弘安の役 少弐資能
少弐氏は武藤資頼という武将が鎌倉殿の信用を得て、大宰府少弐職に任ぜられた頃から始まる。
後の初代少弐氏当主だ。
以前は平家側に付いていた彼がなぜ信用を得たのか、どのようにして大宰府の官職を得られたのか誰も知らない。
ただ一つ言えるのは彼が平家側で貨幣経済の恩恵とその財力が――武力につながると気付いていた事だ。
それは同時に当時の武家社会は武力が個々の鍛錬と土地の開発の結果だと認識していたとも言える。
すなわち少弐氏にとってこの大宰少弐の官職を守り抜くことがもっとも重要な事だった。
だからこそ資頼の息子である資能に無理を押し通して大宰少弐職を世襲させ、この資能が少弐という官職を氏名にしたのも、この官職の重要性を理解していたからだ。
しかし文永の役以降からその少弐の財力に陰りが見え始める。
南宋の滅亡、そして海上貿易をしづらくする石築地の建築。
これらが重なり少弐は力を失っていった。
そうなると話は変わっていき、土地の広さと兵の質がものを言うようになる。
彼は、少弐資能は気づいていた。
もはや〈帝国〉とまともに貿易をすることはできない。
少弐の官職に意味がなくなった。
ならば元家督として少弐氏を一族一門を守る手立ては何か?
その答えはやはり武士の在り方にある。
家督を譲ってから少弐資能は老体に鞭打って鍛錬をするようになった。
七年間ただひたすら鍛錬のみに精を出す。
彼が出した答えは一つだった。
武勇を轟かせる。それも菊池のように。
それだけが力を失いつつある少弐をまとめる唯一の手段だった
そして七月二日、老兵が出陣した。
八幡半島の北には芦辺湾を挟んで竜神崎という岬がある。
その岬の北側に瀬戸浦という浜辺が続いている。
〈帝国〉の守備隊は船匿城を中心に芦辺湾を囲うように布陣して武士の上陸に備えていた。
しかし、武士の船団の第一波は北へと向かい、勝本湾で海戦を始めた。
守備隊はそれに釣られるように北へと移動を開始する。
そこへ第二波が芦辺湾ではなく、瀬戸浦に強襲上陸を開始した。
数の減った所へ想定外の浜からの上陸。
守備隊が出陣したときにはすでに垣楯を並べて矢戦の準備が整っている。
その先頭に立つのは龍造寺氏たちだった。
「敵が来たぞ。弓引けぇ!」
「応!」
瀬戸浦で矢戦が始まった。
その瀬戸浦の西に大左右川が流れている。
この川を挟んで、船匿城があるので瀬戸浦を手に入れても実は意味がない。
しかし守備隊が浜辺に集結したため船匿城の警備が少なくなっていた。
『おい、今何か聞こえなかったか?』
『震天雷の音だろう』
『いや、そこの納屋から物音がしたような……』
そう言いきると同時に納屋から老兵が飛び出してきた。
『なっ!?』
『て、敵襲ーッ!』
「カァーーッ!」
少弐資能が走りながら矢を放った。
『ぐぅ!?』
『ギャアッ!!』
それに千葉宗胤が続く。
「なんて元気なご老人か、交渉と謀に長けた一族と思ったが……少弐も侮れないな」
さらに龍造寺氏も続いてきた。
「おお、ほんとうに城内へでたぞ!」
「皆の者、老人に先駆けを譲って何のための弓箭の通か、一気に蹴散らせ!」
「うおおおお!!」
突如内側から現れた武士たちに〈帝国〉兵は混乱する。
『くそ、一体どこから出てきたんだ!』
『いかん撤退だ! 撤退の鐘を鳴らせ!』
そして抵抗らしい抵抗をせずに逃げ始めた。
この船匿城陥落の知らせはほどなくして瀬戸浦で戦っていた兵にも伝わり、撤退が始まる。
「報告します。瀬戸浦にて戦っていた敵は北の勝本湾へと撤退しました。ただ周辺の村々はすべて焼かれ、内陸の村もどうなっているのか依然不明です」
「ご苦労であった。内地がどうなっているのか分からないとなると無闇に攻め入らない方がよろしいかと思われますが、如何でしょう」
まだ若い千葉宗胤がこれ以上の追い討ちは止めておこうという。
しかし――。
「ほ、報告します! 瀬戸浦にて戦っていた龍造寺季時殿が討死しました!」
「何だと!」
「まさか季時が逝くとは……」
龍造寺一門に動揺が走る。
これ以上の継戦は止め、明日から戦いを再開するべきだろうと話がまとまりかけた時、
少弐資能が一喝する。
「追い討ちじゃ! 弔い合戦じゃ!!」
「な、資能殿、流石に連戦は――」
「その通りだ。八十を越えてまで弓箭の道を示す御方がいるのに、我ら龍造寺がここで手をこまねいてどうする!」
「そうだ。ここで敵を掃討すればこそ名が上がるというもの。ちょうど馬を連れてきている。奴らに追いつくこともできよう。行くぞ!」
「おお!」
龍造寺一門を中心に更なる戦を望む声が高まった。
千葉はその意を汲むべきだろうと判断した。
「――よしわかった。ならば軍を二手に分けて勝本湾へ逃げた敵を追う側と、南に進んで八幡半島の味方と合流する側に分ける。よいな」
「応!」
「資能殿、我らが北へ攻めますので、資能殿は南の敵を討って、経資殿と合流してくださいませ」
「ううむ……わかった!」
千葉はこの流れは変えられぬなら、老兵をできるだけ安全な方に向かわせるために軍を二手に分けることにした。
北の勝本湾を目指すのは千葉氏、騎兵五十騎と歩兵五百。
南の八幡半島を陸路で目指すのは少弐資能、同じく騎兵五十騎と歩兵五百となった。
その八幡半島でも動きがあった。
「経資様、敵が慌ただしく動いてます。どうやら船匿城が陥落したようです」
「ならば我らも総攻撃をするときぞ!」
「し、しかし、船匿城を攻めるために矢をほとんど持っていきました。ですので矢の数が心もとないです!」
「ここは味方が来るまで守りにはいりましょう」
そう提案したのは薩摩の御家人である島津長久と、同じく比志島時範だった。
彼らは島津水軍衆として肥前国の武士たちに船を出していた。
この二人と郎党たちは志賀島に奇襲をかけた別の一門に張り合うために矢戦に参加していた。
「いつから鎌倉武士は矢が無ければ戦えなくなったというのだ!!」
「――ッ!?」
「私は少弐であるがその前に一介の御家人としてこの戦に臨んでいる。矢が尽きようとも武器がある限り戦うまで――突撃だ!!」
大声で突撃を指示する。
「突撃だ。突撃ぃー!!」
少弐経資は大声で突撃を指示しながら、扇子を片手に敵陣めがけて走り出す。
「少弐殿が馬にも乗らずに突撃をしたぞ!?」
「あの少弐が進んで敵陣に行っている…………こりゃ、突撃に加わらなかったら末代までの恥ってもんだ!」
「よし皆少弐殿に続くぞ!」
そう言って、手に薙刀や太刀をもった少弐の郎党たちが垣楯陣地から飛び出した。
「うおぉぉぉぉ!!」
それを見て龍造寺、そして薩摩武士たちも奮い立ち突撃に加わった。
一人の武将の突撃が大きなうねりとなり敵陣に押し寄せる。
「かかれーー!!」
この八幡半島で対峙する部隊は張成ではなく、李進になる。
張成は壱岐島放棄のための準備に移っていた。
「て、敵が突撃をしてきました。如何いたしましょう」
「とと、とりあえず石弓を撃て、それから次の指示を伝える」
「ハッ! 狙えぇ!」
石弓兵たちが弩を構えて、狙いを定める。
その矢は今までにない特別な矢である。
当たれば破傷風になる猛毒の矢。
それが少弐経資を狙う。
「かかれーーっ!!」
「かーーっ!!」
その時、北から資能率いる騎兵が芦辺湾沿いを駆けて、後ろから急襲してきた。
『――!?』
『後ろから来たぞ!』
『李進千人隊長、次の指示……隊長はどこだ!!』
李進千人隊長は最初の指示を出した後に撤退していた。
騎兵だけが西南の郷ノ浦湾へと向かっていた。
「よろしかったのですか。味方を置き去りにして……」
「ひひ、いいんだよ傭兵だし。本当にひ、被害がでないと敵を釣ることはできないから……あと敵が追い付ける程度の速度で走れ……」
「ハッ!」
隊長格がいなくなったことで混乱する石弓兵。
そこへ経資が太刀で斬りかかる。
「キエェェェッ、エッェェ!!」
その奇声に皆が驚く。
『ガアアアッ』
そして敵が真っ二つになり、経資も驚く。
「!?」
「経資殿は武勇にも優れておられたのですね。今のはどういう戦い方なのですか?」
島津長久が経資の勇猛ぶりに感動して、その強さの秘訣を訊ねる。
「な、何も考えずに……斬るのみ」
「何も考えずに……」
「叫びながら……」
島津長久と比志島時範は互いに頷いて、残る敵を見る。
「キエェェェェッ!!」
「チョオオオスッ!!」
二人も奇声を上げながら敵を切る。
そして見事に敵を両断したのだった。
「おお、本当に切れたぞ」
「なんということだ。このような鍛錬見たことも聞いたこともない」
「お三方、今だ敵陣の中ゆえ、鍛錬については後ほど語られましょう」と郎党の一人がいう。
三人は目配りして頷く。
「アーーァッアーー!!」
「ンギィィィィィ!!!」
「チエステェェェ!!!」
三人が奇声をあげながら敵を屠る。
それを見ていた島津の郎党たちも真似をし始めた。
「チェリォオッオー!」
「アアァァアーーッ!」
「アーーーーッ!!?」
今までにない勢いで、敵兵をなぎ倒していく。
八幡半島の兵はそのほとんどが討ち取られるのだった。
そして、経資たちは弓でなく、太刀と薙刀でも案外敵を討ち取れるのだと気付くのだった。
その事実に呆然とする。
「経資っ! 何をしておる。敵が逃げるぞ! 追い討ちじゃ!!」
「……ハッ、父上、お待ちください。まずは垣楯を運びそれから――」
「追い討ちじゃ! 騎兵はワシに続け!!」
「おおおお!!」
「な!? 父上!!」
資能は騎兵だけを引き連れて、敗走する敵兵を追いかけていった。
それを見て李進たちが後ろを振り向いて、矢を放つ。
「なんじゃ。変な弓の使い方じゃ。素人じゃ!」
「臆せず突き進め!!」
少弐の騎兵が矢雨をものともせずに追いかける。
見る見る距離が縮んでいく。
「放てぇ!」
矢を放ちながら追い、一騎また一騎と倒していく。
そして森へ入ったところで、甲高い声が響いた。
『ヒャウッ!』
それはアラテムルが獲物を仕留める時に発する合図だった。
資能たち五十騎の周囲を胸甲石弓騎兵が襲ってきた。
そして全騎一斉に石弓から矢を放つ。
――ドッドッドッドッ!
四方から放たれた矢はまっすぐ武士たちの甲冑を貫く。
武士に当たらなくても乗っている馬に刺さり、そのままほとんどの騎兵が倒れ込んだ。
そして一矢が資能の足にも刺さる。
「ぐぬ、たかが矢の一本ぐらい……」
「資能さまをお守りするのだ!」
少弐の郎党たちが資能を中心に囲い、そして矢で反撃を始める。
『くっく、この石弓騎兵というのはなかなかいいな。王某にしては上出来じゃないか』
『あ、あのこのまま突撃しますか?』
『何を言っている。この毒矢があるなかで乱戦などするわけないだろ。撤退だ』
『ハハッ!』
アラテムルたちは止めを刺さずにそのまま帰っていく。
「くぅ~逃げられたわい!」
「資能様、お味方が来られました。ここは一旦退いて、明日戦いましょう」
「しかたなし……かえるぞい」
資能としてはさらなる勲功を欲したが、矢傷手負いと討死の功だけでも十分な勲功である。
ここは傷の手当と明日の戦いに備えることにした。
少弐たちが壱岐島南部で戦っているとき、北部では千葉宗胤たちが勝本湾に敵を追い詰めた。
だがそれ以上戦うことはしなかった。
「なんだこれは、一体どれほどの数がいるのだ……」
「宗胤殿、ここは兵を退きましょう。あれは南宋の船です――新手になります」
宗胤の目の前には〈帝国〉の船団が航行していた。
その船の形状から南宋の船であることはすぐに分かった。
それが三百隻余り現れたのである。
この船団は江南軍の先遣部隊であり、十六日の壱岐島、対馬放棄の知らせを受ける前に出発した部隊になる。
彼らは当初予定通りに壱岐島に現れたが、焦土作戦中だった影響から対馬に一時停泊していた。
本隊と連絡が取れたことから平戸島へと向かうところだった。
この海を覆うほどの船団でも実際は四千の艦隊の一割にも満たない。
そうとは知らないが千葉宗胤はただ事ではないと察する。
「一旦退いて、体勢を立て直す。船匿城へと戻るぞ」
「はっ!」
千葉宗胤は〈帝国〉の底力、その一端を垣間見た気がした。




