで行われることになり、ティアラもお誘いを受けたのだ。
自分が王都へ赴くよりも、数日でもアルフレッドがこの地に滞在してくれた方が、より多くの時間を共に過ごせるのではとティアラは胸を弾ませた。
しかし程なくして、同年代の若い男女が招かれたことからアルフレッドの花嫁選びも兼ねているのではという噂が耳に入り、それからずっと気が気でない日々を送っていたのも事実である。
「ねぇ、お兄様」
呼びかけると同時にラディスと目が合い、ティアラは視線を揺らす。出かかった言葉を飲み込み、「なんでもない」と無理やり笑みを浮かべて首を横に振った。
実はつい先日、召使いたちが花嫁選びの噂の続きを話しているのを耳にしてしまったのだ。
彼女たちはパーティーの準備をしに先にこの町へと入った城の侍女たちと話す機会があったようで、その時、既にアルフレッドの花嫁候補はふたりにまで絞られていると聞いたらしい。