先輩の仮説
「私が思いついたのは少し違う仮説かな」
そう言った先輩は椅子を立って歩き出す。推理を語る探偵のようだと思った。
「実は毒はペットボトルの中に入っていたわけではなかった、というのはどうかな」
面白い仮説だ。僕は先を促した。
「未開封のペットボトルに毒を入れるのは案外難しいよね。さっき朽葉クンがそれに挑んでたけど」
そうやって人の失敗をあげつらって。
よし、絶対にこの人の仮説を打ち砕こう。
「じゃあどうやって毒を入れたんですか?」
ニッ
先輩は笑った。悪戯っぽい笑みだった。
「毒は被害者の皮膚から死に至らしめたんじゃないかな」
「皮膚から?つまり被害者が触ったところに毒が塗りつけてあった。──そういうことですか?」
我が意を得たりとばかりに先輩は頷いた。
「そういうこと。理解が早くて助かるよ。そう、例えばペットボトルの外側とか本の背表紙とか」
ペットボトルの外側ね。僕の仮説と天秤にかけても信憑性は段違いに高い。
「一説ではフランスの皇帝ナポレオンの死の原因は本の背表紙に使われていた塗料だって言われてるくらいだよ」
「そうなんですか。初耳です」
僕は素直に感心した。先輩はすごい。これも頭の中で再現したのだろうか。僕には真似できない芸当だ。
「けど──その仮説にも穴がありますよね」
先輩の仮説はシンプルで、きれいに整合性がとれている。だから、あまり言いたくないのだけれど僕も奢りたくはない。
「先輩は、ペットボトルの外側とかに毒が塗られていたと言いました。けど、それだと違和感が感じられない程度の毒しか塗れません。本にしても同じですがその程度の毒で、しかも皮膚から染み込む毒で人が死ぬでしょうか?」
僕は続ける。
「しかもペットボトルにしろ本にしろ長い時間触れていたわけではないはずです。しかも触れる場所は手に限られる。
もっと言うなら効き目も遅いはず。図書室で毒に触れて、そんなに短時間で毒が染み渡るはずがない」
確率を天秤にかけても、被害者が死ぬ方には天秤が傾かない。
「ずっと前から触れていたかも」
「それなら弁当に入れても結果は同じです。ミステリ的にも犯人的にもわざわざそんなことしないでしょう?」
「顔中にスリスリなすりつける変態だったかも」
「ジョジョ4部ラスボスの亜種ですか?被害者より犯人のほうが似合いますね」
「むぅ。負けず嫌いめ」
ワオ。どの口が仰ってるんだろう?自分のこと思いっきり棚に放り投げるじゃあないですか。
「でも、どうやって犯人は密室を作り出したんでしょう?」
仮説ならいくつか浮かんでいるけど、そのどれもが決定打に欠ける。天秤の重みが拮抗して水平になっている状態だ。
「そもそもどうして、あの人は図書室の前にいたんですか?」
「あの人って、密室の原因の人?」
この話の中で、図書室が密室になっているのはこの人のせいだ。この人がいなければ事件は至極簡単なものになる。
「それは分からないんだよ」
「え…」
「それも探偵役が推理ショーの中で暴くつもりらしい」
最悪だ…。絶対重要じゃん。これを書いた人は相当ろくでもないな。
「そこにキーがあるとしたら…」
先輩が呟いた。絶対そこにキーがありますよね。メタ的に考えて!
………ん?ちょっと待てよ…だとすると……
僕が思い浮かべたいくつかの仮説。
真実味の天秤が水平になっている仮説たち。
そこにこの条件を加えると…
────天秤が、傾いた
「「なるほど」」
先輩と僕。2つの声が重なった。