『山河』、再び
雨上は僕の顔を覗き込んでいた。
「僕は別に先輩に詳しいんけじゃないんだけれど」
「そうかもな。でも少なくとも俺たちよりは詳しい。何よりリア充は死ね」
彼の『リア充は死ね』は語尾なのだろうか。
「朽葉、これのこと知ってるよな?」
そう言って雨上がこちらに投げて寄越したのは、ある一冊の冊子だった。
「『山河』じゃないか。どうして雨上がこれを?」
『山河』。
図書室に平積みにされていた文芸誌。あの未完の推理小説『図書室の殺人』が掲載されていた雑誌だ。
「そうか。お前、やっぱ知ってるんだな」
くくっ。
低く笑い声を漏らす雨上。
どうしようもなくその笑みは、喜色に満ちていた。
「もう風紀委員会の諮問は終わりだ。──ここからは個人的な話に移ろうか」
「個人的な話?」
「あぁ」
何にせよ風紀委員の詰問から逃げられそうで良かったのだが、風紀委員会の面々は僕を立ち去らせる気配はない。
もしかすると僕は、もっと大きな面倒事を抱え込んでしまったのかもしれなかった。
「俺の兄、雨上蒼満の────『山河』の掲載作品、『図書室の殺人』の作者の話だ」
「じゃあ朽葉クンが変わったのはいつなのかな?」
私は訊いた。どう変わったのかわからないのならせめてその時期が分かれば、多少なりとも推測はできると思ったからだ。
「いやあ。俺も教えたいのは山々なんですけどね。生憎、秤に黙って暴露マンになる勇気はないなあ。あいつ、怒ったら結構面倒なんですよ」
嘘だ。
きっと彼の黙秘は面倒だからなんていう理由じゃない。
「その時期を教えることは────秤クンを傷つけ得るんだね??」
「…………気の利いたジョークですね」
推理なんてものじゃない。
私は自分の内で再現しただけ。
自分の脳裏に部屋を作ってそこに人間を1名放り込む。
その人間にあらゆる情報を付与する。
男。身長が高い。朽葉秤と幼馴染。
そして────虚言癖。
そうして出来上がった凪霞慧悟の仮想人格を覗き込む。
その思考を。行動パターンを。
────神の視点で、覗き込む。
作家の真似事。読者の真似事。
いやこれこそ正しく────神の真似事だ。
厨二病っぽく言ってみよう。着飾って言ってみよう。
精一杯に格好つけてみようか。
この瞬間のみ、私は神に成り代わる。
成り代わって入れ替わって姿変わる。
これが私の推理術。
傲慢と高慢と浪漫に満ちた、私だけの思考法。
「キミが友達の不利になることを喋らないって、結構マジってことでしょ?」
「………まるで俺を掌握してるかのような言い方ですね。キレのいいジョークだ」
見るからに軽薄そうな、けれども以外に実直な彼が、決して話そうとはしないこと。片鱗さえも見せなくなってしまうこと。それはつまり、相当真剣に朽葉クンの不利になるものだと言うことだ。
「まあいいや。思ってたよりずっと先輩が面白い方だってわかったところで、俺は失礼しますよ」
凪霞クンが身を翻す。
「6月?」
「───!?」
唐突に、彼の動きがぴたりと止まる。
「どうして?」
「勘だよ」
そう。これは推理なんて言えるものじゃない。
何の確証も論証もない、当てずっぽう。
けれど──
「今、凪霞クンがこの話をしたっていうのが理由の1つかな」
唐突に。何の脈絡も必要もなく、彼は朽葉クンを人格破綻者と呼んだ。
きっかけがあるんだ。きっと彼の行動には。言動には。
「季節感から思い出したんでしょ?」
「───ハハッ」
凪霞クンは───笑った。
「流石ですね、桜庭先輩」
「『図書室の殺人』の作者が───雨上のお兄さん……?」
そんな馬鹿な。
思わずそんな言葉が口をつく。
「じゃあ雨上のお兄さんは小説家ってこと?」
「……お前、何か勘違いしてないか?」
怪訝な顔をして首を傾げられる。見ると周りの風紀委員の皆さんも首を傾けて僕の方を見てくる。何だか腹立つなこの構図。
「あれは文芸誌というより同人誌。───この学校の、今はなき文芸部の生徒が書いた小説を発行してた、拙い作品集だよ」




