43.王室からの回答
一週間後、深田太一が釈放された。
彼は発見されて三日後には帰国していたのだが、入国管理局や警察で厳重な取調べをうけ、さらには病院に搬送されて精密な検査をうけ、またもや警察に戻って取調べをうけ、ようやく開放されたのが一週間後だった。
「安心してください。ずっと知らぬ存ぜぬで押し通しましたから」
警察署から出たその足でレストランに現れた太一は嬉しそうに報告した。
「いやあ、愉快痛快とはこの事です。なにしろ高卒で無職のおれが、大使館のエリートから病院の先生まで、見事にだまし通したわけですからね」
と太一は自画自賛するが、何のことはない。単に「何も覚えてない」ということを念仏のように唱え続けただけなのだ。
とはいえ、なだめすかしたり脅したりと手を替え品を替え尋問してくる相手に対して、負けずに一週間もシラをきり通した根性は、やはりかつて市内最強をうたわれた不良だけのことはある。ヤンキー特有の粘着質である。
「何も知らないといってる人間から調書なんか取れるわけない。とうとう警察もサジを投げて釈放したというわけです」
といって太一は仔牛のステーキ・トマトソース添えにかぶりついた。
「ああうめえ、留置所や病院の貧弱なメシが続いたから、なおさらうめえや」
口いっぱいに頬ばると、「貧弱、貧弱ゥ」と呟きながら赤ワインで流し込む。
――何をしている。さっさと王室からの回答を聞きだせ
祐樹の脳内にミアンのイラついた声が響いた。
「ゆっくりメシぐらい食わせてやれよ」
――ああもうじれったい! おれに代われ! 太一の脳内を直接のぞいてやる
「それは駄目だ。話は深田さんの口から聞く」
他人の記憶をのぞくことに、祐樹はどうしても抵抗があった。
「深田さん、それで王室からは何といってきたんですか?」
「うん? あんた、御神楽祐樹のほうか。敬語つかって損した」
太一の態度が急に横柄になった。
「まあいいや、ちゃんと中にドーシャ様がいるんだろ?」
「ええ」
「だったら中のご主人様に直接いうつもりで話すか」
太一は咳払いをすると、ふたたび敬語に戻った。
「上手い具合に首都の近くに転送されましてね、その日のうちに王宮に通されたんです。おれの報告をきいて、お偉いさんたちが会議を始めたんですが、一時間ぐらいで終わっちゃって、正直おれは拍子抜けですよ」
「あんがい簡単にすんだんですね」
「結論から申しますと、精神転移の秘法をですね、ご主人様に教えろと」
「それで?」
「それだけです」
「ちょっと待ってください。問題はミアンが帰れるかどうかでしょ? 精神転移の方法なんて関係ないじゃないですか」
――いや関係ある。考えてみれば簡単な話だ。会議が一時間で終わるのも無理はない
「どういうことだ? 俺にはよく分からん。それで帰れるのか帰れないのか?」
――問題は転送装置を使えるのがアルム人だけということだ。アルム人の肉体とピレキアがなければ装置は動かない。そしておれが中に入ると操作する人間がいなくなる。なにしろこの世界でアルム人はおれだけだからな
「そんなことは分かってるよ。それと精神転移と何の関係が……あっ!」
――気が付いたようだな。そう、人工人体だ。アルム人の肉体組成を持つ人体。魂の入ってない空っぽの容器。テロリストからの贈り物さ
ミアンの声が次第に遠のいていく。祐樹の体が熱くなってきた。
――ところでおれの体には二つの人格が入っている。自分で自分の肉体を消滅させて行き場を失ない、仕方なくアルム人と同居している人格だ
「もういい、分かった」
そう、簡単な話だ。祐樹の人格を人工人体に転移させればいいのだ。それでこの世界にアルム人がもうひとり増える。
ミアンが装置の中に入り、祐樹がそれを動かして転送させる。ミアンは無事に戻ることができて、一件落着というわけだ。
「お分かりいただけましたか? 精神転移の方法はおれの脳内にプリントしてありますので、直接のぞいてください」
太一がヒョイと頭を差し出した。
――分かっただろ? さっさと主導権を交代しろ
「ちょっと待て。そうすると残されたおれはどうなる?」
――好きにすればいいじゃないか。御神楽祐樹として復帰するもよし、別の場所で人生をやり直すのもよし
「人工的に作った化け物の体を抱えて生きていけというのか?」
――ご挨拶だな。この世界の人間の倍の寿命を持つ肉体だぞ。おまけに“能力”が使える。基本的な“能力”の使い方は教えてやるから安心しろ
「いらないよ、魔法なんて」
――というか基本的な“能力”がひと通り使えないと転送装置は動かせないんだ。嫌でも覚えてもらうぞ
「………」
――不満そうだな。だったらこのままの状態がいいというのか? この体だって、おまえのいう化け物の肉体に変わりないぜ。しかも他人の体に間借りしている立場じゃないか
「分かってる、分かってるよそれは」
祐樹はひそかにミアンが帰らないように祈っていた。その願いが叶えられなかったからこそ、彼は狼狽しているのだ。
――悪いことは言わない。おとなしく人工人体に転移してくれ。それで丸く収まるんだ
「……だったら、ミアンが転移しておれがこの体に残る、というのは駄目かな?」
――間借り人のくせに図々しい奴だ。これは女の体だぞ。いったい何を考えてる?
「だって、天野ありさが消えてしまったら、あの親父さんが可哀想だよ」
祐樹はキッチンで働くありさの父親をちらりと見た。娘を訪ねてきた見るからに危ない金髪の大男に、敵意にみちた視線をあびせている。
「見ろよ、あの人の生き生きとした姿を。せっかくありさが生き返ったんだ。この幸せを奪い取る権利はおまえにはないと思う……たとえ与えたのがおまえだとしても」
――おれには分からんな。だって天野ありさは二年前に死んでるんだ。おれが消えたところで、元の状態に戻るだけじゃないか
「それが残酷だといってるんだ。それにおれはもう、もとの家には帰れない。親父と離れるのは寂しいけど、あの姉貴と一緒に暮らす事はもうできないんだ」
自分に対してへどが出ると言い放った恵の顔が目に焼き付いてはなれない。
「おい、御神楽祐樹」
太一がこちらをにらみつけてきた。
「グチグチ文句ばかり言いやがって。ご主人様を困らせるんじゃないよ」
――太一もそう言ってることだし、いいかげん主導権をよこしたらどうだ?
「……分かったよ」
もう何を言っても無駄のようだ。祐樹は意識を後方に下げた。同時にミアンの意識が前方にやってきて交代が完了した。
「よし交代したぞ。太一、脳を覗かせろ」
「へーい」
太一はふたたび頭を差し出してきた。ピレキアをかざしてその脳内を読み取る。
「なるほど、精神転移の方法は分かった。ちょっと試してみるか」
ミアンは太一の顔を掴んで引き寄せると、その唇にキスをした。唇を通して自分を注入する。
これで太一の人格は眠りに落ち、ミアンが肉体の主導権を握るはずだ。
数秒後、ミアンの意識は目の前にある自分の顔を認識した。つまりミアンの人格は太一に転移し、数秒前まで自分が収まっていた肉体を見ている、ということだ。
「成功だな」
キッチンから皿の割れる音が響いた。見ると、ありさの父親が愕然とした表情でこちらを凝視していた。
「何てことするんだよ! 親父さんの見てる前で」
数秒前までミアンが収まっていた肉体から怒ったような声が発せられた。これは祐樹の人格だ。ミアンが出ていったので、自動的に支配権が祐樹に移ったのだ。
「心配ない、後で記憶を消せばいい。では戻るとするか」
「簡単に記憶を消すというなよ……おい、止めろ! 男とキスなんて……むぐっ!」
ミアンは強引に祐樹の顔を掴んでキスをした。
数秒後、ミアンは自分がもとの体に収まっているのを認識した。目の前の太一はしばらくぼんやりしていたが、やがて意識を取り戻した。
「あの……いったい何が起きたんで?」
太一は不思議そうな表情で尋ねてきた。主観的には、意識がフェードアウトしたかと思ったらまたフェードインした、という感じだろう。
「ちょっとした実験だ。心配ない」
そう言うと、ミアンは立ち上がってキッチンに向かった。
「あ、ありさ……おまえ、公衆の面前で何てことをするんだ」
ありさの父親が震える声で言った。この世の終わりといった表情だ。
「ごめんなさい、お父さん。いま見たことは忘れてちょうだい」
そう言ってピレキアをかざした。
その途端、ありさの父親は無表情になり、またコンロの前に立って仕事を再開した。
「どうした祐樹、何か言ったらどうだ? おまえの嫌いな記憶消去だぞ」
ニヤニヤしながら脳内の祐樹に話しかける。もちろん応答はない。ミアンの人格が再注入されたとき眠りに落ちたのだ。これは精神転移で必ずおこる現象である。
彼女はふたたび太一の座るテーブルに引き返した。
「よし、もうおまえに用はない。帰っていいぞ」
「へい、それじゃ食事代はここに置いてきますんで」
テーブルに一万円札を置くと、太一は店を出た。ミアンも彼を送るようにして後を付いていく。ふたりはビルのわきの階段前に立った。
「太一、これでお別れだ。おれと出会ってからの記憶をすべて忘れろ」
ミアンは太一の頭にピレキアをかざした。
太一の顔から表情が消え、しばらくぼんやりしていた。やがて頭を振ると、目の前の女子高生を興味なさそうに一瞥し、「チッ」と舌を鳴らして階段を上っていった。