弘安の役 壱岐島上陸戦
壱岐島の東南に位置する場所に内海湾という名の入り江がある。
この湾は古来より大陸から来る船の停泊地として栄えていた。
しかし貿易船の大型化と長距離航海術の発展に伴い廃れていった。
その衰退の原因は地形にある。
内海には船での往来を妨げるように青島と赤島が存在する。
東は小高い丘が波で削られた崖、南は権現山から連なる断崖。
北の突き出た半島は僅かに上陸しやすい浜以外は岩礁に囲まれている。
つまり大型船での貿易には不向きだった。
しかし小舟による上陸を考えた場合、敵船と戦わずに済む数少ない上陸拠点となる。
この内海湾をかき分けながら進む船に一人の武士が乗っている。
甲斐国波木井の御家人、船原三郎である。
彼は富士山の西に流れる富士川で廻船を生業とする――有事に兵站を担う御家人になる。
つまり、坂東武者では数少ない船の扱いに長けた御家人だ。
東国の武士たちが九州に遠征する際に、自らの信念に従い独断で九州へとやってきた。
「南無妙法蓮華経……」
船原についてきた郎党たちが神仏に祈りながら船で身をかがめている。
兵船は垣楯で囲まれており、敵の石弓から身を守るようになっている。
彼ら武士たちはその後ろに身を隠しながら漕ぎ進む。
玄界灘の荒波に比べると内海は穏やかだった。
しかしただ身を潜めているだけでも長時間航行の疲れは目に見えてわかる。
船原の耳は波の音から徐々に罵声と騒音が激しくなるのを感じ取った。
それだけで楯の向こう側では激戦が行われているとわかる。
「ふ~~」
大きく息を吐き、これから起きる戦いに覚悟を決める。
『ゴンッ、ゴンッ』
敵が放った矢が楯に当たる。
一門に緊張が走る。
その音を聞いて皆の息が荒くなっていく。
たまらず一人が顔をだす。
「岸まであと少し――ばっ……」郎党の一人が顔面から射抜かれた。
「垣楯から顔をだすな。討ち抜かれるぞ!」と命ずる。
異国語の怒声が大きくなってくる。
銅鑼の音がけたたましく鳴り響いた。
そして突然船が大きく揺れた。
岸にぶつかったのだ。
「楯を持って、突撃!」
その号令を発して皆が船から飛び出そうとした時――。
『撃てぇ!』張成兵站兵長の号令が発する。
「突撃だ、持ち上げ――がはっ」
石弓から放たれた矢が垣楯を貫通して楯持ちたちを貫く。
そのまま力なく楯もろとも海へと落ちる。
船原たちの眼前には石弓兵が百名ほど列をなしていた。
そして後ろに待機する兵から次の石弓を受け取る。
『放て!』
無数の矢が兵船内にいる郎従たちに襲い掛かる。
「ぐわああっ!」
「いでぇ、たすけ……っ」
「矢戦の先陣はどうした!?」
上陸部隊に先立って、浜に展開する敵を倒すために船から大勢が矢戦を行った。
船原たちが上陸する時に敵は反撃できないはずだった。
『いくぞ、おんどりゃぁぁ!!』
船原はあっけにとられた。
敵の大男――張翔が火のついた震天雷を投げつける。
そして船が爆発して武士たちが沈んでいく。
近づけば矢戦どころではなく、遠当てはそもそも和弓の対策をしてきた〈帝国〉兵たちはものともしなかった。
船原は咄嗟に、
「海に飛び込め!」
と叫んでから自ら海に飛び込む。
郎従たちもそれに続いて海へと潜る。
水中では石弓の矢がきれいな線を描いて進む、が途中で勢いを無くしてただの棒となる。
船原はこのまま顔をだせば射抜かれると思った。
海に飛び込んだ武士の一人が大鎧の重さで沈んでいく。
船原と違い浅瀬ではなく水深の深い所に落ちたのだ。
必死に緒を切ろうとするが手がまごついてそのまま暗い水底へと落ちていく。
船原は何とか浅瀬で踏ん張り、
ふと上を見ると垣楯が浮いているのを見つけた。
その真下まで水中を歩いて進み、楯を持って浜に上陸する。
「ぷはっ、皆生きているか!」
「こちらに……くぅ」
辺りを見渡すと浜を這いずりながら進む郎従たちがいた。
「落ちている垣楯を拾って、楯突け! 楯突け!」
『ゴンッ』
鈍い音がした。
垣楯に震天雷がぶつかったのだ。
「しまっ――」
突然の爆風と閃光と共に体が吹き飛ばされる。
耳鳴りがしながらなんとか顔をあげる。
浜には前進を拒むように柵が置かれている。
その柵を乗り越えようとして射抜かれた武士の骸が寄りかかっている。
一部の兵は屍の後ろに身を寄せている。
その後ろにまるで団子のように寄り添って、少しでも石弓の被害を減らそうとする。
船原はこの絶望的な状況に茫然となっていた。
目の前の郎従が何か言っている。なんだ。
「若、このままでは全滅です!」と大声で叫んでいた。
「楯を目の前の柵に横づけせよ! それから弓を持ってこい、矢戦をするぞ!」
「御意!」
郎従たちは矢雨の中で楯を集めて並べた。
その間に船原は、「旗指はいるか」と叫ぶ。
「ここに」
「よし、陸で旗を掲げれば味方がこぞってここになだれ込んでくる。だがこのままでは返り討ちに遭うだけだ。まずあの石弓兵たちを倒す。その後に旗を指す、わかったな!」
「御意です!」
「全員も聞いていたな。これより射をかける」
「応!」
「弓引けぇ!」
船原一門が一斉に矢を放つ。
至近距離から放たれる矢が石弓兵に当たる。
『ギャァ!』
『くそっ、敵に反撃の隙を与えるな!』
『兵站兵長殿、岬の浅瀬からも敵が上陸しています!』
『なにっ! 金周鼎の奴は何をしているんだ』
『それが浅瀬のせいでほとんど近づけてないようです!』
金周鼎率いる大船の船団が内海湾を塞ぐように布陣している。
しかし武士団の真っ只中に突入しようものなら四方八方から乗り込んできて瞬く間に船を分捕られる。
そうなると自然と敵船と距離を置きながら矢戦をすることになる。
その隙に一部の武士が座礁覚悟で岩礁から上陸をし始めたのだ。
『…………このままだと敵に飲み込まれるな。撤退だ、戦線を下げろ!』
張成の判断は早かった。
岬の一部を敵に明け渡すことになるが、それでも上陸した人数と防衛部隊との数的優性は覆らない。
そう判断した。
「若様、敵が下がっていきます!」
「なぜだ? いやしかし、旗指、今こそ我らが旗を掲げる時だ」
しかし隣にいた旗指はいつの間にか顔面から射抜かれていた。
「ちっ、おい、今日からお前が旗指だ。旗を掲げよ!」
「ぎょ、御意!」
船原の旗印が掲げられ、それを見た内海湾の武士たちが大声をあげる。
「鋭! 鋭! 応!」
「鋭! 鋭! 応!」
「鋭! 鋭! 応!」
だがその光景を見て驚いたのは船原の方だった。
内海湾の上陸に不向きな場所からどうにか上がろうとする武士たちと、それを待ち構え撃退していく〈帝国〉石弓兵たち。
船原の上陸地点以外はまさに血の海という様相だった。
「と、とにかく、この地を死守するのだ!」
「おお!」
船原たちを足掛かりに武士たちが上陸していく。
積んでいた垣楯を並べ、その後ろに弓兵が陣取る。
その後ろに重装弓騎兵が陣取るはずだった――だが、馬は非常に繊細な生き物なので一日ほど休息が必要だった。
両軍のにらみ合いと散発的な矢戦は続いたが、そのまま夕方になったのでその日の戦いは終わりを迎える。
この戦果に安堵しながらも不安を覚える武将がいた。
少弐経資だ。
「なぜだ。敵が手薄のはずではなかったのかっ!」
「どうやら一杯食わされたのかもしれませぬ」と野田も神妙な面持ちで答える。
「ぐぬぬ、しょせん蛮族は蛮族であったか――これより軍議を開く、何としても壱岐島を取り戻すのだ!」
「ははっ!」
――弘安四年六月二十九日(1281年7月16日)。
多大な犠牲を出しながらも壱岐島に橋頭保を確保した。
しかし、半島という形状から壱岐島全域に打って出るまでに至らなかった。
この戦いで防衛線をした張成は何とか大敗北を避けることができた。
「張成兵站兵長殿、これで敵は袋のネズミですね」
「おいおい、何言ってるんだ。こんな包囲は穴だらけだよ。なにせ沖合で待ち構えてる金周鼎の船団はそろそろ帰らなきゃならない」
「何でですか!? このまま包囲すれば奴らを殲滅できますよ」
「わかってないねぇ。いいかい二十九日ってことは明日は三十日月、つまりほとんど新月みたいなもんだ。暗闇の中玄界灘のど真ん中で停泊するなんて自殺行為もいいところだ。――あいつ等わかってて来やがったんだ。いやだねまったく、頭のいい蛮族なんて〈帝国〉だけで十分だっての、何で海の向こうに同等以上の蛮族様がいるんですかぃ」
「ァィャ、もう帰りたいっす」
「ホント帰りたいよ。けどな――これから我らが懐かしの南宋水軍がこっちに向かってるんだぞ。もうちょっと倒さないといけないんだよ。ホントクソッタレだ」
張成は、敵が次に動くとしたら月が光を取り戻す前――つまり七月二日あたりだろうと辺りをつけた。
そしてその読みは当たる。
七月二日、壱岐島二度目の攻勢となる。




