表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/99

弘安の役 謀略めぐる志賀島


 アラテムルのゲルは小奇麗に整っており、円形の天幕の周囲には小物入れの大棚が並んでいる。

 この住居は四本の柱が天窓まで伸びて全体を支えていた。

 そして真ん中に朱色の机があり、側面には龍を彫った南宋様式だとわかる。


 アラテムルはその手に黄金色に輝く印鑑を持っていた。

 そのまばゆい光からも純金だと分かる。


『アラテムル様、その金印はどうしたのですか?』


 金方慶は金印に興味が湧いた。

 〈帝国〉のほぼすべての事務処理は印鑑を基本とする。

 そのため貴族たちはヒスイなどの希少な鉱物を散りばめ技巧を凝らした印鑑を使用している。

 しかし、純金の印鑑は実用性が低くなるのであまり聞かない。


 そこに興味が湧いたのだ。


『これか? これは戦利品だ』


 そう言ってアラテムルは机の上の奇妙な石の箱に金印をしまう。

 それは表面は苔むしており、とてつもなく古い時代に作られたと一目でわかる。


『それよりも酒は持って来たか? この国は七年ぶりだが夏は暑くてかなわん』


 あれから七年、アラテムルの戦績は強行偵察、遅滞作戦、偽装撤退と多岐にわたる。

 それらの功績と忠烈王さらにはクドゥンの推薦もあり鎮国上将軍、〈王国〉軍民総管などを経て征東左副都元帥にまで上り詰めた。

 それはつまり前遠征軍副将軍だった劉復亨(りゅう ふくこう)の地位と同じになる。


 軍の中でこの男を属国の人質の皇子と考えるものは一人もいない。


『こちらに酒を含めて嗜好品を用意してあります。そこの侍女』

『は、はい!』


 貂鈴(ちょう りん)がすぐさま酒の用意を始める。


『そこの二人は見ない顔だな』

『兵站を任せている漢人どもです。言葉はわからないのでご安心ください』

『そうか、まあいい』


 貂鈴(ちょう りん)がその細い腕から白肌を覗かせて酒瓶に触れた時、彼女の体がこわばった。


 ――何で居るの!? え、何で??


 彼女は気づいてしまった。目の前の男二人が南宋人でない事に。

 むしろその髪型から父が貿易していた〈島国〉の商人――彼らが述べていた武士だと気が付く。

 彼女の顔から血の気が引き青ざめる。


 ――もしここで二人の正体に気が付いたら、ここが血の海になる。


 貂鈴(ちょう りん)は突然選択を迫られた。

 平静を装い、彼らに恩を売るか。

 あるいはここで告げ口をしてあの男から信用と安全を得るか。

 そんな打算が彼女の脳裏をよぎる。


『どうした。知り合いか?』

『い、いえ。そうではありません……』

『ならどうしたというのだ』


 金方慶が貂鈴を睨みつける。

 五郎たちも冷や汗を流す。


『あの、その……わ、わたし……実は筋肉の引き締まった殿方をまじまじと見るのは初めてでしてっ!』

『は?』

『いえ、そのちょっと……裸体が……』


 わざとらしく生娘が恥じらう様を演じる。

 もっとも本当に生娘なので演技という訳でもない。


『ハッ、ハハハハハ、そうかそうか、なら仕方がない』とアラテムルが笑いながら酒を催促する。

『し、失礼しました。すぐにお持ちしますっ!』


 彼女は武士と思われる男たちに恩を売ることにした。

 ただ、それは自らが危険に合わないための、目の前の殺し合いを回避するための、打算でもある。

 内心震えながら高級酒を運ぶ。

 アラテムルに酒を注いだ時、その細い顔のアゴを掴まれる。


『んっ……くぅ』


『いいか、お前を拾ったのはお前の父親がこの〈島国〉と貿易をしていたのを知っているからだ』

『う、え……?』

『とぼけるな。この国の唐人町と旧南宋の港湾都市との貿易にお前の父が一枚噛んでるのは知っている』


『うっ……けほけほっ』


『余がお前に手を付けないのはこの国を奪い取った後にお前の父親と貿易交渉するためだ』


 その口調はどさくさに紛れて唐人町へ逃れようと考える彼女の考えを見透かすようなものだった。


『それまではお前の身の安全を余が保障しよう。だが忘れるな――ここを抜けようものなら貴様と貴様の家族、幼い親族その全員が死よりも辛い目にあうからな』


『けほっ……失礼しました』


 貂鈴はうやうやしく礼をして、一歩後ろに下がる。


『ではやはり国盗りをするのですね』

『ああ、無論だ。そのために準備を進めてきたのだからな』

『でしたら先ほど洪茶丘が七日に総攻撃をすると息巻いておりました』

『ふん、あのバカにはせいぜい前線で死ぬまで働かせればいい』

『まったくですな』



 そこへ衛兵が入ってきた。


『失礼します! 金周鼎(きん しゅうてい)万人隊長と李進(り しん)百人隊長が参られました!』


『余が呼びつけた二人だな。これから内密な話になる――人払いを』

『ハッ! そこの侍女はこの二人の漢人を連れて席を外せ』

『……畏まりました』


 彼女は小声で「ソト、デル、ワカッタアル」と言い、それを聞いた二人は慌てて外へと出た。

 彼女は昔から異国の言葉に興味があり、〈帝国〉内の複数言語と〈島国〉の簡単な単語なら喋れた。


 言葉が通じることに驚いたが五郎は何となく彼女は敵ではないと思った。


 外に出ると二人の男が入口に立っている。

 一人は細身の優男で目を閉じて、じっと順番が来るのを待っている。

 それは王族が誰と会っていたのか知らない方が身のためだと心得ている、一種の処世術のようなものだ。

 もう一人は肩に槍を置く、武人だと分かる。しかしそわそわと挙動不審の気があり、どうにも小物のように見えた。


『よし、入れ』金方慶がそう言うと、二人が入れ替わりに中へと入る。












「コッチ、アル」


「五郎、彼女は確実に俺たちのことをわかっているよな」

「ああ、だが今は彼女を信じてついていこう」

「まあしょうがねぇなぁ」


 五郎たち二人は貂について駐屯所の人の気配が少ない場所へと移動する。


「コッチ、ススム、ミナトアルヨ」そう言って出口の方向を指さす。

「かたじけない。なぜ助けてくれた」

「アー、〈帝国〉ワタシ、クニ、コワス、テキ」

「なるほど南宋人だったか」


 五郎は国を失った彼女に同情する。

 もしそれが自分たちならどうだろう。

 ほとんどの御家人は生き恥曝すくらいなら――。


「五郎、そろそろ周りは寝だす頃だ。今のうちに帰るぞ」

「ああ、わかってる。お主には命を助けられたこの御恩は必ずや返そう」


 そう言って足早に去ろうとする五郎たちを彼女は引き止める。


「マッテ!」

「?」


 ここで一緒に連れて行けと言えば連れて行ってくれるだろう。

 貂鈴はそう思った。


「ナノカ」

「七日?」


「七日、コウゲキ、ハジマルヨ」

「七日に攻撃だと!?」

「これは早く戻って知らせねばならんな。誠にかたじけない」


 だが貂鈴はそうしなかった。


 彼女はここから抜け出すのは無理だと悟った。

 もし逃げようものなら大陸にいる家族と親族たちに矛が向く。

 例え売られようと彼女はまだ家族を愛していた。

 だから逃げようとはせずにここに留まることを選んだのだ。


 これはそんな彼女の〈帝国〉に対するささやかな反抗だ。






 駐屯所は入るときの警備は厳重だが、外へと向かう場合はほとんど警戒すらされない。

 五郎たちはただ堂々と歩くだけで志賀村まで戻ってこれた。

 村の人気のない裏路地を通ると一軒の中から食事をする一団の声が聞こえてきた。


『洪茶丘将軍、カラスの焼き鳥ができました』

『このバカが! 何とかしろとは言ったが誰が丸焼きにしろと言った!』

『ダメでしたか……』

『ええい、よこせ! んぐんぐ……なんだ食えるではないか!!』


 そのやり取りを見てどっと笑う部下たち。


『よし、今笑った奴らにも振舞ってやれ!!』

『ええっ!?』

『実は大量に射抜いたのでまだまだあります』

『ヒェッ!』


 洪茶丘は豪快に食事をし、部下たちにも酒をふるまう。


劉復亨(りゅう ふくこう)将軍さえいれば今頃疲弊した奴らを叩いて一気に進めたのに、まったくもって惜しいっ!!』

『惜しい方を亡くされましたな』


『まだ生きとるわっ! だが、出陣前に会った時には随分やつれておった。もう年だな……』

『でしたらどちらにせよこの遠征への参加は無理そうですな』

『だからこそ我らが突破口となるのだ。よいな近日中に決戦だと思い皆よく食べ、よく休むように!!』

『ハッ!』



 五郎たちは気付かれないように志賀村の裏路地を通り抜けた。

 そしてそのまま山側の森を通って志賀海神社を目指す。


「五郎止まれっ!」

「!?」


 河野六郎に呼び止められ身を隠す。

 敵兵の大軍が松明を片手に山を登り始めたのだ。


『よいか、既に作業が遅れている。今夜中に大まかな築城作業を終わらせるのだ』

『ハッ!』


『よろしい。では工兵部隊は山道に入り作業を開始せよ!』

『ハッ!』


『急げ! 急げ! 王某さんの命令は絶対だ!』

『オオッ!』


 松明を片手に工具を持った男たちと材木を担ぐ者たちが志賀島の山の中へと入っていく。


「一体何なんだ?」

「あれは……」

「五郎は心当たりがあるのか?」

「ああ、アレは七年前と同じことをしているのだろう」


 五郎は七年前に麁原山で〈帝国〉が行った計略【一夜城】をこの志賀島でも行っているとすぐに気が付いた。


「多分だが海の中道から順番に砦を築いていって、いまから志賀島の山に砦を作ろうとしているのだろう」

「なんて厄介な連中なんだ。これじゃあ手も足も出んぞ」

「そうだな。だが七日に攻めてくることも含めて伝えなければ我らに勝ち目が無くなる」


 五郎たちは夜闇に紛れて志賀海神社まで着いた。


「よし、帰りの潮の流れに注意しろよ。さもなければ打昇浜に本当に打ち上げられちまう」

「ああ、わかっている」


 身を隠す必要がないので小舟に乗って玄界灘に漕ぎ出す。

 振り向いた志賀島には松明の道ができており、その道のどこかに強固な砦を築いているのだと悟る。



 五郎は今日出会った大将首たちを忘れぬように心に刻む。


 ――次合戦場であったならば神仏にかけてその首を確実に分捕ってみせる。


 そう仏に誓うのであった。






 だが、隣の六郎はまったく違った。

 彼はあの大量の嗜好品の数々や金印を見た瞬間から、戦とは別のことに心を奪われていた。


 ――ああ、クソッ。せっかく御家人として賊を倒すために来たのに、目の前に金銀財宝がちらついたら、血が騒いじまうじゃないか。

 あれを叔父貴たちに秘密とはいかねぇな。


 伊予水軍とは後の時代にその名を轟かせる村上海賊の原点ともいえる集団だ。

 言ってしまえば御家人が海賊・海運稼業に乗り出したようなものである。


 彼は伊予水軍の、海賊の若頭であり、目の前の賊徒は財宝を持ち歩いている。


 彼のいや、彼ら水軍衆の次の行動はそれだけで十分であった。


 ――海賊としてあの宝船を必ずや分捕ってみせる。


 そう心に誓うのであった。





























『よし、入れ』金方慶がそう言うと、二人の男が中へと入ってきた。


『あとお前は武器をそこに置くように』

『あ、わかりました』


『…………』

『あの~呼ばれてきましたが、何事でしょうか?』


 終始無言の優男と辺りを見渡す挙動不審な二人の男が中へと入ってきた。

 金周鼎(きん しゅうてい)万人隊長ともう一人李進(り しん)百人隊長である。


『おおよくぞ参られた。たいしたもてなしはできぬが、さあ中に入るがよい』


 アラテムルが二人を中へと招く。


 金周鼎(きん しゅうてい)は臣下の礼をとる。

 慌てて李進(り しん)も見よう見まねで似たような礼をする。


『ふふ、面を上げよ。さて、金周鼎(きん しゅうてい)、お主に来てもらったのはほかでもない。この李進(り しん)が発見したある物を見てもらいたいのだ』

『……あるもの』


『ええ、ええ、そうなんです。先日占領した――ええっとツシ……イキ島だったかな? とにかく巡回中に隠れ里を見つけてそこで手に入れたんです。はい』

『まさか略奪をしたんじゃないだろうな?』と金方慶が訊く。


『いやいや。皇帝陛下の命で略奪は固く禁じられております。ただ、いきなり襲われたので反撃しただけでございます。はい』

『この李進(り しん)は見た目とは裏腹に槍術の達人でな。あの康彦(カン イェン)にも勝つほどだ』

『そう言ってもらえると嬉しいです。へへっ』

『……それで』



『その李進(り しん)がこれを見つけた』


 アラテムルが机の上に置いてあった石の箱を開ける。

 そして中から金印を取り出した。


『……これは』

金周鼎(きん しゅうてい)貴様が頭脳明晰で優秀な人材だというのは知っている。それは武力ではなく、芸術方面の方が明るいのもな。――これの価値はいかほどかわかるか?』


 金印を受け取った金周鼎(きん しゅうてい)はじっとそれを見続ける。

 そしてただ一言『…………宝物庫』とだけ答えた。


『おい、お前が寡黙な男だというのは知っているが、せめて説明ぐらいはしろ』


 金方慶があきれ顔で説明を求めた。


『……〈帝国〉の大都、その宝物庫に旧南宋の莫大な財宝が送られている。これはその宝物庫に加えるべき一品だ』

『うへへ、離島の隠れ里にこんな品があるなら、本島にはどれだけの金があるのやら』


 李進(り しん)がニヤつきながら金印を凝視する。


『余はそのような小さな金で満足などせぬ。だがその金印に価値があるだろうことは理解している』

『……詳しくは研究院の古文書を調べなければいけませんが、彫られている文字からこの〈島国〉の正当な支配者が本来所有する品かと』


『――!? アラテムル様、ならば!』

『くっくっく、ああ、そうだとも我ら〈王国〉がこの国を所有する偽りの大義名分として、これほど都合のいいものはないだろう』


 ここに集う将軍たちがアラテムルのかざす金印を眺める。


『まさに天命と言っていいだろう。天が我らに国を取れと言っている』

『すべては我らが王のために』

『……御意』

『へへ、コイツはすげぇや』



 ――必ずだ。必ず〈帝国〉に邪魔されない理想の国を手に入れる。


 そのためにもこの国を分捕ってみせる。


 そう、天に誓うのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ