弘安の役 壱岐島海戦
――七月二日。
〈島国〉の船団が未明に出航。
壱岐島の北部にある勝本湾へと進んだ。
この船団を捕捉した〈帝国〉の船団百隻が勝本湾へと早朝に進んだ。
船団を率いる金周鼎はこの海域に進入すると同時に停船命令を出して、武士たちと対峙するのだった。
全員が金周鼎の一挙手一投足に気を配る。
「……迂回」
「ハッ、全船、諸島を迂回しながら前進せよ!」
この勝本湾は辰ノ島、若宮島、名鳥島という島々に囲まれており、そのおかげで荒波から船が守れる良湾となっていた。
この三つの連なる島々を挟んで両軍が対峙している。
三島の幅は狭く、〈帝国〉船団百隻で進入すると座礁する恐れがあった。
大きく迂回しながら小舟へと近づいていく。
「資時様、今ですぞ」と野田がいう。
「分かっておる。皆の者、瀬戸を突き進め!」
「おおぉ! 声をあげろ! 漕ぎ続けよ!」
「おう! おう! おう!」
少弐資時たち船団が狭い諸島の間を通って勝本湾へと出た。
小型船の小回りの良さを上手く使い敵を翻弄する作戦だ。
この動きに対して〈帝国〉は急反転して勝本湾へ戻るしかなかった。
こちらの予想通りに敵が動き、野田の口元に笑みがこぼれる。
「見てくだされ、敵が右往左往しております!」
「思っていた通りだ。敵は大きな船を出して一気に勝負を決めるつもりだったのだろう」
「彼らの大船は輸送に適していても足が遅いのが欠点でございます」
「ああ、そこを突くのだ」
金周鼎は船団をすぐに反転させて勝本湾へと戻る。
すると武士の兵船は諸島のあいだに広がる中瀬戸で待機したのだった。
一向にでてくる気のない小舟の群れに痺れを切らした部下の何人かが前に出る。
「将軍、今すぐにでも船団を半分に分けましょう」
「その通りです。敵は所詮小舟にのるまさに雑魚と言っていい相手です。ここは南北から挟んですり潰してしまいましょう」
「………………」
金周鼎も同じことを考えていた。
しかし果たして〈島国〉の船団は戦う気があるのか疑問に思えてきた。
両陣営の船が正面からぶつかれば〈島国〉の小舟が海の藻屑となるのは火を見るよりも明らかだった。
それは誰もが知っている事である。
だからこそ弘安の役の武士たちの戦術は奇襲、夜襲、そして陸戦に終始していた。
「将軍! 大変です! 船数隻が潮に捕まって流されていきます!」
この勝本湾は穏やかだが、諸島の間隔が狭い関係から一度潮流に捕まると流れの速さから容易には戻ってこれない。
その潮流に二隻の船が捕まったのだ。
「……救助、できるか?」
「今から上陸船に乗り込んでも難しいかと……」
「将軍、島から敵兵が出てきています!」
「…………伏兵」
北部の諸島は波で削られ岩礁が多い。
そのため上陸しやすい浜辺は限られている。
〈帝国〉が来るまでの間に、この三島に武士たちが上陸して待ち構えていた。
そして敵船が流されるのを見て、潜んでいた武士たちが動き出した。
「敵が侵入して来た!」
「よし矢を放て!」
足場のしっかりしている陸地から矢で攻撃が始まった。
それに対して石弓兵たちが反撃を始めるが、揺れる船上から放たれる矢が当たることはなかった。
「ははっ奴ら素人だ。こんなんじゃ当たらんぞ」
「いいか、矢の本数に限りがある。一発も討ち漏らすなよ」
「容易いことよ」
石弓兵たちが島に上陸した武士たちに集中しているのを見た少弐資時たちも動き出す。
「今だ。敵の注意は陸に集中している。ここが攻め時だ!」
「取り囲んで熊手で登るのだ!」
「おお!」
中瀬戸に布陣していた兵船はあっという間に二隻の船を囲み、四方八方から登りだす。
陸からの支援攻撃もあり、〈帝国〉兵たちは満足に反撃することができなかった。
「登り切ったぞ! 斬りかかれ!」
「うおぉぉ!!」
資時は敵船を容易に攻め落とすことに成功した。
「皆の者、勝鬨を上げよ!」
「おおぉぉ! おおぉぉ! おおぉぉ!!」
「おおぉぉ! おおぉぉ! おおぉぉ!!」
その間に金周鼎は動くことはなかった。
と、いうよりも動けなかった。
自らが率いる船団で瀬戸に入ったとしても運が悪ければ座礁するのは明白だった。
『ドン』と手すりを叩くことしかできなかった。
「金周鼎将軍、いかがいたしましょうか?」
「…………」
金周鼎は何も答えずにじっと考える。
武士たちはなぜ勝本湾に上陸せずに海戦をするのか?
それは上陸後に兵船を破壊されては身動きが取れなくなるからだ。
中世の海戦は水夫と兵船の奪い合い、あるいは破壊することが重要となる。
そうであれば上陸戦とは帰りの船を守りながら戦うという側面がある。
彼らが上陸せず、しかし積極的に攻め込まないのなら何を狙っているのか?
「…………!?」
この時、金周鼎は敵の狙いが時間稼ぎであることに気がついた。
そして壱岐島の方を向き、耳を澄ます。
いくつもの煙と鳴り響く爆発音、それは合戦の音に間違いなかった。
「……罠、撤退せよ!」
金周鼎の部下もその短い言葉が何を意味するのか察する。
「ハッ、総員撤退せよ。これは罠だ! 敵はすでに壱岐島に上陸している!」
〈帝国〉の船団は勝本湾から反転して、本陣のある郷ノ浦湾へと戻っていった。
それを見た武士たちはさらに喝采を上げる。
「見ろ! 敵が退いていくぞ!」
「我らの勝利だ!」
「ついに……ついに……我らは敵を撤退に追い込むことが出来た……」
勝鬨をあげる者、泣く者、笑う者。
腰抜けの経資に仕える御家人たちと嘲笑われた彼らはついに雪辱を晴らしたと言える。
そしてこの戦いの指揮をとった資時こそが少弐の次期当主だと皆が認めた瞬間でもあった。
「資時様、これからどうしますか?」野田が次の指示を仰ぐ。
「敵の船団は多く、百隻でもまだ一部と見たほうがいい。勝本湾に上陸はせず、このまま船匿城にて御爺様と合流する」
「そうだとも、奴らがどんなに船が強くても陸なら負けねぇ」
「ああ、船匿城ならこのぐらいの兵船を入れられる早く味方と合流しよう」
少弐資時は壱岐島の瀬戸浦の方角を、次いで内海湾のほうを見る。
まさに煙が上がるその真下で激戦を繰り広げていることが容易に想像できた。
「御爺様、父上、どうかご無事で」
壱岐島の重要地点である八幡半島と船匿城、この二か所のどちらかを突破できれば敵に船を破壊されない拠点から壱岐島全域に武士を送り込むことができる。
壱岐島という中継地点を失えばこの戦は勝ったも同然である。
この時の御家人たちはそう考えていた。
しかしこの時すでに肥前国、平戸島――現在で言う長崎県に続々と江南軍の第一波が上陸していた。
肥前国はその領内のほぼすべての人員を壱岐島上陸戦に動員していた。
このため、武士たちは東路軍の九百隻をはるかに上回る、四千以上の大船団が襲来してきた事実にまだ気がついていなかった。




