弘安の役 石築地からの出陣
「それでは各々方、我らは六日に総攻撃を始める。各人はそれまでに精進せよ」
「はっ!」
軍議が終わり解散となった後、安達盛宗が合田に詰め寄った。
「なぜあそこまで高圧的に物事を進めた。これでは逆に経資殿の反感を買うだけではないかっ!」
「あの場ではああしたほうがいいと判断したまでの事です。良いですか、我ら御家人の結束と経資殿の信用は相反するのです」
「そのような事は――」
「いいえそうです。彼は七年前に大宰府から一歩も外に出なかった。故に今回の戦では常に前に出て肥の大将――おっと失礼。今は筑前守護でしたな。とにかく少弐氏内で認められるために動いている」
それについては安達盛宗も薄々勘づいていた。
「それは我々関東武者と相反するのですよ。このまま九州武者だけで〈帝国〉を退けたのなら遠方で役に立たない東国の鎌倉殿よりも朝廷や都の貴族に接近したほうが得策と考えるものが増えるやもしれません。すでにあの菊池氏は赤星の例のようにほとんど朝廷側に付いた勢力もある」
「待ってください。噂に名高い菊池も我ら安達の命はちゃんと聞いております」
「それは鎌倉内で安達が優勢だからです。落ちぶれれば牙をむく、彼らはそういう存在だという事をお忘れないように」
「く…………」盛宗はそれ以上何もいえなかった。
先の合戦で活躍した菊池氏に対して鎌倉は何も与えなかった。
その代わりに朝廷が独自に褒美を与えた。
菊池一門にはわずかであるが土地を、菊池有隆には赤星の氏名を与えた。
菊池は肥後国守護である安達に従っている。
しかし彼らは鎌倉への忠誠はほとんど無く、朝廷側の武士として動き出していた。――少なくとも合田はそう見ている。
「つまり菊池を含めて九州武者から信頼を得たいなら、東国御家人だけで功績を上げねばならないと……」
「そうなります。そしてその障害となるのは功に焦る経資ただ一人のみ、それ以外の大友含めて九州武者たちは我ら坂東武者が活躍すればそれを正当に評価し、称賛し、固い結束が生まれるでしょう。ならば経資を切って彼以外の全員から認められる方が良いと判断したまでです」
「他に……方法はないのか……」
「時間があればいくらでも説得できましょう。しかし今は時がございません。安達の者ならば必要とあれば非情な判断をするべきかと存じ上げます」
「…………わかった。六日の合戦は任せたぞ」
「もとよりそのつもりです」
これが関東御使、合田か。
無類の女嫌いであり、その精力と人生を全て安達氏の勢力拡大のために尽力する男。
彼に目をつけられた者は「繁栄」か「族滅」の二択となる、と言われている。
安達盛宗はこの無欲にして強欲な男に任せたのは早計だったのではないかと、少し悩んだ。
この日、安達氏配下の武士に命令が下る。
その中に、例外として伊予水軍の河野の名があったが、誰もが偵察に出たからだろうと気にしていなかった。
「若頭! 安達からの使いなんて言ってたんですか?」
「ああ、こっちの予定通り六日に夜襲だ」
「うっす、けど何でうちらに都合よく事が運んでるんすか?」
「そりゃあ俺が景資の旦那に口添えしたからだよ」
「えっ!? そうなんすか!」
「といっても軍議に参加する叔父貴がたぶん船の分捕りを主張するからその時はヨロシクって言っただけよ」
「あ~、少弐の弟様は相手の顔を立てるのが上手いっすからね~。ヨロシク言っておけば何らかの手を打ってくれるってわけっすね」
「そこがあの兄との違いよ。なんでも竹崎五郎の先懸は前例がないって認めなかったのも兄経資の方らしい。たぶん俺たち以外にも景資に相談した奴はいるだろうな」
「はぇ、みんな裏で動いてるんっすね。あっしにはよくわからんので、とにかく分捕りの準備しときやす」
「おう、夜目が利く奴と戦える水夫を集めておけ」
「うっす!」
そして、六月五日の早朝に竹崎五郎にも命が下った。
「五郎! 五郎起きろっ!」
「おぅ……これは野中殿、何を慌てておられますか」
五郎を叩き起こした男の名は野中「太郎」長季という。
竹崎とは親類縁者であり、籐源太資光の本来の主人でもある。
「何事どころではない! つい先ほど安達の使者が参られて明日六日の深夜にこちら側から攻撃をすることが決まった!」
「――!!?」
「よって竹崎五郎、季長は志賀島へ上陸する武士団の先懸として先陣を切って戦うことと相成った! 喜べ!!」
「それは誠ですか!」
「ああ、ほんとうだ。いつまでも寝てないですぐに出立の準備だ!」
五郎は跳ね起きてすぐに戦支度を始めた。
「それにしてもあの五郎がここまでよく駆け上がったものだ」
野中は五郎を見ながら感心する。
彼は五郎より一回り以上年上であり、彼の人生の兄貴分のようなものである。
「これも野中殿の鍛錬のおかげです」
「よういうわい。だが最近は妻子の事を考えて迷いが生じてるのではないか?」
「うぐぅ、なぜそれを――」
「籐源太が言っておったわ」
「あ、ちょっ!?」部屋の外で待機している籐源太が驚く。
「籐源太、後で覚えてろよ」
「流石に野中様の耳に入れるべきかと……すんません」
「五郎、そこに座るのだ」
「あ、はい……」
「よいか五郎。妻子がもっとも悲しむのはどんなことかわかるか?」
「それは、やはり討ち死にでしょうか?」
「違う!」
「え、違うの?」籐源太が驚く。
「よいか。もっとも悲しむのは敵に捕まり、奴隷として敵国の帝に仕えることだ」
「な、なるほど」
「今回の敵である〈帝国〉は人を攫っては奴隷として働かせる国と聞く、もしお主が熊手で敵船に連れ込まれて奴隷として生き恥をさらしてみよ。子供はどう思う?」
「それは……悲しむと思います」
「そうだ。それも永遠にだ」
「永遠に!?」
「考えてもみよ。奴隷となったのなら親は子を思いながら日々敵のために生き続け、子は親を思いながらいつか再会を願って鍛錬をする。それでは鍛錬に身が入らず初陣で真っ先に死んでしまう」
「確かにおっしゃる通りだ!」
「そうなの?」と籐源太が疑問に思う。
「そしたらどうだ。後に残るのは悲しみに暮れる――」
「妻だけが心細く生き続ける!」
「そうだ。だからこそ我ら武士は敵陣を駆け抜けることに物怖じはせずとも生き恥をさらすことだけは誰のためにもならんのだ」
「そんな無茶苦茶な……」と籐源太。
「わかりました。野中殿のお陰で目が覚めました。つまり生きのこる気で戦うのではなく、死ぬ気で戦って活路を見いだせと、それが無理なら潔く死ぬべしそういうことですね」
「よくぞ言った。その心意気が大事なのだ!」
「うそぉ!!」と籐源太が小声で叫んだ。
「よいか志賀島へと再びゆくことになるが決して臆してはならんぞ」
「はっ! 肝に銘じます――――ところで野中殿はいかないのですか?」
「ワシは籐源太や泳げない連中と一緒に海の中道から攻め立てて敵の注意を引き付けることとなった」
「ええっ!?」籐源太、寝耳に水である。
「どうやら此度の戦いは坂東武者たちを中心に進めるようだ。我らの方でも東国から来た小野頼承と宮原三郎を加えるように言われた」
「ならば拙者は安達配下の猛者たちと共に戦うのですな」
「そういうことじゃ。別にお主らが失敗してもワシと籐源太で正面突破しても構わんがな。がっはっはっはっはっは」
「いやいやいや……」籐源太は無理だと思った。
「野中殿のお陰で何やら吹っ切れました」
「よし、ならばタカマサという者がまだ浜にいるから、五郎は彼の船に乗って先に三苫まで行くがいい。我らは海の中道までゆっくりと籐源太をしごきながらいく」
「籐源太がんばれよ」
「そんなぁ……」
心が沈む籐源太を尻目に竹崎の武士たちは二手に分かれて出立した。
五郎はタカマサの船に再び乗せてもらうために石築地の前を通る。
石築地には肥後国の武士たちが数百人警固に当たっている。
麁原よりさらに西のこの地にこれほどの武士が集まっているのには訳がある。
志賀島の真南に位置する能古島が〈帝国〉の手に渡っているからだ。
だからその島から海を隔てて南に位置する生の松原の防塁には他よりも大勢の武士がいる。
五郎はその者たちの前を通り過ぎていく。
そして、その中に文永の役で名を上げた一人の武士を見かける。
菊池「二郎」武房。
五郎は彼に挨拶をしてから行くことにした。
「お、アレは竹崎季長だな」と赤星有隆がいう。
「ふん、菊池を出た者だ。気にかける必要はないだろう」菊池武房は気にしないようにする。
「しかし兄上、それでも同じ肥後のそして安達の武士ですぞ」
菊池武房は七年前と同じ装いで、しかし腰に携える鞘はトラ柄の立派なものとなる。
これは貿易が衰退したと同時に起きた物流の変化が影響している。
海沿いの海運は石築地でほぼ衰退し、代わりに内陸の街道が繁盛している。
彼らは陸路から莫大な収益を得ていた。
「安達か……お前が相手をしてやれ」
「まったく、兄上は本当に頑固ですな」
菊池一門は後ろ盾を二つ考えていた。
一つは朝廷であり、もう一つは安達氏になる。
だから彼らは安達の命だけは聞いていた。
「東海郷の五郎季長殿とお見受けする。拙者は菊池武房が弟、赤星有隆と申す」
「おお、赤坂山でのご活躍から赤星を名乗られた猛者ですか。お会いできて光栄です」
「その郎党たちが熊手を持っているのを察するに敵船に乗り込むのか」
「まさしくその通りでございます」
「ならば敵の将軍の兵船は本柱を白く塗り、しるしとしているらしい」
「ならば押して向かい一矢射て、我れらが将軍に弓箭の道を、皆さまが御存命ならばその腕を披露致しましょう」
「よっ竹崎一の成り上がり!」
「がはは、頑張れよー!」
石築地に陣取る武士たちから歓声が上がった。
五郎が通り過ぎたころ。
「騒がしいと思ったら、なんじゃい竹崎が通ったのか」
「叔父上、体の調子はいいのですか」
「バカ言うな。わしゃまだまだ現役じゃ」
菊池武房に声をかけたのは西郷隆政である。
彼は武房の叔父にあたり、後の世の西郷隆盛の直系の先祖になる。
彼が竹崎季長と共闘するのはまだ先の事となる。




