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明治期元寇 日の大将少弐景資

 第七幕 小弐景資 対 劉復亨



 続々と上陸してくる敵渡洋上陸部隊。


 毒矢の雨が前線の兵を確実に減らしていき、てつはうの爆発が前線に穴をあける。


 戦いは次第に武士側の劣勢になっていった。


「至急、敵は箱崎にも上陸を開始しました!」


「なんだと!? 筥崎宮には大友勢の防衛部隊がいたはずだ。それが容易く突破されたというのか!!」


 筥崎宮は宇佐神宮、石清水八幡宮とならんで「日本三大八幡」と称される三社のひとつになる。


 全国の武士たちが崇敬する弓矢八幡――ここを守るために豊後国の大友勢が万全の守備をしているはずだった。


 しかし、その筥崎宮は炎上し、上陸を阻止することはできなかった。


「竹崎殿、少弐総大将が全軍撤退を決めました。はやく太宰府までお戻りください!!」


「……しかたなか。太宰府まで戦略的後退ばして、反撃ん準備ばするぞ」


 最前線で戦い続けた竹崎季長たち肥後の武士たちが後退をはじめる。


 負傷した武士たちが太宰府へと撤退するが、毒が回り途中でバタバタと倒れていく。


「くっ……こぎゃんときに襲われたら、ひとたまりもなか」


 竹崎季長が苦虫を噛み潰したような顔をしながら、愚痴をこぼす。


「やや、竹崎殿が毒矢を射られてますぞ!?」


「にぃ……心配なか。気合と根性ばで毒に打ち勝っとる」


 全軍の士気を下げないように精一杯の笑顔を見せた。


 実際、竹崎季長を含めて多くの武将が生き延びている。


 なぜなら真正面から敵軍にぶつかり、生き延びた武士たちはまさしく益荒男猛夫と呼ぶべき傑物になる。


 毒程度では倒れたりしなかった。



「て、敵将が追ってきた!」



 撤退する部隊が戦慄する。


 敵の追撃部隊が迫ってきた。


「皆は水城へと向かえ!」


 少弐景資が殿として最後尾にやってきた。


 場所は博多と水城の中間の野原、遠くに大城山が見える。



「少弐殿、一人では無茶です!」


「問題ない。我が弓の腕前を披露しようぞ。刮目せよ!」


 夕暮れ時、戦場はほのかに赤焼けしている。空はまだ青い。


 旗の揺れから南風が北へと強めに吹いていた。


 少弐は嵐が来るな、と感づいた。


 そして、この強風ならこちらの矢が力強い。


 少弐は来る日も来る日も研鑽した弓術に絶対の自信を持っていた。


 そのため追い風ならば矢戦で必ず勝てると確信する。


 一騎駆けだし、弓を引く。


 ――ヒュン!


 その矢は敵の大将を思しき男を射抜き、それを見た敵兵はわっと逃げ出した。




挿絵(By みてみん)

 https://33039.mitemin.net/i659357/




「おおおおおおおおお!」


「流石は日ノ本の総大将!!」


「敵がしっぽ巻いて逃げ出したぞ!」


「さあ、今のうちに負傷兵を太宰府へと運ぶのだ!」


「ははっ!」


 少弐景資の活躍により、敵の大将軍劉復亨が負傷した。


 その衝撃は凄まじく、清国の士気が無くなり散り散りに逃げたように、モンゴル兵も逃げていった。


 日清戦争を経験した日本人にとって敵の撤退理由など「討たれたから」で十分だった。


 そしてもちろん鎌倉武士たちも気にしなかった。





 第八幕 鎌倉の龍口



 北条時宗は大陸を制覇する勢いの皇帝フビライハンがどういう男か考えた。


 それはまるでイギリス帝国が執拗にインドや中国を支配していくように、あるいはアメリカが西部開拓――という名の未開の地を強引に獲得するように、果てしない領土欲を持った男になるだろう。


「これより評定衆を集め、帝国への対策を検討する!」


「ははっ!」


 北条時宗は必ず次があると確信して、矢継ぎ早に対策を打ち出した。


 それは元寇防塁の築造。


 鎌倉武士の西国への移動。


 そして――。


「この北条実政が異国討伐大将軍として九州に向かいましょうぞ」


「いや、そうではない。北条の人間として九州に向かってもらうが、何もするな」


「な、それはなぜですか!?」


「……考えがある」


 江戸末期に発展した尊王論は正統性が何よりも重要視された。


 このため正統性のない徳川の世は終わらせるべくして終わったと言われている。


 この歴史観は戦前戦後どちらにも多大な影響を与えている。


 正統性を重視する歴史観によれば北条家はあくまで執権であったのは中世の尊王思想によるものだと言える。


 だからこそ彼らは征夷大将軍にならなかったのであり、そうなると北条実政も「異国討伐大将軍」も歴史上あってはならないことになる。


 それがたとえ、わずか数年で計画が破綻することになるとしてもだ。


「そうですか……わかりました。それではこの実政、異国警固として九州にこっそり向かいましょう」


「ああ、任せたぞ」


 こうして北条実政は特段活躍することもなかったため、明治日本の都合により歴史の闇に消えることになった。





 同じころ、南宋を下して名実ともに大元帝国となった。


 その皇帝フビライハンは部下に命じた。


「朕はただ日本を欲する」


 彼は北条時宗がにらんだ通り、日本征服と不平等条約の締結を諦めきれなかった。


 そのため文永の役後にまたしても使節を北条時宗に送ったのだ。


 建治元年4月、杜世忠(とせいちゅう)ほか4名からなる第七回目の使節団が日本に来た。


 博多に上陸した彼らを太宰府は捕らえて、鎌倉へと送った。


 北条時宗は彼らが持って来た国書を読んで、いまだに不平等条約に固執する帝国に激怒した。


「やはり来たか!!」


 評定衆は意見が二分した。


 今度も迎え撃つか、それとも形だけでも受け入れるか。


「…………」


 北条時宗は沈黙して、無学祖元に会おう、と決めた。


 この無学祖元とは滅んだ南宋の高名な僧侶であり、執権北条時宗招きに応じて来訪した。


 無学祖元は時宗に「莫煩悩(まくぼんのう)」という三文字を書いて渡した。


 それは、

「一切の迷いを、何かを満たそうと望む心を捨て、今なすべきことに集中し、信ずることを行え」

 という意味であった。


 評定に戻った北条は決断を下す。


「使節を龍口(たつのくち)へ連行せよ!」


 その北条時宗の表情に一片の曇りなく、むしろ勇気を分け与えられた。


「わかり申した。我ら鎌倉武士は時宗さまと共に最後まで戦いましょう!」


 鎌倉は、日本の武士は一丸となって戦う決断をした。



 龍口(たつのくち)とは鎌倉にある刑場である。


 鎌倉時代に過激な言動を繰り返す日蓮を斬首しようとしたのがこの刑場になる。


 いわゆる龍ノ口法難と呼ばれる。


 その舞台になったところに杜世忠(とせいちゅう)たち使節が連れてこられた。


 刑場には幕が張られ、その内側に何十人もの武士が取り囲み、固唾をのんで見守る。


 遠くにはやじ馬が遠めに処刑の様子をうかがっていた。


 使節たちはこの後どうなるのか知っている。


 だから辞世の句を詠み、それを僧侶たちに託していた。


 それでもただでは処刑されぬと、処刑人をキッと睨み続けた。


「お命ご免っ!」


 この日、大元帝国の使節が処刑された。



挿絵(By みてみん)

 https://33039.mitemin.net/i659358/

ふぅ、北条実政は歴史で語られることなない。

二度目の弘安の役の原因も、対策も、勝因も全て北条時宗さんのおかげ。

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掲載した絵に関しては下記を出典としています。

出典:うきは市 元冠の油絵 本仏寺

URL

https://www.city.ukiha.fukuoka.jp/kiji0035107/index.html

作者:矢田一嘯

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