朽葉秤と桜庭奏
「ずいぶん勝手なこと言ってくれるな、慧悟」
「悪く思うなよ秤。桜庭先輩にせがまれてな」
「せがむって…言葉のチョイスに悪意を感じるね」
まるで私が幼女のような。
「人のことを血の通ってないみたいに。ジョークが過ぎるぞ」
「冗句だよ。あんまり本気にしないでくださいよ、先輩」
「あんまりどころか一ミリも本気にしないで下さい」
私はほんの少しだけ安心した。
知らないことは絶望的に多いと思い知らされたけれど、それでもやはりここにいるのは私の知る朽葉秤だ。
そう───あくまでほんの少しだけの安息の嘆息に過ぎないのだけれど。
「慧悟、結局のところ僕に何の用があるんだ?何か用があってこんなに居座り続けたんだよな?」
「?ないぞ?」
「ただ意味もなく先輩と駄弁ってただけかよ!」
「ア────ハハハっ」
思わず笑ってしまう。
確かに。私が知っている朽葉クンは1面に過ぎない。
彼の深い部分については、私はどうしようもなく何も知らない。
けれど同じくらいどうしようもなく、私は朽葉クンの1面を知っている。
笑って、突っ込んで、推理して、笑わせる。
──────そんな朽葉クンを、私はどうしようもなく知っている。
例えそれが方程式の最適解でも。
例えそれが合理主義の答えでも。
私は────それが朽葉秤だと言い張れる。
「コーラで放火?一体どうやって?」
雨上は未だ疑わしげな顔をしている。
「一応、理論的には可能なはず」
「だからどうやってだよ」
「コーラというか、正確にはそのペットボトルを使ったやり方だ。───しかも、実際に全国で多発してる」
「???」
疑問符を増やした雨上。
僕が説明しようとしたときだった。
ブー
スマホが小刻みに一度だけ震える。
「先輩だ」
「え?桜庭さん?」
『遅くない?』
「……………」
何か察せられてるのだろうか。
けれど、僕がこれを解決するのはもう少し時間がかかりそうだし、何より先輩が隠していたことを解き明かしていると本人に伝えられない。
「待てよ、そう言えば慧悟が図書室に行くとか言ってたな」
たまにはあのジョーカーにも役に立ってもらうとするか。
メッセージアプリを開く。上の方の慧悟のアイコンを発見。相変わらずふざけた名前にしている。
『オー慧悟〜OK?GO!〜』
やかましいわ。
『至急図書室へ急行。時間稼げ』
送信。
「……………」
いやまさかこれだけでは引き受けてくれないだろう。
『対価にミスド』
よし。これで60分は稼げるだろう。
「小学校で実験しなかったか?虫眼鏡で紙を焦がす実験」
「ああ、確かにやったが、それに何の関係が?」
「察しが悪いな。それと同じことがペットボトルでも起きたとしたら?」
「────!?」
信じられない。そんな表情。
けれどこれが僕の考え得る最適解。
すべての条件を満たす、最良の近似値。
「───収れん現象。毎年何件か起きている火災の原因だよ。そしてこれで、先輩の評価の説明がつく」
「?どういうことだ?」
「考えてみてくれ。犯人が何をした?ただ本に毒を塗っただけ。そして恐らく、被害者に飲み物を勧めただけ」
それが未必の故意であろうと何であろうと、殺意を立証できない。
「だからこれが、驚天動地のトリックなんじゃないかな?」
一息に説明し終わって、僕は本題に入る。僕がこの事件の謎を解いた、真の目的を。
────「しばらくここで、こいつらを読ませてくれないか?」
少しして、慧悟から連絡が来た。
『お前の話になった』
僕は返す。
『一部だけなら話ていいから、あと少し時間を稼いでくれ』
『ミスド追加な』
もう少し。もう少しだ。
────もう少しで、先輩の意図が掴めそうなんだ。
僕はあまり感情で動いたりしない人間だと思う。
激情にかられることもなければ、熱情に動かされることもない。
きっと僕の心は、とうしようもなく合理的にできているんだろう。
血の通う間もないくらいに。
別の何かを、差し挟む間もないくらいに。
だからきっと、この気持ちも何かの最適解で。
だからきっと、この心も何かの近似値で。
そしてきっと、これも何かの模倣なのだろうと思う。
僕を今動かしている義務感。独善的と誹りを受けるべき感情も、きっと何かの偽物なのだろう。
僕のこの───下劣にして下等なる愚劣な愚問も、本物と呼ぶべきものではない。
───先輩はなぜこれを僕に隠したのか?
そんなことはどうしようもなく先輩の事情で。
僕には救いようもなく関係のないことだけれど。
僕は陳腐で腐敗した退廃的で自分勝手な義務感から、それに踏み込もうとさえしている。
全く笑える。
慧悟ならこう言うだろう。下らないジョークだ──と。
僕もそう思う。
僕はこんな結論を、秤で量って測って計って導いたんだから。
まるでそれが正しいことだとでも言うように。
先輩が泣いた理由を探って、解決しようとでもするように。
全く笑えない。
きっと今も、慧悟は嘘をついているのだろう。
多分は一部は本当だろうけれど、それ以外は全くの虚構を。
アイツのことだ。僕が変わったのが6月だとでも言っているのだろうか。
そしてきっと、先輩はそれを見破れない。
あいつが────凪霞慧悟が本気で嘘を吐いたなら、それを見破ることなんて誰にもできないのだから。
なぜならそれは。
10年以上の付き合いである僕でさえ、例外ではないのだから。
僕はそんなふうに踏んで慧悟に頼んだ。
本気で先輩が騙されるように仕向けたんだ。
そしてそれを。
先輩の為だなんて嘯いて。
───凪霞慧悟はどうしようもなく嘘つきで。
───朽葉秤はどうしようもなく偽善者だ。
虚幻と偽物。
限りなく近く、それでいて交わることのないもの。
きっと、だから僕らは救いようもなく気が合うのだろう。