驚異の書 獄中のマルコ
1284年、イタリア半島に存在する地中海交易国であるピサ共和国は同じ貿易国であるジェノバ共和国が海洋覇権をめぐって争った。
この戦いをメロリアの海戦という。
ピサ共和国が敗北し多数のピサ人が捕虜として捕まった。
この捕虜の中の一人、ルスティケロ・ダ・ピサという男がいた。
彼は「アーサー王の円卓騎士物語」という王の騎士500人の物語をフランス語に訳した著者でもある。
それが後に数奇な人生を歩む原因となった。
――時は流れ1298年。
看守二人がルスティケロの部屋に入ってきた。
「ルスティケロ、またしても我らがジェノバ共和国がヴェネツィアとの戦争に勝利した!」
「あと、それからここにお前の独房仲間が入ることになったぞ」
「はぁ、それは嬉しくない話だ」
当時のジェノバとヴェネツィアは都市国家として独立しており、地中海の貿易圏を独占するためにたびたび海戦を繰り返していた。
そのためサン・ジョルジョ宮殿のジェノバ刑務所には戦いが起きるたびに住人が増えていた。
この日も何人もの捕虜が独房へと詰め込まれた。
人数が年々増えるので独房の同居人は増える一方だった。
「ほら早く中に入れ」
ルスティケロの独房に一人の老けた男が入ってきた。
肌は荒れ、他のヴェネツィア人より焼けている。
一見すると中東出身者のように見える。
「やあ、こんちは。ぼくはマルコ、商人のマルコっていうんだ。よろしく」
「これはこれは、私の名前はルスティケロ・ダ・ピサといいます。よろしくお願いします」
歳にして四十ほどの男だが、その顔は同年代の誰よりもシワを刻み、そしてその言葉遣いは若者というよりしゃべるのが不慣れな子供っぽさがあった。
それからほどなくして、その違和感の正体が判明する。
「マルコ! 今日も旅の話を聞かせてくれ!」
「俺も聞きたい。それから面会希望者が何人も来ているから独房に連れてきた!」
そう言って、独房のはずなのに人であふれている。
脱獄しようと思えば誰でもできる状態、しかし誰も脱獄しようなどと考えない。
脱獄するより、独房生活のほうが安全で、そのうち戦争に飽きた両国が捕虜交換をすると皆が知っているからだ。
そして、そんなことよりマルコの話を聞くほうがずっと面白いと知っていた。
「わかったわかった。それじゃあ、新顔が多いからまずはなぜ、ぼくが旅をすることになったのか、そこから話すね」
マルコはジェノバの取引先であるイスラム世界よりもさらに東まで行商で出かけ、そこから帰ってきたのだ。
そしてその噂はジェノバ中に伝わり、今では連日人が訪れている。
彼はまだ若い時にヴェネツィアを旅立ち、そして異国語の中で経験を積み戻ってきた。
それが、たどたどしいしゃべり方の原因だった。
「では、このマルコ、マルコ・ポーロがいかにして東の最果てオケアノスの海まで見てきて、そして祖国ヴェネツィアまで戻ってこれたのか――その前になぜそんなことになったのか、そこから始めよう」
ルスティケロと独房仲間たちが、看守たちが、そしてウワサを聞いて駆け付けた貴族や豪商たちが、みな獄中のマルコをじっと見る。
「まず、すべての始まりはぼくが生まれる前の1253年に父とその兄弟であるニコロとマテオがコンスタンティノープルに旅立った時からすべてが始まる――」
――――――――――
この二人の兄弟は第7次十字軍相手に商売するためにコンスタンティノープルへ行ったんだけど、つまりいろいろな物を十字軍に売って儲けていたんだ。
ちなみにぼくが生まれたのはその1年後の1254年になる。そして母はそのすぐ後に病で亡くなった。
そんなわけでぼくは実は親の顔よりヴェネツィアの朝日を拝む回数が多かったんだ。
さて、ぼくが親族とその召使たちにおしめを取替えてもらう話を聞いても面白くないから、兄弟の旅路に戻ろう。
二人はコンスタンティノープルで一財産築いて、それをすべて宝石に変えた。
そしてさらに利益を得るために黒海を渡り、ソルダイア(クリミア半島)へと渡った。
そこでは宝石の需要はあまりなかったらしく、さらに遠方へと旅立った。
その時もっとも金のある国、つまりキプチャク・ハン国へと赴いたんだ。
そこの宮殿へと招かれた兄弟はベルケ・ハーン王に宝石をすべて献上した。
すると王は満足して、異国の商人に宝石の二倍の価値あるものを贈った。
兄弟はハーンが王として寛大でないといけない、だから無償の献上には莫大な返礼が帰ってくるのを知っていたんだ。
そしてベルケ・ハーンは身にまとっている衣装や宮廷のあちこちに宝石を取り付けた。
ここで問題が発生した――なんと戦争が起きてしまったんだ。
兄弟は避難するために少し離れた都市へと移動したんだ。
その戦争で帰れなくなった兄弟は三年間なんとか商売をしながら生活していた。
そしたらなんとその都市にはるか東の帝国の使者がやって来て、物珍しかったラテン人の兄弟と面会したいと遣いがやってきたんだ。
そこで使者が提案したんだ。
「もしよろしければ我が国の皇帝陛下と謁見してみないか、あの方はラテン人に会ったことがないので、もし私を信じて東の果てまで行けば、そこで莫大な資産と名誉を得られる。どうだろうか?」
二人は二つ返事で了承して東へと旅立った。
そして長い旅路を経た1264年、ばくが10歳の誕生日を親族と祝った年に帝都・大都の宮殿で五代目皇帝と謁見した。
――――――――――
この1264年とは〈王国〉が〈島国〉の存在を官吏・趙彝を介して通交の進言をする一年前のことである。
「ぼくは親戚やほかのヴェネツィア少年と同じく商売のイロハを教わりながら、よく遊んでたんだ」
「マルコお願いだ。異国の話をしてくれ!」
「はいはい、わかったよ。それで兄弟は皇帝から黄金の牌子――通行手形をもらったんだ。理由はローマ教皇への使節として書簡を届けてくれという内容だ。それを了承して、二人は今度は西へ西へと旅立って、ついに故郷へと戻ってきた。今でも覚えている。あれはぼくが15歳になったときに父が帰ってきたんだ! 1269年にやっと親の顔を見ることができた!」
この1269年に〈帝国〉の最初の使者が太宰府に訪れた。
その5年後に文永の役が起こる。
「それでいろいろあったんだけど、父に連れられて今度はローマ教皇の親書を携えて、またしても東の果てまで行くことになった。こんどはぼくも一緒に旅立ったんだ!」
――――――――――
さてさて、それはものすごく長い長い旅の末、1275年に上都という夏の首都にたどり着いた。
この都市には毎日、万の人が往来して冬の首都である大都と往復していた。
というのも王族の移動に合わせて職人も移動してたら大変なことになる。
だから大都市の万の職人たちが日々、献上品を仕立ててそれを送っていたんだ。
王族もすごくて彼らの身の世話をするために万の使用人がいて、さらに300人以上の侍女が接待していたんだ。
ぼくら3人はそこで皇帝と謁見して何とかローマ教皇の書簡を渡すことができた。
この困難な旅路と任務の褒美として皇帝はぼくらが自由に商売する権利を与えてくれたんだ。
とはいえ元手がほとんど無かったので実際に商売をすることができなかった。
そこで、ちょうど南宋が滅亡した時の人手不足ということもあり、ぼくら三人は旧南宋で万戸長の手伝い――つまりバイトをすることになった。
その内容は我々商人の得意分野である税金の計算だ。
しかも異国の地ということもあり、皇帝陛下が配慮してくれて西方の出身者にあずけられた。
つまりペルシャ語の話者であり、万の民を束ねる行政官になる。
「あなた方が西から来たラテン人ですね。私の名前はマハマドと言います。そして彼女は私の妻の張氏です。ただ、すみませんが彼女はペルシャ語で喋れないのでご注意ください」
「わかりました。ぼくもペルシャ語は多少しゃべれるぐらいなので、これからよろしくお願いします」
このマハマド、実は戦争時には将軍として前線で戦うのだけど、その下で数年間は税務調査をさせてもらった。
そしてお金を得たら各地方に渡って、「私は税務官の下で――」、とたどたどしく現地語で喋ると、どの町も笑顔で迎え入れてくれた。
もちろん彼らは税務官を追い返して万の騎兵が押し寄せてきたら困るからそうしてるだけだ。
そんな感じで町に入るとそこで手に入る希少な鉱物や香辛料を売買して、隣町でも売り買いした。
その時についでに現地語と面白い話を教えてもらったんだ。
現地の情勢がわからなくて商売に失敗したらマハマドの下に戻って、税金計算をしてお金稼ぎをした。
それから数年した1280年にちょっとした問題が起きた。
というのもマハマド長官が東の果てのオケアノスに浮かんでいる〈島国〉へと遠征に向かったんだ。
ぼくらはマハマド将軍と別れてさらに奥地の成都、雲南、大理と商売をしながら移動を続けた。
そこで一儲けしたんだけど、さすがに稼ぐだけ稼いで税金を払わなかったら、なにを言われるか分かったものじゃなかった。
そこでキプチャク・ハン国のベルケ・ハーン王にそうしたように、手に入れた宝石類を献上するために大都へと戻った。
大都に戻る途中で知ったことなんだけど、なんとマハマド将軍が参加した遠征軍が大壊滅をしてしまったんだ!
将軍とその奥方の張氏はともに無事だった――というより、むしろ前よりも仲睦まじい姿を――つまり熱愛状態だった。
二人の世界に入るのは邪魔ものでしかなくてちょっと気が引けた。
だけどそのころには向こうの言語を一通り喋れるようになったので、別の人の世話になることでお邪魔虫にならずに済んだ。
ということで今回はその謎に包まれた〈島国〉で何が起きたのか話そうと思う。
これは本当にあった話。
その〈島国〉の名は「ジーペングオ」。
たしか彼らの言葉で「弘安」という戦争の話だ。




