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弘安の役 一日

 武士は志賀島に上陸した東路軍を正面突破で倒せなかった。

 同じように、壱岐島八幡半島に陣取る武士たちに〈帝国〉は手をこまねいていた。


「ええい、まだ敵陣を突破できないか!」

 しかし最も焦っているのは少弐経資だった。


 すでに内海湾で一進一退の攻防を続けること二日、日付は七月一日となっている。


 夕方には〈帝国〉による海上の包囲網は解かれ、危険ではあるが兵糧物資を送ることができた。

 この兵糧の輸送は壱岐島から松浦半島一帯の海に精通する松浦党が担っている。

 しかし新月を越えた後は徐々に月明りが照らし、大型船に捕捉され完全に包囲されるのも時間の問題でしかなかった。


 それは依然、制海権を〈帝国〉が握っているということになる。


 あと数日のうちに壱岐島を奪還できなければこの大規模攻勢は失敗に終わる。

 その事実が経資を焦らせていた。


「経資様、ここは私にお任せください」

「おお、千葉宗胤(ちば むねたね)殿か、お主の父は将軍様に仕えよく戦ったと聞く――」


 千葉宗胤は齢十六、まだ幼さの残る若武者である。

 彼の父親である頼胤(よりたね)は文永の役で警固として初期に参戦した。

 多勢に無勢――矢をいくつも受け三十七歳で亡くなる。


 この宗胤は文永の役後に東国から十二の若さで九州に赴き、警固役を担っていた。


 この若者の後ろには松浦党、龍造寺、高木など肥前国の在来領主たちが控えている。

 その事から経資も宗胤が自ら意見を述べているのではなく、彼ら在来武士の代弁だと察する。

 ここで若さを理由に退けるのは千葉氏と後ろの肥前の御家人の顔に泥を塗るようなもの。


「――どのような策があるのか聞かせてもらおう」

「はっ、この八幡半島より北に瀬戸浦があるのは御存じでしょう。明日の未明にここから上陸して船匿(ふなかくし)城を奪い返したいと思います」


「なるほど、ここに全ての敵が集中しているのなら、ここ以外から上陸すれば敵の虚を突くことになるだろう。しかし、最も厄介なのは敵の船だ。敵の船は大きく、矢で沈めることは不可能に近い。あの船団に捕まれば上陸する前にたちどころに全滅するぞ」


「父上、それならば私が敵船団を引きつけましょう」

 息子である資時が真剣な表情で提案する。

 しかしそれは次期当主候補が危険な戦地に赴くことに他ならない。


「いやしかし、お主は……」

「父上、皆が船匿城を奪い返すために戦おうという時に私一人が後ろにいては皆に示しが尽きませぬ。どうかこの大役を私目にお任せください」

「………………」

 経資は息子の成長に感極まった。


「よくぞ言った。よくぞ言ったぞ。だが勇気と無謀は違うのはわかるな」

「わかっております。それに壱岐島の守護代は私です。奴らを翻弄して時を稼いで見せましょう」

「おお、少若が出られるのでしたら私めもお供しましょう」

 少弐の郎党野田がそう言って前に出る。


「野田殿それは心強い」


 その様子をじっと見ていた老将が一つの決断をした。


「ワシも出るぞ。ダメとは言わせんからな」

「ち、父上!? しかし大丈夫なのですか?」


 経資の父である資能(すけよし)がしわくちゃの顔をニヤリと歪ませて立ち上がる。


「船匿城に攻め入るのなら……ワシだけが知っておる秘密の抜け道が……あるのじゃ」

 そしてまたニヤリとするのだった。


「そのような話聞いたことが無いのですが……」

「ゆうとらん…………いま思い出した…………のじゃ」

「本当に大丈夫ですか?」


 八十四の老人と十六の若者が瀬戸浦から攻め込む。

 それを支援するために次期当主候補である息子資時が囮になる。

 経資はだんだん心配になってきた。

 むしろここは一旦引いたほうがいい気がしてくる。


「ご安心くだされ、我ら一門が共に出て必ずや城を奪還しましょう!」

「その通りですとも! 我らが一気に攻め寄せれば城の一つや二つ必ずや落としましょう!!」

「どうか我らに弓箭の道を、我らが活躍するにふさわしい戦場を!」


 龍造寺家清が高らかと宣言し、一門衆が叫ぶ。

 九州千葉氏の臣下として参戦した龍造寺氏の当主である。

 龍造寺氏を含めて彼ら肥前の武士は『刀伊の入寇』を退けた藤原氏を共通の祖とする一族である。


 およそ二百年に及ぶ因縁深き敵、七年前に白石に先を越されて以来彼らは再び来るであろう敵を倒すことを目標に切磋琢磨し続けていた。

 その晴れ舞台に龍造寺の武者たちが奮い上がる。


 その熱気に経資も心を動かされた。


「相わかった。ならば明日千葉殿が奴らの虚を突き、そこで混乱せしめた所を我ら少弐が一気に攻め込んで壱岐島を取り戻そうぞ!」


「おおぉぉ!!!」


 内海湾に武士たちの雄叫びが響く。











 壱岐島の東で動き始めた時、西側でも動きがあった。


「え!? 撤退ですか!?」


 張成は目を丸くしながらそう答える。

 彼の前で椅子に座るアラテムルが金周鼎の通訳を通して作戦の内容を伝えていた。


『そうだ。何も真正面から戦う必要はない。こんな()()()()()を守るために兵を失うのは愚かというものだ。お前は焦土作戦を何だと思っている?』


 小馬鹿にしたように言うアラテムルの口ぶりが、通訳越しでもわかったので張成はムッとなった。

 しかし相手は遥かに格上の副将軍。

 何とかゴマすりつつも取り込まれないように話を進める。


「なるほど、なるほど。それで俺ら兵站部隊が兵の撤収作業をすればよろしいのですね。わかりました。すぐに始めます」


『くっくっく、そう急くな。一番最後に余の騎兵部隊が乗り込むから、その手筈を整えておくのだ。よいな』

「一番最後ですか?」


 張成にとって〈帝国〉貴族が殿(しんがり)をするとは到底思えなかった。

 訝しげに話を聞いていると、急に不快な臭いが鼻を刺す。


「うげぇ、なんだこの臭いは……」

『ああ、これはその辺に転がってた糞袋から糞を取り出してるところだ』


 張成は、糞袋ってたしか仏教徒がいう「九穴の糞袋」つまり…………やっぱこのアラテムルは悪趣味だ、と思った。

 アラテムルは張成が顔をしかめているのを眺めながらさらに話をつづけた。


『それを水と煮込んでクソ汁を作り、それを矢の先端に塗る――つまり毒矢を大量に作っているところだ』


「毒矢ですか。こう言っちゃなんですが毒の管理は難しいので兵站部隊としては使わないでもらえると有り難いですね。なにせ行軍中に食中毒や暗殺騒ぎが起きたら兵站部隊が最初に怪しまれるんですよ。しかも犯人が見つからなかったら管理能力無いと首切られちまう。毒矢の輸送とか止めてください」


『かっかっか、安心せよ。別にこれを持って志賀島へ行くつもりはない。ちょうど頑丈で面倒な連中がわんさかいるからな。帰り際に彼らの健闘を称えて送るだけだ』


「それは本当に――何というか。〈帝国〉らしい戦いですね」


『見ものだぞ。すでに井戸も上流の池も全て汚染されている。奴らはほんの少しでも矢が刺されば傷口から破傷風になり、新鮮な水なしでは死ぬだけだ。奴らをこの島に閉じ込めたら遠巻きに死に絶えるのを見物するだけだ』


 それを聞いて張成は目の前の男をクソ野郎だと認識を改めるのだった。



 七月一日、漆黒の闇が覆う新月のなか。両軍が明日に備えて準備を進めるのだった。


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