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弘安の役 さらなる勝利を求めて


「父上! 敵が志賀島へと戻ってきます。ここは撤退しましょう」

「何じゃと、これではまたしても首を分捕れなんだかっ!」

「手負いの功で我慢しましょう。もしまだ戦うというのなら家督を譲ってから一人で戦ってください」


「ぐぬぬ…………帰るぞ……」

「はい、父上」


 福田一門は志賀島への攻撃をやめて撤退していった。

 この時の水夫たちはすでに疲労困憊であり、ここから三苫へ戻るのは不可能に近い。

 しかし〈帝国〉が海の中道から撤退したので近場の打昇浜に上陸して事なきを得たのだった。




 その海の中道から撤退する部隊に洪茶丘と王某の部隊がいる。

 洪茶丘側はそのほとんどが潰えて僅かの兵しか残っていなかった。

 その洪茶丘を救った王某の石弓騎兵はほとんど無傷といってよく、大友の兵に壊滅的な打撃を与えることに成功した。


 この二人の武将を出迎えたのは金方慶だった。

 洪茶丘は自らの配下を失った怒りを金方慶にぶつける。


「金方慶! 貴様なぜ援軍を送らなかった!!」


 洪茶丘は鬼の形相で怒鳴りつけた。


 だが金方慶はすました顔で、半ば呆れたような口調で反論する。


「横を見ろ、志賀島にも敵が迫っていたのだ。ここで兵を出したら我ら全員一網打尽ではないか。官軍潰えたといっても戻ってこれたのだからいいではないか」


「何を言うか。王某の石弓騎兵があれば志賀島に多少上陸されても蹴散らすことができよう」

「ははは、その石弓騎兵で一体何人敵を倒せたというのだ。それを聞かねば有用かわからんな」

「金方慶将軍、私と部下たちで敵五十は斬首して見せました」


 王某がそう言うと洪茶丘が自分の事のように誇り胸を張る。

 それを見てさらに金方慶は嘲笑するかのように口元を歪ませる。


「ふん、たった五十か、我々は迫りくる敵の首を三百は斬首して見せた。すまないがやはり我らはここで踏ん張って正解だったな」

「三百? 三百だと!? どうせいつもの誇張だろう。貴様は、貴様らはそれだから!!」

「何だというのだ。裏切者が」

「貴様っ!!」


 その後も二人の言い合いを続ける。


「諸君、敵の攻勢は一時弱まった。だが戦いが終わったわけではない、今のうちに防御を固めるのだ」

「ハッ!」


 王某は二人を無視して部下たちに志賀島防衛の指示を出した。






「張成兵站兵長殿、あの二人は何を言い合ってるのでしょうか?」


「おいおい、俺に聞かれても外国語なんて数字ぐらいしかわからんよ。けど待て……ああ、たぶん数字を言い合ってるな、五十それから三百うんぬんだな。たぶんどっちが敵を多く屠ったかを主張してるんだろう。いやいやまったくおっかないね、あれだけ劣勢だったのにどれだけ殺したか数を競い合うとは恐れ入るよ」


「兄者、五十ってのは金方慶将軍の方だな。それでも盛り過ぎだから正しい数を教えてやろうぜ」

「ばっか、オメエばっかだな。こういうのはな相手に花を持たせてなんぼなんだよ。相手の顔色を窺いながら三百だろって聞かれたら千ですと答え、五十だろって聞かれたら五百ですって言えばいいんだよ。俺たちは兵站の数量だけはきっちり正確な数字を出して、野郎の自尊心には適当な数を言っとけばいいんだよ」

「さすが兵站兵長殿は世渡り上手。勉強になります」







 海の中道を失った〈帝国〉はそれでもまだ余裕があった。


 そして、勝利したと言っても〈島国〉側の被害は大きかった。







 安達盛宗は海の中道に負傷した武士たちに代わる兵を急遽連れてきた。

 その中には竹崎五郎もいたが、それより目を引く者たちがいた。


「お、おいあれを見ろ」

「ああ、間違いない。あの印は菊池だ。ついに菊池が動いたぞ」

「ならあの腰にトラ柄の鞘を持ってるのが当主、菊池武房か」


 紅の母衣を背負い、威風堂々と行進する菊池の騎馬たち。

 菊池武房は菊池川全域の全氏族に動員をかけて参集した騎兵は五百騎に達していた。

 そのうちの三百余りを海の中道に進めてきたのだ。


 そして最後尾にこの戦の総大将である異国討伐大将軍・北条実政と、少弐景資もいた。






 博多からその行軍を眺める二人の男がいた。


「よろしかったのですか経資様」

 野田は出陣の準備を途中でやめた主に真意を問うた。


「父上の命だ。ここは大将軍の顔を立てて身を引け……とな」

 それが少弐のためならばと経資は出陣を見合わせたのだった。


「経資様……」

「なに、考えようによっては少弐は兵力を温存して、ここぞという時に備えているのだ。そうだとも……まだ武功を示すときはある」


 口ではそういうがしかし景資は内心では焦っていた。

 経資のこれまでの戦いに対する少弐一門からの評価は凡将のそれである。


 館内では弟の景資が出陣した方が良かったのではないか、と噂が立っているほどには経資の評価は高くなかった。


 それでも経資はただ戦いを見守ることしかできなかった。


「そう言えば伊予の水軍衆が敵将を捕らえたそうです。伊予の者には言葉がわかる者がいなかったようで、こちらが引き取りました」

「なに、それは本当か。ならば言葉のわかる者を連れてきていろいろ聞くとしよう」

「ええ、ではこちらです」


 二人は屋敷の奥へと消えていった。






 伊予水軍衆は多大な犠牲を払い、もはやこれ以上の戦闘は不可能な状態となっていた。

 その水軍が河野通有の周りに集まっていた。


「若頭……いやお頭、これからどうしやす」

「叔父貴が亡くなり、俺もこの手の傷じゃあ満足に戦えない。俺たちの戦いはここで終わりだ」

「それじゃあ伊予に帰るんすか?」

「そうだな。だが怪我をある程度治してからじゃないと潮風が辛すぎる。そこで水夫たちでまだ動ける者はほかの連中のために船を出してやれ、タカマサできるか?」

「うっす、わかりやした。お頭はゆっくり休んで下せえ」

「ああ、そうさせてもらう。後で伊予に残ってる連中にも事の顛末を言わなきゃな。どうする誰も信じねえぞこんなこと……」

「大丈夫っすよ。旧領さえ取り戻せれば誰も文句なんか言わないっす」

「それもそうだな。よし、お前ら伊予水軍の海運力を見せつけてやれ!」

「おっしゃ!!」


 六月八日、伊予の国河野通有とその一門は〈帝国〉との戦いから離脱することとなる。






「おお、五郎か、悪いな手負いの功以外は貰えそうもない」

 そう言いながら野中は手を振って五郎を迎える。


「生きていてなによりです。今回の戦の勲功は手負いの功と馬二頭の討死の功になりましょう」

 五郎は野中と籐源太が生きていたことに安堵した。


「五郎の旦那、こっちは重傷なので……しばし休ませてもらいます……」

「籐源太も元気そうでよかった」



 海の中道では至る所で勲功の証人や首実検そして討死の確認が行われていた。


 この野中たちの活躍はともに動いていた豊後国の御家人、橋詰兵衛次郎が立ってくれた。

 他にも盛宗の手の者として来ていた玉村「三郎」盛清がした。


「お主が竹崎郷の、いや今は海東郷の五郎季長か」

「はい、そうですが、貴方様は?」

「おっとこれは失礼、わたくし玉村三郎盛清、五郎殿が鎌倉でお会いした玉村『馬太郎』泰清の息子でございます」

「おお、玉村様のご子息でしたか、お会いできて光栄です」

「本当はもっと早くに訪れるつもりだったが、戦の最中ゆえ遅れました」

「こちらこそ挨拶が遅れ申し訳なくございます。あの六年前にお会いした日から今まで感謝の気持ちを忘れたことはございませぬ。この季長の活躍を見てくだされ」

「ええ、ご活躍を父に伝えればあの人も大いに喜びますゆえ、共に大いに戦いましょう」




 この海の中道の片隅に大友頼泰が座っていた。


「大殿、ここに居られましたか」

「惟親か、今回も、今回も奴らに翻弄されてしまった。ただでさえ厄介な石弓を揃えた騎兵など聞いたこともないわ」

「しかしご無事で何よりです。それに結果だけを見れば海の中道を取り返したのです。我ら豊後はこれを誇ってよいと思います」

「だがな、アレは海で船が燃えたことに動揺しただけに見える。手ごわいぞ、我らが思っているよりはるかに手ごわいぞ奴らは」

「この都甲惟親、決して慢心せずに〈帝国〉を退けて見せましょう」

「よく言った。ならば残りの兵はお主に預ける。上手く使い奴らに目にものを見せてやれ」

「ははっ!」



 勢いの付いた〈島国〉の御家人たちは更なる勝利を求めて動き出す。


 翌日、六月九日に再び両軍が衝突することとなる。

蒙古襲来絵詞にはこの勲功報告の詞が残っています。


蒙古襲来絵詞 第十四段

陣に押し寄せて合戦~(以下略)

 ここで陸戦をして島津の証人になった。

次に頼承手負い~~(以下略)

 ここで船に乗り押し寄せよ。だが断る。という水夫とのひと悶着があった。


同日午の時~~(略)

 日にちはわからないけどここで季長が功績を報告する。


同日巳の時~()

 野中と籐源太手負いの功となる。


以上から一連の出来事が一日で起きたというのが本来です。


本小説ではあえて六日、七日、八日で分けてそれぞれが別の日の出来事としています。


これはその方が物語の自由度が上がるからと言うだけです。

同日と書くだけで明確な日付が出ていないので、もしかしたらバラバラな戦闘報告を寄せ集めた文章の可能性もあったりなかったり…………という設定とでも思ってください。


もっともすべてが同じ日になると河野屋敷絵や志賀島水泳偵察などの前後が全て変わり、生の松原と志賀島の時空ジャンプや体力無限の連続戦闘という、鎌倉武士がどこかの宇宙戦闘民族みたいになってしまいます。


まあ、つまり言いたいことはこの詞は考えれば考えるほど謎が出てきて面白いですね。_(:3 」∠)_

以上。






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