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弘安の役 疫病


 六月十日、多大な犠牲を伴った影響から志賀島への攻勢はほぼ中止となった。



 そして、しばしの休息となる。



「おう、野中殿ではないか。怪我をしたというから見舞いに来たぞ」

「タカマサか。久しいな」


 志賀島を眺める石築地の上で野中長季と西郷隆政(たかまさ)だった。


「病人が何で石築地の上にいやがるんだ。さっさと屋敷で大人しくしたらどうだ?」

「バカ言うな。あんな恐ろしい連中が目と鼻の先にいるんだ。おちおち寝てられんわ」

「それもそうだな。――そう言えばお主が惚れこんでる竹崎の若造はいるか? ちと挨拶をしておこうと思ってな」


「五郎なら知り合いの河野氏の当主が怪我をしたと聞いて見舞いに行ったぞ」

「なんと入違ってしまったか!」


 隆政は仰々しく天を向いて額に手を当てる。

 そしてニヤリと笑いながら手に持っていた酒瓶の蓋を開ける。


「居ないなら仕方ない。この酒は我ら二人で飲んでしまおう」

「おっ! そいつはいい。籐源太に見つかったら小言を言われるのでなさっさと飲んじまおう」


 二人は酒をぐびぐびと飲んで「ぷはっ」と悦に浸る。


「それで五郎という男はなかなか骨があるようだな。ウチの甥っ子が何とか菊池に戻れるように手を回し始めておるぞ」

「かっかっか! そうかそうか、あ奴にそのつもりがなくとも鎌倉の恩賞奉行すら口説き落とす奴だからな」

「ぐはっはっはっ! そう言えばそうだな、はっはっはっはっは」


 二人は酒を飲みながら随分笑い、昔話に花を咲かせた。


「ふぅ、これは独り言だが少弐が何やら動き始めてる」

「少弐と言えば景資殿か」

「いいや、資能と経資の親子だ」

「一体何を始めようってんだ」

「――――…………ぼそ」


 それを聞いて沈黙が鳴り響く。


「――ようするに菊池一門は少弐の話を蹴ったってことだ」と隆政がいう。

「恐ろしい独り言だのぅ。うまい話どころかそりゃ悪手だろ…………」

「ま、それを伝えに来ただけだ。――――うん、どうした?」


「………………うっ」


 そう短く発してから野中は倒れるのだった。


「お、おい! 大丈夫……うっ、これは……しまっ…………ぶくぶく……」


 次いで西郷も泡を吹いて倒れ込んでしまった。














 竹崎五郎は河野六郎の仮屋敷に再び訪れていた。


 そしてこの二人も酒盛りをしていた。


「叔父貴はよー。海賊としては俺が長いんだって言ってよー、伊予水軍衆を勝手に取り仕切ってよー」


「ごくごく――そうなのか。家督を蔑ろにしていたのだな」

「けどよー、あの人は常に御家人としての生き方をちゃーんと貫いてたんだよー。いいか、ムカついたら闇討ちだってあり得るのに鎌倉に訴訟をするっていう真っ当な方法で争ったんだよー」


「げふっ、なるほど御家人としての生き方をロクローに示したかったのだな! ひっく!」

「けどなゴロー。あんな死に方されてみっ。国に帰ってどう説明しろってんだ……バカヤロー!!」


「むむ……突如火が燃え上がり船と共に沈む、とはにわかに信じがたいな……あ、もう一杯貰おうか」

「竹崎の旦那も結構いけますね。うちのお頭も強い方っすけど」

「いやいや、顔に出ないだけで実はかなり酔いが回っておる」

「それにしやしても、こんなに飲んでいいんっすか?」

「問題ない。明日からはまた石築地で相手の出方を待つのみだ」

「へえ、それじゃ大将首の分捕りはいつになるかわかりやせんね」

「ああ、それが問題なのだ」


「うぅ…………」

 六郎が青ざめた様子で口元を抑える。


「ん? どうした六郎、大丈夫か?」

「う…………おえぇぇぇぇ」

「お頭! 大丈夫で…………うぅ……おえぇぇ」


 河野六郎とその郎党が共に吐いた。


「一体何事だ。誰かいないか! おい誰か!」


 五郎は屋敷中の人を探す。

 だが全員泡を吹いて倒れていた。


「まさか、これは敵の毒…………うっ……ぶはぁ」


 そして五郎も倒れるのだった。



 六月十日、死体が海を覆い、カラスが舞い、ハエが湧き、ネズミが徘徊する博多湾。

 五月二十一日から続く戦いによって、ついに武士たちの間で疫病が蔓延するのだった。









 それは帝国側も同じだった


「オエェェェェ…………あの時のカラス肉が当たったか…………」

 バタンと洪茶丘が倒れ込んだ。


「洪茶丘将軍! お気を確かに!!」


 それを皮切りに志賀島に駐屯する帝国兵の間にも疫病が蔓延した。


 その惨状はのちに〈王国〉の忠烈王に仕える郭預が伝え聞いた内容から漢詩を詠んだ。


『炎氣瘴霧熏著人。滿海浮屍寃氣結。』

(炎天下の瘴気が人々を著しく燻す。海上を満たすほどに屍が浮き怨嗟の念と化す)


 玄界灘側から流れる死体は浜に打ち上げられて朽ち果てる。


 博多湾側は流れが緩やかで死体が流されることはない。


 まさに生と死がせめぎ合う島となった。




 この時代、疫学に関する知識を有している者はほとんどおらず、疫病の対策は十分とは言えなかった。

 そんな中、〈王国〉の寡黙なる男、金周鼎は疫病蔓延する陣地内で動き回った。


「…………不潔」

「ハッ! 金周鼎将軍は清潔を保てば疫病の蔓延が抑えられると仰っておられる。直ちに吐血した衣類を焼き、新しい物に交換せよ」


「…………療養」

「ハッ! 金周鼎将軍は著しく体力の低下した者から壱岐島へと下がり、療養せよと仰っておられる。船の手配をせよ」


「…………料理」

「ハッ! 金周鼎将軍は栄養のある食事をとって、体力をつけよと仰っておられる。高麗人参を持ってこい」


「…………看病」

「エッ? いえ将軍ともあろう方が病人の看病をするのは如何なものかと……」


「…………」

「わかりました! 全員何を呆けている。さっさと病人を連れ出して出航の準備をするのだ!」


 彼はどの民族、部隊だろうと隔てなく病人を保護して回った。




 そして病人の看病のために将軍たちの身の回りの世話をする侍女たちも駆り出される。


「貂、水が汚いから新しいのに取り替えな。ぐずぐずするな!」

「は、はい!」


 至る所でハエが飛び回り、死体が散乱する道をひたすら歩き、小川から水を汲んで陣地に戻る。

 貂鈴(ちょう りん)は早朝から何度もそれを繰り返す。

 周りの死体を見て彼女は涙する。


「ふん、泣きたいのはこっちだよまったく。このドン臭いクズが!」

「まったくよ。なんで私たちがこんなことをしなきゃいけないのよ」

「ほら、さっさと次の水を運びな」


「……はい」


 彼女が泣いているのは虐げられているからでは無い。それはとうに慣れていた。


 彼女が泣いているのは――。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 彼女はあの日出会った二人の武士に七日の襲撃を教えたことを後悔していた。

 この万を越す死体の山が、惨状が、彼女の密告によって引き起こされた。

 例え敵と思っている〈帝国〉であっても良心の呵責が彼女の心を押しつぶそうとしていた。


 さらに海に漂う武士たちの屍がこちらを睨みつけているように錯覚した。


「うぅ……おぇぇぇ」


 吐いて、泣いて、謝って、そして水を運ぶ。


 たまにふと、対岸の浜を見るが、もう彼女はそこへ行こうとは思わなかった。


 対岸で幸せに暮らしていいような人じゃないと思い知ったからだ。







 この日以降、両陣営は積極的な軍事行動をすることが無くなる。

 だが戦争という残酷な生き物は別の戦場を、新たな悲劇を探し始めるのだった。


通説では、疫病は帝国側のみとなっています。

あの竹崎季長や鎌倉武士たちがこの後長い期間大人しくしているのは壱岐島に撤退しているからです。


さらに通説は志賀島を失って壱岐島撤退説を採用しているので漢詩の部分の情景が凄いことになります。

つまり志賀島から撤退した帝国軍は壱岐島に逃げ延びてから味方の死体を海に放り投げる。

すると壱岐島の海が屍で埋め尽くされて、その事を恨んで疫病が発生したということになります。



本小説の設定では死体だらけの志賀島にいるから疫病が発生したというシンプルな内容になっています。

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