ホワイダニットは揺るがない
わかば編はラストになりま〜す
先週の金曜日、僕は濡れて帰る羽目になった。
理由は単純。傘を忘れたからだ。
その途中で、傘をさしている先輩を見た。
──先輩も帰り道がこっち方面なのかな。
さっきまで一緒にいた先輩。
でも僕は声をかけるのを躊躇った。理由は悲しくなるほど単純で、僕が気まずかったからだ。
僕は先輩を騙そうとしたから。
騙すと言ってもそれほど酷いことをしたわけではない。
けれど、先輩を欺こうとして、そして見破られた身としてはやはり声をかけるのは気まずかった。
この日は約十年ぶりの大雨だったらしい。
正確には十年と数カ月。四捨五入して十一年ぶりと言っていい。前回と同じ高さまで川の水位が上がったとのことだった。
家に帰って、体をタオルで拭きながら、そんなニュースを見て思う。
十一年前の大雨。
それぞれの人たちはその雨をどんな風に感じていたのだろうか。
どんな思いで雨音を聞いていたのだろうか。
その日。家中に響く雨音の中、似つかわしくもない感傷的な気分に浸っていた。
「十一年ぶりの大雨は十一年前と同じ水位にまで川を増水させたはず。木の枝に丁度いい引っかかり方をしていた、わかばの傘は引っ掛かったのと同じように水によって外されたんじゃないかな」
先輩の紡ぐ推理に耳を傾ける。
ずっと聞いていたくなるような美しい旋律。心地よい推理。
「中野さんはそれを発見したんだよ。──きっと、それで全てを察したんじゃないかな。どうしてわかばの傘がここにあるのか。だから気づかせようとしたんだと思う。傘と──自分の正体に」
「正体って…」
僕は思わず吹き出した。『正体』なんて単語に現実でお目にかかれるとは思っていなかった。
「もう。笑わないでよ。『正体』が一番適切なだけだから。
──とにかく、中野さんは自分の正体に気がついてほしかった。だからわざわざ傘をもってわかばの前に現れたんだと思う」
「先輩が言っていた『待ち合わせの相手』って龍宮さんのことだったんですね」
「からかってる?私より先に気付いてたクセに。──そうだね。中野さんはわかばに気づいてほしかったんだと思う」
「さっきからお前らが言ってる正体って何なんだよ」
それ僕らが言っちゃっていいのだろうか。できれば龍宮さんに気がついてほしいのだが。
「まあ仕方ないか…。いいですか龍宮さん。中野さんはあの傘が貴方のもので、なおかつ十一年前に失くしたと知っていることになります」
「そういうことになるね。ちなみにそのことを知っているのは?」
キョトンとする龍宮さん。そうか。先入観がある分、それが目を曇らせているのか。
「家族と、あとお前ら。昔の友人にも話したことがあったかもしれない。あとはそれこそ『みきちゃん』と『りょーくん』くらいにしか…」
ようやくか…
「多分、中野さんって『りょーくん』ですよ」
「は?」
理解が追いつかない。
龍宮さんがあげたのはそんな声だ。
「いや、だから中野さんはその『りょーくん』だと思いますよ」
「…………」
硬直する龍宮さん。思考がショートしてるようだ。
仕方ないから続ける。
「『りょーくん』は何らかの理由でこの町に引っ越してきたんじゃないですか。どうやらここに親戚がいたようなのでその伝手か事情で
そこで一年が経ったある日、傘を見つけた。
その傘には貴女のイニシャルが入っていた。龍宮さんの前に現れたのはきっと、確かめる為でもあったんでしょう。──お隣に住む龍宮わかばが、幼い頃に遊んだ女の子と同一人物なのか」
「バカな…だって………」
反駁が返ってくることは予想していた。同じ状況なら、僕だって信じられないだろう。
「『りょーくん』はお兄ちゃんだった。あたしより1歳上だったはず。そして隣の中野さんは私と同い年だ。年齢が違う二人が同一人物なわけ──」
「それは勘違いです。さっきの質問をもう一度しますよ。───龍宮さん、誕生日は何月ですか?」
「3月だが………あっ」
気がついたようだ。僕の言わんとすることに。
「『りょーくん』もあたしも、早生まれを考慮してなかったのか……!!」
視界の端に、先輩が頷いているのが映る。
「わかばとその『りょーくん』が出会ったのはいつ?最後にあったのが小1だから、出会ったのは明らかにそれより前──幼稚園の頃の夏休みだよね。だから勘違いが生まれたんじゃないかな。
きっと、『りょーくん』は誕生日を夏休み前に迎えていたんだと思う。正確にはわかばと出会う前に。そして、何かの会話で年齢の話が出た。違う?って…流石に覚えてないか。
──とにかく、その時に名乗った年齢は3月生まれのわかばとそれより前に誕生日が来ていた『りょーくん』の間では1歳の差が生まれた。二人とも年長でもなかったとしたら年齢しか測る基準を持たなかったのかな。
そして、自分たちの間に1歳分の差があると勘違いしたまま、夏休みにだけ顔を合わせる関係が続いた。そして二人が小1になった年の夏休み。『りょーくん』をかつてない衝撃が襲うことになる。わかるかな?」
自分のことを年上だと錯覚したままの『りょーくん』は年下だと思っていた龍宮さんに小学校の話をしたのだろう。
そしてその話に恐らく龍宮さんは──
「小学校の話をした…。りょーくんはそこで気が付いたのか。あたしたちが同い年だということに」
「多分ね。だから気まずくなって来年から来れなくなったんじゃないかな」
「そんな……」
まあ信じられないだろう。僕たちが導き出したのは、なんの根拠もない推理でしかない。こうすれば矛盾がないってレベルの、こじつけでしかない。
だから───
「めっちゃ薄弱な根拠、要ります?」
「………」
僕はカウンターから、一枚のカードを取り出した。
「中野さん=『りょーくん』。僕がこれを思いついたきっかけ。──確か、『りょーくん』のお姉さんって『みきちゃん』っていう方なんですよね?」
これは先週、先輩が千景の名前を導き出したもの。僕の隠し事が先輩にバレた原因の一つ。
「これ見てください。───図書カードです」
4/17 冴月千景 返却済み
4/7 中野美紀 返却済み
7/15 東雲出流 返却済み
「みき。美紀。中野さんのお姉さんは式折高校に通っていると聞いたときから、この人と同一人物かと思っていたんですよ。
──そしてこの人がもし『みきちゃん』ならその弟である『りょーくん』は中野さんってことになりますよね。しかも中野さんはイニシャルがあるとはいえ、あの傘が龍宮さんのものだという結論に辿り着いている。そう考えると、俄然信憑性は増しますよね」
僕はそんなふうに説明を締めた。
もちろん最も大事とも言える注意を
「これはなんの根拠もない推理ですので信じる信じないは自由です」
と付け加えることも忘れなかった。
まあ龍宮さんは信じてくれるだろう。だって、龍宮さんもまた中野さんの正体に勘付いていたのだろうから。龍宮さんがこの件を知りたかったのは、そしてそれを隠していたのは、初恋の相手への淡い期待が絡んでいたからだろう。
帰り際に──仏頂面でぎこちなくだが──礼を言われた。
僕は礼を言われたことに驚いたが、それを伝えると、
「お前はあたしをなんだと思ってるんだ」
と頭を叩かれた。不良じゃん。
しかし僕はこのとき気が付かなかったのだ。
この推理が、後日の騒動に繋がっていくことを。
つながっていくんですよ




