パックス・タタリカ
戦争は終わった。
だが、当事者たちの戦いはまだ続いていた。
千葉宗胤は肥前国の守護代として各地の防衛強化のために壱岐島から戻ってきた。
七年前は迅速な撤退によって何も得ることができなかったが、今回は敵の武具や最新の武器を大量に鹵獲できた。
郎党たちと総出でその仕分けをしている。
「ごほごほ……それはなんだ?」と千葉が聞いた。
「鷹島の砦に置いてあった鉄に包まれた玉です。噂ではこれが煙幕を出しているそうです」
「あの煙幕か!」
「へえ、それで今後のためにこれらは全部鎌倉の北条時宗様に献上して、そこで実演することになってます」
北条時宗、鎌倉殿を支えた八代目執権であり、この〈帝国〉との戦いのために兵站物資から人員の派遣まで広く対応した人物となる。
しかし彼は三年後の弘安七年(1284年)に病床に、翌年の四月四日に出家したと同時に亡くなる。
死因は不明。 享年三十四。
「そうか、わか……ごほごほ」
「千葉の若君、大丈夫ですかい?」
「撤退する〈帝国〉の船団の煙幕を吸ってな。どうも喉の調子が悪いのだ」
「そうでしたか――そういえば捕虜たちが毒がなんとかと言ってたような……」
「毒、それなら矢に毒が塗られていた。あの少弐資能殿もたった一矢で毒が回り亡くなられた」
「ほんとですか! 回収した矢については注意するように言っておきます!」
「……ああ、そうしてくれ」
千葉宗胤はその後、大隅国の守護職を与えられその地で異国警固番役となる。
だが永仁二年(1294年)に若くして亡くなる。享年三十。
北条実政は博多から動かなかった。
そのことに無力感を感じる。
「私はほとんど何もできなかった。無力だ……本当に無力だ…………」
「何をおっしゃいますか。人一人ができることは少なく、だからこそ我ら御内人が貴方様を支えているのでございます」
「左様、戦いの問題点はわかっております。兵站が弱く、兵を大量に集められなかったことです」
「そう考えますと長門国こそ弱点といえましょう」
「……そうなのか。ならば長門に力を入れるほうがいいのかもしれないな。おぬしらを信じているからな」
「ええ、もちろんですとも」
関東御使の合田を含めて御内人たちが実政の周囲で諭す。
彼らの主張を受け入れ、北条実政は二年後の弘安六年(1283年)に長門探題に就任して、その地の開発に尽力する。
その後、永仁四年(1296年)に鎮西探題に転じた。
安達盛宗は父親である安達泰盛に文をしたためていた。
「前略、御内人たちが何やら不穏な動きがあり、そのせいか竹崎季長殿含めて何人もの御家人が安達を離れ…………いや、憶測でものを書くべきではないな。――――――長い期間の厳戒態勢と長期間の連戦、また対馬、壱岐島の惨状から九州の武士たちの困窮は著しく、彼らの不満を解消するために兼ねてから考えられていた大改革を断行するべきと思います」
その文を読んだ安達泰盛は「弘安改革」と呼ばれる改革の決心がついた。
「北条時宗殿に使者をだせ」
「それでは改革を行うのですね」
「ああそうだ。時宗殿と共にこの改革を何としても成功させなければならない」
「そうなりますと平頼綱殿が黙ってはおりませんぞ」
「たとえあの男と敵対してでも改革せねば幕府が滅びる。そうならないためにもこの改革は成功させなければならない」
しかし、その思いはむなしく、時宗は若くして亡くなり、九代目執権として貞時が就任する。
余りにも若い十四であり、実際の権力は御内人たちへと移っていった。
弘安八年(1285年)、霜月騒動が勃発して安達氏はその一族のほとんどが討ち取られることとなる。
太宰府では少弐経資と景資の静かな争いの兆しが見て取れた。
少弐氏内の勢力争いは景資側がさらに力が強くなっていた。
文永の役、弘安の役両方ともに最後に〈帝国〉を下したのは彼が軍を率いていたからだ。
息子である少弐盛経は鎌倉へ向かうことがなくなり、次期当主になることが決まった。
戦後の少弐の在り方を問うために父に会いに来たのだ。
ちょうど部屋から合田が出ていく。会釈するがそれだけだった。
「父上、お話が…………父上!」
「……ああ、盛経か、なに心配するな」
少弐経資は目の下にクマができ、やつれていた。
その様子から心配するなというのが無理であった。
「なに、お前は何も心配せずともよい。……そう少弐を守るためにも……そうだとも」
何かに憑りつかれたかのようにブツブツとつぶやく。
彼は北条時宗が死去すると出家する。
その翌年に霜月騒動を機に弟景資と安達盛宗を討ち取る。
俗に「岩戸合戦」と呼ばれ、これにより二分状態の少弐氏は勢力が半減する。
その結果ほとんどの守護職を北条にとられるのだがそれは別の話である。
屋敷の奥へと去っていく父を見ながら盛経は一人つぶやく。
「父上…………なぜです。我ら少弐は何か間違ったことをしたのでしょうか。なぜ我らは分裂するのです……」
少弐盛経は父経資が亡くなると筑前国、対馬、壱岐島の守護を受け継ぐ。
しかしその内訳は予算のほとんどを対〈帝国〉に割かなければならない博多一帯と焦土作戦で徹底的に破壊された土地を押し付けられたというものでしかない。
周辺一帯を北条氏の身内に固められ、〈帝国〉の矢面に立たされる。
外交と根回しの上手いのがお家芸と自認していた少弐が、それをはるかに上回る策士たちによって衰退と飼い殺しの状態となっていった。
歳を重ね成熟した盛経は現状を打開しようと魔窟・鎌倉へ赴く。
しかし安達を滅ぼした御内人平頼綱が支配した時代はとうに過ぎ、彼らに与した少弐の風当たりは悪く徳治三年に鎌倉で亡くなる。
大友頼泰は有事に際して豊後国を任された男である。
しかし戦後も相模国大友郷には戻らず、そのまま豊後国に定住した。
「皆よく生き残った。これはワシのささやかな宴じゃ。みな存分に飲み明かそうではないか!」
「おお、さすが御屋形様じゃ!」
大友頼泰は皆から慕われた。
そのかいもあって後の激動の時代でも郎党たちと戦い抜く。
時がたち戦国時代には九州を三分する勢力へと拡大していく。
島津一門は水軍衆として弘安の役に参戦した。
「今まで領地開発は郎党たちに任せていたが、これからはこの地に残りワシ自らが開発に乗り出そう」
「ははっ、我らも尽力して東国武士に負けない武者となりましょう」
島津久経も大友と同じく〈帝国〉の襲来を機に現地に赴き、そこに定住するようになる。
というのもこの時代は守護は鎌倉に住み、守護代が領地を切盛りするのが常だった。
そのため今までは海運に力を入れてきた。
だが時代が変わった――陸運のための街道整備と軍事力の確保が必須の時代。
そうしないと少弐のように気が付いたら北条にすべてを奪われる――そんな時代だ。
これを契機に島津もまた武力に力を入れるようになり、戦国時代には九州三大勢力の一角へと成長していく。
有力御家人以外にも動きがあった。
龍造寺氏の氏族たちが集まり今後の方針を交わしていた。
「俺は聞いた。聞いてしまった。少弐資能がうわ言のように景資殿を討てと言っているのを聞いてしまった」
「なんと恐ろしい……少弐は子殺しを――兄弟での殺し合いを望むか」
「いいな、我ら龍造寺は決して少弐氏を信じてはならぬ。決してだ」
「応!」
龍造寺氏はその後も九州千葉氏に仕えたが、のち室町時代に少弐が肥前国の守護となったときに被官となる。
しかし少弐への不信感は根強く、少弐から独立を果たす。
だがその報復として一族のほとんどを少弐に根絶やしにされる。
わずかに生き残った龍造寺は勢力を盛り返し、逆に少弐が完全に滅亡する。
九州三大勢力最後の一角、龍造寺家――その波乱の運命、その一歩を踏み出した。
松浦党は〈帝国〉への報復と独自に勢力の拡大を画策していた。
「我らはこれより対馬と壱岐島に一門を派遣してあの土地を根城にする」
「!? 言ってはなんですがなぜあのような何もない土地で活動をするのですか」
「いいか、対馬は宗氏が治めるといってもかつての力はない。我らが根城にしても文句は言えまい。そして少弐は壱岐島を維持することすらできないのが実情。ならばこの二島を我ら松浦党で実効支配し、この島を足掛かりに大陸に攻め込む」
「なんと!? 我らだけで〈帝国〉とやりあうというのか!」
「そうだ。これは復讐だ。鷹島で奴らを根絶やしにすることはできなかったが、今度は少弐の横やりはない。思う存分暴れまわるぞ」
「そうだ! 我らはまだまだ戦える。分捕りだ。奴らからすべてを分捕るんだ!」
「うおおお!!」
松浦党は幕府や朝廷の権力争いには一定の距離を置き、独自に動き続けた。
彼らは独断で報復を行い、その被害の多さから「倭寇」と呼ばれるようになる。
のちに海賊の取り締まりが強化されて鎮静化するが、二島への影響力を持ち続けた。
これらが遠因となり、江戸時代には平戸藩、近代には二島が長崎県(旧肥前国)の一部となっている。
白石「六郎」通泰は岐路に立っていた。
白石氏は文永の役にて竹崎「五郎」季長を百騎余りで助け、その功績で恩賞を得ることができた。
しかし弘安の役では敵が平戸島に襲来したことから、その立地ゆえに有明海側からの上陸を警戒して兵を出さなかった。
「本当に出ていくのですか!?」
「当たり前だ。こんな腰抜け一門に未練などない!」
「それで六郎殿はどこに行かれるのですか!」
「竹崎だ。奴のいる海東郷に移り、そこで次の襲撃に備えるまでよ」
「しかし、馬もなく銭もない。どうやって海東郷へ行くのですか」
「なに一昼夜走って、空腹で動けなくなる前に着けばいいだけのことよ。五郎も人手が欲しいだろうから迷惑にはなるまい。白石に愛想を尽かした者よ我に続けー!!」
「うおおおおおおおおお!!」
白石通泰と郎党たちは白石郷を去り、海東郷へと移り住んだ。
そして竹崎に海東阿蘇神社の神職として迎えられる。
この一族は現在も海東を見守っている。
河野氏の六郎も多大な変化が起きていた。
竹崎季長は功績を安達に譲ったが、河野六郎はその健闘を評価された。
失った旧領を回復することができ、「河野氏中興の祖」と呼ばれ称えられるようになる。
それ以外にも肥後国下久具村(現熊本県宇城市)を恩賞地として得た。
これは敵船を分捕るほどの海の武勇が評価され、水軍としての拠点を肥後国に置くことで、脆弱な海運力の強化を図る思惑があった。
この下久具村は海東郷に流れる砂川の川上と川下の関係でもあり、つまり――。
「ということでご近所になった。これからよろしくな五郎」
「ははは、河野六郎殿が隣なら心強い。ともに次の戦に備えて鍛錬に励もう」
「粗茶です……」
「ん? 今の女性どこかで……」
「ごほん、それよりこの茶葉と言うものをいま海東郷で育てている」
「茶……薬か! 確かに次の戦を考えると薬を育てるのはいいかもしれんな」
この当時は茶というのは薬という認識だった。
ゆえに五郎含めて九州で茶の栽培が盛んなのは戦を念頭においたものだった。
「それで余った茶葉を河野水軍に運んで売ってもらいたいのだ」
「なるほどそういうことか、お安い御用だ!」
河野氏はその後、河野通有が亡くなると内紛が勃発した。
この一門には御家人としての河野氏と海賊水軍衆としての河野氏の二つの勢力があった。
伊予の国に残っていた一族の中には海賊であると同時に御家人でもある叔父河野通時が船の中で亡くなるというのに不信感を持つ者が多かった。
一つにまとめることができず家督争いに倒幕運動、ことあるごとに氏族が分裂して争うようになる。
結局、河野氏は戦国時代には弱小勢力にまで衰退し滅亡する。
菊池一門は幕府から一定の距離を保ち続けた。
幕府内で御家人と御内人の対立が「霜月騒動」にまで発展しても両陣営から距離をおいた。
この時の権力者から一定の距離をおき、武勇をもって勢力を維持するという方針は信頼を得ることができないということでもある。
鎌倉幕末に菊池が倒幕のため挙兵すると、少弐と大友は菊池を信用せず裏切り、菊池は討ち取られてしまう。
室町時代でもその行動によって幕府の怒りを買い、守護職を奪われる。
結局、戦国時代までには滅亡することとなる。
竹崎氏は――。
時は霜月騒動の翌年、弘安九年(1285年)のある日。
海東郷に周辺の御家人たちが集っていた。
白石、河野、菊池、江田や焼米の武士たち、さらには遠方からは島津までも集っている。
皆が竹崎季長のほうを見ている。
「皆、よく集まってくれた。あの時から変わらず息災であるか」
「御託はいい、本題に入ってもらいたい」と菊池武房が言う。
「ああ、先の安達族滅によって少弐の所領が分けられたのは知っているだろう。このようなご時世では我々が本当に本領を安堵されるのか疑問だと思う。そこで拙者から一つ妙案がある――」
竹崎季長の案とは〈帝国〉との激戦を戦い抜いた各氏族が中心となって一つの絵巻物を作成するというものだった。
その絵巻物に何時、何処で、誰が、何をして、その結果恩賞としてどの土地を得たのか事細かく書かれた詞書を加えた絵詞をもって完成とする。
その後、完成した絵巻物を寺院に奉納することで、その土地を神仏が認めたこととする。
竹崎季長の計画を聞き、島津の名代が質問した。
「つまり竹崎殿は絵巻物を、一つの神話を作り我らが土地を神仏に安堵させようとおっしゃるのですね」
「神話というほどすごきはないがつまりそういうことになる」
次に河野通有が口を開いた。
「もし絵師が決まっていないのなら伊予国にちょうど腕利きの絵師がいるぞ」
「それは本当か!」
「ああ、朝廷側の絵師になる。朝恩により伊予の土地を得たんだが、伊予ってのは俺が言うのもなんだが貧しくてな。土地を守りたければ武力がなきゃならねぇ。だからせっかく得た土地も他人に取られちまった可哀想なやつよ」
その絵師はのちに「絵師草紙」という絵詞を制作するが、それはまた別の話である。
「絵師か、それなら安達や少弐のお抱え絵師たちも路頭に迷ってるはず、方々にあたってみよう」
菊池武房も絵巻物製作に賛同し、絵師を探すのを手伝うという。
「絵となると色がなければ華がありませんな。それならば顔料として珍しい鉱物や染料を集めなければなりませんでしょう」
焼米が竹崎のほうを向いて聞く。
「その通りになる。だからこそ皆で銭を出し合って、絵巻物を完成させようと考えているのだ」
「俺はいいぜ。ついでに分捕った南宋の船があるから絵もかきやすいだろう」
「ならば〈帝国〉の甲冑もこちらにあるから皆で寄せ集めればよりあの時の戦いが克明に描けるな」
「それでは皆の者、手分けして材料を集め、絵巻を作ろう」
「応!」
彼らが製作する絵巻はのちに「蒙古襲来絵詞」と呼ばれる。
それは希少な鉱物を多彩に使い、朝廷絵師が好んで使う構図が多用された、当時の戦況を克明に記録した史料である。
武士たちは大陸を意識しながら、内部での権力闘争の時代へと移っていく。
この〈島国〉に残された旧南宋の兵たちがいた。
彼らは奴として各地で重労働についていた。
「おーい、久しぶり!」
「おお、去年の寺修繕で別れて以来か!」
「そうだな。それよりなあ聞いてくれよ。俺ついに嫁さんができたんだ」
「そりゃ本当か!」
「ああ、南宋時代だと国境警備兵は人気が無くて、全然だったからな……うれしい」
「そりゃあそうだ。誰が好き好んで〈帝国〉のすぐ近くに住みたがるってんだよ」
「それもそうだな。そういや、お前知ってるか。兵站部隊出身の奴で領主たちの家計を立て直して、奴隷から商人になった奴がいるらしい」
「そりゃ本当か! ……ってまあ俺は学がないから土木作業でいいかな。なにせ向こうとやってることが一緒なのに待遇いいからな」
「それもそうだ。しかも戦うのはあのお侍様たちだからむしろ安全だしよ」
「だはは、ちげーね!」
「そうだ。我らが張総官殿はいらっしゃるか。嫁ができたって報告しに来たんだよ」
「張翔さんなら海辺で大陸のほうぼんやり眺めてるぞ」
「あの人たまに大陸のほうを見てるよな」
「よし、ちょっくら行こうぜ」
「おうよ!」
張翔を含めて南宋人は奴として労働についていた。
しかしそれは過酷とは程遠く、ゆっくり、しっかりとこの地に根付くようなものだった。
三万に及ぶ兵士兼土木作業従事者たちは〈島国〉の技術水準を向上させたが、それがどの程度だったのかそれは別の話である。
「おーい張翔!」
「祝いだ祝い、結婚祝いだ!」
「ううん? がはははは、なら賄賂をよこせ! それが大陸式の祝いだ!」
「だーー、そうだった。こいつの地方はそうだった!!」
張翔は彼らと共に労働に従事し、そして何かを感じたのかたまに西の海の向こうのほうをぼんやり眺めている。
それがなぜなのかは誰にもわからない。
〈島国〉では松浦党とは別に大陸への逆侵攻計画が持ち上がった。
しかし対馬と壱岐島が兵站基地として使えないことから計画段階で中止が決まる。
以降、大陸側を警戒するが軍事行動に出ることはなかった。
そして次の戦に備えていた九州の武士たちはそのほとんどが幕末の倒幕運動に参加しなかった。
動いたのは鎌倉と六波羅探題が陥落してからとなる。
菊池以外の誰も動かなかったのは目の前に強大な敵がいたからになる。
以降の〈島国〉の歴史は内部闘争の歴史となる。
〈王国〉でも戦後すぐに激震が走る。
十万の軍勢の壊滅は彼らの当初の目的が完全に潰えたことを意味するからだ。
そして忠烈王個人への精神的な影響は計り知れないものである。
「王雍が死んだ……そんなバカな。そんなバカな……」
「じ、事実にございます。アラテムル様の船が難破しそのまま帰らぬ人に――」
「黙れ!」
金方慶の弁明を王の一喝で遮る。
王の間の空気が張り詰める。
「ああ……なぜなのだ。余が唯一心を許せたのはアイツだけなのに……」
半ば放心状態となった忠烈王は戦後処理として執務を執り行った。
「あなた、お気を確かに――」
「黙れと言っている!!」
「――!?」
忠烈王慰めようとしたのはクトゥルク=ケルミシュ、〈帝国〉皇帝の娘であり、忠烈王の王后になる。
それは王権を安定させる上で最も重要な人物であり、彼女をないがしろにすることは〈帝国〉と敵対することを意味する。
「……すみません」一言そういって王后が泣きながら去っていった。
あまりの出来ごとに王宮内が騒がしくなった。
王の心の傷を癒さなければならない。
そこで美しい娘である無比を側室として送り込む。
それから月日が経ち、1297年にクトゥルク=ケルミシュが亡くなると、暗部など黒い噂の多い〈王国〉に不信感を持った王后の息子にして次期国王である忠宣王が帝都から帰還する。
そして抜け殻のような父王と、彼の周りで囁く無比と重臣たちを母の死の原因と断言して、そのすべてを処刑した。
王后が早死にしたことに怒りを覚えた〈帝国〉の圧力もあり忠烈王は退位して、息子の忠宣王が即位した。
彼はまだ若く、祖国を想って〈帝国〉の大都並みに国を発展させようと大改革を主張する。
しかし帰国後いきなり推定有罪で処刑する王に人心はすぐに離れた。
ちょうど〈帝国〉の六代目皇帝が死去した時期と重なったため〈王国〉内外を巻き込んだ権力闘争の末、忠宣王は退位して忠烈王が復帰した。
しかし忠烈王は国には帰らず、首都・大都に住み続けた。
同じく息子の忠宣王も大都に暮らすが、互いに王位を押し付け合い、王国の政治に興味を示さなかった。
これ以降も〈帝国〉の皇帝が代替わりするたびに権力争いが勃発し、王が国を離れるという自主的参勤交代、あるいは〈王国〉の王宮が貧相だと嘆き重税をかけて王宮を建てさせるのが常態化する。
このような権力闘争が続く中、臣下たちもその流れに身を任せるか去るかの二択を迫られることとなる。
金方慶はその後も王に忠を尽くすが、その王が国に興味を持たないため何もせずに1300年に天寿を全うする。
金周鼎は国そのものに不信感を持ち、愛想を尽かす。しかしそれが行動に出てしまい地方に飛ばされる。1290年に若くして亡くなる。
以降の〈王国〉の歴史は内部闘争と超大国の横やりの歴史となる。
この国がまともに発展するのに、のち千年の時を要する。
超大国である〈帝国〉もこの遠征の敗退が多大な影響を与えた。
まず五代目皇帝の即位を支持していた東方三王家の雄オッチギン家で当主が交代して、ナヤンが当主となる。
このナヤンは弘安の役敗退で軍事力の低下を見て取り、軍備の増強と反乱の準備にはいる。
俗にいう「ナヤン・カダアンの乱」である。
この〈帝国〉の大貴族の反乱に呼応するかのようにオゴタイ・ハンのカイドゥという皇族も反乱のために軍を動かす。
弘安の役から6年後の1287年、この〈帝国〉存亡の危機に五代目皇帝自ら鎮圧に乗り出した。
その軍の中に敗戦の将であるアタカイも従軍した。
彼は弘安の役で連れ帰ることができた将校を中心に軍の再編を迅速に済ませた。
ナヤンが十万騎を集めて、大都を攻める準備をしていたころ、
〈帝国〉皇帝は即座に三十六万騎の騎兵と十万の歩兵を招集した。
戦象に乗り最前線で戦う皇帝と、対するはキリスト教を信仰し旗に十字架を掲げて戦うナヤン。
世にも珍しい激戦――「ナヤンの戦い」が起こった。
この戦いは短期間で決着がつき、ナヤン陣営が敗北する。
この戦いに敗北したキリスト教徒に対して〈帝国〉将校たちが罵倒する。
「お前らの神キリストはお前らに加護を与えなかった。そんな神に何の意味がある何の価値がある!」
それを聞いた皇帝はキリスト教徒たちの前に立ち、彼らを守りながら言う。
「キリストという神がナヤンに加護を与えないのは当然である。なぜなら神は公正であり、罪人に恩恵を与えたりしない。ならば反逆者ナヤンの愚かな行為に神が加護を与えることなどありえない。善良にして公正なキリストが邪悪な企みに加護を与えることなど無いのは当然である」と答えた。
それを聞いたキリスト教徒は感激し、将校たちは皇帝の器の大きさにひれ伏した。
アタカイは一万の将校を守り抜き、迅速に軍を再編できた功績から死後「順昌王」に追封され、救国の英雄として称えられた。
このアタカイはナヤンの乱までの間おとなしくしていたかというとそうでもない。
「遠征の失敗で左遷されたが、こんなことで諦めてなるものか!」
怒気を強めるアタカイに李庭が質問する。
「それではどうするのですか?」
「知れたこと。第三次遠征軍の計画を皇帝陛下に上奏するまでよ」
「待ってください。またしても遠征をおこなうのですか!」
「うむ、お主も船から賊兵どもの数を見ただろう。それに噂と違い土地が大きかった、どうおもう?」
李庭はしばし考えこんでから答える。
「そうですな。連戦続きにしては装備がよく、たぶん後方にいた予備の軍だったのでしょう。土地の広さについても張という兵站兵がこちらの地図の十倍以上の可能性が高いと進言がありましたな」
「ならば敵の総兵力は十万から三十万といったところか。そしてそれだけの兵を養うなら総人口はおよそ一千万となる」
「……い、一千万……」
「我が〈帝国〉の十分の一程度になるか」
「お待ちください。そのような大国を討つにはそれ相応の兵力が必要になります」
「そうだな。次は三十万の兵力で九州と呼ばれる地を北部、中部、南部の三か所を同時に攻め込んでみるか」
「それには前回以上の大船団が必要になります……」
「だが、三十万で一千万を従えることができれば十分に元が取れる。ならば第三次遠征をしない理由はあるまい」
「……わかりました。さっそく次の遠征計画の準備を始めます」
「そうだとも、こんなことで腐るわけにはいかない」
「そういえば范文虎殿の処遇はどうしますか?」
「あの男か。クドゥンの奴が撤退の真相を黙ってやるから寄越せと言ってたな。あのハゲ小僧が忌々しい」
「それではそちらも、そのように手配しておきます」
「ふん、好きにしろ」
アタカイたち第三次遠征軍の計画は何度も持ち上がる。
しかし時の権力闘争、物資不足、反乱の兆しなどによりそのたびに中止することになる。
この遠征計画に翻弄される一人の男がいた。
張成は軍を辞めていなかった。
遠征計画が交付され準備が始まると、率先して兵站の用意を手配して、誰よりも物資の調達に奔走した。
そして遠征計画がとん挫して中止になると、決まって海岸から東の海を眺めるようになる。
それは1294年の最後の遠征計画まで続いた。
洪茶丘もこの幾度となく行われる遠征計画に携わっていた。
その準備中に彼の耳には〈王国〉の内紛や忠烈王の噂を耳にする。
彼はそれらを聞くたびにやはり王家は滅ぼした方がいいと思うのだった。
それはこの時代の全ての国民たちと同じ思いだった。
そして東路軍を率いたクドゥンは――。
「我々は完ぺきに負けたのですね」
王某がクドゥンの執務室でつぶやいた。
しかし、それを聞いたクドゥンは笑いながら答える。
「ええ、戦闘に関してはそうですね。しかし我々の目的は達しました」
「目的? いま目的と言いましたか。それはつまりこの戦争の勝利条件を達成したということですか!?」
王某はこの戦いの勝利条件を聞いていない。
いや、この戦いに参加したすべての将校が聞かされていなかった。
クドゥンと皇帝だけがその条件を知っている状態だった。
「ふふふ、そもそもこの第二次侵攻計画の発端は海を隔てた、目と鼻の先に強力な軍事大国が存在しているという事実を七年前に知ったことが事の始まりです」
「確かにそうですね。彼らは強すぎた。だからこそ彼らが十全に戦えない場所で戦い続けました」
「そして我々には〈王国〉という都合の悪い場所で反乱の可能性のある勢力が存在しました。この二勢力が結託すれば我らが首都である大都を落とす可能性すらあります」
それは文永の役後に懸念された事項である。
「ええ、そうですね。ですから彼らと和平を結ぼうと七年間使節を送り続けました」
「んふふふふ、さて今回の勝利条件ですが、それは〈王国〉と〈島国〉が結託する可能性を完全に潰すことにあります」
それを聞いて王某は当時から噂されていた〈王国〉の九州遷都という、荒唐無稽な内容を思い出した。
「つまり九州を制覇して〈王国〉の土地にすることが勝利――」
「違います。もっと条件は低く達成が容易なものですよ。それにその条件は〈王国〉の勝利条件です。我々ではありません」
「……ごほん、ですよね」
「我々の条件はアラテムルさんが焦土作戦を実行した段階でほぼ達成しています。あれこそが我々の勝利条件です――つまり〈王国〉による自発的な虐殺ですね。ふふふ」
そう言いながら笑うクドゥンの目は相変わらず氷のように冷たかった。
「将軍……あなたは……」
「あの時点で我々はこれ以上戦う必要はなかったのですよ。ただ軍を興した手前、撤退の時期を見計らっていたらあの嵐に巻き込まれてしまった。まあ損失は多いですが、それでも彼ら〈島国〉の武士と言われる集団は大陸に友好国をあと百年は作れないでしょう。彼らが進出してくる入り口を塞いだのですからそれだけでも御の字ですよ。んふふふふ」
「…………」
王某の肝は冷え切った。
この大将軍の知略は目の前の戦闘ではなく百年先を考えて布石を打っていた。
そもそも百年程度の話だろうか、侵略と虐殺を行った国と攻撃を受けた国、これはのち千年は敵対するのではないだろうか。
「彼らは強かった。そう、この刀と呼ばれる武器と同じくらいに。触れるものすべてを斬るのがあの国です。もう少し弱ければ仲良くできたのですが強すぎるから仕方ありませんね」
そう言って、肩をすくめた。
「……それで、今後どうするのですか? まだ噂の段階ですがアタカイ将軍は再侵攻計画を建てているようですよ」
「多分ですが、皇帝陛下は第三次遠征計画を無条件に承諾するでしょう」
「!? そんなまさか! あの聡明な皇帝陛下がむやみに遠征を承認したりしないはずです」
「んんん、そうですね。例えば仮に大貴族ナヤンさんが反乱を起こしたらキリスト教徒として十字架を掲げるでしょう。そして勝利後に彼らキリスト教徒の前で、神は公正でありゆえに反逆者に力を与えなかったと演説するでしょうね」
王某はその前提が全く理解できなかったが、皇帝ならそういうだろうとある意味納得した。
「しかし、それは裏を返すと第二次遠征軍が敗退したのは天の公正な裁きにより〈帝国〉軍は敗退したと認めることになります」
「それは――」
「ですので、第三次遠征あるいは第四次遠征に関して陛下は止めることができません。止めてしまえば天が陛下を認めなかったと、皇帝陛下自身が認めてしまうから」
王某はそれを聞いて、ならばアタカイ将軍が行省左丞相の地位にいる限り遠征計画が立案されて、それが無条件で承認されることになると思った。
王某は冷や汗をかき、背中が濡れる。
「しかし、忠臣としては陛下が動けない以上、我々で侵攻計画の妨害をしなければなりません」
クドゥンが意地の悪い笑みを浮かべる。
「…………はぁ、そこまで聞かされたら従うしかありませんね。私は何をすればよろしいでしょうか?」
「ええ、ちょっと商人の真似ごとをしてもらいます。ほんのちょっと苦労するだけですよ。んふふふふ」
ここからが苦労人王某の本当の苦労人生の始まりである。
〈帝国〉の征東行省はその後も〈島国〉に対する遠征を何度も計画する。
それこそが唯一の業務だからだ。
しかし利益より損の方が大きすぎると反対論が強く、さらに戦艦の造船段階になると市場の木材の買い占めや、それに伴う価格高騰など不可思議な現象が頻発して遅々として計画が進まなくなる。
その際に巨万の富を得た一人の男が居るのだがそれは別の物語である。
1294年、皇帝が没すると進攻計画は完全に中止となる。
以後、強大な武力を背景にしながらも信仰の自由、貿易の自由、緩やかな統治による――内向きの権力闘争はあれど対外的には平和な時代。
パックス・タタリカを迎える。
竹崎五郎は生の松原から志賀島を見ていた。
そこには嵐を耐えた〈帝国〉の船団が浮いている。
「竹崎の旦那ぁ、こっちに来てください!」と籐源太が叫ぶ。
「どうしたんだ?」
「海から人が打ち上げられています!」
「そりゃまだまだ打ち上げられるだろう」
閏七月二日、五郎は敵の動きが無いかじっと見ていた。
「それが女ですよ。しかもまだ息があります!」
「本当か!」
そう言いながら五郎が籐源太と浜で倒れる女性のほうへと行く。
「一応周囲の漁村に居なくなった人がいないか確認をして……」
その女性は遠く異国の装いで、五郎は志賀島でこの女性と会っていた。
「この人は――もし、もし?」
何度かほほを軽くたたく。
「う、うん……ん?」
「おお! 気が付かれたか」
「…………ん?」
打ち上げられた女性――貂鈴はきょとんとした顔で五郎を見る。
「旦那、なんか様子が変でっせ」
「拙者だ、志賀島で会って、お主に救われた竹崎の五郎だ」
「ん~ん?」
前は喋れたのに、今回は何も言わずきょとんとしている。
「旦那、コイツは頭を打って記憶をなくしたんに違いない。昔里の者が似たような状態になってましたよ」
そう籐源太が言った。
「そうか――あの嵐で気をやってしまったのかもしれんな。安心せい、受けた恩には徳をもって返すのが御家人というものだ。何か着るものを持っていないか」
「たしか白装束ならあります!」
「よしすぐにとってきてくれ、なに怪我が治るまで――そうだな籐源太、お主が一足先にこの者と帰ってくれぬか。大丈夫だ里の者たちが世話をしてくれるだろう」
「ん~~、うん!」
「……ええぇそれって奥方にこの美女について説明するんですか? 本当ですか? いやだなぁ、何とかなりません」
「怪我のせいで一足先に里に帰るといったのはお主だろう。それより早く着るものと、それから世話ができる侍女を連れてくるのだ」
「わかりました……」
その後、白装束をまとった女性が海東郷へと向かった。
五郎がいない間は不安そうにしていたが、彼が海東郷に帰ってくると満面の笑みをこぼして迎えたという。
蒙古襲来絵詞編 おわり。
やっと終わった。終わりました。
もっと内容薄くなると思っていたのですが、武士強かった説がしっくりくるように意識して書いていたらこうなりました。
通説では王国と帝国の違いや、皇帝の人物像などについて考察は無いに等しいです。
よくある解説サイトではその書き手の思想の影響で皇帝フビライは無能扱いだったり、蛮族の王だったり、小物のように書かれることが多いですね。
しかし史実では73歳で戦象にまたがって反乱軍に攻め込んだり、キリスト教含めて宗教に寛大だったり、自由貿易派だったり中世封建制度全否定だったりとこの時代随一のはっちゃけ具合でもあります。
日本じゃ全く人気が無いのはチンギスと混同してるから仕方ない。




