凪霞慧悟
名前読みづらっ
──勝った。
僕は笑みを零した。勝利を確信したからだ。
先輩は図書室を閉めるときまでこの本に触れられない。それは僕も同じだが、僕は最大でもその時までこの本を守りきれればそれでいい。
先輩から〈常世の夜〉を受け取ると元の書棚に戻しておいた。今度はバランスを崩すことのないように。
「じゃあ結局、無断で借りた人は誰だったのかな」
僕がカウンターに戻り、持参してきた単行本の小説を開くと、先輩が聞いてきた。
先輩は好奇心が強い。一度感じた疑問を抱き続けることができる人だ。でも無駄ですよ。この〈常世の夜〉に手を出さずにそれを知ることは、奴が誰かを突き止めることは、絶対に不可能なんです。
「誰だったんでしょうね」
「厄介なことに誰にでもできるよね」
そうなのだ。これが僕が勝利を確信した大きな理由の一つ。本を無断で持ち出すことなんて誰にでも可能なことだ。
だから、先輩は容疑者を絞れない。
困った顔の先輩を横目に、口元を本で隠しながら僕は笑みを漏らす。
これは勝てそうだ──
と──
ガラガラっ
図書室の扉が開けられ、一人の男子生徒が顔を覗かせた。
「秤いるかー?」
「いるけど」
僕は本を閉じた。その声に聞き覚えがあったから。
男子生徒は僕の隣に座る先輩をちらりと見て
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいか?──世界の命運が俺の双肩に託されてるんだ」
「厨二病かよ。──勿論ジョークだろ?」
「冗句だよ」
彼はそう言ってカウンターの前に立った。僕と違い、背が高い。椅子に座っている僕は自然と見上げることになった。
「聞きたいことって言うのは?──慧悟」
僕はこいつ、凪霞慧悟にそう言った。凪霞と書いてナガスミ。初見ではまず読めない名字だ。慧悟は僕の幼馴染で、幼い頃はよく遊んでいた。身長180センチという恵まれた身長に加えて、整った顔立ちのこいつは浮いた話に事欠かない。性格はともかく見た目だけは一級品だ。
本当に、こいつを見てると思うことがある。
見た目に騙されては駄目なのだと。
もし、慧悟の人間性を問われたなら、僕は答えに迷うことはないだろう。
「人格破綻者です」──と。
この言葉かもう一つの方か。どちらにせよ慧悟の人格はそれで説明できる。
「この人は?彼女か?」
慧悟は僕の隣に座る先輩のことを指していった。
「図書委員の先輩」
短く答える。こいつに先輩のことを説明する必要も意味もない。
「朽葉クン、この人は?」
「凪霞慧悟。僕の幼馴染です。関わり合いになっちゃいけない人種です」
「人種差別?そういうのは感心しないな」
「失礼、訂正します。関わり合いになっちゃいけない生命体です」
「俺に対する扱いが酷くないか」
慧悟が苦笑気味に言った。いいや何も酷くない。事実だ。
「フフッ…朽葉クンにもこんな友達がいたんだ」
「そうですね。こう見えても秤と俺はB組のゴールデンコンビと──」
「呼ばれてない。そもそもお前はB組じゃない」
ぴしゃりと否定する。慧悟はそんな僕を見て快活に笑った。
慧悟と話していると真面目に話すのが馬鹿らしくなってくる。ほとんどノリとユーモアで生きているような奴だから。
発する言葉の9割が冗談。紡ぐ言葉の1割が嘘。それが凪霞慧悟という男なのだ。
「けどな秤よ、俺も驚いた。なにせ話に聞いていた図書委員の先輩がこんなに美人だなんてな」
「ふーん……朽葉クン、私の話を友達にしてたんだ…」
「してません。全くしてません」
最悪だ。慧悟と先輩という組み合わせは思っていた以上に最悪だ。慧悟は言うに及ばず、先輩も冗談の多い人だ。まだ先輩の方がマシだとは思うが、二人のジョーカーを相手にするのはかなり気力が要る。
「それはそれでなんか残念だなあ。肩が撃墜されたよ」
肩が落ちると言いたいのだろうか。笑いながら先輩は言う。その他意のないであろう言葉に、その笑みを浮かべた横顔に、不覚にも動悸が一定のリズムを無視してしまう。
「先輩は付き合ってる人とかいるんですか?」
「おい」
それを聞いたのは僕ではない。断じて僕ではない。僕はそこまで非常識的な人間ではない。ニヤニヤした笑みを僕に向けている慧悟だ。
「私ー?初対面なのにずいぶんグイグイくるねえ」
先輩がこちらをチラッと見てきた。さっきの君と同じことを聞いてきたね、とでもいいたいのだろう。
「いないかな。今のところは」
この質問が、慧悟ではなく他の奴の問ならば僕はもっと焦りを覚えただろう。先輩に対して失礼だ、ということとは別種の焦りを。それと同時に苛立ちも。
「そっかー。じゃあ俺にもチャンスがあるのかな〜」
けれど、それを言ったのが慧悟だったから僕は何も感じず笑みを漏らせた。それは慧悟の言葉だったから。
──重度の虚言癖。
人格破綻者以外に慧悟を語るもう1つの言い方。どちらか1つでこの男の説明は終わる。どうしょうもなくシンプルな──けれどどうしょうもなく正鵠を射た説明。
──発する言葉の9割が冗談。紡ぐ言葉の1割が嘘。
慧悟が言った言葉なら、それは本当ではないのだから。
「ジョークだろ?」
「失礼だな。───冗句だよ」
ほら思った通り。やっぱり嘘だ。こいつは決して本心を、語らない。語ろうとしない。
「それで?結局用は何なんだ?」
「ああ、忘れてた。──〈常世の夜〉って本、知ってるか?」
秤と慧悟が並ぶとよく兄弟だと思われるようです




