撤退する武士たち
対馬と壱岐島を奪った異賊たちはついに博多に現れました。
――十月廿日(20日)未明。
太宰府の少弐「三郎左衛門」景資殿が大将軍として待ちかまえるところに、異賊の集団が上陸したのです。
彼らは馬に乗り、旗を掲げて攻め込みました。
「ガルルルル、攻め込め! 攻め込むのだ!」
「ワオォォォォン!!」
「む! 敵だ、敵がいるぞ。小さいな、子供だぞ!」
彼らの前に少弐覚恵(資能)の孫である少弐資時が現れたのです。
「こっちに矢を構えた。放つきだ。注意しろ!」
「!?」
わずか十二で初陣を果たした少弐資時。
彼は武士の戦の作法に則って矢合わせの鏑矢を放ちました。
「やっ!」
「矢だ、矢が飛んできた!」
「音が鳴ってる! 変な音が鳴っている!?」
鏑矢というのは「ヒュルルルル」と変な音をだす矢なのですが、それが空高く鳴り、地面に落ちました。
「………………」
すると――。
「ぶわっはっはっはっはっは!」
「ぎゃはははははははは」
「ハッハーッ、当たらないではないか!!」
――と、異賊たちは一度にどっと笑いました。
これは仕方のないことです。
資時はまだ幼く、信仰力が足りなかったのです。
「太鼓を叩け!」
「ドン! ドン! ドン!」
彼ら異賊は太鼓を叩き、銅鑼の音を打って、大音を鳴らしました。
その太鼓の音はとても大きく、武士の馬もその音に驚き跳ね狂うほどでした。
「ヒヒーンッ!?」
「わっ!? おちつけ、おちつくのです!」と資時は慌てました。
馬たちが言うことを聞かなかったので、武士たちの対応も遅れます。
「ええい、言うことを聞かぬか!」
「ガルル、馬が驚いてるぞ! いまだ全員で矢を放て!」
「ワオォォォォン!!」
そこへ異賊たちが矢をわっと放ったのです。
異賊の矢は射程が短いといえど、その矢に毒が塗ってあります。
つまり一度でも当たるとお終いだったのです。
「ぐわっ……矢が刺さって………うぐっ………ばたり……」
「ど、毒だ。これには毒が塗ってある!?」
「動けなくなるぞ。死んでしまうぞ!」
そのような武器を持った異賊数百人が矢先をそろえて雨のごとく矢を射ってきました。
さらに陣形の前方に楯と槍を隙間なく並べて、一面に立ち並んで構えていました。
「あのような陣形など我が突破してみせる!」
「突撃だー!!」
「おおっ!!」
さて、この敵の陣形に攻め込んだら、異賊たちは身を引いて引いて、囲むように退いたのです。
「ガルルルル、バカめ。十歩下がって取り囲め!」
「ハッ!」
すると攻め込んだ者の左右には槍の先端がずらりと並んで、取り囲んで皆殺しにしました。
「か、囲まれたぞ!」
「退け、退くんだ!」
「ぎゃあーー!」
こうして囲んで死んだ者たちをみて異賊たちが恐ろしいことを始めたのです。
「ガウガウ、ちょっと腹がすいたな」
「そうだな。よし、戦いの最中だが飯にするぞ!」
「オオォォ!!」
なんと異賊たちは武士の腹を裂き肝を取って飲み込んだのです。
さらに倒した牛馬の肉を旨そうに食べるではありませんか!
「もぐもぐ……うめぇ……毒の回った肉うめぇ……」
「おい、洪茶丘! また腹を壊すぞ!!」
「ふん、この程度で腹を下すわけあるま…………ぎゅるるるる」
「ふん、これだから洪茶丘軍は疫病ですぐにやられるのだよ……さあて、オレは矢の刺さってないお前を喰ってやる!」
――――――――
「う、うわあああああああああ!!!!」
童の一人が突然、立ち上がって叫んだ。
あまりにも恐ろしい光景を思い浮かべてしまったのだ。
「ねぇねぇ、いま毒で自分たちがやられてなかった?」
「そうなのかな? よくわかんないや」
「お、和尚様ほんとうにそんな恐ろしいことがあったのですか?」
「ええ、本当です」
「う、うそだ。人が人を食べたりしないよ……」
「もうお忘れですか。相手を人と思ってはいけません。彼らは犬の子孫である獣人なのですから何でも食べるのです」
「そ、そうだったーー!」
「ねぇ本当に毒肉を食べたのかな?」
「雨のような矢だから、そうなるよね」
怖がる童、疑問に思う童、こそこそと相談を始める童。
いくら八幡愚童訓に書かれているとはいえ、さすがに無理が出てきたか。
和尚は話をそらすために次の場面を語ろうとする。
「さあ、みなさん。彼ら武士がどうなったのか知りたいですよね?」
「知りたーい!」
「知りたーい!」
「知りたーい!」
「ごほん、異賊の鎧は軽く、馬によく乗り、力は強く、命を惜しまず、まさに『豪盛勇猛』でした。
戦場では自在極まりなく駆けて、退かせる。
これができるのは異賊の大将軍が高い所に上がり、退くべきところで『逃鼓』を打ち、
駆けるべきところでは『攻鼓』を鳴らしていたからです――」
そこで童の一人が手を上げる。
「和尚様つまり敵の大将軍は山を登っていたのですか?」
「そうです」
「見ず知らずの土地の山の上に登ったのですか?」
「そうです」
「えっと、銅鑼――太鼓をもって登ったのですか?」
「そうです」
「みんなが戦ってる最中に?」
「そうです」
「目立ちませんか?」
「確かに目立ちますね。しかし博多の海沿いには山が多数あり、その一つに登っていたのです。それに彼ら獣人は人とは違うので、獣のごとき脚力で瞬時に山頂まで登ったのです!」
「な、なんだと……」
――――――――
「ハッ、ハッ、ハッ――フンヌ!! ガルルルル、ここが頂上か、見晴らしがいいな」
「ハァハァ……クドゥンのお頭、銅鑼を持ってきました!」
「グルルルル、すぐに叩いて攻撃を促すのだ」
「ハッ! 叩け! 叩け!」
「おお、銅鑼の音が鳴っている。一気に攻めるぞ!」
「ガルル……山の上にいつの間にか移動している。さすがお頭だ、脚力が違うぜ」
「本当だ。いつの間にか移動して、銅鑼を鳴らしている!」
「囲んで刺し殺すのにも飽きてきたところだ。てつはうを投げろ!」
「ワオォォン!」
彼らは『てつはう』という、丸い鉄の容器に火をともしたのです。
てつはうは火をつけると激しく音をだし辺りに火がほとばしったのです。
その炎が終わるときにドーンと音がして四方に火を飛ばしました。
「うわっ!?」
「なんだあれは!」
「火の玉だ。火の玉が燃えている」
「ば、ばくはつした! 爆発したぞ!!」
その激しい火炎で目をくらまし、また驚くほど高い音を発します。
気の弱い者にとって心が迷い、きもが冷える。
そのような武器を用いたのです。
「お、恐ろしい!!」
「逃げろ逃げろ!!?」
また戦い方の違いはそれだけではありません。
武士たちは相互に名乗りあうのが礼儀です。
「遅ればせながらただいま見参しましたる、我こそは鎌倉殿、源頼朝に仕えし北条時政どのとともに――ぶわっ!!?」
しかしこの合戦では異賊たちが大勢で一度に攻め込んできます。
我も我もと馬に取りつき、殺して又は生け捕りにしていきました。
「なんかよくわからんが、引きずりおろせ!」
「ひゃっはーぶっ殺して喰ってやんよ!」
そのため一騎駆けをして討ち取られなかった者はいませんでした。
「なんと卑怯な!」
「資時どのここは危険です。後ろに下がりましょう」
「う、うん、わかった」
この合戦で最も被害を受けたのは松浦党の手勢でした。
他には原田の者たちが、田んぼのようなところで追い込まれて討たれました。
「足がとられて動けない!」
「隙あり!!」
「ぎゃあっ!!」
その光景に見かねた日田と青屋勢の二、三百騎ほどが敵陣に入り込んで、敵を突き刺しながら進んでいきます。
「日田ドンこのままでは負けてしまう。敵の大軍に我らが突撃をして、打ち破ってこの状況を打開するぞ!」
「青屋殿それは名案だ、みな突撃だ!!」
「応!」
しかし彼らも囲まれて討死してしまいました。
そして主人を乗せたまま馬が味方の陣へと帰ったのです。
「おい、馬だけが戻ってきたぞ!」
「いや人だ。亡くなった人が乗っている!!」
そこで青屋が討たれたと知るのでした。
――――――――――
数百年の時を超えて日田永基、いつの間にか文永の役で死す。
和尚が、そして八幡愚童訓がそういっているのだった。
このようにして武士たちが苦戦した様子を伝えた。
寺に集められた童たちはざわめく。
「武士が負けてどうなっちゃうの?」
「そんなにむくりこくり鬼は強いんだ……」
「こわいよ……こわいよ……」
和尚は童たちの雰囲気を感じ取りながら、さらに武士たちがいかに苦戦したのかを話すのだった。
「それでも肥後国の御家人たちは戦い続けました。次に戦いを挑んだのは船に乗りし武士、竹崎『五郎兵衛』季長です」
「………………だれ?」
この時代、竹崎季長は過去の人となっていた。
――――――――――
肥後国の御家人たちは敵船団へと攻撃を始めるのでした。
「あ、あの五郎殿、なんで馬に乗って先駆けをしないのですか?」
「籐源太よ。いいか、ここで先駆けをしようものなら、たちどころに囲まれて殺されてしまう。つまり後々の整合性を考えるとそれだと困るのだ」
「整合? え!? せいご???」
「ええい、深く考えるな。我々は弓箭の道――じゃなく仏道とは信仰心を常とする。ただ駆けよ!」
「あ、はい!!」
竹崎以外にも天草城主である大矢野種保兄弟も共に船を襲いました。
「ははは、それでこそ竹崎季長じゃ。我ら大矢野氏が何とかがんばって有明海から博多湾に船を持ってきた甲斐があるというもの」
「兄者、敵船が矢を射ってきた。四百艘の船が次々に矢を射ってきた!!」
「よし、者ども矢戦じゃ!」
「応!!」
彼らは奮闘しましたがここに至り戦いは不利になっていきました。
「ううむ、やはり多勢に無勢。ここはいったん引き上げるぞ!」
「旦那……なんで海に出たんですか……ほんと何でですか!?」
陸でも負けが続き、白石通泰や山田の若者たちが異賊に追い立てられて、赤坂を下っていきます。
その時の逃げっぷりときたら兜がのけぞる形になったほどです。
「なんてことだ。我ら白石百騎余りをもってしても歯が立たんとは!」
「とにかく逃げて、那珂川を越えて博多で体制を立て直すんだ!!」
逃げるところで異賊たちともみあいになるほど押しかけてきました。
「ガルルルル、追いついたぞ。叩き潰せ!」
「ワオオォォン!!」
「逃げろ、逃げろ。もっと下がるのだ!」
「ひぇ~~」
されど、一町(100メートル)あまり逃げ続けると異賊もさすがに疲れて攻めが一旦止みました。
この時、逃武者たちは――。
「悔しい、悔しいぞ。奴らに追い立てられる事が口惜しい」
「そうだとも、このような屈辱が耐えられるわけがない。精兵を集めるのだ!」
――と精鋭兵を集めて遠矢による合戦に臨んだのです。
「なぜ勝てないのだ。なぜなのだ!!」
「そういえば武神・八幡大菩薩神さまにお祈りをささげてないぞ! すっかり忘れてるぞ!」
「そうだ。祈りを捧げながら戦うのだ!」
彼らは「南無八幡大菩薩さま、この矢を敵に当ててくれたまえ!」と念じたのです。
――ひゅるるるる。
すると!
あてもなく狙いも定めず放たれた矢は、不思議と力強くまっすぐと飛びました。
――ヒュンッ!!
そして異賊たちを射殺したのです。
「あたった……当たったぞ!」
「やったーー!!」
「わっはっはっはっはっは!」
「だははははは!!」
この時に、武士たちは一度にどっと笑いました。
異賊は音も発せずに手負を担いで逃げ去りました。
「くぅ~ん、なんであたったんだ……」
「と、とにかく一旦引くぞ……腹が痛いし、一旦引くぞ」
これは戦いばかりを考えていた武士たちが祈りをささげた結果、霊験あらたかな八幡菩薩さまがお力を授けてくれたのです。
これにより、その矢はみごと当たったということです。
これにはみなが嬉しくなり、合戦は盛り返したのでした。
しかし、しかし異賊は強く、次第に勝ちに乗じて更に攻め込んできました。
今津、佐原、百道、赤坂まで攻め込んで、ついに赤坂の東にある松原に陣をたてます。
「ふん、洪茶丘め。おめおめと逃げよって、我ら四将軍の面汚しめ」
「金方慶よ。この劉復亨が前に出る。ゆえにその間に博多の西半分を制圧するのだ」
「ヒゲ殿、わかった。ならばすぐにここら一帯を占拠しよう」
武士たちはこれほどの劣勢になるとは思ってもみなかったので、妻子眷属ら数千人が捕らえられてしまいました。
「ぐへへへ、女子供はみな奴隷として連れていけ!」
「ヒャッハー!」
異賊たちは勢いを完全に取り戻してしまったのです。
「ガルルルル、先ほどの矢が当たったのはまぐれだ。皆この劉復亨に続け、前進せよ!」
「オオォォ!!」
――――――――
「あわわわわ……」
「うわぁ……」
純粋無垢な童たちの顔が恐怖で塗り固められている。
和尚はちらりと彼らの表情を見てから「ごほん」と咳払いをする。
そして優しく語り始めた。
「さて、もはや絶体絶命の事態に、ついにあの男が立ち上がります!」
「!?」
「その男の名は菊池武房、肥後国の英雄です!」
「きたーーーーっ!!」
「きたーーーーっ!!」
「きたーーーーっ!!」
童たちの歴史授業、楽しくなる!
作者が盛った個所は多少あれど、大体八幡愚童訓の内容になります。
よく元寇の解説等である武士たちと戦い方が違いすぎて負けまくる部分ですね。
ちなみに初期の八幡愚童訓には竹崎季長は載っていません。この船に乗って~~の部分は江戸時代になって蒙古襲来絵詞が再発見されたときに無理やり足したのだろうと思われます。




