1.ラキア鉱山
「ピレキアはここで預からせてもらいます」
鉱山管理事務所の役人にそう言われたとき、ミアン・ドーシャは一瞬わが耳を疑った。
「それは一体どういうことだ? 本気で言っているのか」
「冗談で言っているのではありません。ちゃんと規則で決まっているのです」
役人の口調はいたって真面目だ。
「おまえ、俺が誰だか分かっているんだろうな」
「……さきほど受け取った書類によると、王立治安維持局のドーシャ主任とお見受けしますが」
「ふざけるな! そんなことを言ってるんじゃない!」
「ふざけてなんかいません。とにかく、その腰のものを出してもらわなければ、山に入れるわけにはいかないんですよ」
若いくせに、杓子定規を絵に描いたような役人だ。これでは埒が明かない。ミアンは途方にくれた表情で、窓の外にいる五人の部下たちを見た。
部下たちは運んできた荷物を降ろす作業をしている。といっても空中に浮かんだカプセルを念動力で地面に着地させるだけの簡単な仕事だが。
「おい、ピレキアを置いていけと言われたぞ!」
ミアンは窓を開けて部下たちに怒鳴り声をあげた。
すると部下の一人が文字通り飛んできて耳打ちをした。
「主任は初めてだからご存じないでしょうが、ここでは当たり前のことなのです。私たちは何度も経験してますし、慣れればどうって事ありませんよ」
「しかし俺は生まれてこのかた、ピレキアを手放したことはないんだが」
「大丈夫、すぐに慣れますよ」
部下はまるで幼女をあやすように上司の頬っぺたをさすった。
アルムの住人にとってピレキアは“能力”の源である。このツールを媒介にすることで、念じただけであらゆる作業をこなす“能力”が発揮できる。
しかしピレキアがなければ飛行することはおろか、物体を空中に持ち上げることすらできない。この世界において、それは何もできないに等しかった。
通常は長さ十五センチ、直径五センチの握りやすい円筒になっており、中にラキアと呼ばれる鉱石が収められている。
この鉱石が人間に“能力”を与えてくれるのだ。
アルムの住人は生まれるとすぐにピレキアを与えられ、ピレキアとともに成長し、ピレキアを握り締めたまま死んでゆく。
いわば、ともに人生を歩む相棒であった。
だからその大事な相棒の没収を言い渡されたとき、ミアン・ドーシャは素っ裸で山道を歩けと言われたような気分になった。
「出さないと、この建物から先は入れませんよ」
役人は同じ文句を辛抱強く繰り返す。
どうあっても規則を曲げるつもりはないようだ。
「わかったよ、出せばいいんだろ!」
ミアンは腰のホルスターからピレキアを引き抜くと、乱暴に放り投げた。
あわてて受け止めた役人はその大きさにギョッとしたようだ。長さが通常の倍はある。ということは中に入っているラキアも通常の倍くらいあるだろう。
役人の顔色がみるみるうちに青ざめた。
「これは……特注品ですか?」
「見ればわかるだろ。女王がじきじきに認可され、国内最高の職人に作らせたものだ。乱暴にあつかったら、どうなるか分かってるだろうな」
せいぜいハッタリをかましてやった。本当はモグリの職人に作らせた非合法のピレキアである。本部のお偉方に知られたら間違いなく大目玉を食らう代物だ。
役人が体をこまかく震わせているのが、はたから見てもよく分かる。
無理もない。これだけの大容量なら副作用も半端ではないからだ。この役人は今、ささいな感情が何倍にも増幅される苦痛と戦っているに違いない。
感情の増幅作用――ラキア鉱石が人間に及ぼす副作用がこれである。
ちょっとした心の変化が、大きなうねりとなって自分自身に襲いかかってくる。この副作用を避けるため、普通の人間はピレキアに必要最小限のラキアしか入れておかない。こんなデカブツを持つバカがいるとは夢にも思わないだろう。
痛快な気持ちで役人の様子を眺めていると、部下が袖を引っぱってきた。
「警告もなしにいきなり放り投げるなんて……あんまりいじめちゃ可哀想ですよ」
「むかしから杓子定規な役人とは相性が合わないんでな」
「ご自分だって役人でしょうに」
そう言われてミアンは苦笑した。
確かに自分は王立治安維持局の人間で、相手は王立鉱山管理局の人間だ。広く役人というカテゴリーでくくれば、自分もその中に入ってしまう。
「そうだな、同じ役人だった」
ピレキアを手放したせいか先ほどの怒りが急速に薄れ、代わりに無意味なことをして余計な恨みを買ってしまったのではないか、という理性が働いてきた。
主任といっても十日前に着任したばかりである。まだ万事において勝手がわからない状態だった。ミアンは役人をふり返ると、真剣な口調で声をかけた。
「すまなかった、先ほどの無礼をどうか許してくれ」
「ふざけるのもいい加減にしてよ! 仕事だから通してあげるけど、あんたの顔は一生忘れないからね!」
役人はさっきの慇懃無礼さが嘘のように取り乱していた。
「しょうがないわね……まだ収納箱に入れてないみたい」
部下が窓からスーッと入ってきた。そのまま空中浮揚で役人に近寄ると、強引にピレキアを奪い取って足元の箱に放り込んだ。これは入場者から預かったピレキアを収納しておく箱で、ラキア鉱石の作用を完全に遮断するようになっている。
役人は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。明らかに“感情酔い”を起こしている。思えばこの役人だって、まだ学業を終えたばかりの少女だろう。
顔にはあどけなさが残っているし、体も成熟しきっていない。こんな場所に配属され、周囲にナメられないよう肩肘を張っているのかもしれない。
「さあ主任、こんなとろでグズグズしてたら日が暮れてしまいます」
役人の様子をぼんやり眺めていると、部下が声をかけてきた。
「そ、そうか」
「それに、これから入るところはラキアの瘴気が充満しているラキア鉱山なんですから、あんなもの持って行ったって役に立ちませんよ」
「それは分かっているが……」
大質量のラキアに囲まれると“能力”が乱反射してまともな作業ができなくなる。
頭では分かっていたが、ついカッとなってしまった。でかいピレキアを持ち歩いている副作用だろう。感情の制御には十分な訓練をつんでいるはずだが、たまに怒りにまかせて行動してしまうこともある。
(どうもまだ俺は王宮勤めのエリート意識が抜けきらないようだな)
十日前までミアンは、首都ヴァイデンの治安維持局本部に勤める腕利きの捜査官だった。それがある事件をきっかけに鉱山近くの僻地に左遷されたのだった。
あるいはさっきの件は、運んできた荷物に感情を乱されたせいかもしれない。なぜならその荷物に入っている中身こそ、ミアンが左遷された原因だからだ。
(荷物……まてよ)
ミアンは窓の外に置いてある棺桶状のカプセルを指差した。
「おい、そうするとあの荷物はどうやって運ぶんだ?」
これからカプセルを鉱山の中心部まで運び込まなくてはならないのだ。
「荷車にのせて手で押していくんです」
「手で押していくって……」
「心配しなくても大丈夫ですよ。鉱山には男手がいくらでもいますから」
「えっ、男に運ばせるのか?」
「重い鉱石を運ぶのに慣れていますからね」
当たり前のように言う部下を、ミアンは不思議そうに眺めた。アルムでは、男はめったに生まれない。もし生まれたら保護対象の天然記念物として扱われる。
そういう先入観があるせいか、男に仕事をさせることに強い抵抗を感じた。
ミアンが見たことのある男といえば、王立売春宿の飾り窓に立つ、美しく着飾った優男たちしかいない。もちろん中に入ったことなど一度もない。
「失礼ですが主任、あまり男には慣れていらっしゃらないようですね」
「うむ……」
「まあ、男相手の実務はわれわれが全部やっておきますから、オバチャンに任せて、主任はデーンと構えていてください」
部下は中年女性特有の気安さで笑いかける。このオバチャンと自称する女性は部下たちのリーダー格で、中央から赴任してきたミアンのお目付け役だった。
オバチャンの推察どおり、ミアンは処女だった。年齢的にはそろそろ経験してもいい頃であるが、最近は仕事を優先して初体験を後回しにする女も珍しくない。そもそも男の絶対数が足りないアルムでは処女であることを気にする習慣がない。
そんなことよりミアンは自分の服装が心配だった。ついいつもの癖で、胸の谷間を強調した露出度の高い衣装を着てきたのだ。
この服装は男を無用に刺激するのではないか……
胸を露出したり太ももをあらわにすると男は興奮してしまう、という話を耳にしたことがある。男が来ると聞いて、急にそんなことが気になり始めたのだった。
〇
「鉱山に立ち入るものは保護服を着用することが義務付けられています。保護服は事務所の収納箱と同じ材質でできていて、頭を含めて全身を覆うようになっているのです」
オバチャンの説明を聞いてミアンは拍子抜けした。
よく考えたら、生身の人間が大量のラキアに囲まれてまともに歩けるわけがないのだ。もし保護服を着ないで鉱山の中心部に入り込んだら、おそらくその惨状たるや、さっきの役人が見せた“感情酔い”の比ではないだろう。
実際、鉱山から荷車を引いてやってきた六人の男たちもみんな同じ保護服を着ていた。これでは性別の違いなんかわかるわけない。
ホッとした反面、生身の男をじかに観察することができなくて残念におもった。
ともあれカプセルを載せた荷車を中心に、白いぶかぶかの防護服に身を固めた総勢十二名の男女が、鉱山に向けて出発した。
そして数時間後――
「ここが鉱山の中心部です」
オバチャンが指差すほうを見て、ミアンは目をみはった。
ある一点をを中心に周囲の山々が削り取られ、全体が巨大な擂り鉢状の地形になっていた。いわゆる露天掘りという手法で山を削っていった結果だ。
所々にむきだしになったラキアの原石が赤紫色のにぶい光を放っている。
その擂り鉢状の空間を埋めつくすように、無数の黄色い物体が飛びまわっていた。質感は半透明のゼリー状で、大きさは握りこぶし大のものから直径十メートルにおよぶものまでさまざまである。ヴァイクラーと呼ばれる不定形生物だ。
「壮観だな……これだけ大量のヴァイクラーを見るのは初めてだ」
おもわず感嘆のため息がもれる。
ヴァイクラーはラキア鉱石に好んで取り付く寄生生物だ。しかし長年の研究にもかかわらず、その生態はあまりよくわかっていない。
一説によるとラキアの放射するエネルギーを摂取して生きているといわれる。
「真ん中あたりにヴァイクラーが固まっている場所があるでしょう」
部下の指差すほうを見ると、確かに擂り鉢の中央部に半円状の盛り上がりが見えた。
「あそこが目的地です」
「するとあれが次元転送装置なんだな」
今日の仕事の目的は、運んできた荷物を別の次元に廃棄することだった。
次元転送には莫大なエネルギーが必要になるので、装置は鉱山の真ん中に置かれている。その施設は半円状のドームになっていて、外壁にはヴァイクラーの群れがビッシリと隙間なく貼りついていた。
よほど強力なエネルギーが施設から放射されているようだ。
「予定よりだいぶ遅れてしまった。早いとこ運び込んでしまおう」
「お疲れのようですし、もう少し休んでいかれては?」
たしかにこれだけの距離を歩いたのは初めての経験で、体のあちこちが悲鳴を上げていた。しかし日が暮れてしまったら帰りが大変だ。
「いや、おれは大丈夫だ。さっさと仕事をすませよう」
「わかりました」
オバチャンは後ろに控えている人足たちに号令を発した。
「それじゃ休憩中のところ悪いけど、荷物を下まで降ろしてもらえる?」
「へーい!」
あちこちにしゃがみこんでいた男たちはふたたび立ち上がると、カプセルを載せた荷車を黙々と押し始めた。
その様子をミアンは信じられない思いで眺める。
自分は山道をただ歩くだけでもヘトヘトなのに、あの男たちはさらに荷車を押し続けながらここまできたのだ。それでも一向にへたばる様子を見せない。
(なるほど……だから女ではなく男に鉱山労働をさせているわけか)
男は女より筋力が発達していて体力的にも優れている。むかし学校で習った知識を思い出した。あのときはピンとこなかったが、今なら実感できる。ピレキアが役に立たない場所では男の力に頼るしかないのだ。
ミアンにとって空中浮揚や念動力などは通常能力の範囲内であり、つるはしやシャベルで地面を掘り続ける力こそが超能力のように思えた。
自分と異質な存在に対する恐怖すら感じる。