放火
「事件現場の図書室に───火がつけられた?」
僕───朽葉秤はそう聞き返した。
「どうして──」
どうして先輩は僕にそれを伝えなかったのか。喉元まで出かかった疑問はしかし、言葉に紡がれることはなかった。
「───そうか。そうだったのか」
一瞬だけ引っかかったことがある。
──『酷いことに、情景描写が生々しいんだよ』
これは先輩の言葉。僕に『図書室の殺人』の説明をしたときの言葉。
僕はこの時、さぞ血みどろでグロテスクな描写なんだろうと錯覚した。
だから、バラバラ死体のようなものが出てくるのかと誤解した。
けれど、作中に登場した死体は毒殺体。
毒殺体のどこが生々しいのか。
ほんの少しの間だけ疑問符を浮かべて、打ち消したんだった。ありがちな言い間違いなのだろうと曲解して。
今になってようやく理解する。
あの疑問がようやく氷解する。
作中の事件現場には火が付けられていた。
それならば、それなりに不快な描写になるのも仕方ないだろう。
「さあな」
雨上は肩をすくめてみせる。
「ともかくこの謎を解けば明かされるんじゃねえの?桜庭さんが言うに『驚天動地のトリック』」らしいしな」
「念のため確認するけれど、犯人はわかってるんだよな?」
「ああ。────犯人の独白があるからな」
犯人の独白。
それはあの日、先輩も言っていた。僕も少しだけ読んだからわかるけれど、犯人は自身を過信していた。そう思わせる文と独白だった。
「犯人が普通に火をつけたわけではないんだな?」
「あのな朽葉、それのどこが驚天動地なんだよ」
仰る通り。それじゃあただの破廉恥罪だ。
「ここでの『謎』はアリバイトリックのことだろう。犯人は現場にいなかった。それと、放火のハウダニット」
犯人は現場にいなかった。それを崩すのが難解なのだろうか。よほど鉄壁なアリバイなのか、それとも本当に現場にいなかったのか。
この謎も勿論重要なのだろうけれど、僕はどちらかと言うと雨上の言葉の続きが気になった。
「放火のハウダニット?どういう意味だ?」
「やっぱ聞かされてないのか。メイントリックなんだけどな」
やはり、先輩は僕に隠していた。
この物語のメイントリックを。主軸というべき要素の一つを。
「さっきも言ったが、殺人現場は密室だったよな?」
「ああ」
僕は頷いて続きを促す。
「火元が被害者の死体だったんだ」
「は?」
聞き返す。
なんだって?
火元が被害者の遺体?それじゃあ、まるで───
「ああ。人体─────自然発火現象。
それが起こったんだ。被害者が死んだ図書室の中で」
密室のはずの────図書室の中で。
雨上蒼也はそう言った。
「驚天動地のトリックは分からないが、これだけは言える。これは少なくともそれに匹敵する───謎だってな」
密室での放火。しかも───人体自然発火現象。
「少しだけ───残念だ」
口に出してから、言葉を紡いでから驚く。
いつの間にか僕は、そんなことを思うようになっていたのか───と。
「どうせなら独りじゃなくて、先輩と挑みたかった」
きっと、それなら少しだけ楽しかったのかもしれないから。こんなふうに思ってしまえる程度には、僕は先輩との時間が気に入っているのかもしれない。───ふと、そんな栓のないことを考える。
「仕方ない───か。今回ばかりは先輩の後追いになるけれど」
そう呟いて、雨上を見る。
「仮説検証を始めようか」
「俺と秤が初めて出会ったのは、かなり昔々に遡ります」
凪霞クンはそういった。
「もう十年くらい前だったかな。家が近かったのでよく一緒に遊びました」
朽葉クンは言っていた。彼とは───凪霞クンとは幼馴染なのだと。そんな二人の関係が、私にはほんの少しだけ羨ましい。
「その時の秤は元気一杯の健康優良児でした。今の秤からは見る影もないですね」
「…まるで朽葉クンが虚弱体質みたいな言い方だね」
まあ朽葉クンを見る限り、不健康ではないにしろ、質実剛健には程遠いけれど。
「でもそれがどうしたの?そりゃあ小学生と高校生を比べたら違うのは当たり前だと思うんだけど」
私は苦笑いを浮かべながら言った。凪霞クンの言葉の後半が冗談めかしていたからだ。しかし、私の続けた『常識論』に、彼は思いの外毅然と首を振った。
「違います。比べる対象が」
「?どういうこと?」
意味を計りかねる。意図を推し量りかねる。
彼は、何が言いたい?
「小学生時代の秤と比べているのは同じく小学生時代の秤ですよ。いや、正確には違うか」
「…………」
少しの間、逡巡するような間が空く。そして、凪霞クンは───勝手ながら私が思っていたイメージに反して──慎重に、言葉を選んで続けた。
「俺がいいたいのは、俺といたときの秤と別のやつと一緒に居た秤が別人だったってことです。
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