弘安の役 脛当て兜の五郎
竹崎五郎は志賀島生の松原に陣取っている。
嵐が過ぎ、穏やかになった博多湾を一望する。
志賀島には未だに敵の船団が停泊している。
嵐により被害がでていることは遠目にも分かるが――それでも敵軍団は健在である。
鷹島の敵がどう動くかわからない以上、持ち場にて待機するしかなかった。
五郎は大将首を上げて、安達への恩を返したいと思っていたが、二か月以上動きが無く焦っていた。
そこへ合田「五郎」遠俊が馬を駆ってやって来た。
「はっ、どう、どう!」
五郎はこの男をあまり好きではなかったが、それでも志賀島襲撃を提案した男になる。
もう一度襲撃しないか聞くことにした。
「これは合田殿、二か月前に海上を隔てた敵に対して船で向かい、大戦をしたこと未だに忘れられません。もう一度あの時のような機会を作ってもらえませぬか」
それに対して合田は首を横に振るって否定する。
「武士の乗る兵船の弱さは戦ったお主が一番知っているはず、力のない者が事を――」
「――伝令! 至急の伝令である!」
合田が言いきる前に早馬が二人の間に割って入った。
肥前国の御家人であると断ってから大声で鷹島の近況を報告する。
「鷹島の西の浦より無事だった賊船が集結、賊徒数多込み合い乗り込み者どもを払い除けて、然るべき者どもを乗せて、つい早朝に逃げ帰ったことを報告します!」
それを聞いた竹崎五郎は合田を問い詰める。
「今の話によると払い除けられし者は歩兵であろう。ならば船に乗せた者は武官に違いない。ならば敵武官の首を、大将首を分捕りたいと思います! 出陣の下知を!」
竹崎五郎はここで敵将の大将首を上げられなければ二度と安達への恩を返せぬと考えた。
前回から七年、ここで敵を逃せば次の襲撃も七年後となる可能性が高い。
竹崎五郎は自らの年齢も考えると、これが最後の機会だと察していた。
しかし合田は追うだけ無意味と瞬時に判断した。
「今の話からすると異賊は早々に逃げ帰ったという――」
合田はここまで言ってから、続々と肥後の御家人たちが集まってくるのを確認する。
そして彼らを留めるだけ無駄とも感じた。
ふぅ、と合田は息を吐き、続ける。
「――ならば安達勢を差し向けたく思う。急ぎ少弐殿へ申すべし」
「応!」
合田はすぐに少弐へと使者を遣わした。
そこからの動きは早かった。
少弐経資は二つ返事で武士による追撃を認めた。
彼の心はすでに戦場ではなく、別の方向を向いていた。
そのため撤退に対する追い討ちについて「すべて各々に任せる」と言うだけだった。
この追い討ち命令はすぐに博多湾全域に伝わる。
そして博多の町に留めてある全ての兵船が出航した。
この兵船には武士が乗っていないので、各地の石築地に寄ってから戦になる。
生の松原でも肥後国の名のある御家人たちが大挙して戦の準備に取り掛かる。
竹崎五郎は兵船が運ばれるのを待っていた。
「…………遅い」
焦っている所に竹崎五郎の親類である野中がきた。
「五郎、船はいま運んでおるが、水夫たちの確保に時間がかかりそうだ。しばし待て!」
「……水夫か……仕方ないな」
嵐の被害で船の数が減っていたが、それよりも確保が難しいのが水夫だった。
水夫は素人がすぐになれるほど甘くはない。
長時間漕ぐためのコツや、息を合わせた集団行動が必要になる。
壱岐島上陸船をはじめ、あらゆる戦場に水夫を連れていくので、人数が足りなくなるのは当たり前のことだった。
短気な御家人たちが自分たちで漕いで出航し始めた。
五郎たち竹崎氏の者だけが途方に暮れるのだった。
「ご、五郎殿、皆船をこいでいってしまわれました。このままここにいるのですか?」
郎党の一人である師実が聞いてきた。
「無理だ。水夫について河野六郎に教わったから知っている。水夫の漕ぐ速さは武士と違うものがある――無闇に漕ぐより待ったほうがいい」
焦りながらもただ茫然と待っていると合田がまたしても近くに来た。
「竹崎は船を出さないのか?」
「お恥ずかしい話、水夫を探しており、船がこちらに来ていません」
それを聞いて合田は目の前の男――竹崎季長の黒い噂を思い出す。
大恩ある安達から菊池一門へくら替えしようと裏で動いている、と言うものだ。
例えば、ここで無謀な突撃をさせたらどうなるだろう?
討死すれば地頭職が子に譲られ安達子飼いの御家人にできる。
手柄なく帰ってくればそれを理由に首輪をつけることもできる。
万が一手柄を得てきた場合は地頭職を一つ失うが、菊池として一まとめに監視できる。
いずれにせよ悪くない。
「あの連銭の旗の船は城次郎の旗になる。向かったらどうだ」
生の松原の北にある今津の沖を指さす。
安達の船は今津に寄港して、生の松原に陣取る安達の兵たちを乗せてから出航する手筈となっていた。
「このような急な合戦で私は忙しい。ここで帰らせてもらう」
そう言って合田は去っていった。
「五郎あの合田という男は気に入らんが、ここは奴の話に乗って船に乗せてもらう方が得策かもしれんな」
五郎も野中の案に賛同する。
「確かにこれが総撤退なら次はもうない。ここは恥を忍んで乗船して、そして将軍様のために弓箭の道を示すべきだろう」
「よく言った。なら行こう。何が何でも船に乗るのだ!」
五郎たちは今津に駆けた。
すでに大勢の武士たちが船に乗ろうと大勢押し寄せていた。
「数が多いな。どうする?」
野中に言われ五郎は一計を案じた。
嘘は好まないが、このまま首級を上げずに終わるのも恩を返せず恥に等しい。
安達の大船に兵を送る船頭に声をかけた。
「それがしは守護のお手の者である。兵船を廻してもらい乗り込んで合戦すべしと仰せになられた」
「そうであるか。ならば先に御乗せしよう」
船頭はそれを信じて乗せてくれた。
「ワシ等は兵船が来たらそちらに乗るゆえ、先に行くのだ」
安達の船に乗ろうとする御家人の数が多すぎるので、野中たち郎党は乗船を諦める。
「野中殿、わかりました。ここからは一人で向かいます」
野中と郎従・師実は港で五郎を見送った。
そのまま沖に泊まっている安達の大船に近づく。
南宋の大船であり、水夫を入れて五十人以上は乗れるであろう。
よく見ると大船に横付けする兵船がいくつもある。
そして乗り込もうとする武士たちの喧騒が聞こえてくる。
「この船は安達盛宗殿が乗船する船。その直属の配下の者以外――外様は乗せられぬ。船を降り帰るように!」
「そこを何とか乗せてくれと言っている!」
それは五郎だけでなく、似たように船に乗り弓箭の道を示そうとする御家人たちが集まっていたのだ。
竹崎五郎は話を聞いて諦めるような男ではないので反論する。
「将軍様の御大事に立ち向かうために我々はここにきて、そして乗ろうというのです。ただ空しく来た道を戻るつもりはない。小舟をあてがって曳いてはもらえないだろうか」
「そうだそうだ!」
「我らも乗せ戦いに参じたい!」
これに対して安達の武士が怒りを露わに叫ぶ。
「戻るべきと述べたうえで上に乗りこむこと、それは狼藉だ!」
刀に手を置き、無理して登ろうとする武士たちを威嚇する。
周囲に張り付いていた御家人たちが退いた。
五郎はその隙に安達盛宗の船に乗る。
「あの~五郎の旦那は本当に大丈夫なのでしょうか?」
「師実は心配か。だが安心せよ。あ奴は鎌倉まで一人で行き、そして地頭職を得た男。船に乗ってしまえばあとはどうとでもなる」
「なるほど」
師実は竹崎五郎の武勇伝はよく知っており、たしかに彼なら安達の者を説き伏せて、なんだかんだ船に乗りそうだと思うのだった。
が――。
「ダメでした……」
「ダメだったか」
だが、その実績とは裏腹に竹崎五郎は他の御家人たちと一緒に帰りの船に乗り戻ってきた。
「何とか乗船はできましたが、その後に力ずくで下船させられ、致し方なく戻ってきました」
「そうなるとやはり船が来るまで待つしかないのう」
五郎たちがうなだれていると、周りの武士たちが騒ぎだす。
「見ろ! 志賀島からも敵船が逃げていくぞ!」
「それにあいつ等船をいくつか燃やしてやがる!」
「煙だ。煙を大量に出してるぞ!」
志賀島から東路軍の船団が出航したのだ。
「こうしちゃいられない。このまま駆けて、遠当てをしてでも矢を当てよう!」
「そうだともいくぞ!」
「応!」
肥後の武士たちが北へと駆けていく。
五郎はその軍勢に加わることはなかった。
それで射っても首を上げられる訳ではないからだ。
ほどなくして別の二隻が今津に来た。
そのなびく旗印を見て野中が気がつく。
「あれは――少弐と、薩摩国の久親の船か!」
五郎はあの船には志賀島で共に戦った島津の手の者が乗っているのだと察する。
大宰府が有する遣宋船であるが、中央の主屋型が取り除かれており、より多くの人が乗るようになっていた。
その船の後ろには兵船を縄で繋ないで曳いている。
すでに大勢が乗っているので五郎たちが乗れるか微妙である。
「船頭、すまぬがあの船に我らを連れて行ってくれぬか」
「構いませんが、戦場には絶対に行きませんからね」
水夫たちは無謀な行動には櫓を捨てて拒否することができる。
五郎もそれはわかっているので「あの船までで十分だ」といい、船頭もしぶしぶ承諾した。
「話が通じればいいがの。よし、ワシらも行こう」
五郎と郎党二人は久親の手の者が乗る船に近づいた。
「やや、これは竹崎の五郎殿ではないか!」
乗っていたのは久親の舎弟である久長だった。
「二カ月ぶりになる! 我らもこの追撃に参上したく急ぎ仕度をしたが、船が未だに来ない。ここは武士の情けとして乗せてもらえぬだろうか!」
それを聞いて久長は郎党たちと話し合う。
そしてひょっこり顔をだして答える。
「乗せたいのは山々だが、この船は遅く人もこれ以上は乗せられない。しかし曳いている兵船になら二人ほどなら乗っても構わぬぞ」
「本当か! かたじけないがそちらに乗せてもらおう」
兵船に乗ったのは竹崎五郎と師実となった。
「ワシも最後まで付いていきたいと思ったが、これでも歳だからの、若い師実の方が戦で役に立つだろう」
「わかりました私がお供します」と師実がいう。
「いいか。大将首を分捕るまで帰ってくるでないぞ」
「わかっておりますとも、この竹崎季長の運の良さは知っていましょう」
「ふはは、それもそうだな!」
竹崎たちは遣宋船に曳かれる形で出陣した。
島津の船は思っていたよりも遅かった。
すでに志賀島を出た船団は最後尾の船が出発したところだ。
このままでは追いつくことはできない。
「あれ、竹崎の旦那じゃないですかい?」
後ろから来て声をかけたのは菊池一門を乗せて船を出した男。
河野六郎の郎党であるタカマサだった。
「おお、タカマサ殿ではないか。あ~拙者はやんごとなき守護と共に密命を帯びて、一所に合戦をしましょうと乗せてもらったのである」
この時、野中が「何とか一人ぐらいならあちらの船に乗れるのではないか」と小声で言った。
五郎も小さくうなずく。
「タカマサ殿、実は守護から命じられたことがあるので、船を寄せられよ」
守護が乗っていると聞き、タカマサは兜を脱いで、かしこまって船を寄せる。
「その――誠に深い、それはふか~い密命を帯びているので船をさらに寄せて、むしろ添えて頂きたい」
だが、タカマサは近づけば近づくほど、守護が兵船に乗っている様子もなければ、その前を行く宋船にも守護の気配がなかった。
さすがに怪しすぎたので水夫たちに命じる。
「いやいや、旦那さすがに怪しいので船をこれ以上近づけられないすわ」
無謀な試みは失敗に終わり、五郎は力なく垂れて弁明する。
「おっしゃる通り、この船には守護は乗っておらず、この船は遅いためにそちらの船に乗せてもらうために、そのように申しました」
それを聞いて、タカマサが聞き返す。
「つまりそちらの殿が乗っている船に乗る場所が無くて、とうとう後ろで曳く兵船に乗り込んだってことでやすか?」
五郎はそれを肯定して、さらに懇願する。
「然るべくは拙者だけでも乗せてくださらんか」
それを聞いて河野氏の郎党であるタカマサは困り果てた。
彼は水夫たちのまとめ役であって戦いに参加するつもりはない。
乗る乗らない、乗せる乗せないを決めることができないのだ。
「あっしにそのようなことを言われても困りやす。戦場の道なら、何事も西郷隆政殿に会って懇願して頂きたい。こちらに乗り説き伏せてくださいな」
そう言って船を横付けしたので、竹崎五郎はそちらの船に乗り移った。
その顛末を見て若党である師実が一言「見捨てられた……」と呟く。
さすがに顧みずに別れるのは禍根を残すと思い、師実の方を向く。
「懇願して乗る以上は郎党を乗せる訳にはいかない。我らは弓箭の道は進むを以って常とする。進める時は進まなければならないのだ」
そして兜を脱いで師実に自らの覚悟を知ってもらうために渡す。
「これを持ち、後から来る郎党たちに拙者が先を駆けたことを伝えてほしい」
師実は兜を渡される。
それは「見つぐ」という、本来なら相手の兜を交換して互いに戦功を確認する時の行為。
しかし師実は兜を持っていないので、ただ兜を渡すだけとなる。
それでもその真意は伝わった。
竹崎五郎の戦功の証言者となれ、そう言いたいのだと察した。
「それでは行ってくる。お主は他の郎党たちと合流して、追いかけてくるのだ」
「わかりました!」
五郎は郎党を残してタカマサの船に一人で乗る。
ただ一人前に進むのは、それが弓箭の道を突き進む御家人たちの生きざまに他ならないからだ。
竹崎五郎は河野水軍の船に乗る西郷隆政の所へと案内される。
「おお、竹崎の五郎じゃないか。乗り込んできたのはお前か!」
「隆政殿、この一大事に馳せ参じるために、誠に勝手ながら船に乗せて頂きたく来ました」
「同じ菊池一門、一所に合戦しようじゃないか――ところで野中殿は連れてこなかったのか?」
「途中まで一緒でしたが今津から相乗りする際に辞退して船を降りました」
「なんと、知っていれば今津に寄ったんだがな」
竹崎五郎は河野の船に乗船して、一門である菊池勢と一緒に戦うことになる。
分捕った〈帝国〉の船だったこともあり、すでに島津に安達そして自分たちで漕ぎだした御家人たちを追い越す。
目前には煙幕の白い靄が壁のように立ちはだかる。
「もうすぐ煙の中に突っ込む! 皆の者、気を引き締めよ!」
「よいか、この船は海上での矢戦を主におこなう。その間に備えの兵船が敵船を襲う。この煙を逆に利用するのだ!」
竹崎五郎は兜が無いので左足の脛当てを外して、それを結び兜の代わりとして額を覆う。
それを見た西郷隆政がギョッと困惑した表情になる。
「五郎よ。そんな兜で大丈夫か? 命が惜しくないのか?」
「命を惜しみこの船に乗り込んだのではありません。敵船に乗り移るためにいくつもの船を便乗したのです」
そう言ってから自らの心構えを話す。
「例えば〈帝国〉は船に近づくと、熊手を使い生け捕りにすると聞き及び、生け捕られて異国へ渡るという――これは死ぬことより劣る恥にございます。もしも熊手にかかったならば鎧の草摺の外づれを切ってください」
鎧の草摺の外づれを切ると鎧が脱げて、身一つとなる。
それは兜も鎧もなく、それでも戦い続けるという覚悟を語ったのである。
それほどの覚悟を聞いて西郷隆政の心が揺れ動いた。
「不覚、まさに不覚だ。それほどの覚悟を持って乗り合わせたのなら、野中殿ばかりは乗せるべきだった」
西郷隆政はすぐにでも今津に引き返して郎党を乗せてやりたいと思った。
しかし敵はもう目の前、それならば――。
「そこの者、兜をこ奴に――竹崎五郎に渡してやれ」
「心得ました。竹崎の五郎殿に使っていただけるのならこれほど喜ばしいことはありません」
「うむ、さあこの兜を召されよ」
だが五郎はその兜を受け取らなかった。
「その兜を着けて、主が討たれてしまっては、それは季長の責といっていい。それでは事の顛末を知った妻子が嘆かれよう。それは身を焦がすほどのことでしょう」
それでも西郷隆政はこの最後の戦で亡くすには惜しいと思い「そう言わずに召されよ」と兜を差し出す。
五郎はそうまでしてくれる西郷率いる菊池一門の心意気に感銘を受ける。
しかしそれでも五郎には彼の信念があるので固辞する。
「武士として誓いを立てたその時から、神仏にかけて誓約した武具を着て戦う身。しかし今は少しでも軽くして賊船に乗り移る為に、身に付けた武具を捨てて、直垂姿で戦うつもり――むしろ兜が無いほうがこの戦では有利と考えています」
五郎は志賀島奇襲の際に河野水軍の水夫たちが軽装でありながら有利に戦っていたのを知っている。
このことから、船上での戦いは身軽な方が有利だと随分前から気付いていた。
西郷隆政は何か考えがあっての事だと悟り、これ以上は何も言わなかった。
「わかった。やはりお主は――竹崎五郎は面白い男よ。よし、その兵船に乗り、一番に敵に駆けよ」
「そのような格別な配慮に感謝します」
五郎は兵船に、それも先頭に移り戦いの時を待つ。
「敵の船団に追いつくぞ!」
「兵船を出せ!」
「よし、敵の煙の中を突き進むぞ。覚悟を決めよ!」
「応!」
脛当て兜の竹崎五郎が乗る兵船が、敵を追って煙幕の中を突き進んだ。
――総撤退が始まる少し前。
金方慶は撤退の準備が終えるところだった。
「今日中に撤退となる。いつでも出れるようにせよ」
「ハッ!」
金方慶は七年前は徹底抗戦を主張し、数週間前も兵糧が無くなる限界まで戦うことを主張していた。
しかし、今は抗議せずにむしろ迅速な撤退を心掛けている。
その心変わりに部下たちは不信感が芽生えるが、一刻も早く撤退したいので誰も問い詰めることはなかった。
金方慶は博多湾のアラテムルの船が沈んだあたりを見る。
「このような状況――どうすればいいというのだ」
金方慶は内心焦っている。
今まで強硬路線を貫いてきたのは王の意向に従っていたからだ。
彼は厳格な祖父に育てられ、自らの考えでなく王の意志に従う――まさに軍人としての教育を施されてきた。
だからこそ〈王国〉内戦時に傀儡政権を目論む三別抄を討伐したとも言える。
彼は王が労働力を求めれば近隣諸国から住民を連れ去り、反抗する者は虐殺し、新しい国土を求めれば侵略する。
徹底抗戦せよと命じられれば全滅するまで戦い続ける。
まさに完成された軍人である――と同時に将校に必要な戦略眼というものは皆無に等しかった。
彼は戦略方針を決める人がいて初めて動くことができる。
その戦略を決めるアラテムル不在の状況では総撤退に同調するしかなかった。
「我が王にどのように報告するべきか……」
彼が思案していると総撤退の銅鑼の音が鳴り響く。
すぐに考えを放棄して、撤退の命令を下した。
「全船撤退せよ!」
「ハッ!」
そして船団が博多湾の開口部に差し掛かったときに部下から報告を受ける。
「敵の船がこちらに来ています!」
「それならば煙幕を出し、敵の視界を奪うのだ。座礁しないように気を付けよ」
「ハハッ!」
船団は煙幕を出しながら撤退する。
それは撤退する際にあらかじめ考えられていた方法の一つになる。
撤退時に敵の視界を奪うために煙幕を張るのは悪い手とは言わない。
しかし、それが正しいかは別になる。
煙幕として使っているのは主に黒色火薬になる。
つまり煙幕とは硝煙のことであり、その毒性ゆえの問題も多い。
その煙にむせび、一人の男が目を覚ます。
「ゴホッゴホッ……これは硝煙か…………ここはどこだ?」
博多湾の出入口に玄海島といくつかの小さな島々が存在する。
男はその島の一つに打ち上げられていた。
硝煙の煙と周囲で絶えず鳴り響く銅鑼の音によって脳が活性化していく。
「……余の船団はどうなった……ええい、なぜ誰かおらぬか!」
〈王国〉の皇子にして、〈帝国〉の人質。
それでありながら東征左副都元帥にまで登りつめた男。
アラテムルだ。
煙により視界は悪いが、鳴り響く銅鑼から撤退の最中だと分かる。
すぐ目の前を船影が通過していく。
船影はアラテムルを無視するように何隻も何十隻も通過していく。
「ええい、ここにいるのが分からぬかっ!」
アラテムルの叫び声は銅鑼の音によってかき消された。
「おおーい!」
手をこまねいていると一隻の船がその島に近づいてきた。
その船には李進千人隊長が乗っていた。
「あ、あ、アラテムル様、や、やはり貴方様でしたか。御迎えに上がりました!」
船団の最後尾にいた李進だけがアラテムルに気付き船を出した。
最初はあり得ないと思い無視しようとしたが、暗部に対する恐怖心から半ば強迫観念かのように部下に命じて船を出させた。
そして李進は自分の決断が正しかったと心底思うのだった。
「今、どういう状態か説明せよ」
「は、はいもちろんでございます」
李進は嵐の後の被害状況と総撤退についてかいつまんで説明した。
アラテムルはその説明を聞きながら、大船に乗船する。
「つまり余の精鋭たちはこの三隻に乗る百人足らずにまで減ったということか……」
「は、はい。そうなります……」
それは大船一隻とそれより一回り小さい中型船二隻となる。
「くっ、あれだけの軍を再編するのに一体何年かかると思っているのだ」
アラテムルはしばし考えた。
この侵略戦争の〈王国〉の目的は〈帝国〉から半ば独立した状態でありながら朝貢国として庇護下に収まる絶妙な地位に収まることにある。
そのために新しい遷都先として大宰府を考えていた。
それが不可能だというのなら――次の手として最善はなにか?
「対馬はまだ我らが手中であっているな?」
「は、はい。あそこはまだ守備隊がいたはずです」
「ならば急ぎ本国から増援を出させて、対馬だけでも占拠し続けるぞ」
「――え!?」
「何を驚いている。このままでは何も得る物がないではないか。それならば対馬を領有して、力を蓄えるのと同時に奪い返しにやって来た蛮族どもを皆殺しにして、奴らの国力を削ぎ続ける。まさに一石二鳥とはこのことだ」
アラテムルはそう言いながらも、国を奪えるのは自分の子あるいは孫の代になると考えた。
自らの代で成し遂げたいからこそ〈帝国〉を巻き込んだ一大戦争に発展させたのに、それが叶わないと理解する。
彼は不本意な長期戦に苛立つが――自らが生き延びた事実に未だ天命が尽きていないと確信する。
そう天は余の覇業をいまだに後押ししている。
ならば突き進むまでのこと。
「そ、それでしたら一刻も早く味方と合流しましょう。そ、そのアラテムル様は公式には溺死ということになっていますので、すぐにでも……」
「ちっ、勝手に早とちりしよって、今すぐに連絡船を出して無事を、それから煙幕を止めさせろ」
「は、はい!」
アラテムルはまだあきらめていない。
煙幕で視界不良の中、より長期の計画を考える。
――こんな事なら対馬を最初から要塞化する計画を立案すればよかった。
あとの祭りと思いつつも、そう考える。
その時、『ゴト』と二人の後ろで何かが乗り込む音がした。
振り向くとそこには一人の大男がいた。
その姿は奇異といってよく、
紅の大鎧に左足の脛当てが無く、
そのせいで袴が垂れた滑稽な身なり、
そして兜の代わりに脛当てを頭に着ける珍妙な大男。
いきなり現れた不審者に二人とも時が止まったように硬直する。
その男と目が合う。
彼はアラテムルを指さして、
しゃべりはじめた。
『お主は、二月前に志賀島で見かけた御仁だな。つまり大将首ということだな。そうだよな、その首は大将首だよな……』
李進は持っている得物である槍を構える。
アラテムルも護身用の短刀を構えた。
どこからともなく乗船した男は叫ぶ。
『その首ぶんどりゃああぁぁぁぁ!!』
九州一の奇異にして剛の者、竹崎「五郎」季長、ここに見参。
妖怪首おいてけVS妖怪国おいてけ ファイ!
蒙古襲来絵詞の絵十五
奥が少弐経資の船。
手前が島津の船と後ろに小舟の兵船。
今回のエピソードは蒙古襲来絵詞の詞十一段の内容。
ただしかなり改編しています。
特に変えたのはタカマサという謎の人物を船主のタカマサと西郷隆政の二人にしてるところですね。
説は複数あり、タカマサと呼び捨てにしているから同格あるいは格下の人物だろうというのと、野中を知っているのだから菊池武房の叔父である西郷隆政の二つが主になります。
どちらが正しいのか分からないので両方出すという暴挙にでました。
他にも細かい改編は多岐にわたりますが、解説ばかりしていてもしょうがないので続きを書きます。以上。




