5.ラブホテル
数秒後、意識を失った少年の目がふたたび光を取り戻した。しかしその内面はまったく別の存在に取って代わられていた。
(どうやら成功したようだ)
バメールの意識は自分の新しい肉体を認識した。
見慣れた自分の顔が目の前にあった。すっかり血の気が失せて青ざめている。そして大きく目を開いたまま彫刻のように固まっている。
彼女はかつて自分だった物体を無造作に振り払うと、立ち上がって新しい自分の体を手早く点検した。腕を振り回し、軽く足踏みしてみる。
(うむ、完全にあやつることができる)
もといた世界でもあまり知られていない精神転移の秘法である。
バメールはかつて宮廷官吏だった時代に、王宮の奥深くに封印されていた書物を盗み見てこの“能力”の存在を知った。実際に試してみたのは今回が初めてである。
彼女は再びかつて自分だった物体に向かってしゃがみこんだ。
(ここまで破壊されたら修復不可能だ。精神転移をこころみて正解だった)
死体の懐に手を入れて赤紫色に光るラキア鉱石を取り出した。
手のひらにちょうど収まるサイズで、ごつごつと角ばっている。自分たちと一緒に転送された瓦礫の一部だった。
ラキアが発するエネルギーに引かれて、一匹のヴァイクラーが空中を漂ってきた。人間の頭ぐらいの大きさをしている。
バメールはまとわりつくヴァイクラーを無視して立ち上がると、急ぎ足で墓地を出た。あのしつこい捜査官に見つかる前に、ここを立ち去らなければならない。
〇
バメールは住宅密集地を歩いていた。
奇妙な世界だった。彼女がいたアルムとは建築法が異なるが、人が住む家だということはわかる。しかしその密度が尋常じゃない。庭のない住宅が狭い区画にぎっしりと詰まっている。しかも、どこまで歩いてもそれが続いているのだ。
道には継ぎ目のない濃紺の石畳が敷き詰めてあり、見渡す限りそれが続いている。
(これでは隠れようが無いではないか)
バメールは次第に苛立ちをつのらせてきた。
おまけにすれ違う人がみんな、驚いたような表情で自分のほうを見る。中には小さく悲鳴を上げる女性もいた。
(おかしい。わたしは今、この世界の住人の体をのっとっているはずだ)
自分の体をあちこち見回してみた。何が彼らを驚かせているのかわからない。
ふと、自分の周囲をただよっているヴァイクラーが目に入った。
(ひょっとして、こいつのせいなのか?)
そういえば、住宅街に入ってから、野良ヴァイクラーを見たことが無い。
どうやらこの世界にはこのような不定形生物が存在しないようだ。それどころか、空中を飛行している人間も念動力を使っている人間も見かけない。大きな荷物を運んでいる男を見かけたが、彼はそれを両手で抱えて歩いて移動していた。
つまりラキア鉱石そのものが存在しないのではないだろうか。だとしらこのヴァイクラーを人目につかないように隠さなくてはいけない。
バメールはふところからラキアを取り出して、漂っているヴァイクラーを呼び寄せた。
(なにか目立たない物体に変形させよう)
さっきすれ違った荷物運びの男の格好を思い出した。頭に載せていた青い帽子。あれなら目立たないだろう。
バメールは帽子の形を思い浮かべながら、ヴァイクラーに念を送った。
しかし、ヴァイクラーはいっこうに変化する様子を見せない。
(おかしい……)
もう一度やってみた。すると意外なことが起こった。
ヴァイクラーはなぜかバメールの意思を無視して、一匹の黒猫に変形したのだ。
(なんだこれは……)
この世界は自分の育った世界とは異なる法則に支配されている。そんな恐怖感がバメールを襲った。今まで味わったことの無い心細さである。
黒猫は「ニャー」と鳴いて足元に擦り寄ってきた。
あたりはすっかり日が沈んでいる。バメールは鋭い空腹感に襲われた。
(食べ物は……どこに行けばありつけるのか)
とりあえず猫は放っといて、人のいるほう、明るいほうへと歩いていった。
人々はこの時間になっても家に帰らずに町をうろついている。大きな道では鉄の乗り物が大量に行き来している。なにより町中の建物から、信じられないほどの明るい光が放射されていた。まるで昼間と変わらない明るさだ。
この光にしても鉄の乗り物にしても、“能力”が使われている形跡はない。
そして男性の数が多い。男性が平気で町を歩いているのにも驚いたが、その数の多さには圧倒された。
つまりこの世界は男女の比率がほぼ同数で、“能力”を使えるものがいない。移動はもっぱら鉄の乗り物か二本の足を使う。夜なのに街が明るいのは誰かが“能力”を使っているのではなく、なにか別のからくりによるものと思われる。
(興味深いな、これは)
アルムでは男性の数が極端に不足しているので、王立の売春宿にあつめられ、管理されている。衣食が保障される代わりに、望むものには子種を提供しなくてはならない。売り物にならない男や頑丈な男は鉱山に送られる。
その体制を覆そうとして、バメールはエリート官吏からテロリストに変貌した。
(女と男が共存する社会か……ここはわたしが目指していた理想郷かも知れん)
ふと、バメールはコンビニ前にたむろする若い男たちに目を留めた。
もちろんコンビニエンス・ストアがどういうものかは知らないし、ましてやその前にたむろするような連中がどういう種類の人間か、という事など分かりようがない。
ただ男たちがコンビニ弁当を広げてうまそうに食っている姿にひきつけられたのだ。
じっと見ていると、男たちの何人かがそれに気付いた。
「なに見てんだよ、てめー」
髪を金髪に染めた色黒の男が威嚇するような声をあげた。
「うむ、腹が減っているのだ」
バメールが正直に答えると、男たちから失笑がもれた。
「知らねーよ」
「何言ってんだこいつ」
「バーカ」
あまりいい気分はしなかったが、食事にありつくためだ。バメールはグッとこらえた。
「何か食わせてはもらえないだろうか。あとで御礼はする」
金髪の男はあきれたようにこっちを見上げた。
「弁当買う金もねえのかよ」
「あれ? ひょっとして俺ら、カツアゲされてる?」
「ひゃ~、こわ~い!」
男たちは口々にはやし立てる。
自分に対して気おされずに向かってくる男に初めて出会った。バメールは勝手の違いに戸惑った。どこに地雷があるのか見当もつかない。
いきなり弁当箱が飛んできた。金髪の男が投げつけたのだ。
反射的に“能力”で払い落とそうとしたが、なぜか作用しなかった。
弁当箱は胸に当たり、残飯がぶちまけられる。
バメールはラキアが発するのとは違うエネルギーの波動を感知した。その波動はいま弁当箱を投げつけた金髪の青年から流れてきている。
(これは……怒りの波動だな)
この波動を吸い込むと空腹感が満たされるような気がした。
バメールは思わずふらふらと金髪に近付いていった。顔には恍惚の表情を浮かべ、深く息を吸い込みながら。
だが、彼女が近付くにつれて男の怒りは消えていき、かわりに困惑と不安が入り混じった波動が伝わってきた。この波動は“怒り”に比べると弱弱しくて物足りない。
「どうした? もう怒ってないのか」
バメールは残念そうな顔で金髪の青年を覗き込む。
「参考までに、さっきはどうして怒ったのか教えてくれないだろうか」
「おまえ……なんか気持ち悪いぞ」
金髪はこの可愛い顔をした高校生にようやく不気味なものを感じはじめたようだ。ウンコ座りの体勢のまま、ズルズルと後ずさりする。
周りの連中も固まったようになって、成り行きを見守っている。
バメールは元エリート官吏で百戦錬磨のテロリストであり、数多くの修羅場をくぐり抜けている。精神力はそこらへんのDQNなど足元にも及ばないほど強靭だ。
その精神が発する異様なオーラは青年たちにも徐々に認識されていった。
「うむ、腹が減っているのだ」
バメールはさっき言った言葉を繰り返した。金髪男の怒りを、もう一度かき立てようと思ったのだ。怒った理由がわからない以上、同じ言葉を繰り返すしかない。
「何か食わせてはもらえないだろうか。あとで御礼はする」
だがバメールの期待した効果は得られなかった。
青年たちの間には強烈な恐怖感が湧き上がっていた。彼らはお互いにチラチラと目線を交わす。無言のうちに、どうやってこの場から逃げるかの算段をはじめたのだ。
(これが恐怖の波動か。こっちもなかなか美味だな)
バメールは青年たちから発せられる恐怖を胸いっぱいに吸い込んだ。さっきまでの空腹感が嘘のように満たされるのを感じた。
「どうやら騒がせてしまったようだ。私はもう立ち去るから、気にしないでくれ」
唖然とした表情の青年たちをあとにして、バメールはふたたび町を歩き始めた。
まったくこの世界の人間はどういう反応をするのか見当もつかない。どうやらこの世界の人間とはあまり接触を持たないほうが得策のようだ。
しかし当面のあいだ寝泊りする場所を確保しなくてはならないのも確かだ。
(なるべく人間と接触しないで隠れ家を見つける……難題だな)
バメールが思案しながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ねえ、きみって案外すごい奴だったんだね」
ふりかえると女の子が立っていた。なにやらはしゃいだような笑顔を見せている。
「あれ? アタシのこと、見覚えない? 隣のクラスなんだけど」
隣のクラスという言葉の意味がわからなかったので、バメールは曖昧に首をかしげた。
「ショックだなー、きみのこと、ちょっといいなって思ってたのに」
女の子は大げさに顔をしかめると、再び笑顔を見せた。よく表情が変わる子だ。
「きみ、御神楽くんでしょ? アタシは大倉美紀、ほんとに見覚えない?」
ここでようやく、この肉体の元の所有者の知り合いだということに気付いた。だとしたら、このまま勘違いさせておいたほうが得策だ。
「いや、思い出した。隣のクラスだ」
「よかった! 人違いだったらどうしようって思っちゃった」
大倉美紀と名乗った少女は両手でバメールの右手を握り、ブンブンと勢いよく振った。友好的な感じである。この女に相談してみるのもいいだろう。
「ちょうどいいところで会った。じつは寝泊りする場所を探しているのだ」
「寝泊りする場所? 御神楽くん、家出でもしてきたの?」
「うん? まあ、そんなところだ」
「お金は? どれくらい持ってきたの?」
「お金?」
バメールがボンヤリしていると、美紀は勝手に尻ポケットの財布を抜き取った。
「五千円しか入ってないじゃないの。これじゃあ、一日しか泊まれないよ」
「ふむ、そうなのか」
「まあいいわ、このへんで一番安いホテルに案内してあげる」
美紀は財布を持ったまま、バメールの手を引いて歩き出した。
道中、美紀はしきりに御神楽祐樹のことをほめたたえた。ミカグラ・ユウキ――それが自分の宿主の名前らしい。バメールはその名前を心に刻んだ。
美紀の話によると、さっき相手にしていた青年たちは地元でも有名な不良で、特にあの金髪の男は市内最強の男として恐れられる存在だという。
「そんなにたいした奴とは思えんが」
「おおー、言うねえ、きみ」
美紀は嬉しそうに腕をからめてきた。
「でも、御神楽くんはそういう不良たちと対等にやりあってたもんね。それどころかビビらせているように見えたし。なんか、格好いいって思っちゃった……」
案内されたのは繁華街の外れにあるラブホテルだった。
受付でキーをもらい、部屋に入る。
バメールはさっそくラキアを取り出して自分の“能力”をテストしてみた。祐樹に乗り移ってから“能力”を発動できなくなっている。
備品の灰皿やコップを持ち上げようとしたが、いくら念じてもビクともしない。
(やはり“能力”が使えなくなっているな)
ラキアがエネルギーを失っていないことはわかる。エネルギーの放出を肌に感じるからだ。ただ、そのエネルギーが体の中に入ってこないのだ。
「ところで、その手に持っている石は何なの?」
美紀が聞いてきた。
「大事な宝物だ」
「石が宝物なんて、小学生みたい」
「この石は人間にエネルギーを与えてくれる」
「ふーん、ラドン石みたいなもの?」
「ラドン石?」
「うちのお婆ちゃんが使ってるの。石から出る放射線が肩こりに効くんだって」
「……まあ、似たようなものかも知れん」
バメールは苦笑した。今のラキアには肩こりを治す効果もない。
「案内に感謝する。もう帰って結構だ」
バメールがそう言うと、美紀はあからさまに不満の声を上げた。
「それが恩人に対する言葉? アタシもうちょっとここに居たいんだけど」
「そうか、ここに居たいならいてもいい」
「嬉しい! そうこなくっちゃ」
美紀が抱きついてきた。
「それに、案内して汗かいちゃったから、シャワーを浴びたいな」
言いながらウインクをしてくる。
どうも雰囲気から察するに、この女は自分と性交を望んでいるらしい。しかし外見は男でも中身は完全に女なのだ。バメールは同性との性交を想像して嫌悪感を覚えた。
(この女は利用できる。つなぎとめるために性交をするべきだろう。しかし……)
美紀を押しのけてベッドに寝転がった。どうにも気が重い。
「すまないが疲れたから横になる」
「えー? 夜はこれからなのに」
「少しの間だけだ」
「じゃあ、シャワー浴びたら起こしてもいい?」
「うむ、それでいい」
美紀はいそいそとシャワールームに入っていった。
疲れているのは本当である。
早朝にたたき起こされて転送用カプセルに閉じ込められた。そこからこのラブホとかいう宿屋にたどり着くまで、気を休める暇のない状況が続いた。
いまようやく人心地ついたところだ。
横になった途端、バメールの意識は急速に闇に引きずりこまれていった。