朽葉秤の保険
伏線回収します
〈常世の夜〉は単行本、もっというとハードカバーだった。
そして奴が作ったあの『謎』は、僕が隠すべきあの『謎』は、〈常世の夜〉に隠されている。
また、本を開かせない勝負は明らかに分が悪い。最悪の場合、理由なしでも開くだけならできるはずだから。
そして最後に、僕も同じサイズの別の単行本を持ってきており、先輩は〈常世の夜〉を読んだことはなく、内容を把握していない。
なら僕が最後の最後に掛けた『保険』、本が開かれることを見越して掛けた『ある仕掛け』を想像するのは容易いだろう。
本の中身を、入れ替えたんだ。
そして中身が〈常世の夜〉となった僕の本は足元に置いた僕のバッグの中にある。慧悟に渡すタイミングでもう一度すり替えればいいだろう。
「何かおかしなところはありますか?」
僕はもう一度問いかける。
「ない──みたいだね」
悔しそうに答える先輩。
「なあ秤、俺はいつまで待たされるんだ?ウラシマ効果にも限界があるぞ」
「もう少しだけ宇宙船の中で待っててくれ。相対性理論に感謝しながらな」
ウラシマ効果とはSFとかによく出てくる用語で、簡単に言うと宇宙船の中では一年でも地球では何十年も経っているというやつだ。
僕は先輩の方を向いて言った。
「もう、大丈夫ですか?」
「なんか、違和感が…」
「さっきもそんなこと言ってましたよね」
「むぅ……」
先輩が小さくなった。もちろん慣用句的表現だ。
なんか嗜虐心が……なんでもない。
僕は図書カードを取り出して慧悟に渡す。
「じゃあ、ここに名前と日付を書いて」
「今日の日付は…13月……」
「いつから日本はエチオピア暦を採用したんだ?」
この虚言癖め、どうでもいいことばかり知ってる。もはや虚言ですらなくただのデタラメな気がしてきた。ちなみにエチオピア歴は特殊な暦で1年を13ヶ月としてカウントする。
「ところで朽葉クン…」
先輩が僕の袖を引いた。身長差が殆ど無い僕たちだが、僕が立っていて先輩は座っている。だから自然と、先輩は上目遣いになった。
「どうしてそんなに隠したがってるの?──この暗号を」
「────!」
僕は息を呑んだ。世界が、時間が、先輩の言葉で凍りついたような──そんな錯覚に襲われる。
「どうしたの?鳩が豆スナイパーライフル食らったような顔して。──いいことを教えてあげるよ」
豆スナイパーライフル食らったような?腕のいい狙撃手がいるんですねえ。いや、そんなことどうだっていい。
先輩は立ち上がって僕の顔を覗き込んできた。
「人が勝利を確信したとき──その人は既に勝負に負けているんだよ」
「何を…」
言っているのか分からない。そう続けようとした。けれど、先輩は僕が足元に置いたバッグの中に手を突っ込み、一冊の本を取り出すとその中身を開いた。
「これを見てまだ言い逃れする気が起こるなら存分に聞いてあげるよ」
先輩が開いていたのは目次のページだった。そこに薄く書き込まれた文字列。
それは先輩が暗号と呼んだもの。
それは僕が隠してくれと頼まれたもの。
それが僕たちの前に晒される。
──謎は、提示された。
「どうして分かったんですか?」
「まず、朽葉クンの態度を見ていればこの本を開かせたくないってことは簡単に分かる。問題はそれは何故か?ってこと。だから朽葉クンの心理を再現してみたの」
「秤の心理を再現?」
慧悟が怪訝な顔をした。
「あぁ、言ってなかったっけ。朽葉クンにも改めて言ったことはなかったかな」
いや、僕は知ってますよ。それを先輩の口から聞いてないだけで。前回の頭脳戦のときも、事件現場を再現してましたしね。
「私は何かを考えるとき、その状況とか心情とか、再現して考えることにしてるの」
それが先輩の思考法であり、推理術なのだろう。
「そういえば秤も独特な考え方するんですよ。昔から何かと何かを比べることが多くて。小学校の遠足の時なんて、お菓子買うのにいちいち吟味するから日が暮れちゃったこともあったんですよ」
「昔のことを掘り返さないでくれよ。僕に何か恨みでもある?」
先輩は笑っていた。僕たちのやり取りを聞いて。
「じゃあ、これから私が話すのは私が再現した朽葉クンの思考。何か間違ってたら教えてね」