弘安の役 動き出す少弐
六月十五日の軍議から十日余り過ぎたのち、六月二十五日ついに金方慶が口を開いた。
「皇帝陛下の命に従い三か月分の兵糧を用意した」
いきなり皇帝の名を口にしたことから集まった将校たち全員が襟を正し静聴する。
「残り一ヵ月分の食料があり、撤退を議論する段階ではない。さらに言わせてもらえば〈王国〉では飢饉が発生しており、そのような状況でありながら兵糧を集め出陣した。つまり帰ったところで我が軍を養うほどの食糧は本国には無い」
その物言いに騒然となる。
兵站が不足しているのは事実である。
そのため食糧の一部を対馬、壱岐島さらには能古島などで飼われていた家畜で賄っていた。
「それでも兵糧の豊富な江南軍が近日中に来るだろうから、それを待って合流してから攻勢に出れば、〈島国〉の軍勢を必ずや滅ぼすことができるだろう」
将校たち全員がクドゥンと洪茶丘がどう反論するのか伺うために集中する。
「………………」
「………………」
しかしこの二将はどちらも何も言わなかった。
結局、軍議は金方慶の言い分が通り、ほぼすべての将校が納得する形となった。
そしてこの日、ついに遣使が戻ってきた。
彼は軍議が終わったその時に入り、そして皇帝の命を述べるのだった。
「皇帝陛下曰く、軍事に関しては卿に任せているが、よくよく権衡して行動するようにと仰せつかりました」
それを聞いたクドゥンはすぐに動いた。
「アラテムルさんを呼んできてください。それから〈王国〉の将校はここに残るように」
「ハッ!」
時をおかずにアラテムルがゲルの中に入る。
まるで最初から知っていたかのように戦支度を整えていた。
「どうやら準備万端のようですね。アラテムルさんにはこれから非常に面倒な作戦を実行してもらいます」
「御託はいい、余を呼んだということはやるのだろう。始めるのだろう。さあ言え、東路軍司令官として言うのだ」
アラテムルは狂気に彩られた笑みをこぼしながら言い寄った。
クドゥンも同じく冷笑を含みながら命ずる。
「それでは命じましょう。東征左副都元帥アラテムル、これより壱岐島と対馬に対する焦土作戦を命じます。破壊しなさい、その島にあるすべてを灰燼に帰すのです」
「承りました。このアラテムル、死力を尽くして必ずや蛮族共が皇帝陛下の庇護下にある〈王国〉領へ足を踏み入れられないように、必ずやすべてを破壊いたしましょう」
「――あ、そうそう、偵察船の情報によると〈島国〉側で本当に逆進攻の動きがあるようです。気をつけてくださいね」
「はて、本当に進攻してくると警告したのは余の方だったと記憶しているが」
「ええ、そうでしたね。最近物忘れが多くて困っているのですよ」
「ふむ、後で滋養強壮と頭に効く漢方薬を贈与しよう。そしてこの戦が終わったらゆっくり休まれるのがよいだろう」
「ふふふ、それもいいですね」
「征くぞ。目指すは壱岐島、騎兵と石弓兵を駆り出せ」
アラテムルの号令に反応してゲルの中に五人の千人隊長が動き出した。
その中には金周鼎と李進、それ以外にも草原出身の〈帝国〉人も数人いた。
彼らは略奪を生業とする騎馬民族の末裔でもある。
「ハッ! すべては国王陛下とアラテムル様のために!」
〈帝国〉の理不尽ともいえる暴力が動き出した。
その兵力は騎兵千に歩兵四千の合わせて五千、それに壱岐島で療養中の部隊五千と先立って兵站拠点の撤収作業をしている張成たちの部隊もいる。
およそ一万の兵が壱岐島へと集結しようとしていた。
クドゥンは一人ゲルに残り考えに耽る。
そこへ王某が入り、質問をした。
「彼らを解き放って本当によろしかったのですか?」
「ええ、これは仕方のない事です」
「果たしてそうでしょうか? 例え本当に〈島国〉の兵たちが逆上陸を企てていたとしても、今までの戦いから多くて五千が上限と見ていいでしょう。それならば今療養中の部隊だけでも十分撃退は可能です」
「ふふふ、たしかにその通りなのですが、これは化かし合い。相手がこちらの思うように動かすのが肝要です」
「はぁ……よくわかりません。クドゥン将軍は何を狙っているのですか?」
「ふふふ、秘密です。それより漢方薬いりますか?」
「いえ、毒の粉を飲用する趣味はありません」
「そうでしょうね。しかし毒と薬は使いようと言うのも覚えたほうがいいですよ」
「なるほど」
王某はそれ以上、何も言わなかった。
そしてクドゥンとアラテムルの静かな戦いがどうなるのか見届けようと思った。
時を同じくして、博多の少弐邸に二人の青年が鍛錬をしていた。
疫病が蔓延した影響で戦は小康状態となり、ただ漠然と敵の動向を見ているだけでは腕が鈍る。
そこで各仮屋敷の庭に的を置いて、鍛錬に励む武士が現れ始めていた。
二人の青年、少弐盛経と少弐資時もそんな鎌倉武士に触発されて鍛錬を励んでいた。
この二人の青年は少弐経資の息子である。
長男である盛経は弓箭の腕前があまりよくなく的を外しがちであった。
対して次男である資時はすべての矢を的に当てる少弐一の弓取りと称されるほどだった。
「盛経様、資時様、御屋形様がお呼びです」
野田はそう言って、二人の稽古に割って入る。
「父上が?」
「わかりました。行きましょう」
二人が経資のいる居間に入るとそこには父親ともう一人祖父である資能もいた。
「二人とも来たか、入るがよい」
「はっ」
「はい、父上、もしや敵に何か動きがございましたか?」
「そうだな二人を呼んだのは二つの事柄について話そうと思ったからだ」
「二つですか……」
資時はちらりと祖父である資能を見る。
「ふぉふぉふぉ、左様、お主らの将来にも関わることじゃ」
この部屋に二代目、三代目、そして次代の少弐当主が集った形になる。
その事から二人はこれから何が行われるのか察する。
「まずは次の戦について話そうと思う」
「すでに半月ほど動きがない状態、ついに反撃に移るのですね」
「まて資時、そうは言っても志賀島で手痛い犠牲を強いたのだ。そう簡単な話じゃないだろう」
兄盛経が慎重な意見をする。
「盛経のいうことも一理あるが、そこは問題ない。河野が捕らえた捕虜から得た情報をもとに確実に勝つ戦いをするつもりだ」
常介は河野が捕らえた捕虜。
刀伊一派の王を自称する男、阿打女打に厳しい拷問をおこなった。
それによって壱岐島周辺の兵站状況について聞き出すことに成功したのだ。
「我らは壱岐島に奇襲攻撃をして、彼の島を奪い返すつもりでいる」
「おお! ついに壱岐島を取り戻すのですね。あの島に残した者たちを思うと居ても立っても居られなかったのです」
少弐資時は十九という若さで壱岐国守護代という地位にあった。
それだけこの若者が経資の期待を受けているのだ。
弘安の役が始まってすぐに壱岐島を放棄して、博多防衛に全兵力を投じた。
壱岐島の民たちを残したことが資時の心残りだった。
「そうだろう、そうだろう。そこで壱岐島奪還には資時、お前に指揮を任せようと思う」
「ちょ、ちょっとまって下さい!」
驚いて声をあげたのは長男である少弐盛経だった。
彼にしてみれば軍を率いて敵を撃破する弟ということになる。
それは似たことによって少弐氏を二分してしまった叔父少弐景資の――七年前の再来でしかなかった。
「それはつまり――その、つまり、家督は資時で決まりということでしょうか……」
長男の悲壮な顔をみて、経資も痛いほどその気持ちがわかった。
「うむ、熟慮の結果じゃ」
「御爺様……」
二代目当主である資能がそう言い切った。
「すまぬな。しかしこれ以上ワシと景資で少弐氏を二分していては後のことを考えても得策ではない。そこで景資が名声を得た時と同じことを壱岐島で行い。四代目当主は資時であると内外に示す必要があるのだ。わかってくれ」
「……くっ、わかり、ました……」
盛経は頭を下げながらそうつぶやき、次期家督を弟の資時に譲った。
「うむうむ、盛経は真に少弐の将来を考えるできた子じゃ。お主ならば鎌倉で将軍に仕え良き働きをしてくれるじゃろう」
資能は暗に博多を出て鎌倉に赴き、そこで少弐のために働けと言っていた。
「ははっ、この戦が終わりましたら、将軍様の御膝下で一所懸命仕えましょう」
「よう言った。よう言ったぞ盛経」
経資は少弐のためならば身を引く、長男の成長を素直に喜んだ。
盛経は悔しい思いはあれど、最も栄えた都である鎌倉へ行けることに内心喜んでいるが、それをあえて表に出すことはしなかった。
「それで父上、壱岐島へはいつ、どれほどの軍勢で攻撃をするのですか?」
「うむ、情報によると敵は壱岐島に五千ほどの兵を置いているという」
「五千、かなりの数ですね」
「しかしそのほとんどが療養のために一旦下がらせた負傷兵らしい。そこで〈帝国〉を打ち倒したい御家人たちに声をかけたところ、およそ二万の兵を集めることに成功した」
「二万……」
「ああ、島津や松浦党、それ以外にも東国から来た兵船の扱いに長けた者たちだ。それに少弐の一門である龍造寺氏なども含まれている。それだけいれば必ずや壱岐島を奪還できるだろう」
「おお、名だたる武士が二万もいれば必ずや壱岐島を取り戻せるでしょう」
「その武士たちにはワシの古い伝手も含まれておるのでの、この戦いにはワシも加わるぞ」
「な!? 御爺様もご出陣なさるのですか!」
二代目少弐資能は齢八十四という高齢な老人だった。
しかしこの歳でも大鎧を着て前線で戦えるほどの活力に満ちていた。
「そ、それで一体何時に総攻撃を始めるのですか?」
「すでに松浦の地に兵を集結させつつある。準備が整うのは六月の二十九日、今より四日後だ」
こうして両勢力共に想定外の兵力で戦う、壱岐島上陸戦が始まるのだった。
少弐資時はいろいろな所で長男と書かれています。
しかし盛経の方が年齢が上なので、どうしてそうなったのか不明です。




