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弘安の役 北条実政


 ――博多の鎮西奉行所、廊下。


「何たる失態か!!」


 大友頼泰(よりやす)が大声で怒鳴りながら廊下を歩く。


「経資のアホが、よりにもよって対馬と壱岐島の兵まで引き上げて、みすみす二島を明け渡すとはどういうことだ!」

「大友殿、おっしゃり様は分かります。が、しかし兄上も博多の防衛を考えると兵力の分散を愚策と思ったのでしょう」


 大友をたしなめたのは少弐景資だ。

 二人は博多の鎮西御所内でこれから行われる軍議に参加するために来た。


「ふん、どうせ目と鼻の先に急に大軍が現れたから、何も考えずに全軍を集めるように命令を出したのだろう」

「それは…………」


 そこで少弐景資は口を閉ざす。


「まあいい。今はあの難攻不落の城と化した志賀島の奪還を話し合うのが先だ」

「ええ、そうですね」





 鎮西奉行とは九州の御家人を統括する職で、鎮西守護(ちんぜいしゅご)ともいう。

 ここはその奉行所であり、後に鎮西探題というより中央集権的な機関の前身となる場所だ。

 この機関の役割は平時の行政裁判と有事の指揮統制を担うことになる。

 つまり御家人たちの争いの仲裁や、有事に軍議を開く場所ということだ。



 そこに先立って二人の男がいた。


「現場の指揮を経資殿に任せたのは私です。今回の二島失陥の責は私にあります」


 軍議が始まる前にそう言ったのはまだ齢若い男だった。

 彼の名は北条「越後六郎」実政(さねまさ)――この弘安の役における総大将である。

 彼は元々『異国征伐大将軍』として少弐経資の要請に応えてやってきた。



 しかしそのすぐ後に遠征計画が中止となり大将軍の任を解かれた。


 この時、景資たちが進めていた異国警固強化の最高責任者となり、九州防衛の任に就いて残ることとなった。


 それは鎌倉殿主導で各御家人の独断を抑えられて、同時に長いあいだ鎌倉を不在になっても問題のない都合のいい人材。


 それが北条実政となる。


 彼自身名ばかりの総大将だと認識しており、だからこそ戦は博多をよく知る御家人たちに戦の方針を任せていた。


「総大将が自らを責めては皆に示しがつきません。今はどっしりと構えて軍議に臨みましょう」


 そう言って実政をたしなめたのは安達泰盛の息子、盛宗(もりむね)である。

 彼もまた安達泰盛に代わって肥後国の守護代として赴任してきた若者である。


 この二人に共通するのは親が鎌倉殿の重鎮であり、そして本家筋から外れる庶流となる。


 結局のところ七年前と同じく東国の次男三男が最前線に赴いたということだ。



「おお! すでに総大将殿が参られてましたか!」

「遅くなり申し訳ありません」


 大友頼泰と少弐景資を筆頭に続々と武士たちが入ってきた。


「よく参られた。これより軍議を始める、が――少弐経資殿は海の中道に陣取る敵と対峙している。よって今回は欠席となる」


 それを聞いて七年前の当事者たちは察した。


『経資は変化する情勢に対応できず大宰府に篭っていた武将』


 そう噂話が立つほどに彼は後手に回っていた。

 だから今回は常に先頭に立ち続けようとしているのだろう。

 それが御家人たちの大まかな評価だった。


「それはいいとして、この戦どのようにして奴らを倒すというのだ。あの志賀島はまさに海上に浮かぶ城と言っていい。早々落とせるとは思わぬが?」

 さすがの大友も無足人たちの討死の多さから正面から攻めるのは愚策だと考えた。


「大友殿の申す通り、まさに難攻不落の島と言っていいでしょう」


 そう言いながら盛宗が地図を広げる。

 そして碁石をそれぞれの場所に置いていき、現在の状況を簡便に伝える。


「敵は志賀島を抑えているが、初日の無足人たちとの戦いで勢いをつけて攻め込み、今は海の中道のこの付け根まで陣地を広げている」

「この細くなっているところで対峙しておるのだな」

「その通りだ」


 大軍が数で押すには狭く、守りやすい所。

 自然とそのような場所で拮抗することとなる。


「我らはまず海の中道を奪還して、そこから更に志賀島を奪い返さなければならない――そこでまずは敵の陣容を知るために志賀島に探りを入れようと思う」


「確かに何も知らずにただ攻めることはできない……」

「敵の実情を知るのも必要な事、ですな」

「まさに実政様のおっしゃる通りでございます」


 名ばかりとは言え征夷大将軍と同格の異国討伐大将軍となった男、皆が媚を売ろうと褒め称える。


「探り……しかしどうやってあの島まで行くというのだ。さすがに泳いでいくには距離があり目立つぞ」


 一人、大友は北条実政の案に難色を示す。


「そこは水軍衆に知恵を出してもらうしかない。とはいえ今は丁度水死体や討ち捨てられた小舟が漂う死海と化している。少々の偽装でなんとかなるだろう」

「そうなると海を渡るのならば水軍衆となるだろう。ならば島津か、あるいは……」


「それならば一人うってつけの男がいる」と安達盛宗が口を開いた。


「ほう、見つかれば死ぬことは確実。さらに多人数では目立つから多くて二人程度での探り入れだというのに――それでも行くという男がいるのか?」と大友が言う。


「ええ、伊予国の水軍を束ねる男。名を河野という」


 陣中が騒がしくなる。


「その名なら聞いたことがある。たしか河野の後築地!」と別の武将が口にする。

「そうだそうだ。初日から石築地の前に出て敵を待ち構える豪胆な男と聞き及んでいる」

「たしかに彼ならば志賀島まで行って探りを入れられるだろう」


 軍議に参加する武将たちがすでに武勇を轟かせる河野ならばと賛同する。


「いや待て待て、流石に一人では心ともない」

「ならば松浦党の水軍か島津の水軍ならどうだ?」

「ダメだ。水軍衆のみだと信用ならない、誰かほかにもう一人いないのか?」


 このような難しい任務には「見つぎ、見つがれる」関係でなければならない。

 正直者で、困難な任に耐えられるそんな御家人が必要になる。



 そのような都合のいい人物がそうそういるわけもなく、皆またしても黙ってしまった。




 ただ一人、安達盛宗だけは別である。

 実はこの軍議の議題の一つである志賀島偵察の任はすでに人選が終わっていた。

 それでも合議の上で決めるという体裁を保つために議題に上がったに過ぎない。


 この任務は失敗したら討死の功、成功したら何らかの恩賞が授与されるのは当然となる。

 しかしこののちの激戦――それも海戦が最初から予想されるとなると松浦党や島津などに莫大な恩賞を用意しなければならないのは目に見えている。


 少しでもこの問題を軽くするために一人の男に白羽の矢が立つ。

 






 皆が押し黙った時、またしても安達盛宗が口を開いた。


「実はもう一人も心当たりがある」


「それは誰でしょうか?」と景資が聞いた。

「貴方もよくご存じの御仁。七年前に少数で麁原へと先懸をして生還した御家人――嘘偽りを申していたら首を刎ねよと申す奇異な剛の者――」





『海東郷の竹崎五郎、季長』





 それは竹崎五郎が博多入りする前日の出来事だった。



この時代は蝦夷討伐は征夷大将軍、九州討伐は征西大将軍、そして異国討伐の異国討伐大将軍など大将軍の肩書がいろいろあって面白い。

あと実政の影の薄さは異常。

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