文永の役 鳥飼潟の追物射
「ここの方が見やすいだろう」
菊池武房はそう言って赤坂山の山頂に来ていた。
「やはり気になられたのですね」
「ふん、川下の連中がどれほどの腕前か興味がでただけだ」
それは弓馬の道を極めんとする武士の性だった。この時代の御家人たちは、立場は違えども戦いは見届けるべき、そんな心意気を有していた。
――鳥飼潟。
赤坂の西に広がる干潟のことである。ここはかつて入り江だった所に川から運ばれた砂が流れ込み、それが徐々に堆積して干潟を形成したのだ。
この干潟を馬で走るのは困難を極める。
五郎は「どう! どう!」といって馬を止めた。
「干潟か、ここを馬で渡るのは難しいぞ」と三郎がいう。
その干潟を〈帝国〉の兵たちが突き進んでいる。
菊池一門が騎兵のみで襲撃したから、〈帝国〉の歩兵は干潟を利用することで騎兵を振り切ることにしたのだった。
五郎はあたりを見渡してすぐに決断する。
「義兄上、あの大部分は雑兵のはずです。干潟を迂回しているあの騎兵こそ獲物と見ます」
五郎は街道を通る少数の敵を指さした。
「確かにな、ということは――」
「そう、あの先頭を駆ける赤服が大将首だ」
それは託磨を射抜いた紅の武将だった。
「あの騎兵たちは動きを徒歩に合わせているな――この距離なら仕留められぞ」
「よし行くぞ皆続け!」五郎の号令に従い郎党たちと駆ける。
五郎は胸が熱くなるのを感じる。クマを射抜いた時よりも胸が高鳴っていた。
馬が風を切り、その冷風が頭を冷やす。
落ち着け、まだだ、まだ距離がある。できるだけ距離を縮めろ。
その時、白馬に跨る赤服の武将が、『ヒュッ!』と甲高く叫ぶと〈帝国〉兵たちが一斉に鳥飼潟へと入っていった。
「五郎、気付かれたぞ!」三郎が叫んだ。
「ならば干潟を突き進んで追物射するまでよ。皆かけよ!」
「おう!」五騎も干潟へと進入する。
遮蔽物のない干潟はある意味絶好の狩場だった。全力で追いかける。
足場は悪いが思っていたほどではない。これならいける。
五郎は矢を番え、弓を引く。
敵も干潟で速度が出ていない。
みるみる距離を詰めていく。
ここだ。
大将首討ちと――っ!?。
だが足場が悪すぎた。
「――うおっ!?」
五郎の馬は潟に足を奪われ倒れてしまった。
三郎以外の三騎も干潟で苦戦する。
「この程度! なんともないわ!!」
三郎だけは十分に速度を落として馬を駆り、少数の〈帝国〉兵に弓を放つ。
最初は――外す。
二発目は――当たった。
『キーンッ!』
そして金属がぶつかり合う音がした。
矢の刺さった〈帝国〉兵は何事もなかったかのように逃げる。
「ええい、倒れぬか!」
三発目も当てて、四度目を外したところで三郎も諦める。
「くそっ! 足場が悪すぎる!!」と三郎が悔しそうに吠えた。
それから――。
五郎たちは干潟を出て近くの小川で合流した。
「〈帝国〉のやつら布と皮の服かと思ったら、中に鉄を着込んでいるぞ」
それを聞いて五郎の眉間を寄せる。
「それは厄介だな」
「何が厄介なんですか?」と籐源太が質問する。
「ああ、あれは噂に聞く大陸の鎧――たぶん綿襖甲と呼ばれる代物だ」
〈帝国〉の鎧は色彩豊かな布をまとって、その内側は厚い鉄板が隙間なく詰められている。
これを綿襖甲という。この防具の恐ろしい所は刃で斬りつけると裏地の鉄板で刃が欠けることにある。
すると二撃目には欠けた刃と綿が絡まり、斬るという動作をすると引っかかる。
たちどころに得物が使えなくなる。そうして手をこまねいている隙に周囲の兵が槍で倒すのだ。
「つまり布のせいで斬りかかれない鎧ということだ」と三井三郎がいう。
「はぁ、けど弓を使う我らにはあまり関係ないのではありませぬか?」
「ははは、その通りだ。だから我ら武士の間では遥か昔に廃れた武具よ」
この綿襖甲は数をそろえるのが難しい防具である。
その上、弓騎兵が発達した〈島国〉では白兵戦は珍しく、とうに衰退した防具でもあった。
「なに接近戦をしない。つまり我らは我らの戦いを――弓箭の道を貫けばいいだけということだ」と五郎が言う。
「五郎さんがそう言うのならそうに違いない」うんうん、と頷きながら郎党たちはそれに納得した。
五郎たちはこの一戦だけでどう戦うべきか把握した。
――――――――――
「無様にも潟に足を取られただけか」
「まだ見届けますか?」と有隆が聞いてきた。
「ふん、所詮は庶流の者。今日討死する御家人というだけのこと、帰るぞ」
これ以上見るものは無いと言うように博多の町へとむかう。
一人残った有隆はまだ竹崎たちを見ていた。
「………………兄者、わたくしもその庶子でございますよ」有隆はそうつぶやくのだった。
有隆は言葉を交わさずとも似た境遇の五郎に少しだけ親近感を感じていた。あるいは少弐景資や他の御家人含めてここに集うすべての御家人に対して、家督を継げない自身の境遇と重ねていたのだった。
そんな思いで戦場を見渡していたら強風が吹いた。
砂の舞い上がる風に一瞬目を閉じる。
そして目を開いた時――。
「あ、兄者大変です! すぐこちらに来てください!」帰ろうとする武房を呼び止める。
「どうした?」
「山が! 麁原の山が!!」
「一体どうしたという…………」
そういいながら赤坂から麁原を見た時、菊池武房は開いた口が塞がらなくなった。
しばし時間が経ってからつぶやく。
「…………なんだ、あれは」
――――――――――
五郎たちは小川で休息していた。馬は物言わぬ道具ではないし、五郎たちは軍馬の扱いに長けた御家人である。
戦いの合間に馬の様子を都度見て、あとどれだけ戦えるか、あるいは馬を潰してでも戦うべきか見極める。
「籐源太、馬の様子はどうだ」
「この転んだ馬でもまだ走れるとは思います。――が、ここは無理をさせない方がよろしいかと」
馬の脚を触りながら郎党の一人、籐源太資光は答えた。
「そうか、仕方ないな」
「五郎殿に何かあっては事ですので、こちらの馬と交代しましょう」旗指、三郎二郎資安がそう言った。
「資安はそれで大丈夫なのか」
「この馬も見たところちゃんと歩けていますし問題ございません」
「そうか、なら乗り換えよう」
五郎は資安の提案を聞き入れて、彼が乗っていた黒馬と乗り換えることにした。
といっても馬たちは小川で水を飲んでいる。まだ無理をさせることはできなかった。
「馬の休息中に江田殿から頂いた飯を食べることにしよう。休息が終わり次第もう一度敵に追物射を仕掛けよう」
「おう、そうだな」
「飯だ飯だ!」
馬の体力を見ながら騎射と休息を繰り返す。それがこの時代の少数の戦い方だった。
五郎は空を見上げる。すでに空は明るくなっている。
先懸をすると言って出たのだ。何が何でも首級を一つは持ちかえりたいところだ。
「五郎殿、眉間にしわがよってますよ」そういいながら籐源太が焼米を渡してきた。
「む、そうか」
「あまり気を張り過ぎない方がよろしいかと」
「そうか、それもそうだな」そう言って握飯を受け取る。
その時、強風が吹いた。凍てつく北風に頬が冷える。
鉄の鎧が体温を奪っていくのを感じた。
「あ……」籐源太が呆けた声を発する。
「どうした籐源太」
「おい、五郎。麁原をあれを見よ!」今度は三井三郎が言う。
強風により麁原山の煙がゆっくりと流されていく。
「そんな……バカな」五郎は持っていた焼米を地面に落とした。
煙に包まれた麁原山の全容が浮かび上がる。
それは垣楯に囲まれて数千の槍が空を突き刺すような針山。
それは色とりどりの綿襖甲と旗が彩る紅葉。
『ドン! ドン! ドン!』
そして銅鑼の音が空を震わせる。
『ウオォォォォ! ウオォォォォ!』
千以上の兵の地響きの如き大喝。
『カンカンッ! カンカンッ!』
そのふもとでは数百の工夫たちが強固な陣地をつくる。
五郎たちが目にしたのは、そこにあってはいけないもの。
【一夜城】 麁原。
〈帝国〉は城を築いていた。




