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弘安の役 鷹島

 鷹島とは壱岐島のちょうど真南にある。


 その近海の御厨(みくりや)海は鷹島を含めた大小さまざまな島が囲うような半ば内海のような海域であり、このおかげで海は比較的に穏やかとなっている。

 しかし穏やかなのは御厨(みくりや)海だけであり、そこから出ようとすると湾の出入口にて外海の荒波と伊万里沖の潮がぶつかり合う難所となる。


 〈帝国〉の船団はこの伊万里湾の鷹島沖に停泊していた。



 1281年8月12日(弘安四年七月二十七日)。


 早朝に張成たち兵站船が鷹島へと到着した。

 彼は物資の補給ではなく東路軍と江南軍の合流、その段取りである軍議に参加しに来た。

 大部隊の合流とそこから間髪入れずに上陸作戦を成功させるためにクドゥンを筆頭に東路軍の諸将が張成の船に乗っていた。


「クドゥン将軍、上陸の準備ができました」

「ふふ、それでは行きましょうか。張成百戸兵長」

「……あ、ハッ!」


 張成と張翔はこれまでの活躍が認められ「管軍上百戸」の張成、同じく「管軍百戸」の張翔に昇進した。

 これまでの激戦と人材不足から繰り上げ昇進ということもある。


 鷹島に到着すると氾文虎将軍が待ち構えていた。

 彼も張成と同じく旧南宋の武将になる。


「氾文虎将軍、クドゥン将軍をお連れしました」

「うむ」


 普段陽気かつ長々と喋る張成であるが、氾文虎に対しては短く最低限の礼だけで済ませた。

 この氾文虎と張成たち水軍は昔からの複雑怪奇な因縁が存在する。


 宋王朝末、南宋の丞相である賈似道(か じどう)は軍人の不正や着服など腐敗撲滅に力を入れて、文官の待遇を改善する善政を敷いた。

 それは功を奏して名宰相として後世まで称えられるだろうと称された。


 しかし襄陽・樊城の双子都市要塞包囲網が築かれた際に長期戦とは思わず何ら手を打たなかった。

 ほどなくしてこの戦いが前代未聞の長期戦であると気付き、慌てて娘婿を派遣した。


 娘の夫それが氾文虎である。


 しかし包囲網を突破するために水軍を率いたが、事前準備をしていた〈帝国〉の大艦隊に敗北した。

 その後手後手の対応と長期戦の不利を悟った重臣の一人である呂文煥(りょ ぶんかん)が降伏、その後を追うように氾文虎も投降した。


 混乱する末期に賈似道(か じどう)は謀殺され、ほどなくして宋王朝は滅亡する。


 後に残ったのは賈似道(か じどう)に蔑ろにされ恨み募る武官と、娘婿という微妙な立場の氾文虎将軍だけとなった。



「それでアタカイさんはどこですか?」

「クドゥン将軍、それがアタカイ左丞相はアラカン殿の病による引継ぎの関係から――まだ来ておりません」

「……そうですか。では仕方ありませんね。今いる将軍たちだけで軍議を開きましょう」


 仕方ないことであるが以東遠征全軍の指揮権を持つアタカイ不在のまま軍議を進める事となる。

 その席ではただでさえ立場の微妙な氾文虎はますます立場がなくなったのは言うまでもない。


 昼前になり軍議がいったん終わった。

 そこで張成は鷹島の仮設拠点へと足を運んだ。


 そこでは南宋の顔なじみたちが土木作業に精を出していた。

 鷹島の木々を切り倒し防護柵を建て、さらに溝を掘り土手を盛ることで敵の進行を防ぐ。


 まさに城である。


 作業の邪魔にならないように奥へと進み、今しがた休息に入ったのであろう一団に声をかける。


「おやおや、誰かと思えば懐かしき戦友諸君じゃないか」

「お、張成じゃないか! おーいこっちだ、こっち!」

「ははっ、その喋り方は本物の張成だ。先にくたばっちまったと賭けていたんだ。負けちまったよ」

「おいおい、勝手に殺さないでくれよ。それじゃあ生きてるのが申しわけなくなるじゃないか。それにしてもひでぇ臭いだな汗臭くてたまらないね」


「そりゃここ連日拠点づくりの土木作業しかしてないからな」

「さすがは本職だな。お前らのためにいったいどれほどの作業道具を運ばされたことか」

「そりゃ俺たち元宋軍は治水関係の土木作業が主な仕事だからな」


 南宋兵の主な仕事は治水工事になる。

 これは南部の主要な交通路が大河であり、この河の治水こそが大陸の平定に欠かせない要素だからである。


「そうそう、軍が強すぎると反乱が起きるっていうから上官は毎年のように変わるし、仕事は土木作業ばかりだし、戦いの訓練なんてほとんどしてないのにこれでどうやって戦えってんだ」


 国境を守る軍隊は本来なら非常に精強でなければならない。

 しかし広大な版図と大河によって分裂気味の地方軍閥――ここが強すぎると反乱が起きた時に為す術が無くなってしまう。

 そこで南宋は軍人と武官とを切り離して数年おきに上官を交代させ謀反に賛同できない仕組みを作り上げた。

 こうすることで将軍ではなく、あくまで中央政権に従うという文官統制の枠組みを作り上げることに成功した。


「そんでもって我らが名宰相様が汚職撲滅とか言って現場でため込んでた物資を全部取り上げるんだからたまったもんじゃないよ」

「まったくだ。そのせいで〈帝国〉が攻めてきた時に、現場で対応できないからな。滅亡して当然だ」


 それは現実を知らない名君の理想と、目と鼻の先に強大な〈帝国〉がいる現場との温度差でもあった。


「氾文虎将軍も悪い人じゃないんだろうけど――あの宰相の娘婿だしな」

「けど、今回の遠征で勝てると豪語したんだろ」

「いい人だとは思うけど、現場を知らなすぎるんだよな。そのお義父さんのせいでメチャクチャ弱いんだぞ、南宋軍は……」


「はぁ~」

「はぁ~」

「はぁ~」


「おう、兄者。木材を頼まれたから運んで来たぜ」


 そこへ張翔がやってきた。

 その両手には防護柵用の木材を抱えている。


「おう、翔お前は官軍百戸の指揮官なんだから土木作業を監督する立場なんだぞ。それが一緒に働いてどうするんだよ」

「そう言えばそうだったな。がははは」


「嘘だろあの怪力張翔が〈帝国〉の武官になったのかよ」

「まさか兄貴より先に出世するとは世も末だな」

「俺も上管軍百戸になってるわい。ここでは武官もどんどん死んでくからな。生きてたらお前らもすぐに武官に慣れるぞ」


「…………なあ、張成さんや、噂の〈島国〉の兵は強いのか?」

 それは南宋軍全員が聞きたいことだった。


「そいつは――おい、翔お前が答えてやれ」

「おう、メチャクチャ強いぜ。たぶん俺が一騎打ちしたら負けるな。兄者と二人で策を講じても死ぬな!」

「言いきってくれるなコイツ。だがその通りだ。あんな連中正面から戦ったら勝てないね。とにかく遠方からチマチマ攻撃して近づけない。これしかないね」


「一体どんだけ強いんだよ。ウソだろおい。なあウソだと言ってくれよ」


「あ~、南宋製の石弓を四発喰らって普通に戦ってたぞ」と張成が福田のしぶとさを引き合いに武士たちの勇猛果敢ぶりを説明する。


「それはあれか煉丹術士たちが探している奇跡の石を持ってるんじゃないか。絶対にそうに違いない」

「そう言えばアラテムルの奴が何かスゲー物を手に入れたって噂になってたな」

「それだ絶対にそうだ。それが奇跡の石だ。不老長寿の――そういうヤツに違いない」

「がははは、それじゃあ俺たちで敵から石を奪っちまえばこの戦いで生き残れるな!」

「バカいえ、その前に全滅だよ」


 張成たちは旧友たちと雑談を続けた。

 目の前の強敵に対して現実的な問題に馬鹿話を織り交ぜることで、緊迫した雰囲気を和らげる。

 何十年も〈帝国〉という恐怖と対峙してきた弱くとも図太い南宋兵の戦い方だ。


 そのまま昼食をとっていた時、事態が動き出す。





「敵襲! 銅鑼を鳴らせ!!」


 警戒の銅鑼の音が鳴り響く。


「クソッ、噂をすれば何とやら……」

「全員すぐに持ち場につけ!」



 七月二十七日、対岸にいた松浦党が一斉に攻め込んできた。


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