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弘安の役 河野通有


「わ、わたくしめが志賀島まで泳いで渡り、敵情の探りを入れてこいと……」


「うむ、何かあれば竹崎五郎を頼れと父泰盛に言われており、できないだろうか?」

 と、困り顔で盛宗が述べる。


「七年前に先懸して重傷を負っていた男が、このような大役を担うことになるとはな。ワシの所の豊後の連中も羨んでおるぞ。がっはっはっは!」

 と、羨むように大声をあげる頼泰。


「お主の武勇はこの北条実政も聞き及んでいる。無理に――と言わないがこの困難な任をできるのはお主だけだと盛宗殿たっての推薦があってな、どうだろうか?」

 と、目を輝かせながら実政がひと押しする。


 安達、大友、北条と三者三様に述べているが、つまるところ既に外堀は埋まっているということに他ならない。


 五郎は六年前に安達泰盛に対してあれだけ啖呵を切った手前、今さら後に引くことはできないと思った。


「このような大役を仰せつかったことは、誠に嬉しく存じ上げます。そしてその反面責任の重大さに身の引き締まる思いでございます」


 大恩ある安達氏の手前、五郎に言えることは限られていた。



「では早速ですが五郎殿には三苫(みとま)に赴いてもらい、そこの綿津見(わたつみ)神社に居る河野通有という男と会ってもらいましょう」と景資が切り出した。

「三苫の河野殿ですね。わかり申しました。早速お会いして志賀島に探りを入れてまいりましょう」


 そう言って五郎はさっそく三苫へと向かった。


 景資はやはり五郎はあの頃と変わらぬ剛の者、最も頼れる真の武士と感じた。


「懐かしいですな。あの息の浜の陣に乗り込んだ武者がこうも成長するとは思いませなんだ」

「……野田よ。今回の人選どう思う?」

「そうですな。あの竹崎は恩賞は要らぬから勲功を認めよと言った奇異の者。つまり恩賞問題が起きない人物と鎌倉殿は見ておるのでしょうな」


「……ならば河野は?」

「あそこは伊予国ですが、たしかお家騒動や所領を巡っての訴訟騒ぎにより領地を失っている状態のはず、これも元々も土地を認めるだけでよいので恩賞問題もさほど起きませんな」


「つまりかなり以前からこの人選は済んでいたということですか」

「ええ……たぶん安達泰盛殿辺りが描いた通りかと」

「ふぅ、この戦で最も苦労するのは彼かもしれませんね」

「はて、敵はあの〈帝国〉ですぞ。一番手玉に取られやすいのは経資様ではございませぬか?」

「敵の計略と兄上の采配が交わって、五郎殿に重くのしかからないことを神仏に祈ろう」

「そうですな」








 将軍たちの期待を一身に背負う竹崎五郎。

 しかし三苫に向かう途中で彼は頭を抱えることとなる。


「ううむ、しかし……いや、だが。むむむ……」


「季長殿はどうしたんですか?」と焼米が眉をひそめる。

「実はな、五郎の旦那の奥方がこれが……これで、こうなってるんだ」

 籐源太資光が身振り手振り、しまいには鬼の角を真似る。


 それだけで察せるものだが籐源太はさらに言う。


「昔はオドオドしておったのが、お子が生まれてから立場が逆転して五郎の旦那は尻に敷かれてな。出陣の時にも

『絶対に! 絶対に! 七年前みたいな危険な真似しないでね。絶対だからね!』

 と言われたのに対して、

『安心するがいい。拙者も郎党を率いる立派な武将。安達殿の隣で皆に指示する立場となる。必ずや〈帝国〉に勝って戻ってくる』

『絶対だよ! もし討死なんてしたら地獄まで行ってその舌を引っこ抜いてやるんだから!』

『約束だ! 必ず戻る!!』

――と自信満々に断言してきたのだ」


「それが参戦初日に知らない御家人と二人だけで、万を超す敵がひしめき合う志賀島まで泳いで行き、状況を探ってくることになったと――それは約束を反故にしたんじゃないか?」


「それだけじゃない。総大将の頼みを断れば六年前に誓った言質を違えるという、神仏に見捨てられる所業になってしまう――つまり五郎の旦那はどう転んでも閻魔(奥方)様に舌を抜かれて地獄行きは決まったも当然ということだ」

「どちらを選んでも地獄行き、それは――心中察しまする」


「ご愁傷様です」

「ご愁傷様です」

「ご愁傷様です」


 聞き耳を立てていた郎党全員から憐みの声が漏れる。


「ええい、勝手に人の心を察するでない! つまり敵陣の真っただ中に忍び込んで生きて帰ってきて、白を切りとおせばいいというだけのことだ!」


「…………無理でしょうな」

「無理ですな」

「嘘はよくありませんぞ五郎殿」


「むむむ……。はぁ~~どうしよう……」



 竹崎五郎、この六年の間に大切な人ができると同時にいろいろと苦悩するようになった。










 ――河野の後築地。


 石築地は〈帝国〉が襲来したときに、その上や後ろに陣を張り、壁越しに迎え撃つための物となる。

 ゆえに後ろ側は緩やかに土が盛られて騎兵が石築地の上を駆けられるようにできている。

 しかし河野率いる伊予水軍は不退転の意思表示として眼前の砂浜に水軍の船を置き仁王立ちで待ち構えていた。

 その石築地を背に迎え撃つ意気込みを皆が『河野の後築地』と呼んで称賛していた。


 だがこの話には続きがあり、無足人たちが暴発して好き勝手に出陣しても微動だにせずに構えていたのだ。

 海賊とも言われる水軍でありながら警固の任をまっとうする姿勢こそが安達たちの目に付いた。





 五郎はその河野通有(みちあり)がいる仮屋敷にやってきた。



 その屋敷は不思議なことにふすま、妻戸などの扉が全部外されていた。

 五郎は河野氏の郎党にそのことを尋ねてみた。


「なぜ妻戸が外されているのか?」

「へい、棟梁の指示でして、戦の時に外の異変をすぐ感じ取れるように戸はすべて外されたのでっさ」


 外の異変、筥崎宮炎上などを考えれば戸を固く閉じるより合理的に思える。


「なるほど、これは参考になるな」


 五郎が感心していると河野「六郎」通有がやってきた。

 赤い服を装った眼光の鋭い男だ。


「お前が噂に名高い竹崎郷の――いまは海東郷の五郎か。俺の名は河野通有。六郎とでも呼んでくれ」

「ならば拙者は五郎と気軽に呼んでくれ」


「うむ、では五郎よ――――まずは軽く世間話でもしようか」

 ニヤリと笑いながら六郎は世間話を促した。

 五郎は『河野の後築地』からどれほど豪胆な男かと身構えていたが、気さくな相手だと分かり安心した。





 二人は数年来の友かのように語り合った。

 だが戦の合間なので嗜んでいる趣味の話より、自然と戦について語らった。


 五郎は先懸について語り、河野は一族の心構えについて語った。


「――ということで我が河野家では戦の間は烏帽子を着けないでいつでも兜を置けるようにしているのだ」

「ははは、六郎殿の話から合戦への意気込みがよく伝わる。その服もかなり年季が入っているとお見受けする。やはり何か意味がおありか?」

「よくぞ聞いてくれた。これは俺の祖父が平家と戦っていた時に着ていた赤服だ。この戦いは海上での戦いが多くなりそうだから、勝負服として着込んでいる」


「海上戦……ではそろそろ」

「うむ、そうだな」


 陽が沈み始める頃、話が本題へと移った。


「さて今回の任についてどこまで聞いている」と六郎が真面目な顔で聞いてきた。

「志賀島まで泳いで渡り、敵情を調べることと聞き及んでいる」

「その通り、我らは海を渡って志賀島に探りを入れる事となる」


「そうなると夜闇に紛れて博多湾側から行くことになるのか……」五郎は無足人たちの惨状からあまりいい手とは思えなかった。


「いや、そっち側は敵の警戒が厳しい。俺たちは反対側の海。つまり玄界灘を突っ切って一気に志賀島神社の手前に上陸する」

「なんだと!?」


 五郎はその案に驚いた。





 はるか昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が御西征のときに対馬で嵐に遭い足止めとなった。

 そこで荒れ果てた海を鎮めるために海神様に供物を捧げることにした。

 その供物を雨風を凌ぐために苫で覆って海に投じた。

 するとその時の苫が三枚、海岸に流れ着いた――この地を三苫という。


 つまり玄海灘――あるいは対馬海流とは西から東に常に流れる潮の流れであり、河野の案とはその流れに逆らって志賀島まで泳いで渡ることとなる。


「とてもじゃないが潮の流れに逆らって――島まで泳ぎ切る自信はないぞ」


「ふっふっふ、だからこそ裏をかくというのだ。いいか、あそこの潮の流れは潮汐によって逆流する時がある。俺はこの仮住まいから海の流れをつぶさに観察しておおよそ把握した」


「な、なるほど、潮の流れに乗れる時があるのだな……」


「ああ、だから泳ぐというよりも流れに身を任せて志賀島までながされるように行くのだ」


「…………それで本当に志賀島につくのか?」


「心配無用だ。すでに準備は万全に整っておる。五郎、お主もいつまでも甲冑を着込んでないで、俺と同じようにいつでも泳げるようになるのだ」


「ん? いや待て待て、それはつまり――」


「おうよ。海流の逆流する刻はおおよそ日付で決まる。そして今日の逆流する時は夕刻となる――つまりこれから夕闇に紛れて志賀島まで泳いでいくのだ」


「それで鎧を着てなかったのか!!」


 竹崎五郎、心の準備が整う前に志賀島強行偵察をすることとなる。


挿絵(By みてみん)

蒙古襲来絵詞 絵十一

通説では怪我をした河野を見舞いに来た五郎という内容。

本小説では一緒にちょっと10キロほど泳ごうぜ、という事前相談の内容。


落ち着いて考えると作戦の根幹に無理があるのですが、鎌倉武士だからしょうがない。

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