桜庭先輩と朽葉クン
僕は、勝ったはずだった。
勝ちを確信していたはずだった。
ジャンケン程度に必死すぎると思われるかもしれないけれど、僕は割と全力で思考していた。試行していた。
けれど。
「形勢逆転だね、朽葉クン」
先輩は笑っていた。引き攣った僕の苦笑とは対象的な────朗らかで柔らかい微笑を。
「詰めが甘かったようだね」
「爪が甘い………。まさか特殊なネイル………?」
「ストップ冴月。これ以上僕の頭を混乱させないでくれ。あと、誰も甘味料入りのネイルアートの話なんてしてないからな?」
とりあえず冴月を黙らせてみたけれど、腹の底からどうしようもない笑いがこみ上げる。
なぜだ?
なぜこうなった?
「策士策に溺れる────皮肉だよね」
「どうして…」
信じられない。けれどどこかで────予想していた。
否、期待していたと言うべきか。
きっと、先輩は何かを仕掛けて来るだろうと。
きっと、先輩は何かを仕向けて来るだろうと。
今────僕の、僕らの状況は。
「勝ったのは私と、わかばと、朽葉クンだね」
────ジャンケン……
僕はグー。慧悟はチョキ。冴月はチョキ。先輩はグー。龍宮さんはグー。
────慧悟と冴月の脱落。
それは即ち、状況が2対1になったことを意味する。
僕VS先輩と龍宮さん。
「直ぐに気がついたよ、君が何を考えているのか」
慧悟が常に僕に負け続ける。
それが僕の考えた方法。
僕の天秤が導き出した、安全確実な最適解。
「そして、千景ちゃんは常にチョキを出し続ける」
「…………!?」
思わず冴月に目を向ける。
「わ……本当だ、なんにも考えないでチョキ出しちゃってます……」
「いや……一番驚いてるのお前かよ……」
先輩は得意げに指を立てた。まるで推理を披露する探偵のように。まるでタネを明かすマジシャンのように。
「だからね、わかばの出す手も私に合わせてもらったんだよ。そうすれば、私が勝つ確率はゼロじゃない。少なくともキミ一人にさえ勝てばいいんだからね」
僕らの計略は、策略は、謀略は、完膚なきまでに看破されていたということなのか。
これじゃあ本当に、策士策に溺れるじゃないか。
笑えないな。
図書室の隅に座るミッチーにすら笑われているような気がしてきた。
何故か今日の彼は学ランを肩から羽織っている。
「よく見てますね……僕のこと」
「そうかな。そうかもね」
「そんなに話したくないですか?」
「今から交渉に持ち込もうって?それは流石に悪足掻きじゃない?」
………バレてるよ。
「んー、でも話したくないって言うのは違うかな。どっちかって言うと───『知りたい』って思う欲求のほうが強いかな」
「そんなにですか?僕のことを?」
先輩が出した条件は、いうなれば僕の情報だった。
もっと格好つけるなら、それは所謂僕のバックボーン。
僕が如何にして僕になったのか────青春を拗らせたような、アイデンティティを捻じ曲げたような、そんな問い。
「だいそれた秘密なんてものじゃないですし、知って楽しいものでもありませんって」
「それは私が知らなくていい理由になるの?」
「ははっ。まるで好奇心モンスターじゃないですか。笑えないほど下らない事情ですよ」
『知りたい』────それは本来僕のほうが問うべきものだろう。
あの日、見てしまった先輩の涙。
あの映像が、僕の脳裏に焼き付いて離れない。剥がれない。
「秤……止めとけ」
急に割り込んできた、慧悟の珍しく静かな声。
僕にだけ聞こえるような、周りに配慮した声。
「え?」
「それ以上は止めとけ。自分が傷つくだけだ」
僕は測る。
僕は量る。
僕は計る。
そして分析する────ああ、もしかしてまた、要らない事を言ったのだろうかと。
「ごめんね、慧悟」
小声で詫びる。これも周りに聞こえないように。
「謝んな」
また怒られた。僕も努力が足りないのかもしれない。
「じゃあ再開しようか」
先輩が言った。
「ジャンケン……」
要らない描写は省いて結論から。
少なくともジャンケンにおいて、僕は負けた。
先輩は僕と同じ手法を用いた。すなわち、決して負けないやり方を。
楽に勝てるとは思っていなかったけれど、やはり厳しい勝負になるのかもしれない───天秤は、冷酷に冷徹に冷厳に、水平に戻っていく。