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驚異の書 イル・ミリオーネ

 マルコたち三人は噂の〈島国〉へ行ってみたいと懇願した。


「戦争、休戦になったと聞きマシタ」

「ワタシたち、そのキの多いジーペングオ行ってみたいデス」

「ダメですか?」


 クドゥンは少し考えてから答える。


「すみませんがその〈島国〉にあなた方をお連れするわけにはいきません」


「それはナゼですか?」


「風習が違う、と言えばわかりますか? キリスト教国の戦争は、終われば貿易が再開されます。しかし彼らと我々では今後の貿易も見込みがありません」


「同じ偶像崇拝国なのに貿易できないデスカ!?」

「ほう、そうなるとキが大量にありそうデスね」

「やはり、一度行ってミタイね」


「おや、()を見たいのですか?」


「ハイ、キが豊富にあると聞いて、見てみたいデス」


「確かあなた方の国は石が主な建築資材だと聞いています。それに比べるとあの国は木が豊富にあって、家や砦などがほとんど木を使ってますね」


「おおっ!」

「おおっ!」

「……キが豊富……エッヴィーヴァ!」


「んふふ、でも渡航はできませんよ」


「おう……」

「おう……」

「おう……」


 クドゥンの執務室に王某が書類をもってやってきた。

 

「クドゥン将軍、今年の兵の充足率で…………この悲壮感漂う異国人は誰ですか?」

「例のラテン人の皆さんですよ。皇帝陛下のお客人なので失礼の内容にしてください」


「ハッ! それではこちらの資料をお渡しします」

「ええ、あとで確認しておきます。それから指示があるまでそこで待機してなさい」

「ハッ!」


「さて、お客人方、あなた方の安全のためにもその〈島国〉にはお連れすることはできません。わかっていただけましたか?」

「そこをナントカなりません。ワタシたちは死の砂漠越え、荒野の山賊、人食い村、さらにはトラ、クマ、樽のような巨大なヘビも越え、大丈夫デシタ!」


「困難な旅があなた方に自信を与えているのはわかります。しかしあなたのような珍しい人種でも、彼らなら問答無用で身ぐるみはがされて、骨までしゃぶられる――といえばわかりますか?」


「身……からだ? はがす……皮?? 骨まで……おお! このマルコ・ポーロ、すべて理解しました。そういった風習があるのデスね?」

「このニコロ・ポーロも完全に理解しまシタ」

「マテオもわかってしまいまシタ」


「クドゥン将軍、絶対わかってませんよ彼ら」

「んふふ、行くのを諦めてくれれば、それで構いませんよ」


 クドゥンにしてみれば、彼らが〈帝国〉外の敵対勢力圏に行かなければそれでよかった。

 そして王某には軍務とは関係のない、一商人の言語能力にさして興味がわかなかった。


「さて、納得していただけたのなら、商人として優れたあなた方三人に少しお願いがあるのです」

「お願いデスカ?」

「お~マハマドさん以来の税金の仕事デスカ?」

「お金稼ぐのはスキ、お金を使うのはもっとスキ、税金勘定はツマラナイね……」


「ふふふ、そう難しいことではありません。ちょうど戦争が一区切りしたのでこの王某に商人のイロハを教えてあげてください」


「ぶふぉっ!?」と吹き出す王某。


「ゴホッゴホッ……クドゥン将軍、それは本気ですか?」

「ええ、例の計画には造船情報を商人に流す繋がりが必要ですからね。がんばってください。ほほほほ」


 王某はこれから別の苦労が待っているのかと、ため息をついてから背筋を伸ばして命令を了承する。


「……はぁ……ハッ! すべては皇帝陛下と〈帝国〉の繁栄のために!」


「おお! 商売に興味がアル、あるんデスね」

「はい、これからよろしくお願いします」


「よろしくアルよ。大丈夫デス。ワタシも父と叔父に鍛えられて商人として成功してるデス!」

「どうぞお手柔らかに」


「んふふ、それは頼もしい限りですね。それでは四人には旧南宋で最も栄え、商人が多い杭州という都市に行ってもらいましょうか」


 商人の多い都市と聞いて、マテオ・ポーロの目がきらりと光る。


「ん~、このマテオ、隊長さんに一つ言いたいデスね」

「なんでしょうか?」

「その都市の女性はどんな感じデスか?」


 その質問にポーロ家残り二人と王某も気になる。


「女性ですか。あの都市は市民が皆風呂に入る風呂文化があります。そして女性たちは器量が良く、身だしなみを気を付けて香水などもしますね。というのも北宋が滅んだ時に高い身分だった女性たちが身を落として遊女となり、その影響で都市全体が移民に寛大で女性の器量は総じて高いですね。特に遊女に落ちてそこで懸命に働いた女性の話は有名ですね」


 その話の人物に花魁(かかい)という女性がいる。

 この女性の小説を「売油郎独占花魁」という。

 そして長い年月を経て、この物語が〈島国〉に伝わり、落語「紺屋高尾」が誕生し、位の高い遊女である「おいらん」にあえて花魁(かかい)の字を当てたと言われている。


「つまりですね。娼婦ですら一国の姫のような美しさと、身だしなみの良さが際立ちますね」



 ――ガタン。

「イヤッッホォォォオオォオウ!」

「イヤッッホォォォオオォオウ!」

「イヤッッホォォォオオォオウ!」


「そうですか。行きましょう。すぐにでも行きましょう」と王某も杭州に行く気になった。


「ワタシたち辺境の女性ちょっとイヤです」

「そうデス。クリスチャンには受け入れがたい女性が多くて、イヤでした」


「ああ、たしか辺境の集落には旅人に女性をあてがう風習とかありますね。たしか近親者同士の血が交わらないようにするとか、なんとか」


「あれダメね。襲ってくる女性ダメね」

「ダメダメね」

「女性はお淑やかであるべきデス」


 中世西方世界ではキリスト教による確固たる価値観が存在した。

 その価値観に合わない文化をひどく嫌う傾向にあった。


「わかります」と王某も相づちを打つ。


 もっとも国家、宗教観の影響と個人の好みが必ずしも一致するとは限らない。


「おや、王某さんも乗り気になりましたか?」

「ごほん、いえ、任務ですので彼らに付いていくだけです」


「隊長さん、早くイキましょう。急げは急げデス」

「イキましょう。イキましょう」

「いくいくネ」


「では正式な転属命令は後で用意しておきますので、彼らと旅の準備をしてください」

「ハッ、わかりました」


 王某とポーロ一族が執務室を出ていくと、それとすれ違うように一人の男が入ってきた。


「これはこれは范文虎将軍、今日はお客さんが多い日ですね。ふふふ」

「クドゥン将軍、今の三人は?」

「例のラテン人ですよ」


「なるほど、あれが――あの三人について妙な噂を耳にしました」

「妙な噂ですか?」


「はい、元江南軍の兵士たちに戦争についていろいろ聞いた回っているという話です」

「例えばどんな話ですか?」


「その――言いにくいのですが、私が島流しの後に処刑されるべきだという過激な主張や、アタカイ将軍とアラカン将軍の死についてと、やはり処刑されるべきだという過激な主張、ほかにもいろいろ聞きまわっているようです」

「なるほど、わかりました」

「それから不死身の兵士があの島にはいるともっぱらの噂です。なんでもどんなに矢が刺さってもブッハッーーと叫びながら戦うとかなんとか」

「不死身――ああ、彼ですか。私も会ったことがありますよ」


「え!?」


「懐かしいですね。最初は第一次遠征の時になります。矢が三本刺さったのに起き上がって、動き回ってましたよ」

「あの……クドゥン殿?」

「その後も張成さんも同じ話をしてましたね。いやホントにいるんですね不死身の兵士って、コワイコワイ」


 「ほほほほ」と笑みをこぼしながら語るせいで范文虎はそれが真実なのか冗談なのか皆目見当がつかなかった。


「ごほん……とにかく彼ら商人は他国の間者ではないかと噂になっています。消しますか?」

「ダメですよ。皇帝陛下の客人ですので、殺るなら時期を見計らって下さい」

「御意」


 范文虎はそれを言外に、皇帝が亡くなってから殺れ、という意味だと理解した。


「それにしても上官に対しての愚痴が過激になってますね。そろそろ綱紀粛正を厳格にしたほうがいいでしょうか」

「いえ、いまだ敗戦の不満がくすぶっているので、上から押さえつけるのは止めたほうがいいでしょう」

「ほほほ、さすがは名宰相と名高い賈似道(か じどう)に認められただけはありますね」


 賈似道(か じどう)の名が出て、范文虎の顔は暗くなる。


「……私は、あの人を裏切ってしまった。抵抗せず降伏すれば家族である賈似道(か じどう)殿も助命してくれると、バヤン司令が約束してくれた」


 それは襄陽包囲戦の敗戦直後のことだった。


 その時、南宋遠征軍のバヤン総司令官は賈似道(か じどう)本人が停戦交渉に出るべきだと主張して、彼の保護を優先した。

 ところが崩れゆく南宋王朝を最後まで見捨てることが出来なかった賈似道(か じどう)は徹底抗戦を主張して、最後は内部の権力争いから流罪となり、その流刑地で殺害された。


「それで賈似道(か じどう)殿さえ生き残れば南宋王室を残せると思ってしまった。今思えばあの人の人となりを考慮しない浅はかな考えだった」


「すぎたことです。今は〈帝国〉のために働いてください」

「ハッ!」


 范文虎はその後、アタカイとのわだかまりは最後まで残り続けたが、それが表面化することもなく、仕事人として職務を全うした。

 彼は常に下からの不満のはけ口として矢面に立ち続け、そのことを取り締まることはなかった。

 下からの印象は最悪であったが、上からは稀有な仕事人間として高く評価され、中書左丞、そして知枢密院事という軍事の最高機関を歴任した。



 ――――――――――



「マルコ、マルコ!」

「――!?」

「どうしたんだ? さあ、続きを話してくれ、それを一通り記述してから本の編さん作業に入る予定なので、別に多少の間違えがあっても問題ありませんよ」

「もちろんだとも、まだまだ話したいことはたくさんあるからね。次はぼくが最も愛した都市、杭州(きんさい)について述べるよ」



 マルコ・ポーロは25年におよぶ旅の話をルスティケロに話して聞かせる。


 しかし、実際の内容と物語の内容に多少のウソが入り込んでいる。


 例えば、その時の皇帝に絶大な信頼と寵愛を受けていた、徴税官として抜擢された、という――客人として迎え入れられた本来の話を大幅に盛った内容、ほかには回回砲を伝授したのはマルコ・ポーロたちだったというのもその一つだ。


 そして故郷への帰還の際にはコケジン・カトン姫の船団に同乗した話が、まるで騎士と姫の長い旅物語かのように記述した。


 だが、それこそが本が売れる作家の技巧と言える。


 はるか異国の東方世界ではただの商人が世界の1/4を支配する皇帝から全幅の信頼を得る。


 そしてその〈帝国〉の姫をイル・ハン国に送り届ける。


 アーサー王伝説などの騎士物語が溢れる西方世界で、これほど愉快な()()は他になかった。


 ジェノヴァやヴェネツィアをはじめとして権力者や有力者はこぞってマルコの旅行記を手に入れ、写本を作った。


 それらは書き写すたびに話が盛られ、翻訳のたびに内容が変化し、浸透していく。


 大まかに6系統、140種類以上の異本が作られた、その本の名前は「世界の記述」、「驚異の書」。


 後の〈島国〉では長い長い鎖国が終わったあとに「東方見聞録」と題されて紹介されるのだった。










 晩年、マルコ・ポーロは病に伏していた。

 死期が近い彼に、親しい友人がそっと言った。


「君はイル・ミリオーネと皆に呼ばれている。いつも百万と大ぼら吹きの男という意味だ」

「ああ……」

「どうだろう。そろそろあの本に書かれていたことはウソだったと告白するべきじゃないか。そうすれば魂は救われて地獄に落ちないで済む」

「なにを言っている。あの眩い都市、万の人が行き交う首都、あそこで見聞きした内容の半分も書かれていない。そうあの本より実際は本当にすごいんだ…………あの国はすごい百万以上の……」


 17歳で行商の旅に出て、40を過ぎた1295年に帰還。

 その後、ジェノバ捕虜時代に共同著者として本を出版。

 本の内容は終生信用されずついたあだ名は「イル・ミリオーネ」、百万男と言われた。


 1324年死去 享年70。


 彼の見聞に真実味があると再評価されるのはさらに数百年の月日を要する。



 なおルスティケロの出所後の足取りは不明である。

これで外伝的な東方見聞録は終わりです。

要約するとアンジャッシュ!

そして福田兼重は他のどの御家人よりも先駆けて西方世界に不死身の兵士として進出。


范文虎の史実に関しては謎が多いです。元史では出世その後は不明確になってます。

小説や解説サイトなどでは処刑一択ですね。

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