弘安の役 第一次志賀島奪還戦
1281年6月20日(弘安四年六月三日)。
竹崎「五郎」季長は郎党を引き連れて博多湾に舞い戻ってきた。
彼の一団はその数を騎兵十騎、郎党四十人合わせて五十名にまで増えていた。
その顔ぶれの中に籐源太資光や江田又太郎と共に行動していた焼米五郎もいた。
短期間の間にこれほどまでに兵力が増えたのには訳がある。
この七年間で九州の力関係は激変していた。
例えば何かしらの理由をつけて出陣を拒んだ氏族や貿易で富を得ていた領地は南宋の滅亡を契機に凋落の一途をたどった。
つまり沿岸の御家人たちは収入がない上に石築地の建設に明け暮れてその影響力が弱まったのだ。
海運貿易が衰退するとそれに比例するように山岳地帯の陸路が賑わうようになる。
さらに九州の山地を支配下に置き、武勇を示した菊池一門の力が増した。
そんな中、竹崎五郎の名は、たった数騎で突撃をして領地まで得た彼の名は、注目を集めた。
周辺地との血縁によるしがらみが無く、有力御家人である安達の保護下で凋落と無縁な東海郷――そこへ強者たちが集った。
それ以外にも安達氏が東国で腕を鳴らしていた剛の者を何人も送り込んでおり、数は少ないがそれでも他と比べて精強な陣容となっている。
百姓と比べると明らかに強靭な肉体の集団である御家人の中でさらに精強な肥後国海東郷の一団が博多入りしたのだ。
「うげ、くせぇ!」
「なんだこれは……」
「五郎の旦那、これは一体……」
「腐臭だ。博多湾が死体の溜まり場になっている」五郎は苦々しく吐き捨てた。
博多湾に着くとそこかしこに死体が浮く死の港湾と化していた。
腐臭が潮風に乗って死をまき散らし、それに誘われるようにカラスが群らがっている。
そのおぞましさに郎従たちが後ずさりした。
「来るのが遅すぎたか……」そう五郎はつぶやく。
「仕方ないでしょう。安達様の使者から出陣の連絡が来るまで待つように言われたのですから」
五郎は安達泰盛の推薦によって領地を得た関係から、肥後国であっても安達の傘下として行動することとなる。
つまり初戦はどうしても少弐率いる武士団となり、五郎が動けるようになるのは安達氏の大将が現地入りしてからとなった。
「とりあえず、何があったのか人に聞いてみましょう」と焼米がいう。
「ああ、そうだな。そうしよう」
近くで死者を弔っている郎党たちを見つけた。
「おい、そこの者。一体何があった?」
「う……うぅ、許してくれ……許してくれ」
「おい!」
俯いている男はぼそぼそと許しを請うだけだった。
代わりに亡骸を運ぶ男が答えた。
「新しく来た増援の方々ですか。彼を許してください。気が触れちまったんです」
答えた男も精気のない死人のような顔をしていた。
「別に構わん。何があったのか教えてくれぬか」
「あっしらは〈帝国〉がやってきた初日に攻め寄せたんです。しかし――」
「うわぁぁぁぁ!」
「おい、落ち着け――とにかくあいつ等は一カ所に集まったあっしらを、一気に皆殺しにかかったんです」
それは名もなき無足人たちの戦いだった。
時を遡ること五月二十一日。
志賀島を奪われたこの日、博多の守備に来ていた御家人たちが一斉に志賀島へと殺到したのだった。
彼らは無足人。所領もなく武器防具の類もお粗末な下級武士となる。
ある者は先祖伝来の武具を、ある者は戦場で拾ったものを、またある者は手製の防具を着てやってきた。
「ええぃ、止まれ止まれ! 少弐経資様の下知をもらうまでその場で待機せよ!」
少弐の郎党が必死で彼らを止めようとするも全く言うことを聞かない。
「うるせぇ! そんなことしてたら先駆けの功が他の奴らに取られるだろうが!」
「そうだそうだ!」
彼らは恩賞をもらうために来たのであって、少弐の傘下ではない。
少弐氏の郎党の命令を無視してそのまま敵陣へと突撃を始めた。
陸からも攻めると同時に漁村の小舟を奪って海からも攻撃を始める。
「見ろ他の御家人と揉めてあいつ等は遅れているぞ!」
「よしこれなら陸の連中より早く着くことができそうだな」
「これであっしらは先駆けの功を得られて地頭になれるんだ」
「そうだとも。前回は竹崎郷の五郎って奴がそれで領主になったんだ。今度は俺たちの番だ!」
彼ら無足人は先駆けをすれば成り上れるという期待を胸に博多に集まっていた。
まず先駆けをする。
そして生き残る。
後から証人を見つける。
すると所領が得られる。
まことしやかに囁かれる成り上がり物語はこの七年の間に随分変化していた。
まさに欲望の濁流が志賀島へとなだれ込むかのように数千もの無足人が大挙して押し寄せた。
だが、その志賀島には二人の武将が手ぐすねを引いて待っていた。
洪茶丘将軍と王某将軍だ。
「おい王某! 奴ら無策に突っ込んでくるぞ!!」
「わかってます。読み通り指揮系統から外れた連中が勝手に動いているんです」
「ふんっ! ならば奴らに教えてやれ。軍隊や軍人がなぜ存在するのかをなっ!」
「言われなくても――弓兵隊、偽装射撃始め!」
王某の命に従い弓兵たちが前回同様の曲射を始める。
その矢雨の中を無足人たちが前進する。
「矢だ! 矢が雨のように降って来るぞ!」
「垣楯を上に構えろ!!」
「ぎゃはは、本当に意味のない矢を射ってきたぞ!」
皆が垣楯を掲げ矢に対処する。
何人も矢に討たれるが、それを踏み越えて走り抜ける。
たかが矢雨程度では彼らの欲望を止めることはできない。
「楯突けぇ!」
「おぉ!」
目の前には武士の垣楯と同じような〈帝国〉の垣楯がすき間なく置かれて、その後ろに〈帝国〉兵たちが待機している。
「弓引け! 放てぇ!!」
無足人たちが放つ矢の嵐が〈帝国〉の垣楯に刺さっていく。
「見ろ! 穴だらけだ。このまま討ち続けろ!」
「応!」
古今東西、盾は木で作られ、それ故に無敵の盾とはならない。
穴だらけの板が脆いように、矢が貫通した楯は脆い。
五本、十本、二十本と刺さり、楯に亀裂が入る。
そして今まさに垣楯が崩れ落ちた。
「――なに!?」
その垣楯の後ろにさらに楯があった。
〈帝国〉はワザと〈島国〉の垣楯に似せて、しかし大きめの垣楯を作った。
それを三重に張り合わせることで厚みと強度を得ていた。
「ええい、もっと矢を射るんだ! 矢を持ってこい!」
「無理言うな! つっかえてるんだぞ!」
「押すな! 押すな!」
志賀島へ至る細い道では矢の補給は上手くいかない。
そして、恩賞目当ての無足人たちはただ前へ進むことしかしない。
彼らはもはや〈帝国〉の術中にはまった。
その垣楯の裏側で王某は腕を組んでじっと待っていた。
そして――。
「偽装射撃止め! 次いで石弓兵全兵討てぇ!!」
「ハッ!」
垣楯の裏側に待機していた石弓兵たちが一斉射する。
彼らの石弓は南宋産の最新の石弓であり、大鎧を貫通することができる威力を持っていた。
南宋がこの兵器を持っていたからこそ〈帝国〉は南宋攻略のために築城して待ち続けるという包囲持久戦をしたのだ。
「ぐわあっ!!」
「いかん下がれ下がれ!」
「待て押すんじゃない!」
〈島国〉の無足人たちは海の中道は押し合いへし合い、身動きが取れなくなる。
それを見て王某はさらに下知する。
「石弓を交換してさらに討ち続けろ!」
「ハハッ!」
石弓は威力を増すための工夫をした結果、連射性が低いという欠点があった。
それを討つ係と弦を引く係で役割分担をすることで対処した。
次々に交換した石弓から矢が放たれる。
身動きが取れない無足人たちは為すすべなく打倒されていった。
「洪茶丘将軍! 今です!」
「行くぞ! ぶちかませぇ!」
「オオォォッ!」
重装甲に身を包んだ洪茶丘率いる重騎兵たちが一斉に志賀島から海の中道を突撃する。
これぞまさに〈帝国〉が最も得意とする騎兵戦術、矢で弱り果てた敵への重騎兵突撃である。
海の中道はまさに〈帝国〉の狩場と化した。
そして、それは海上でも同じだった。
「ふふ、小舟で大船を襲うなんて命知らずですね」
「クドゥン将軍準備が整いました!」
「よろしい。では攻撃の銅鑼を鳴らせ」
「ハッ!」
停泊していた船上には石弓部隊が潜んでいた。
銅鑼が鳴り響き、待機していた石弓兵によって一斉に矢が放たれる。
「敵だ。弓で射ってや――ぐわっ!」
「ぎゃああぁぁ!」
石矢によって垣楯や大鎧が貫かれていく。
「いいですか皆さん。別に敵兵に当てなくても構いません。彼らが乗っている船に穴をあけるのです。そうすれば重い鎧を着ている彼らは海へ沈むしかありません」
「ハハッ!」
石弓兵たちは小舟の船体にも穴をあけていった。
そして重い鉄をまとった武士たちが博多湾の底へと沈んでいった。
海で浜で悲鳴と罵詈雑言が響き渡る。
邪魔だどけ、押すんじゃね、海に飛び込め。
無足人たちは仲間の死骸を、小盾として命からがら逃げだした。
こうして無足人はその数を大きく減らした。
また重装騎兵の突撃によって〈帝国〉は海の中道までその勢力を広げた。
あまりに一方的な戦いだったが唯一の救いは重装弓騎兵である有力御家人が一騎も参戦していなかったことだ。
この戦いでやられたのは数に含まれない無足人だけだった。
大宰府はこの日より抜け駆けによって勝手に攻め込むことを禁ずるお触れがでた。
そしてその命に逆らうものはほとんどいなかった。
それから十日経って博多湾は死臭が漂う海となった。
――――――――――
五郎は自分の名声が被害の増加に拍車を駆けたのかと思うと――少し気がめいる。
「その後は船が貴重だからとすべて大宰府に取り上げられて、海の中道を挟んでのにらみ合いがずっと続いてます」
「そうか、話してくれて感謝する」
「あの……その旗印はもしかして竹崎郷の五郎殿ですか?」
おずおずと無足人が訊ねた。
「……ああ、そうだ」五郎は答えづらそうにいう。
「ああ、やっぱり本物は違うな。田舎で農作しかしてないあっしらとは全然違うな……」
名も無き無足人は五郎の朱色の大鎧という立派な出で立ち、そして本人が纏う気迫に畏敬の念を抱いた。
五郎は何も言わずに肥の大将の陣地へと向かった。
敵はこちらに対して万全の備えで挑んできている。
もう前回のようにただ突撃しても勝てない。
彼は遠くに見える志賀島をみてそう思った。




