弘安の役 焦土
「う~む」
張成は持ってきていた地図と羅針盤を頼りにした手書きの航路を見比べて唸った。
彼には一つの疑念が生まれていた。
〈島国〉の大きさが事前に得ることができた地図と比べてあまりに巨大なのだ。
「こいつはもしかしたら根本的に認識を間違えてるのかもしれねぇ。もしそうだとしたら俺たちは本当に恐ろしい奴らに喧嘩を売ったことになるぞ。いやしかし本当にあり得るのか?」
彼が持って来た地図は後に「混一疆理歴代国都之図」と呼ばれる物の原型となる地図だ。
この地図を前提に侵略戦争を仕掛けたのなら、南東にある小さな島に攻め込んで圧倒的な勝利でおわる――という至極当然の結果となる。
しかし実際はそうならなかった。
そこで張成は実際に見た敵兵の数と兵站の概念から相手の国力の概算をはじき出した。
その結果、国の国力ともいえる人口と食糧生産力が当初の推定を大幅に上回る、十倍以上という結果となった。
「おいおい、こりゃ江南軍が合流しても太刀打ちできないんじゃないか。しかもこのことをクドゥンの野郎は知ってる節がありやがる。一体全体何を考えてやがるんだ?」
「兄者! どうやらアラテムルの奴が来たようだぜ」
「アラテムル将軍な、将軍。壱岐島は放棄するっていうから兵站拠点の撤収をしてるのに、なんだって兵力の増員をするのかね」
張成はまだ知らなかった。
壱岐島に対して徹底的な破壊命令が下されたことに。
この時までは。
「た、大変です兵站兵長殿。アラテムル将軍とその軍が突如近隣の村々に無差別攻撃を開始しました!」
「何だと!?」
壱岐島の山中、そこにひっそりと存在する小さな農村がある。
彼らは古代からこの地に住み、晴耕雨読とまではいかないが晴れている日に農耕を、雨の日に神仏に対する感謝の祈りを捧げて暮らしていた。
「おおい、孫作や。〈帝国〉の連中はまだ帰らないようだ」
「そうだな、七年前はさっさと帰ったのに今回はえらくしぶといな」
「こっちに来ないだろうな。怖いなぁ」
「漁村から人を連れ去っても、わざわざ山奥までは来ないだろう。そんな悠長なことしながら玄界灘を渡るってのは無理ってものだ」
「今の時期は荒れてないだけで潮の流れは速いからなぁ」
「なに長居するってのなら領主が変わったと思って年貢を納めれば何とかなるって」
「そんなんで上手くいくかなぁ」
「村長が〈王国〉から流れてきた人だし話はできるだろう。それに対馬も壱岐島も〈王国〉から流れてきた人が大勢住んでいる。さすがに同国人を手にかけることはないだろう」
「た、たいへんだー! 孫作、新吉!」
「又太郎じゃないか。どうしたんだそんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもねぇ。あれを見ろ!」
指さす方角ではいくつもの煙が上がっている。
「一体何が起きてるんだ……」
「〈帝国〉の連中が急に島中の村々を襲い始めたんだ。同じ〈王国〉人たちも襲ってやがる」
「あ、見ろ、森から何か出て来るぞ!」
弓騎兵が十騎森から飛び出してきた。
弓騎兵九騎に、早朝から松明を持っている騎兵一騎だ。
彼らはまっすぐに農民たちの方へと駆ける。
そして――。
『放てぇ!』
その短弓から放たれた矢が又太郎を襲う。
「ぎゃああ!」
「ひぇ、襲ってきたぞ」
「逃げるんだ。早く山の奥へ!」
だが騎兵の速さに彼らはすぐに追いつかれる。
そして残りの二人も矢を射られ、地に伏すのだった。
その間に森からはさらに騎兵が数十騎現れる。
『このまま村を焼くぞ。松明に火をつけろ。その間にお前たち十騎は村を攻撃するのだ!』
『ハッ!』
十人隊長の指示に従い十騎が村へと突入する。
村人たちは家の中へと逃げ込み、この虐殺の嵐が過ぎ去るのを待つ。
『火を放て、焼かれて出てきたら一斉に矢を放て!』
そして家々に火を放ち、出てきた村人を今度は矢で射る。
このような光景が壱岐島と対馬島の至る所で繰り返された。
壱岐島の南西にある小さな丘、そこにアラテムルはいる。
「報告します。各方面で一斉に村々の攻撃を開始しました」
「よろしい。そのまま村を、田畑を焼き続けよ」
「あ、あの将軍、この行為はどこまですればよろしいのでしょうか?」
部下の一人が聞いてきた。
見ると待機している者たちに動揺が伝播しているのが見て取れた。
「これは焦土作戦だ。井戸があれば死体を放り込め、水源があれば死体を放り込め、目に付くものはすべて破壊せよ。手心を加えるな、利用できるものが残れば奴らが、あの島鬼たちがやって来るぞ。この島に何か使えるものがあれば奴らはそれを利用して我らが故郷、我らが〈王国〉に攻め込んでくる」
それを聞いてアラテムルの部下たちがハッとなる。
「家族はいるか。親兄弟はいるか。愛する者は国にいるか。ならば殺せ、燃やせ、生かしてはならん!」
そして剣を抜いて、天高くつき上げる。
「これは大切な者たちを守るための正義の戦いだ。あの賊徒どもを我れらが〈王国〉の地に一歩たりとも踏ませてはならん。ここで防がなければ国が亡びると思え!」
「う、う……うおおおぉぉぉぉ!!」
一人が雄たけびを上げて立ち上がった。
「オオオォォォ!!」
それに釣られるように他の兵たちも立ち上がる。
「そうだ、それでいい。我らの手で同胞を救うのだ。征けぇ!!」
「ウオオオオオオオ!!」
歩兵たちが一斉に志賀島へと分け入っていく。
全ては国に残した者たちのため。
後にはアラテムルと護衛たちだけだった。
「くくく、何が正義の戦いだ。焦土作戦に正義などないだろう」
「まったくその通りです」と護衛の一人がいう。
「ふっふふ、さあ我らも行くぞ」
それを聞いて護衛たちが驚く。
「将軍も出られるのですか!?」
アラテムルは笑いながら答えた。
「焦土作戦は楽しむものだろ。参加しなくてどうするというのだ」
その濁った瞳に睨まれて、護衛たちは心胆を寒からしめるのだった。
「…………ハッ、その通りであります。すぐに支度をせよ」
護衛たちは何とかそう言って戦いの、一方的な虐殺の準備に入る。
この日、 壱岐島と対馬、その両方が赤々と燃え続けた。
それは村が、それは山が、それは死体が。
燃やせるものが残っている限り、火を放ち続けるのだった。
〈帝国〉の船団が停泊している入り江に張成がいる。
彼はこの残虐な行為をただ眺めているしかなかった。
隣には〈王国〉の万人隊長である金周鼎がいた。
彼は張成から医療物資を受け取っていた。
二人ともこの惨状にただ立ちつくしてしまう。
「なあ、あんた。たしか金周鼎将軍だったか。あんたは〈王国〉人だろ。このクソッタレな行為に参加しないのかい? 俺は御免だぜ、こんなことをするくらいなら石と土を略奪するほうがマシだ。攻めてくる敵と真剣に戦う方がずっとマシだ」
「………………」
「噂通りの寡黙な男かい」
「……学問を、学問を学び人々のためになればと思っていた」
金周鼎は淡々とつぶやくようにしゃべる。
「この戦いに加わった。それは兵を率いることができる人材が不足していたからだ。戦いは好まない。殺しのために学問を収めた、違う」
それは南宋の張成でもわかるように噛み砕いて話した。
「そうかい。〈王国〉にもそう言うやつがいると分かってホッとしたよ。俺は降りるよ。この〈帝国〉のクソどもといるよりこんな仕事辞めてやる。そして田舎で田植えでもして貧しく暮らしてやるよ」
「兵站隊長殿、我ら部下一同、隊長の故郷で農作のお手伝いをさせてください!」
「だってよ。兄者がやめるなら俺も軍をやめるぜ」
「ふん、何が悲しくて野郎全員で笑いながら貧しくなるって宣言してるんだか……まったく」
「…………羨望」
金周鼎も辞められるのなら軍をやめたいと思った。
しかし国の内情を知っているので、そうもいかない。
彼は〈王国〉軍の中で、できる範囲で人を救うしかなかった。
――志賀島の駐屯地。
夜が更ける頃になると志賀島からでも壱岐島と対馬の方角の雲が赤く光を帯びているのが見える。
東路軍司令官であるクドゥンはその光景から何が起きているのか手に取る様にわかった。
「んふふ、ふっふっふ、ふはははははっ。アラテムルさん、素晴らしい素晴らしいですよ」
クドゥンは大声で笑いながらアラテムルを称賛した。
「一人を殺せば殺人犯、しかし千人殺せば英雄になれる。貴方はまさに英雄となったのです。これで〈帝国〉は救われました」
クドゥンは笑いながらそう断言するのだった。
――六月二十九日、早朝。
張成はここ数日の虐殺に嫌気がさして酒を煽って寝ていた。
そのせいでいつもより起きるのが遅くなっている。
「大変です! 起きてください!」
「う……なんだ。俺は機嫌が悪いんだ」
「はぁはぁ……海から大量の船がこちらへ向かっています!」
それを聞いて張成は頭をかきながらいう。
「ついに主力の江南軍のお出ましか?」
「ち、ちがいます。あれは〈島国〉の船――海を覆うほどの船と軍旗の数でした。軽く一万以上はいます!」
「なんだと!」
張成が飛び起きる。
「クソッ、やっぱりそうなのか。奴らの国力は想定外に…………とにかく全員を叩き起こせ。上陸を何としても阻止するんだ」
「ハッ!」
壱岐島の南から大海原を覆い尽くすほどの兵船が大挙していた。
兵だけではない、馬を乗せた兵船から南宋の大型の船も含まれている。
大宰府少弐の財力にものを言わせて作り上げた大船団になる。
その大型船の先頭に立つのは少弐経資。
「進め! 敵将の首を討ち取るのだ!」
「鋭! 鋭! 応!」
武士たちが掛け声で答えた。
彼が率いるは総勢二万の鎌倉武士と水軍衆。
ここに壱岐島上陸戦の始まりである。
略奪の通説は騎馬民族だからの一言で終わりです。
これは仕方がありませんね。
そして冒頭の混一疆理歴代国都之図はこの時代から更に100年ほど後の時代に作られたものになります。
ですので実際はもっと精度の低い地図をもとに計画を立てていると思われます。
面白いのが北海道が存在せず、さらに位置と向き出鱈目で、さらに大きさも10倍程度小さくなってます。
この辺が現代人と当時の人々の認識の最大の違いといったところでしょうか。




