弘安の役 合田遠俊
志賀島から帰って来た五郎は将軍北条実政と集まったすべての武将に見聞きした全てを詳細に報告した。
実政は五郎たち二人に労いの言葉を述べたのち別命あるまで休息をとるように言い渡した。
そして報告を聞いた各武将たちにも一時休息を言い渡す。
「五郎はこれからどうするのだ」
大宰府の御所から出たすぐに河野通有が訊ねる。
「どうもこうも郎党たちと落ち合うために一旦生の松原の仮屋敷に向かい、そこで休息をとる」
「生の松原――確か愛宕山のさらに西だろ」
「その通りだ。これから徒歩に合わせて戻るとなると夕方に着くだろうな」
志賀島の真南に能古島という島がある。この島のさらに南に生の松原と呼ばれる浜がある。
ここは肥後国の石築地受け持ち区画であり、作業期間中にこの近くに仮屋敷を建ててそこから作業に当たっていた。
石築地完成後は警固用の屋敷として使われ、五郎も六年間の間に何度も使用していた。
つまり出身地別に区画がわかれており、担当区画に屋敷があるということになる。
それを聞いて六郎は少し考えてから言う。
「それなら伊予水軍の船を回してやろう」
「なんとかたじけない。しかしよいのか?」
「気にするな。なにせ七日の総攻撃まで三日しか日がない。すぐに戻って疲れを癒したほうがいいだろう」
「誠にありがたく思う。船ならば郎党含めてすぐに着くだろう」
「あとで使いとしてタカマサという河野の郎党を遣わそう。こき使っていいぞ」
「ははっ今日だけはそうさせてもらおう」
二人は三苫と生の松原の仮屋敷にそれぞれ戻っていった。
大宰府の御所、とある一室。
実政が一旦休息を設けたのは五郎たちのためというより、各武将が何ができるか一度情報を持ちかえって相談してからの方が軍議が進むだろうと判断したからだ。
――というのは建前であり、実政と安達盛宗の二人がある人物に相談したいからである。
「景資殿、知っての通り我らは鎌倉から出たことが無く、経験も少ない」
北条実政が情けなく思いながら事実を述べる。
「しかし、何ら発言せずに成り行きに任せては皆の心が離れ、勝てる戦も勝てなくなってしまう」
安達盛宗もこのままでは武士たちの団結に亀裂が入ることを問題視する。
「なるほど、わかりました。わたくしで宜しければ相談に乗りましょう」
「おお、ほんとうか」
「やはり最後に頼れるのは七年前に賊徒を退けた景資殿だけだ」
少弐景資は兄経資と家督争いが起きる寸前にまで達している。
これは本人の意向ではなく少弐氏内の派閥争いであり、もはや当人たちで止められない状態となっている。
そのため景資はできるだけ動かずに事態が鎮静化するまで静観するつもりだった。
しかし目の前に皆を思い尽力しようとする二人の若者が恥を忍んで、他の誰でもなく自分に頼みに来た。
――ならば御家人として一肌脱ぐべでしょう。
彼は二人のために動いた。
「まず実政様は皆の陳述の良し悪しを判断しなければならないので軍議そのものに口を出さないべきです」
「え、そうなの?」
「はい、意見を言うたびに口をはさんでは誰も何も言えなくなります」
「なるほど、ならば最後まで堂々と座っていよう」
「と、なると私が……」
「はい、安達殿が策を述べることになるでしょう」
「しかし、私では経資殿や大友殿に後れを取りそうです。特に経資殿は最初会った頃よりやつれ鬼気迫る感じがし――近頃は目の下にクマができてるのですよ」
「それは…………とにかくあの二人をやり込むしかありません」
その時、実政が持っていた扇子が鳴った。
「それなら、うってつけの男がいる。名を合田という」
「おお、合田殿か。確かに彼の強面ならあの二人と引けを取らないでしょう」
「つまり当てがあるのですね」
「うむ、関東御使なので直接守護に命令することもできる。彼ほど適任はいないだろう」
「でしたらすぐにその合田殿を呼んで示し合わせましょう」
「その前に我らにどのように軍議を進めるのか教えていただきたい」
「そうですね――まず軍議が始まってすぐ、第一声を兄上があげるでしょう」
『七日に攻めてくるというのなら、その前に一気に攻め立てて賊徒どもに攻撃の隙を与えなければいい!』
――これに対して大友頼泰殿が反論するはずです。
『バカも休み休み言え! 今ですら手堅い砦を前に一歩も進めないじゃないか。そもそも敵が攻めてくることを前提に石築地を築いたのだから守備の人員を増やす方が先決だ!』
――大友殿は先の戦いで攻めより守り、兄上は勲功を得られなかったことから守りより攻めを主張するはず。
『大友殿は変わりましたな。以前なら攻めて攻めて攻め続けることが勝利につながると力説していたではないか!』
――多分ですがこのような挑発をして自らの方針を声高に主張するはずです。
『ワシは攻め時を見計らって、一気に攻めよと言っておるのだ。ただ闇雲に攻めるのは猪と変わらん』
『なんだとっ!』
――ここで軍議が進まなくなり、島津あるいは河野水軍から提案が出るでしょう。
『守ると言っても石築地が未完成の箇所も多く、海から上陸できるすべての箇所に広く兵を置かなければならない。そして距離が延びれば兵の数は少なくなるのは道理である――ここは海の戦いで敵が攻めてこれないようにするべきでしょう』
『ならば海の戦いとやらがどういう戦い方か申してみよ』
『はっ、浜に大型の船で乗り上げられないことは誰が見てもわかります。ですので敵は必ず小舟か中型の船に数万の兵を乗せなければなりません。そこで我らは敵の小舟だけを狙い撃ちにして大軍で動けないようにするのが上策かと』
――これに対してたぶんですが反論が出ましょう。
『何を言っておる。先の無足人たちが海に出て、小舟はほとんど沈められたではないか!』
『ならば夜間に襲撃すれば船が沈む心配はございません』
『待て待て、話によると敵の小舟は鎖につないで船橋として活用している。たとえそうでなくてもほぼすべての船は奥深くの港にある。厳重に守られた小舟を分捕るなり、壊すなり、どうやるというのだ!』
――ここで軍議は完全に滞りましょう。
「――ですのでこの時に合田殿が策を述べます」
「その策とは何なんだ?」
「それは――」
「ならば私にも策がある」
そう合田遠俊が言い切った。
「なんと合田殿にも策がおありか?」
軍議に参加した全員が合田「五郎」遠俊を見た。
彼は頬に刀傷があり、元来の強面とも相まって一度見れば忘れられない存在感がある。
さらに関東御使というのは鎌倉殿の意向を各守護に伝えるために派遣される者であり、我の強い守護代たちと交渉あるいは命令する権限を持つ――鎌倉殿の交渉人である。
「まず敵の虚を突いて志賀島へ直接上陸をするべきだ」と合田がいう。
「志賀島へだと!?」
「虚を突くとはどういうことだ?」
「敵はすべての船を博多湾内に集め、陸と海――相互に見張れる位置にあるため死角が少ない。そこで我らは敵の監視がほとんどない玄界灘側から夜間に上陸して敵船を拿捕する」
「――!?」
軍議を聞いていたすべての武将がどよめく。
「この戦いで重要なのは志賀島の奪還ではなく――あくまで船の分捕りを優先すること」
これは奇しくも〈帝国〉が対南宋戦に行ったことと同じになる。
どの時代も制海権は船の数と質で確保する。
ならば制海権を奪うには同じく数をそろえるか、相手の船を破壊するのが一番となる。
「ちょっと待った! 上陸するのならそのまま敵を倒す方がいいのではないか?」
軍議に参加していた武将の一人が疑問を口にした。
「それは無理だ――――というのも敵はこの島に城を築いているとすでにわかっている。ならば上陸して留まれば時間が経つにつれて不利となるのは必然。島の奪還は諦めて船のみを狙うのが必定」
皆が黙る中、大友が口を開く。
「言いたいことはわかる。だが暗闇の中で海流に逆らって島に上陸するのは難儀だぞ」
「問題ない。決行は潮流が逆転する時間帯である六日の深夜、この戦いには越前の秋月氏の兵船に安達、河野、そして関東武者たちでおこなう」
「ええい勝手に話を進めるな! この経資と筑前の武士がその大役にふさわしい!」
「少弐経資殿は奴らが志賀島へ上陸してから今日までずっと戦っていた。すでに筑前国の兵は疲労しているのは目に見えて明らかだ。この敵船分捕りは我らに任せてもらおう」
「ぐぬぬ……」
「ほぅ、ならば関東の武者のお手並み拝見とするか。だが先ほども申したように攻め時と見ればワシも出るからそのつもりでいるように」
「いいだろう。経資殿も構わんな」
「……好きにせよ。しかし本当に夜に志賀島へと渡れるのか?」
「既に我々はその島まで泳いで渡り、夜闇に乗じて戻ってきた御家人を知っている。そう、彼らが案内人となり必ずや上陸は成功するだろう」
「それはつまり――」
『竹崎季長』
皆が彼の名を思い描く。
「ふぇっくしょん!!」
「五郎の旦那。風邪ですか?」と籐源太がいう。
「ううむ、やはり何時間も海を泳いだのが祟ったのかもしれんな」
「明日はゆっくり休んでくだされ」
「そうだな。そうしよう」
だが翌日には強襲上陸の準備のために出陣することとなるのだった。




