弘安の役 大猛悪の五郎
閏七月六日。
安達盛宗は合田邸に来ていた。
そこでは前日の海上合戦で分捕った、首実検が行われていた。
盛宗は肥後国の守護代として御家人たちの合戦報告を聞いていた。
そこへ竹崎五郎が二つの大将首を携えて現れた。
「安達盛宗殿! この度は海上合戦にて敵将二人の分捕りとなりました!」
「おお、さすがは竹崎だ」
宗盛は何人かの御家人が安達の船に乗り込もうとしたという報告を受けていた。
今までの報告の流れから、その中に竹崎五郎がいることもうっすらと記憶している。
「なんでも船に虚偽の申告をしてでも船に乗ろうとしたそうではないか。そこから降ろされたのになぜか誰よりも早く戦場にて首を上げたと聞く。詳しく聞かせてもらえぬか」
「仰せの通り、先の合戦では相違が多く、それらは私めも恥ており覚えています」
盛宗は竹崎は正直で、欲のない奇異なる剛の者という印象が強かった。
だからこそ、どのようなウソを述べたのか、またこの場でもウソを並び立てるのか、興味がわいた。
「まず自軍の船にて、一度ならず虚偽の申告を申して、船々に乗せてもらい、この大戦に馳せ参じました――」
竹崎五郎はどの船にどのような理由で乗船しようとしたか述べ。
その際にどのようなウソを言ったのか、偽りなく話した。
それらは他の御家人たちが報告した内容と寸分たがわぬ内容だった。
そして敵船が出した煙幕の中をゆっくりと近づき、一気に船を登り身分の高そうな武官二人の首を上げた、というところまで語った。
それを聞いて安達盛宗は笑顔になる。
「まさに父、安達泰盛に立てた誓を守り、一大事に馳せ参じた。そのうえでこれほどの大立ち回り、まさに奇異なる剛者、いや功績を上げるためなら何でもするその姿、大猛悪の武者とはお主のことだ」
「ははっ」
竹崎五郎はこの日から大猛悪の五郎と呼ばれるようになる。
「安達盛宗殿、この場をお借りして、お願いの儀がございます」
「うむ、何なりと申すがよい。これでも守護代、私に出来ることならなんでも叶えられるぞ」
「はっ、安達泰盛殿への恩に報いたと、この大将首二つをお納めいただきこれをもって私を安達の武士から一人の庇護の御家人として海東郷の地頭としていただきたいと申し上げます」
それに安達盛宗は驚いた。
思えば志賀島への偵察から始まり、ほとんど無理をさせてきたのは事実である。
頼りになるからと言って少々甘えてしまったのかもしれない。
そのような考えがよぎり、顔をしかめる。
竹崎五郎もそれを感じ取ったのか、さらに述べる。
「決して安達氏の待遇を嫌って辞意するのではありません。私は大将軍様に仕え弓箭の道を進む御家人です。しかし今の状態ですと安達泰盛殿と大将軍様の二君に仕えるようなもの。これでは何のための弓箭の道かわからなくなります。どうかご理解ください」
安達盛宗は話を聞いて、なるほどと思う。
その申し出がたしかに竹崎五郎らしく、どこか腑に落ちた。
彼に二君に仕えるという器用なことをさせるより、不器用なりに一所懸命させるほうが合っていると感じた。
「わかりました。竹崎殿のその願いが叶うように私も働きかけましょう。なに大将首二つ分の大手柄、だれも文句は言わないでしょう」
「宜しくお願い致します」
首実検が終わり、竹崎五郎は首の受け渡し、退出していく。
「竹崎五郎殿」
「はっ」
「最後に一つだけ答えていただきたい。あなたにとっての弓箭の道とは何ですか?」
安達盛宗は、いや鎌倉に住まう御家人たちは鍛錬に精を出さない。
その一日のほとんどを訴訟や恩賞、年貢の把握など政務にあてている。
彼らは弓箭の道というのを理解していないし、理解できなかった。
安達盛宗はその若さゆえに、竹崎五郎に聞いてみた。
五郎はしばし考えこみ、そして口角を上げながら答える。
「意味などございません」
意味がない。その答えに盛宗は少々困惑する。
だが本人がそういうのだからそうなのだろうと、その背中を見続ける。
その背は大きく、鍛錬に身をゆだねる武士のそれだった。
竹崎が急に振り返り、そして笑顔でこちらを見た。
「しかし、それが我らの全てです――それでは失礼仕る」
それを聞いて自然と盛宗の顔も緩む。
そうだ、それが鎌倉武士だと納得するのだった。
盛宗はその日の政務が終わり、合田に竹崎の一件を報告した。
「やはり所詮は外様御家人、この件からもわかるように彼らを信用してはなりませんぞ」
「そのような物言いはよしてもらおう。私の父は彼のような御家人たちの地位を安定させるために粉骨砕身、努力しているのだ」
「これは失礼しました。しかしあの男は安達を去ったということを忘れてはいけません。安達氏は筆頭御家人ですが、あなた方を支える御内人こそ信用していただきたい」
「……それは、そうだな」
鎌倉中期から鎌倉幕府では御内人という北条氏の被官たちからなる一派が力を増していた。
鎌倉の権力は大将軍から執権の北条氏に、その当主が幼かったりした時に、御内人という当主を補佐する組織――つまりもっとも原始的な官僚組織に権力が移行していった。
鎌倉幕府は〈帝国〉の進攻の影響で、まさに官僚主義が台頭するかしないかという状態に変わりつつあった。
目の前の男、合田「五郎」遠俊もまた御内人の一人である。
安達盛宗は何かが変わりつつあることを肌で感じていた。
しかし、それが何なのかわからなかった。
博多湾の戦いは終わりを迎えた。
しかし、この戦いはまだ終わったわけではない。
――肥前国、鷹島。
そこでは南宋の残党が最後の悪あがきをしていた。
「木が倒れるぞ!」
「よし、そのままどんどん木を倒して、そして船を造るんだ!」
「わかりました張総官殿!」
鷹島に置いてかれた旧南宋の兵たち、その数はおよそ六万と大軍となる。
張翔は持ち前の巨体と声の大きさ、そして管軍百戸の地位を活用して、張総官を自称した。
彼は鷹島の木々の伐採を命令し、船の建造と撤退を計画した。
「張翔のバカが俺たちの上官になるとは思わなかった」
「けど、張成の義弟なだけある。なんだかんだ言ってみんな従ってるよ」
「ま、計画はバカだけどな。御厨半島の鎖でつながった船に丸太をくっ付けて、全員で脱出なんて途方もないバカだ」
「ぎゃはははは、違いない。けどそれに従う俺たちも底抜けのバカだな」
「そうだとも、俺たちは大陸一のバカなんだよ。ひひひ」
南宋兵たちは生き残れるかどうかも怪しい、脱出計画に力を貸した。
上手くいかないとわかっている。
それでも笑っていられるのは、彼らが長年〈帝国〉との国境地帯で土木作業をしていた旧南宋兵だからに他ならない。
「それにしてもすごい数だな、ありゃ」
「ああ、対岸を埋め尽くすほどの兵だ。こっちと同じぐらいいるんじゃないか?」
「いや半分ぐらいだろ。だから当分は襲ってこないさ」
この南宋兵たちと対峙するのはおよそ三万の武士団となる。
数の上では南宋にまだ分がある。
しかし相手は兵の数を質で補って余りある御家人たちと、彼らが信頼する大将・少弐景資だった。
兵力の差を言い訳にしない真の武士である。
翌、閏七月七日。この戦争の最後の戦い「鷹島の戦い」が始まる。




