44.ある醜聞
御神楽恵と大倉美紀が退学した。噂によると野々村奈美リンチ事件が学校側の知るところとなったらしい。ひそかにその責任を負わされたのだ。
二人の退学のニュースを聞いてから、祐樹はずっと教室でぼんやりしていた。
――まあ良かったじゃないか。あの二人と顔をあわすのは、祐樹もつらいだろう
「そんな簡単に言ってくれるなよ」
祐樹の胸には複雑な感情が入り混じっていた。なんといっても恵は実の姉だ。あいかわらず嫌悪感は強いが、同時にこれまで培ってきた生活の記憶というものもある。ミアンがいうほど簡単に割りきれる問題じゃないのだ。
――簡単じゃないのは分かった。分かったからもう帰ろうぜ
ミアンはさっきから何回もいっている言葉を辛抱強くくりかえす。
しかし祐樹は脳内にひびく声を無視して座り続けるのだった。
放課後の教室は誰も残っていない。と思いきや……
「あら、天野さん、まだ教室に残ってたの」
伊集院鈴子の高慢な声が耳に入ってきた。
「わたしはお父さまにお呼ばれして、これから高級料亭でディナーですの。天野さんちのイタリアンの何倍も値が張る、本物の高級料理なのよ」
感傷にひたる祐樹の様子などおかまいなしに、ズケズケと教室に入ってきた。
「なんだか冴えない顔してるけど、いつまでも教室に残ってたら迷惑じゃない。この学校はお父さまの所有物で、あなたは居させてもらってる立場なんだから」
「ああ……分かったよ」
祐樹はようやく重い腰を上げた。
――なんだあいつは……ムカつく奴だな
ミアンは祐樹と違って、彼女の毒舌を受け流すことができない。
「ところで……」
教室を出ようとした祐樹は、ふと鈴子をふりかえった。
「玲於奈がまだ学校に来てないんだけど、どうしたの。とっくに退院してるはずだろ?」
「そ、そんなの知らないわよ」
鈴子の表情が硬くなった。これはなにか知ってる顔だ。
「それに……だいいち、天野さんには関係ないことじゃない」
鈴子にとって、目の前にいるのはあまり接点のないクラスメートにすぎない。
「だって気になるじゃないか。すぐ退院するって言ったのは鈴子だぜ」
――そうだな、おれも気になる。玲於奈はバメールに体をのっとられた事があるからな。ひょっとしたら、そのせいで彼女の体に深刻な影響が生じているのかもしれない
ミアンがさらに不安をあおることを言いだした。
「……それが本当なら一大事だ」
――よし祐樹、主導権交代だ。おれが鈴子の脳をスキャンしてやる
「わかった。気がすすまないけど、この場合はしょうがない」
祐樹は自分の意識を後ろに下げた。同時にミアンの意識が前に出てくる。何回も繰り返して慣れっこになった儀式だ。
「さあ、いい子だからじっとしてろよ」
主導権を得たミアンは、カバンに隠してあったピレキアを鈴子に向けた。
「なによ、それ……汚いバトンね」
鈴子はクラスメートの人格が目の前で入れ替わったことに気付いてなかった。
祐樹もミアンも男性言葉をしゃべり、“おれ”を一人称とする人格なので、入れ替わってもさほど違和感がないのだ。
そして鈴子は一瞬キョトンとした表情になり……
○
「なるほど、思ったとおりだ」
ミアンは病院の廊下を進みながら、小声でつぶやいた。
――うん、おれも感じる。学校ほどじゃないけど、凄いエネルギーだな
脳内の祐樹も同様に感知しているようだ。
深夜の病院は水を打ったような静けさで、慎重に歩かないと足音がひびく。しかし精神が高揚しているので、それをおさえるのが非常に難しかった。
鈴子の記憶をのぞいたミアンは、玲於奈が退院直前に精神錯乱をおこしたことを知った。
意味のない動作をくりかえしたり、マイモールとかバイデンといった外国語のような言葉をつぶやき続ける。その発症前夜にも彼女は夢遊病らしき症状を見せており、それとなく看護師たちが監視していたのだそうだ。
外国語と夢遊病、このふたつの情報をもとに、ミアンはある仮説を立てた。
「そもそも病院というのはどういう場所か? 病気や怪我をかかえ、不安や恐怖、絶望といった負の感情エネルギーを発散する人間が一ヶ所に集まるところだ」
見つかってはいけない状況なのに、講釈をたれずにいられなかった。
ミアンはせいいっぱい小声でしゃべっているつもりだが、本当に小声になっているのか自信がない。
これも建物に充満するエネルギーの影響だろう。
「学校の高エネルギー状態は日中だけだが、病院の場合はそれが二十四時間続いているわけだ。そのエネルギーを何日にもわたって吸い込んだ玲於奈はどうなるか……」
――玲於奈の中に残っていたバメールの残留物が成長してしまうっていうんだろ? 分かったから、いいかげん口を閉じろよ
祐樹はあきれた口調で宿主のおしゃべりをたしなめた。
ミアンの立てた仮説はこうだ。学園祭の前夜、玲於奈の中にバメールの人格が五十パーセント注入されたことがあった。あとでそれは回収されたが、じつは回収しきれなかった残留物が残っていたのではないかというのだ。
「なぜそう思ったのかというと、玲於奈が口走るマイモールとバイデンという単語だ。バイデンとはアルムの首都ヴァイデンのことだろう。マイモールも彼女が知るはずのない言葉だ」
言いながらミアンは病室のドアを開けた。玲於奈はいちばん窓際のベッドだ。
鈴子が見舞いに行ったときの記憶を見ているので、ここまでスムーズにたどり着けた。
「そして夢遊病。おそらく成長した残留物が体をあやつっていたのだ。寝ているとき体をのっとられるというのは祐樹の場合と同じだからな。しかし残留物はあくまで残留物だ。玲於奈はただ、バメールの記憶の断片をランダムになぞっていたにすぎない」
――すごい推理力だ。見た目はJK、頭脳は三十路、その名は名探偵ミアン!
「バカにしてんのか? おれの本職は捜査官だぜ」
ミアンは仕切り用のカーテンを開けた。やはり玲於奈がそこで眠っている。
――じゃあもうひとつのマイモールという単語はどういう意味なんだ?
「ああ、それは……後にしてくれ」
質問をさえぎり、ベッドの玲於奈にピレキアをかざす。
「思ったとおりだ。脳のあちこちに読み取れない断片が散らばっている。プロテクトをほどこされたバメールの記憶の断片にまちがいない。面倒だが、これをひとつひとつ取りのぞいていくしかないな」
ミアンはベッドの上に乗っかり、寝ている玲於奈の上に覆いかぶさった。
――うおっ! ちょっ、何をするんだよ!
「うるさいな、こうしないと作業できないんだよ。これから長丁場になるんだ。頼むから騒いで集中力を乱すような真似はするなよ」
精神転移をおこなうときのいつもの手順、すなわち対象の唇に自分の唇を押し付けた。
今回は玲於奈の脳内から記憶の断片を逆転移させなくてはならない。イメージとしては口から触手を伸ばして脳の一部をかき取る感じである。だから作業が終わるまでくちづけ状態をキープしなくてはならない。
そして……
東の空がうっすらと白みはじめるころ、ようやくミアンは唇を離した。
――ぶはーっ! 死ぬかと思った!
実際に息を止めたわけではないが、気持ちの上では窒息同然の状態である。
「やっと掃除が終わった。あとは吸いとったゴミを捨てるだけだ」
――捨てるって、どうやって?
「こうやるんだ」
ミアンはピレキアの先端を開いて中からヴァイクラーを取り出した。
ヴァイクラーはしばらく空中をただよっていたが、すぐに黒猫の姿に変化した。
――おー、はじめて見た
「それからこうする」
ミアンはその猫をかかえ上げてキスをした。残留物のかたまりを注入しているのだ。
――それで?
「こうだ」
黒猫は一瞬のうちに無数の微粒子に分解され、さらさらと床に落ちていく。
――ちょっと可愛そうな気がするな……
「ヴァイクラーが? まあ仕方ないさ。代わりのヴァイクラーなら学校の屋上にいっぱいいるしな。明日あたり忘れずに補充しなくては」
足で微粒子を散らしながら仕切り用のカーテンを引いた。
すると背後から、「祐樹?」という声が聞こえた。ふり返ると、まだぼんやりした表情の玲於奈がこちらを見ている。どうやら意識を回復したらしい。
「あれ? 天野さん……ごめんなさい、どうして勘違いしちゃったんだろう」
「いや、別にかまわん」
「お見舞いに来てくれたの? 珍しいわね、でもありがとう」
「これは何本にみえる?」
いきなりミアンは指をⅤの字にして突き出した。
「……二本」
「頭が痛かったり、妙な違和感があったりしないか?」
「べつにないわよ……嫌ねえ、お医者さんの真似なんかして」
玲於奈は屈託のない笑みを浮かべた。どうやら後遺症はないようだ。
「よし、成功だ。このことは忘れてもう一度寝るんだ」
ミアンがピレキアをかざすと、玲於奈の目が再び閉じて寝息を立てはじめた。
――名前を呼ばれたときはビビったぜ
「直前まで彼女はおまえの夢を見ていたからな」
――マジか?
「興味深い夢だった。詳しく知りたいか?」
――やめろよ。おれにそういう覗き見趣味はないんだって!
「では夢の内容は胸にしまっておく。玲於奈は、あの調子ならすぐに退院できると思う」
――無事に済んでよかったよ。それにしても長い夜だったなあ
祐樹の中にはまだクラスメートの唇の感触が残っていた。
○
病院を出ると、あたりがほのかに明るくなっていた。しかしまだ人通りはなく、遠くで早起きの老人が道を掃いているのが見えるだけだ。
――なあミアン、さっき聞きそびれたことなんだけど
「うん?」
――マイモールという単語の意味を聞いたとき、ちょっと口ごもったよな。あれはどうしてなんだ?
「大したことじゃない。マイモールというのはおそらくマイム・オールのことだろう。これは人名だ。アルム国王の愛人だった男の名だ。たぐまれな美貌と肉体を持ち、王の寵愛を一身に浴びていた。その男がある日突然、王宮から消えた」
――消えた? どうして
「分からない。噂によると宮廷官吏の誰かと駆け落ちしようとして失敗し、秘密裏に処刑されたらしい。国王専属とはいえ、しょせんは売春夫だ。なにを考えていたのやら」
――駆け落ちの相手はどうなった?
「もちろん一緒に処刑されたそうだ。ただ、それも噂に過ぎない。マイム・オール関連の記録はすべて宮殿の奥に隠されてしまったからな。真相は闇の中さ」
ミアンは会話を中断し、道を掃く老人に声をかけた。
「ご苦労」
――おはようございますだ、バカ
「お、おはようございます……」
――さっきの話だけど、もしかして、その駆け落ち相手の官吏はバメールだったんじゃないか? 処刑されそうになったところを脱出して、復讐のためにテロリストになったとしたら……
「あいつの記憶の断片にマイム・オールの名前があったからって、ちょっと飛躍しすぎじゃないか……まあ、そうだと仮定すれば、どうして宮廷のエリート官吏が体制転覆をねらうテロリストになったのか、説明がつくのも確かだけどな」
――惜しいなあ、なんでヴァイクラーを消滅させたんだ。残留物のかたまりを調べれば詳しいことが分かったかも知れないのに
「プロテクトされているものは調べようがない。それに、残留物はいくら成長しても残留物でしかない。統一された人格は持っていないんだ。ただ脈絡のない記憶の断片が散らばっていただけだ。そんなものをかき集めたって、どうにもならんさ」
――パソコンで例えれば、アプリをアンインストールした後もレジストリに残るゴミみたいなもんか
「その例えはよくわからん」
ミアンは憮然とした表情で病院を後にした。